unknown
Act1

ギプスも取れ、ひき逃げによる骨折が完治した後、法介は何かと忙しい日々を送っていた。
暇な新人弁護士とは言え、しばらく休んでいた間に、様々な雑事が山積していた。
特に成歩堂なんでも事務所の散らかり具合は、それは凄まじいものであった。
成歩堂曰く「オドロキくんがうちに来るまでは、常にこんな感じだったよ」とのことで、あの親子は全く片付ける気はないらしい。
そんな訳で事務所の掃除が、法介の復帰後最初の仕事となった。
その他にも法律相談のような仕事もあったりで、その存在に法介が気付いたのは、社会復帰してからしばらくしてからのことだった。

そんな忙しさが一段落した休日、後回しになっていた自宅の掃除に法介が取り掛かっていた時、床の隅に落ちているカードキーが目に入った。
無論そんな洒落たものは、このワンルームの自宅の鍵ではあり得ない。
しかし、法介はそれに見覚えがあった。
「あーっ!」
思わず、近所から苦情がきそうな大声を上げて、法介はカードキーを拾い上げる。
「こ……これって、牙琉検事の……」
それは骨折中一週間ほど面倒を見てくれた響也のマンションの鍵だった。

響也が日中留守にしている間も、法介が自由に外出できるようにと彼が貸してくれたものだ。
世話になった最後の日に返すつもりでいたのだが、その前夜に飲みすぎた為、二日酔いが酷くてすっかり忘れていた。
服のポケットに入れていたものが、何かの弾みで落ちて、今の今まで気付かずにいたようだ。
(ううっ……これは嫌味の一つや二つ覚悟しておかないとな)
色々世話を掛けた挙句、酔っ払ってまた面倒を掛け、その上鍵を返すのを忘れていたとは。

一度お礼にと響也を食事の誘ったことがあったが、その時にはカードキーの存在に法介は気付いていなかった。
響也の方も忘れていたのか、鍵について何を言うでもなかったのだ。
その後、響也とは顔を合わせる機会もなく、現在に至っている。
実際、法介とは比べ物にならないほど忙しいのだろう。
しかしその割に、法介が世話になった一週間ほどは、いつも早く帰宅していたのが不可思議ではあったが。

すぐにでも返しに行ったほうがいいのだろうかとも思ったが、響也からその連絡がないということは、今はやはり多忙でそれどころではないのだろう。
とにかく今度こそ会ったら返そうと、法介はそのカードキーを財布へと仕舞う。
そうして部屋の掃除を終えた時には、そろそろ昼近かった。
今から昼食を作るのも億劫で、法介は近くのコンビニでも行こうと部屋を出た。
コンビニで昼食の買い物を終え、外へ出たところで、法介はこつんといきなり頭に軽い衝撃を受ける。
「イテッ!」
思わず声をあげ、法介は痛みの感じた額を押さえた。
一体何事かと前方に視線を移してみて、すぐにその原因は分かった。

「アカネさんじゃないですか……なんですか、イキナリ」
法介の前に立っていたのは、かりんとうの袋を手にした茜だった。
とするならば、さっき額に感じた衝撃は、茜にそのかりんとうを投げつけられたからだと容易に想像できる。
なにせ今まで散々同様の経験があるからだ。
「なんだじゃないわよ。
何をのんきそうにしてる訳!?」
かりんとうを突然投げつけられたかと思えば、今度は前触れなく責められる。
茜はじとーっと法介を睨み付けてくる。
いつも不機嫌そうではあるのだが、今日は格段に機嫌が悪そうだ。

(知るかよ!)
法介には茜に責められる心当たりはない。
事件の現場に押しかけた訳でもないし、休日にのんびりとしていることで何故茜の不興を買わねばならないのか。
と、反発を覚えはしたが、ここで強気にでようものなら、間違いなくかりんとうの連射を浴びることになる。
それは御免被りたい。

「あのジャラジャラ検事は何処よ?」
困惑し、黙る法介に、これまた唐突な質問が投げつけられる。
ジャラジャラ検事が誰を指しているのかは分かる――牙琉響也のことだ。
しかし彼が何処にいるのか――そんなことは法介には知りようもない。
「そんなことオレに言われても……」
「アンタ達同棲してるんでしょ?
なんで片割れの行方を知らないのよ!?」
すかさず茜の突込みが入る。

法介はその言葉に目を剥いた。
だが以前にみぬきや成歩堂から聞かされた単語だった為、立ち直るのも早かった。
「イヤイヤ!凄まじく誤解されているようなんですけど……オレと牙琉検事はですね……」
「冗談よ」
最後まで法介が言い切る前に、茜の声が遮った。
「アンタ達が同棲してるって話は、成歩堂さんの娘さんから聞いたんだけど、流石にそれを本気にはしないわよ。
でも少しの間厄介になってたのは本当なの?」
「えぇ、それは」
ほっと胸を撫で下ろしながら法介は頷いた。

すると茜はふーんと呟き、何か思い立ったようにぽんと手を打った。
「あー、そういうことか……。
さすが成歩堂さんだわ、全てお見通しって訳ね。
でもまさか、あのジャラジャラ検事がねぇ……」
ぶつぶつと何事かを一人で納得している。

「あのー」
またも取り残された法介が声を掛けると、茜はニヤリと笑った。
「あぁ見えても、あの検事もかなり忙しい訳よ。
でもとある一週間程はそれはもう最低限の仕事だけ済ませて、さっさと帰っちゃってたみたいよ。
プライベートと仕事はきっちり分ける主義で、オフィスを出たら絶対に仕事しない人らしいんだけど、その間だけは持ち出せる仕事は持って帰ってやってたみたいだし。
その話をしてくれた検事局の事務官が、すごく驚いていたもん。
一体何の心境の変化だろうって。
つまりは―――そういうことなのよ」
「はぁ?」
そんなふうに結論付けられても、法介の頭の中にはやはりハテナマークが飛び交っていた。

響也が見かけによらず、親切で面倒見がいいことは今や法介も重々承知している。
法介が世話になっている間、帰りが早かった謎は茜の話で解けた。
自宅で資料らしきものに目を通しているの姿は見たことがあるが、わざわざ早く帰宅する為に仕事を持ち帰ってくれていたとは思っていなかった。
改めて感謝と共に、本当に良い人だと思う。
だが、茜が言わんとしていることは、そういう意味のことではないような気がする。
しかしそれが何であるかは分からない。

法介が首を傾げるのに、茜は呆れたように溜息を落とした。
「相当鈍いわね……」
「言いたいことがあるなら、ズバっと言ってくださいよ!」
むっとして法介が言い返すと、かりんとうが再び額に飛んできた。
「私はそこまで親切な女じゃないのよ。
第一そーいうことは、本人同士の問題だし。
あぁ、そうだ―――私はそんなことをアナタと話したい訳じゃないの。
少しの間でも一緒に生活してたんなら、ジャラジャラ検事の行きそうな場所心当たりない?」

ようやく話が本筋に戻ったようだ。
かりんとうが命中した額を押さえながら、法介は首を振る。
「知りませんてば。
お世話になってた時だって、別に牙琉検事の行動を把握なんてしてませんでしたよ、当然詮索したりもしないし。
牙琉検事がどうかしたんですか?」
「明後日担当予定の審理があるらしいんだけど、昨日からオフィスに姿を見せてないらしいのよ。
携帯にいくら電話しても出ないし、音楽方面のスタジオや良く立ち寄るらしいバーなんかにも聞いてみたそうだけど、知らないって。
つまり行方不明って訳。
で、何故か私に探せっていう命令が下ってさ……いい大人の人探しなんてカガク的じゃないことやる気も出ないわよ。
そう思うでしょ?」
茜が不機嫌な理由は、そういうことだったのか。

それにしても響也が行方不明とは、一体……。
外見上から判断するといい加減そうに見えるが、本当は真面目な男だと法介も知っている。
その彼が近々に裁判を控えて、何処かに行ってしまうとは考え難い。
だからこそ周囲も困惑しているのだろう。
まさか何らかの事件に巻き込まれたということなのだろうか。

法介の胸はどきりと強く打つ。
そんな馬鹿なことがある訳がないと打ち消しながらも、言い知れぬ不安が襲ってくる。
もし響也の身に何あったら―――そう考えると酷く恐ろしかった。

あの骨折以降、響也との距離は縮まった気がする。
けれど友人という関係ではないと思うし、やはりまだ検事と弁護士という職業上の繋がりといった方がしっくりくる気がする。
それなのに今、この胸に巣食う不安と怖れは何だろう。
知り合いを心配するというよりももっとそれは大きい。
まるでとても大切な人に対するように。

法介は自分でも己のそんな気持ちが不可解だった。
だが今はそんなことよりも、響也の行方を捜す方が先決だと、法介は首を振る。
「牙琉検事の自宅には行ったんですか?」
「それもアナタに聞こうと思ってたのよ。
あの検事ってば、自宅の場所を誰にも教えてないみたいでさ。
検事局の書類上に記載されている住所はセカンドハウスのものらしくて、そっちの方には居なかった」
「分かりました!
俺が行ってきます!」
「えっ、あっ、ちょっと!」
戸惑う茜をその場に残し、法介は駆け出したのだった。





大通りでタクシーを拾い、法介は響也のマンションに到着する。
階下のインターフォンで響也の部屋をコールするが、しばらく待っても応答はない。
オートロックの解除方法は響也に聞いて知っていたので、法介はそれを解除して彼の部屋へと向かう。
最上階の響也の部屋の前に到着し、法介はどんどんとドアを叩く。
「牙琉検事!
いないんですか!?
牙琉検事!!」
誰もが認める法介の大音声が周囲に響く。
昼間だからか、それとも防音がきちんとされているせいか、他の部屋から住人が姿を見せることもなかった。

そしてやはり目の前のドアからも反応がない。
ますます嫌な予感は大きく育っていく。
業を煮やした法介は、財布の中から今朝仕舞ったカードキーを取り出し、ドアに差し込む。
まさかこんな風に使うことになろうとは、あの時は思いもしなかった。

しかし法介がそれを使うよりも早く、ガチャリと中から鍵を外す音がして、ゆっくりとドアが開かれる。
その向こうに立っていたのは、侵入者や不審者などではなく、牙琉響也その人だった。
「牙琉検事!
何だちゃんと居たんじゃないですか!
そうならそうと早く返事して下さいよ!
明後日審理があるんでしょう!?
茜さんが物凄く怒って探してましたよ!
何故連絡しないんですか!」
響也の姿を見て安心した途端、法介は響也を畳み掛けるように怒鳴りつける。
事件に巻き込まれたのではと、大げさに想像していた自分が恥ずかしい。
思わず言葉尻もきつくなってしまう。

しかし、響也は何も答えず壁に身体を預けるようにして俯いたままだった。
「牙琉検事!
聞いてるんですか!」
法介がそう声を荒げたその時―――目の前の響也の身体がぐらりと傾き、法介の方へと倒れこんできたのだった。



2007.10.20 up