巡りゆく季節、駈ける輝く地平



成都の空に暮れなずむ、和らいだ陽の光。
早々と執務を切り上げて、趙雲は待ち人の元に向かっていた。
彼と恋人しか知らない憩いの地。
その大らかな体格そのままに、彼は腕を組んで瞳を閉じていた。

「すまない、文長。…随分、待ったか?」
「いや、今しがた来たばかりだ」
「そうか…」
「話とは何だ?国の一大事に関わることか?」
「いや、それ以外のことだ…」

彼らは出逢ってすぐに友の誓いを立てあった。
公的には戦友、私的には些細なことも話せる親しい間柄。
趙雲の相談事と言えば、たいていは決まりきっていた。

一に君主の劉備に纏わること。
二に劉備の御子の劉禅に関わること。
三に丞相の諸葛亮の話題だった。
どれもが国に関連することばかりだ。

おまえの頭には蜀のことしかないのかと、魏延は宥めたことがある。
その度に、すまないと苦笑する趙雲。
しかし、今回は勝手が違うらしい、別の新しい話題のようだ。

恥ずかしそうに耳まで赤く染めて、趙雲は俯いている。
珍しいこともあるものだ。
そのうち、あの、その、など、ぽつりと彼は呟き始めた。

「実は、2ヶ月ほど前から…孟…馬超殿と付き合っているのだ」
「ほう、知らなかったぞ。…親友の俺にも内緒でか?」
「な、なかなか言い出す機会がなかったのだ」
「冗談だ。…喧嘩でもしたのか?」
「し、していない」

あまりにも当惑した顔をしているので、てっきり彼の義兄弟の話題かと思ったのだが。
そうではなく、恋の悩みらしい。
魏延は唾を飲み込んで待っていた自分を可笑しく思った。

「多くのことに秀でている…孟…馬超殿は、私には勿体無いぐらいだ」
「惚気か?」
「ち、違っ」
「自慢でなければ、何だと言うんだ?」
「…っ…」

普段は冷静沈着な趙雲だが、柄にもなく魏延の一言に反応を見せる。
受け流すだけの余裕を無くして、慌てている。
こんな彼は、これまで見たこともない。

「あいつがどうかしたのか?」
「その…彼は…人の都合を考えずに……」
「毎日のように逢瀬か。お熱いことだな」
「文長っ!!」
「おまえは、そんなあいつが好きなんだろう?」
「そっ…それは、そうだが…」

趙雲が言わんとすることは、何となく想像がついた。
初めて誰かを慕うような、子供のようなあどけなさを見せる彼。
面白い、と魏延は微笑んだ。

「愛されているのはわかるのだが…」
「惚気か?」
「違う」
「何を悩むことがある?」

刹那、息を飲み込む気配。
深い溜め息を一つ零して、趙雲は呟くように告げる。

「彼の想いに、どう応えていいのか困っているのだ」

しょうがないな、と魏延は心の中で苦笑した。
鬼神とまで称される者が、実は恋愛には奥手で頭を痛めて悩んでいる。
彼を慕う兵士達に、この姿を見せてやりたいものだ。
親友として共に在ること早数年、その純朴さには魏延も辟易する。

「馬鹿か、おまえ」
「…なっ…」
「あいつを愛しているなら、言葉で、身体で示すしかないだろう。
その口はつまらん世迷言を吐くためにあるのか?
その身体は国造りのためだけにあるのか?…よく考えろ」

親友からのちょっぴり辛口で的確な助言。
生温い言葉を掛けるよりも、励ますよりも、特効薬になる。
少し酸味のあるそれは、たまに傷だが。
いつも案じてくれる親友を、趙雲は敬愛してやまない。

「あなたの言うとおりだな。あれこれ悩むのは、私らしくない、か」
「おまえのありったけの想いを、あいつに知らしめてやることだ。
そうすれば、よりおまえを離さなくなるだろうがな」
「からかうのはよしてくれ!」
「ははは…覚悟することだ」

どんな些細なことでも、必ず答えてくれる。
彼の明るさには幾度も励まされてきたものだ。
背中を押してくれた親友に、趙雲は心ばかり礼を述べた。
















「片づけ、終わりましたよ、超兄」

仄かな夕暮れ時、縁側に座り、紅く染まる空を眺める馬超に掛かる声。
調練の最中から溜め息を吐き続けている従兄には参ったとばかりに馬岱は苦笑している。
馬超は感情を隠すことを知らない。
いつもなら殺気立ったオーラを放って兵士達を鍛える彼だったが、ここ数週間の集中力は皆無だ。
兵士達は意中の人からフラれたなどと、陰でひそひそと噂し合っている。
まったくしょうがないな、と馬岱はぼんやりと空を仰ぐ肉親に話し掛ける。

「何を考えているんですか?」
「…別に」
「趙雲殿のことでしょう」
「なぜ、子龍の話になるのだ」
「超兄の悩みと言えば、彼のことしかありませんよ」

数十年来の付き合いの従弟は、いとも容易く馬超の想いを見抜いてしまうらしい。
彼に嘘を吐いても意味はないが、こうもあっさりと心を読まれてしまうのは少し癪だ。
それは性格の問題でもあるということを、馬超は自覚してはいない。

「彼を想っているのですね」
「そうだ。好きでたまらない」
「とっくに知っていますよ」
「それが問題なのだ」

また一つ、重たい息が零れた。

深すぎる愛は、時として他人を縛る鎖となる。
自分の愛情で、独占欲で。

彼を傷つけてはいないだろうかと。
彼を苦しませてはいないだろうかと。

考えてしまう、不安に覆われてしまう。
幸せを感じる反面、恐怖を感じでしまう。

「超兄。あなたのことが嫌なら、趙雲殿はさっさと離れていますよ」
「…はっきり言ってくれるな…」
「大丈夫です。超兄は、彼から愛されていることをわかっておいででしょう?」
「そ…それはそうだが…」

自分を安堵させてくれる言葉。
聞きたい言葉。
唯一の肉親は掛けて欲しいことを言ってくれる。

それでも、どうしようもなく胸が痛むときがある。
傍で息を漏らす温かな存在を感じていても。

愛しすぎてはいないだろうかと。
好意を押しつけてはいないだろうかと。

「会いたいんでしょう?それなら、会いに行けばいいじゃないですか」

素直じゃない、と馬岱は叱責した。
ここで悩んでいても、解決することは何もない。
負の感情が増していくだけだ、それならば。

「ほら、さっさと立ってください」
「こ、こらっ…岱っ!!」
「こんなところに座っていると、邪魔ですよ。一応、往来なんですから」

退いた退いたと従兄を急きたてて、その背中をぽんぽんと軽く押す馬岱。
その行動に流されるまま、馬超の足は進んでいく。
力強い応援を得た彼は、決意を込めて微笑んだ。

「行ってくる」

夕日に連なり、遠のいていく肉親の背中。
昔とは異なり、大きく見える彼は凛々しく思える。
大切な人を得て、より成長したらしい。

「行ってらっしゃい、超兄」

幸せを噛みしめてください。
その笑顔を絶やさずにいられる人に出逢えてよかったですね。
果報を得た従兄を、馬岱は心から祝福した。
















「孟起?」
「子龍?」
遠くに互いの姿を見つけて、急いで駆け寄る二人。
想い合っての鉢合わせとは、彼らはまだ気づいてはいない。

「どうしたのだ?」
「おまえこそ…」
「私は…あなたに会いたいと…」
「奇遇だな、俺もだ」

同じ目的で相手の元へ行こうとしていたと知り、彼らは小さく吹きだした。
もしも、擦れ違いになっていたら、どうしたことだろう。
それこそ、考えるだけ無駄というものだ。
想う心はどんなときでも愛する人を探し当てるに違いない。

「子龍、聞いて欲しいことがある」
「私もだ、孟起」
「俺から言う。…構わないか?」
「もちろんだ」

趙雲を映す真摯な茶色の瞳。
馬超を見澄ます美しくも黒い瞳。
互いの姿を捉えて、二人は言葉を交わし合う。

「俺は、おまえを愛している。愛しすぎているのだ。
俺はおまえを苦しめていないかと、不安になる」

哀しげに微笑み、趙雲の髪を指先で撫でる馬超。
込み上げる切なさは。
愛する人の微笑みと言葉に掻き消される。

「そんなことはない、孟起。
私こそ、あなたから愛されて、どうやって返せばいいのかわからないのだ。
あなたは多くのものを与えてくれる。
だが私には、どう応えればいいのか、わからないのだ」
「…子龍…」
「孟起、私は…」

この想いを、どう表せばいいのか。
この愛しさを、どう伝えればいいのだろうか。
たまらず馬超は、嬉しさに動かされるまま趙雲を抱擁した。

「おまえはそのままでいい。俺は今のおまえが好きだ。
何かをしようとする必要はないし、しなくていい。
ただ、俺の傍で、俺と生きてくれれば充分だ」
「…孟起…」

惹き合うように、彼らは唇を重ねた。
曇り翳るような侘しさは澄み渡っていく。
最愛の人の言葉は何よりも沁みるものだ。

「互いの想いもわかったことだ。次は、その想いを感じ合うとしよう」
「…こ、今夜も…?」
「俺がこのままおまえを帰すと思うか?」

魏延の予想は見事に的中したらしい。
明るく微笑まれては、趙雲に拒む術はない。
馬超の強引なところも好きなのだから、諦めるしかないだろう。

「めいいっぱい愛してやるからな。覚悟しろよ、子龍」

照れを隠しきれていない彼の背中を見つめて、趙雲はやんわりと微笑んだ。
掌の柔らかなぬくもりはいつまでも二人の心を繋ぐだろう。

季節は幾度巡っても、大地を駈ける彼らの想いは続いていく。







written by 那代瑞葵様





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「Miget-Blanc」の那代瑞葵サマより相互記念に頂きました素敵小説ですv
更に嬉しいことに、リクエストまで聞いて頂けましたv
リク内容は「馬趙で恋煩い」でお願いさせて頂きましたよ〜☆
二人の夫々の恋煩いの様子が甘い雰囲気で、頬が緩みっぱなしですよ〜。
魏延もカッコイイですよね!男前だー。
本当にありがとうございました!



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