新た
なる風
Act4
そうして、牙琉響也と王泥喜法介との奇妙な共同生活がスタートを切った。
退院後、響也のマンションにやって来た法介は、疲れからか結局あのまま朝まで眠ってしまった。
「……くん、おデコくん」
響也にそう声を掛けられて、法介はようやく目を覚ましたのだ。
カーテン越しに窓から射し込む光で、今が朝なのだと知った。
法介は一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、自分を覗き込む響也の顔に記憶が蘇る。
初めて訪れた響也の自宅の豪華さに、あんなに圧倒され緊張し通しだったとうのに、起こされるまでぐっすり眠ってしまった自分の神経の太さに、法介は呆れるやら感心するやらだ。
あまりにもベッドの寝心地が良かったことも要因の一つだ。
「すみません、俺……なんだかぐっくり眠ってしまって」
照れ笑いを浮かべる法介に、響也もくすりと笑う。
「なんだか昨日からキミは、謝ってばかりだね。
ぐっすり眠れたってことはリラックス出来ているショウコだよね?
そうでなくちゃ僕もキミをここへ連れてきた手前困るよ。
本当は起こさないでおこうかとも思ったけど、昨日の夜は何も食べてないだろう?
サスガにお腹が減っただろうと思ってさ」
「あっ、いえ別にそんなに……」
と、法介が遠慮して言いかけた所で、ぐるると腹が鳴った。
絶妙のタイミング過ぎて、あまりに恥ずかしい。
響也にももちろんそれは聞こえていたようで、今度は声を上げて笑われてしまう。
「どうやらキミよりも、お腹の方が素直みたいだね。
朝食を用意したから、一緒に食べようよ」
ここでどう格好をつけたとて、最早それは滑稽でしかない。
法介は「ご馳走になります」と素直に応じて、響也と共にリビング・ダイニングへと向かった。
ダイニングテーブルの上には、焼きたてのパンとコーヒー、ベーコンエッグにサラダとフルーツが、並べられている。
これもまた、食パンと牛乳をかき込むように食べている法介の朝食とは大違いである。
法介とて一人暮らし暦が長い為に、一通りの料理なら普通に作れるが、いつもぎりぎりまで寝ている為に朝はそんな余裕などない。
「これって……牙琉検事が作ったんですか?」
「そうだけど、そんなにも驚くようなメニューかい?
どれも簡単なものだよ」
さらりと響也は答えるが、法介にしてみれば難易度云々の問題ではなく、普段の彼の様子から料理などしている姿は想像がつかなかったのだ。
生活感を全く感じさせないから……。
「さぁ、そんなところで突っ立ってないで、早くお食べよ」
響也に促され、法介は椅子に腰掛ける。
なんともいえぬ良い香りが、法介の胃袋を刺激し、またもや腹が派手な音を立てる。
くくく……と響也は笑いを噛み殺して、向かいの席につく。
顔を赤く染めながらも、法介は「いただきます」の言葉と共に頭を下げる。
手を合わせようにも、左手がギプスで固定されているからだ。
「どうぞ。
もし上手く食べれないようなら、あーんして僕が食べさせてあげてもいいけど?
こんな体験メッタに出来ないと思うよ?」
響也の口調は、明らかにからかいの色を含んでいる。
「結構です!」
法介は力一杯断って、フォークを手に取る。
そこで気付いた。
どの料理もフォークで突き刺せば、一口で食べれる大きさに切り分けられている。
利き腕を骨折している法介には、それは非常に有難い。
まさかここまでの心配りをして貰えるなどと、思ってもみなかった。
傍若無人の見本のような男だと思っていただけに意外だ。
「俺、牙琉検事のことゴカイしてました。
案外優しかったんですね」
「案外は余計だよ、おデコくん。
僕はツネに人類愛に満ちているさ―――ただそれを向けるワリアイが圧倒的に女の子に大きいだけで。
おデコくんは怪我人だから、トクベツだよ」
やたらと怪我人の部分が強調されているように、法介には聞こえた。
自宅に招いてくれ、色々と気遣ってくれることからも、余程響也は怪我人に対して優しい人なのだと法介は感心する。
そうでなければ女の子大好きなこの人が、男の自分の世話をしてくれることなんてないだろう。
響也が準備してくれた朝食はどれも美味しく、法介はその全てをあっという間に平らげてしまった。
「ご馳走様でした」
と、法介がまたもやぺこりと頭を下げる。
まだ半分ほどしか食べていない響也が、面白そうに笑う。
「ミゴトな食べっぷりだったね、おデコくん。
皿まで食べるんじゃないかっていう、勢いだったよ。
―――さて、じゃぁ僕もそろそろ準備しようかな」
響也は食べきっていないにもかかわらず、席を立つ。
法介の視線に気付いた響也が、僅かに肩を竦めた。
「元々あまり朝は食べないんだ。
それにおデコくんの豪快な食べっぷりをみているだけで、僕もジュウブン満たされたよ。
すまないけど、僕はシゴトがあるから出掛けるね。
昼食は申し訳ないんだけど、外で済ませるか、ケータリングしてもらえるかい?」
今でも充分良くしてもらっているのに、法介としても、もちろんそこまで迷惑を掛けるつもりはない。
重病人でもないし、外の空気も吸いがてら自分も出掛けるつもりだと言うと、響也は一つ頷いた。
「またクルマにでも撥ねられて、今度は右腕骨折とかは止めておくれよ」
と茶化す言葉は忘れずに。
朝食の後片付けくらいやりますという法介を手で制して、響也は手早く使った食器類を洗浄器に放り込む。
そうして外に出かけると言った法介の為に、着替えるのを手助けした後、響也は鍵を差し出した。
このマンションに入るときにも見たカードキーだ。
「プラチナチケットよりも価値のある、この部屋のキーだよ。
女の子達に強奪されないようにね」
冗談めかして言って、何のためらいもない様子で法介は響也からそれを手渡された。
戸惑ったのは法介の方だ。
法介が出掛けると言ったのは、いくら面倒をみてくれるといっても、響也が不在の間、他人に部屋に居られるのは嫌だろうと考えたこともあったからだ。
もちろんやましい事をするつもりなど毛頭ないが、相手の気持ちの問題だ。
だから響也がいない日中は外に出て、彼が帰宅する時間を聞いておいて、それに合わせて戻ろうと考えていた。
なのにこうも簡単に鍵を渡されてしまっては、困惑するばかりだ。
響也はあまりそういったことに頓着しない性質なのだろうか。
そんな法介の戸惑いなど露知らずか、響也は法介の言葉も待たず、
「じゃぁ、僕は行って来るね」
と、朝から爽やかな笑顔と共に、さっさと出かけていってしまったのだ。
結局鍵を渡された法介は、使わせてもらっているゲストルームを不器用ながらも掃除し、昼前になってマンションを出た。
ファーストフードで昼は済ませたが、それでも片手だけで食べるのは時間が掛かった。
今朝の響也の気遣いがどれだけありがたいものであったかを、改めて感じる。
退院が決まった時、一週間くらい外食でもすれば、左腕が使えなくとも不自由なりになんとかなると憂鬱ながらも思っていたが、三食ともこれではストレスが溜まって仕様がないだろう。
響也の申し出を受けて、本当に良かったのかもしれない。
そう思うと、考えるのは自然と牙琉響也という人のこと。
当初は、法介の師事していた牙琉霧人の弟の検事という認識くらいしかなかった。
しかし顔立ちは霧人そっくりなくせに、言動はその正反対だ。
天才と評されながら、女性の注目を集めるためにロックバンドを結成し、またそのバンドがミリオンヒット連発していると聞いた時は、目が点になった。
いつも法介をからかい、茶化しては、楽しんでいる。
そんな軟派な態度は法廷でも変わらなかったが、そこでみせる眼差しだけは真摯だった。
検察側がどれだけ不利になろうとも、真実を追求することを優先させる人物だ。
法介も最初の法廷以来、何度かそれに助けられている。
本人は決してそれを認めようとはしないけれど。
検事としての響也のことを、法介は尊敬していた。
ボーカリストとしての響也のことを、法介は実はカッコイイと思い始めている。
ただしまだその曲をまともに聴いたことはなかったが……一度ライブで見たその姿が印象的だったのだ。
法介にだって低いながらもプライドというか男の意地はあるから、そんなことを思いはしても、本人には告げないけれど。
そして。
―――検事でもボーカリストでもないあの人のことを、俺はどう思っているのだろう……?
今まではそんなこと考えたこともなかった。
その二つの肩書きの付いた響也の貌(かお)しか、これまで法介は知らなかった。
しかし今、プライベートで接している彼は、またそれらとは違う貌(かお)だ。
からかわれるのはいつもと変わりないが、嫌な顔一つ見せず、優しく法介を手助けしてくれる。
何の戸惑いもなく、法介に鍵を手渡してくれもした。
それが響也の素の姿なのか。
それとも、法介の知らない第三の貌(かお)なのか。
その答えは分からなかったが、そんな新しく知った響也のことを自分はどう感じているのか。
それは、なにかモヤモヤとして掴み所ない感覚だった。
負の感情でないことは確かだったが、自身でも良く分からない不思議な想い。
いくら考えてみても、この時の法介には終ぞその正体は分からなかった―――。
退院後、響也のマンションにやって来た法介は、疲れからか結局あのまま朝まで眠ってしまった。
「……くん、おデコくん」
響也にそう声を掛けられて、法介はようやく目を覚ましたのだ。
カーテン越しに窓から射し込む光で、今が朝なのだと知った。
法介は一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、自分を覗き込む響也の顔に記憶が蘇る。
初めて訪れた響也の自宅の豪華さに、あんなに圧倒され緊張し通しだったとうのに、起こされるまでぐっすり眠ってしまった自分の神経の太さに、法介は呆れるやら感心するやらだ。
あまりにもベッドの寝心地が良かったことも要因の一つだ。
「すみません、俺……なんだかぐっくり眠ってしまって」
照れ笑いを浮かべる法介に、響也もくすりと笑う。
「なんだか昨日からキミは、謝ってばかりだね。
ぐっすり眠れたってことはリラックス出来ているショウコだよね?
そうでなくちゃ僕もキミをここへ連れてきた手前困るよ。
本当は起こさないでおこうかとも思ったけど、昨日の夜は何も食べてないだろう?
サスガにお腹が減っただろうと思ってさ」
「あっ、いえ別にそんなに……」
と、法介が遠慮して言いかけた所で、ぐるると腹が鳴った。
絶妙のタイミング過ぎて、あまりに恥ずかしい。
響也にももちろんそれは聞こえていたようで、今度は声を上げて笑われてしまう。
「どうやらキミよりも、お腹の方が素直みたいだね。
朝食を用意したから、一緒に食べようよ」
ここでどう格好をつけたとて、最早それは滑稽でしかない。
法介は「ご馳走になります」と素直に応じて、響也と共にリビング・ダイニングへと向かった。
ダイニングテーブルの上には、焼きたてのパンとコーヒー、ベーコンエッグにサラダとフルーツが、並べられている。
これもまた、食パンと牛乳をかき込むように食べている法介の朝食とは大違いである。
法介とて一人暮らし暦が長い為に、一通りの料理なら普通に作れるが、いつもぎりぎりまで寝ている為に朝はそんな余裕などない。
「これって……牙琉検事が作ったんですか?」
「そうだけど、そんなにも驚くようなメニューかい?
どれも簡単なものだよ」
さらりと響也は答えるが、法介にしてみれば難易度云々の問題ではなく、普段の彼の様子から料理などしている姿は想像がつかなかったのだ。
生活感を全く感じさせないから……。
「さぁ、そんなところで突っ立ってないで、早くお食べよ」
響也に促され、法介は椅子に腰掛ける。
なんともいえぬ良い香りが、法介の胃袋を刺激し、またもや腹が派手な音を立てる。
くくく……と響也は笑いを噛み殺して、向かいの席につく。
顔を赤く染めながらも、法介は「いただきます」の言葉と共に頭を下げる。
手を合わせようにも、左手がギプスで固定されているからだ。
「どうぞ。
もし上手く食べれないようなら、あーんして僕が食べさせてあげてもいいけど?
こんな体験メッタに出来ないと思うよ?」
響也の口調は、明らかにからかいの色を含んでいる。
「結構です!」
法介は力一杯断って、フォークを手に取る。
そこで気付いた。
どの料理もフォークで突き刺せば、一口で食べれる大きさに切り分けられている。
利き腕を骨折している法介には、それは非常に有難い。
まさかここまでの心配りをして貰えるなどと、思ってもみなかった。
傍若無人の見本のような男だと思っていただけに意外だ。
「俺、牙琉検事のことゴカイしてました。
案外優しかったんですね」
「案外は余計だよ、おデコくん。
僕はツネに人類愛に満ちているさ―――ただそれを向けるワリアイが圧倒的に女の子に大きいだけで。
おデコくんは怪我人だから、トクベツだよ」
やたらと怪我人の部分が強調されているように、法介には聞こえた。
自宅に招いてくれ、色々と気遣ってくれることからも、余程響也は怪我人に対して優しい人なのだと法介は感心する。
そうでなければ女の子大好きなこの人が、男の自分の世話をしてくれることなんてないだろう。
響也が準備してくれた朝食はどれも美味しく、法介はその全てをあっという間に平らげてしまった。
「ご馳走様でした」
と、法介がまたもやぺこりと頭を下げる。
まだ半分ほどしか食べていない響也が、面白そうに笑う。
「ミゴトな食べっぷりだったね、おデコくん。
皿まで食べるんじゃないかっていう、勢いだったよ。
―――さて、じゃぁ僕もそろそろ準備しようかな」
響也は食べきっていないにもかかわらず、席を立つ。
法介の視線に気付いた響也が、僅かに肩を竦めた。
「元々あまり朝は食べないんだ。
それにおデコくんの豪快な食べっぷりをみているだけで、僕もジュウブン満たされたよ。
すまないけど、僕はシゴトがあるから出掛けるね。
昼食は申し訳ないんだけど、外で済ませるか、ケータリングしてもらえるかい?」
今でも充分良くしてもらっているのに、法介としても、もちろんそこまで迷惑を掛けるつもりはない。
重病人でもないし、外の空気も吸いがてら自分も出掛けるつもりだと言うと、響也は一つ頷いた。
「またクルマにでも撥ねられて、今度は右腕骨折とかは止めておくれよ」
と茶化す言葉は忘れずに。
朝食の後片付けくらいやりますという法介を手で制して、響也は手早く使った食器類を洗浄器に放り込む。
そうして外に出かけると言った法介の為に、着替えるのを手助けした後、響也は鍵を差し出した。
このマンションに入るときにも見たカードキーだ。
「プラチナチケットよりも価値のある、この部屋のキーだよ。
女の子達に強奪されないようにね」
冗談めかして言って、何のためらいもない様子で法介は響也からそれを手渡された。
戸惑ったのは法介の方だ。
法介が出掛けると言ったのは、いくら面倒をみてくれるといっても、響也が不在の間、他人に部屋に居られるのは嫌だろうと考えたこともあったからだ。
もちろんやましい事をするつもりなど毛頭ないが、相手の気持ちの問題だ。
だから響也がいない日中は外に出て、彼が帰宅する時間を聞いておいて、それに合わせて戻ろうと考えていた。
なのにこうも簡単に鍵を渡されてしまっては、困惑するばかりだ。
響也はあまりそういったことに頓着しない性質なのだろうか。
そんな法介の戸惑いなど露知らずか、響也は法介の言葉も待たず、
「じゃぁ、僕は行って来るね」
と、朝から爽やかな笑顔と共に、さっさと出かけていってしまったのだ。
結局鍵を渡された法介は、使わせてもらっているゲストルームを不器用ながらも掃除し、昼前になってマンションを出た。
ファーストフードで昼は済ませたが、それでも片手だけで食べるのは時間が掛かった。
今朝の響也の気遣いがどれだけありがたいものであったかを、改めて感じる。
退院が決まった時、一週間くらい外食でもすれば、左腕が使えなくとも不自由なりになんとかなると憂鬱ながらも思っていたが、三食ともこれではストレスが溜まって仕様がないだろう。
響也の申し出を受けて、本当に良かったのかもしれない。
そう思うと、考えるのは自然と牙琉響也という人のこと。
当初は、法介の師事していた牙琉霧人の弟の検事という認識くらいしかなかった。
しかし顔立ちは霧人そっくりなくせに、言動はその正反対だ。
天才と評されながら、女性の注目を集めるためにロックバンドを結成し、またそのバンドがミリオンヒット連発していると聞いた時は、目が点になった。
いつも法介をからかい、茶化しては、楽しんでいる。
そんな軟派な態度は法廷でも変わらなかったが、そこでみせる眼差しだけは真摯だった。
検察側がどれだけ不利になろうとも、真実を追求することを優先させる人物だ。
法介も最初の法廷以来、何度かそれに助けられている。
本人は決してそれを認めようとはしないけれど。
検事としての響也のことを、法介は尊敬していた。
ボーカリストとしての響也のことを、法介は実はカッコイイと思い始めている。
ただしまだその曲をまともに聴いたことはなかったが……一度ライブで見たその姿が印象的だったのだ。
法介にだって低いながらもプライドというか男の意地はあるから、そんなことを思いはしても、本人には告げないけれど。
そして。
―――検事でもボーカリストでもないあの人のことを、俺はどう思っているのだろう……?
今まではそんなこと考えたこともなかった。
その二つの肩書きの付いた響也の貌(かお)しか、これまで法介は知らなかった。
しかし今、プライベートで接している彼は、またそれらとは違う貌(かお)だ。
からかわれるのはいつもと変わりないが、嫌な顔一つ見せず、優しく法介を手助けしてくれる。
何の戸惑いもなく、法介に鍵を手渡してくれもした。
それが響也の素の姿なのか。
それとも、法介の知らない第三の貌(かお)なのか。
その答えは分からなかったが、そんな新しく知った響也のことを自分はどう感じているのか。
それは、なにかモヤモヤとして掴み所ない感覚だった。
負の感情でないことは確かだったが、自身でも良く分からない不思議な想い。
いくら考えてみても、この時の法介には終ぞその正体は分からなかった―――。
2007.06.23 up