15 // Guardian
中庭で楽しそうにはしゃぐ声がする。
太陽宮内を巡回中であったザハークは足を止め、その歓声の方へと視線を向けた。
そこにあるのは良く見知った四人の者の顔。
王子エルフィードとその妹のリムスレーア、そしてそれぞれの護衛であるリオンとミアキスであった。
リムスレーアは甘えるようにエルフィードの腰にしがみつき、エルフィードは優しい笑顔でそんな妹を見つめている。
それを傍らのミアキスが囃し立て、それをリオンが苦笑しながら見守っている。
いつもの見慣れた光景。
微笑ましいと言うべきなのだろう。
この穏やかで美しい宮殿の中にあっては。
だが、水面下で様々な思惑が蠢き、交差していることをザハークは知っていた。
自分もまたそこに関わる一片なのだ。
近いうちにこのファレナに起こるであろう大きな変革のことなど、あの兄妹は知る由もないだろう。
いつまでもこの変わりない日常が続いていくと、疑いもせず信じているに違いない。
ザハークはその眼差しを、銀の髪の少年へと集中させる。
母親に面差しの良く似た、温和で優しい人柄の王子。
女王国にあって男の王族であるエルフィードは、不要の王子と貴族達に揶揄されてきた。
しかしそんな周囲の雑音に惑わされたり、屈したりすることなく、彼は成長した。
その昔、エルフィードがまだ幼児だった頃、その護衛の任についていたのがザハークだった。
多忙を極める両親に代わり、最も傍に居る時間の長かったザハークに、エルフィードはよく懐いていた。
少しザハークの姿が見えないだけで、エルフィードは泣きながら彼の姿を探したものだ。
あの時はまさかこんな日が来るとは、自分も思っていなかった。
そう―――ゴドウィン卿の手により、今着々と計画が進められている謀反に加担することになろうとは。
別に恩賞や地位に目が眩んで、ゴドウィン卿に組しようと決心した訳ではない。
流された訳でも、脅されたのでもない。
自分の意思でそれを選んだのだ―――ファレナの未来を想って。
今のファレナはいうなれば美しく作られた張子のようなものだ。
その内情は、酷く不安定で、何らかの刺激があれば脆く崩れ去ってしまいそうな脆さを抱えている。
女王と、そして騎士長であるフェリドは、それでもよくこの国を御していると思う。
だが、それでは駄目なのだ。
そんな危うい均衡状態を保っているだけでは。
このままではファレナは、いずれ私利私欲に走る内部の堕落した貴族達により崩壊させられてしまうだろう。
この国はもっともっと強くならなければならない。
強大な力を持つ太陽の紋章を有しているのだ……その力を存分に生かさずしては、宝の持ち腐れだ。
他国を圧倒し、平伏させ、何事にも揺らぐことのない国家を作る必要がある。
その為には淀んだ今の濁流を押し流し、新しい治世を築くべきなのだ。
その力がゴドウィン卿にはあると感じた故に、彼の側に付くと決めた。
すべてはこのファレナの繁栄の為―――自分はその礎になるのだ。
―――その新しい国家に、残念ながら貴方は必要ないのだ、王子殿下。
ザハークは胸の内でそう呟く。
エルフィードのことが嫌いな訳でも、憎んでいるのでもない。
幼き頃からその成長を見てきたのだ……周囲の雑音にも卑屈にならず、真っ直ぐと育った聡明な彼に、寧ろ好感を抱いている。
だが、ザハークはそのような私情に流されてしまうような男ではなかった。
来るべき日に、もし自分にエルフィードを亡き者にしろとの命が下れば、躊躇いなくそれを行える確信がザハークにはあった。
せめて苦しまぬように一撃でその息の根を止めてやろうと。
「嫌だなぁー、そんなイヤラシイ目で俺の王子を見つめないで下さいよ、ザハーク殿」
ザハークの思考を中断させるが如く、不意に横手から掛けられた声に、彼は一瞬瞠目した。
しかし、それはすぐにいつもの冷静な面持ちへと取って変わる。
いつの間に傍に近付いて来ていたのか。
ゆっくりとそちら側へと視線を移せば、女王騎士正鎧に身を包み、にっこりと笑みを湛えた男が立っていた。
ザハークの後任としてエルフィードの護衛となり、リオンにそれを譲ってからも、陰日向と彼を見守っている男だ。
ザハークと同じ女王騎士の一員でもある。
「そういう目で見られると、純粋無垢な愛しの王子が汚されちゃう気がするんだよなー」
相手は冗談めかした口調で、平然とそんなことを言い放つ。
ぴくりとザハークの眉が僅かに動いた。
「カイル殿。
そういった不謹慎な物言いは止めて頂こう」
だが、男―――カイルは、更に可笑しそうにくすりと笑みを漏らす。
「あれ、図星を指されて怒っちゃいました?
ザハーク殿って堅物そうに見えて、その実ムッツリっぽいですよねー」
などと、突拍子もないことを嘯く。
カイルという男は、万事がこの調子なのだ。
女王騎士らしからぬカイルの言動に、同僚のアレニアなどはいつも怒りも露に嗜めるが、それに従う気は更々ないらしい。
「相も変わらず、訳の分からぬ戯言を口にするのが趣味のようだな、カイル殿。
私を愚弄するのはそれくらいにしてもらおうか。
第一、王子殿下に対し失礼であろう―――不敬にも程がある」
ザハークは冷めた眼差しのまま、感情の篭らぬ声で言う。
それを受けるカイルの方は、そんなザハークの言葉など意に介してはいないようだ。
「珍しくよく喋りますねー。
何か心に疚しいことでもあるのかな」
「……」
無言でさらに蔑みを込めてカイルを見遣るが、カイルの笑顔は崩れない。
この男をまともに相手にする事ほど、馬鹿馬鹿しいことはない。
だが、ザハークはカイルが本当にふざけた言動通りの軽薄な男であるとは思ってはいなかった。
この男のそれは巧妙な仮面だ。
周囲を欺き、油断させる為の。
そうして相手の警戒心を緩め、その本心を探り、見極めんとするのだ。
この男の最も大切な者―――あの少年に仇なす存在なのか、否かを。
女王国においては不要だとことあるごとに蔑まれるその存在を、何ゆえかこの男は守護し続けている。
今、この男の目に、自分の姿はどう映っているのだろうか。
内密理に進められている計画が、この男に漏れているとは考え難い。
しかし明らかにこの男は自分に対し、何らかの不審を抱いているようだ。
その証拠に気配を絶って、自分に気付かれぬよう近付いてきた。
普通であれば、同じ女王騎士に対してそんなことをする必要はあるまいに。
先程、あの少年に視線を向けていたほんの短い間に、何か男の琴線に触れることがあったのか。
が、自分は内心の考えなど、表に出していたつもりは全くない。
普段と何ら変わりなかった筈だ。
にも関わらず、読み取られてしまったというのだろうか。
そこまで考えて、ザハークは馬鹿なとそれを一笑に付す。
謀反のことなど知れる筈はないのだ。
ただ―――この男の勘の良さには恐ろしいものがあることも知っている。
自分の内心を全て見透かされたということはなかろうが、味方であると純粋に信じている様子もない。
来るべき日その時まで、計画は知られる訳にはいかないのだ。
カイルがこちらに疑いを持とうが、自分はそれを上回る仮面を被り、女王騎士としての務めを粛々と果し、この男のみならず周囲を謀るまでだ。
「これ以上、貴殿と下らぬ話をしている時間はないのでな、失礼する」
ザハークは無表情に言い捨てると、カイルの脇を通り過ぎ、その場を立ち去ろうとした。
だがカイルとすれ違ったまさにその瞬間―――。
「あの人に手を出したら、殺すよ」
ザハークの耳元で囁かれた言葉。
不覚にもぞくりとザハークの背筋に寒気が走った程に、それは怜悧で鋭い声だった。
その殺気に肌が粟立った。
思わず立ち止まり、ザハークは背後を振り返る。
しかしそこにあったのは、先程までと同じ見慣れた優男の表情だった。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえって言うでしょう?
横恋慕は駄目ですよー、ザハーク殿」
にっこりと笑い、そう言ってウィンクする男の口調も雰囲気も、やはりいつも通りの軽いものだ。
どこまで本気で、どこまでが冗談なのか、ザハークには判断がつかなかった。
エルフィードをほんの少し見つめていただけで、自分が彼に想いを寄せているなどと、まさか本気で思ってはいないだろう。
そして謀反のことが知られているとも考えられない。
かといって、自分のことを信用してもいないし、危険であると感じている節がある。
やはりこの男の仮面も相当のものだ。
そしてこの先、自分の前に悉く立ち塞がるのは、この男であろうと確信する。
―――面白い。
どちらの信じるものが正しいのか、それは近い将来、一方が倒れ伏した時に証明されるだろう。
ザハークはカイルを一瞥すると、回廊の向こうへと立ち去ったのだった―――。
太陽宮内を巡回中であったザハークは足を止め、その歓声の方へと視線を向けた。
そこにあるのは良く見知った四人の者の顔。
王子エルフィードとその妹のリムスレーア、そしてそれぞれの護衛であるリオンとミアキスであった。
リムスレーアは甘えるようにエルフィードの腰にしがみつき、エルフィードは優しい笑顔でそんな妹を見つめている。
それを傍らのミアキスが囃し立て、それをリオンが苦笑しながら見守っている。
いつもの見慣れた光景。
微笑ましいと言うべきなのだろう。
この穏やかで美しい宮殿の中にあっては。
だが、水面下で様々な思惑が蠢き、交差していることをザハークは知っていた。
自分もまたそこに関わる一片なのだ。
近いうちにこのファレナに起こるであろう大きな変革のことなど、あの兄妹は知る由もないだろう。
いつまでもこの変わりない日常が続いていくと、疑いもせず信じているに違いない。
ザハークはその眼差しを、銀の髪の少年へと集中させる。
母親に面差しの良く似た、温和で優しい人柄の王子。
女王国にあって男の王族であるエルフィードは、不要の王子と貴族達に揶揄されてきた。
しかしそんな周囲の雑音に惑わされたり、屈したりすることなく、彼は成長した。
その昔、エルフィードがまだ幼児だった頃、その護衛の任についていたのがザハークだった。
多忙を極める両親に代わり、最も傍に居る時間の長かったザハークに、エルフィードはよく懐いていた。
少しザハークの姿が見えないだけで、エルフィードは泣きながら彼の姿を探したものだ。
あの時はまさかこんな日が来るとは、自分も思っていなかった。
そう―――ゴドウィン卿の手により、今着々と計画が進められている謀反に加担することになろうとは。
別に恩賞や地位に目が眩んで、ゴドウィン卿に組しようと決心した訳ではない。
流された訳でも、脅されたのでもない。
自分の意思でそれを選んだのだ―――ファレナの未来を想って。
今のファレナはいうなれば美しく作られた張子のようなものだ。
その内情は、酷く不安定で、何らかの刺激があれば脆く崩れ去ってしまいそうな脆さを抱えている。
女王と、そして騎士長であるフェリドは、それでもよくこの国を御していると思う。
だが、それでは駄目なのだ。
そんな危うい均衡状態を保っているだけでは。
このままではファレナは、いずれ私利私欲に走る内部の堕落した貴族達により崩壊させられてしまうだろう。
この国はもっともっと強くならなければならない。
強大な力を持つ太陽の紋章を有しているのだ……その力を存分に生かさずしては、宝の持ち腐れだ。
他国を圧倒し、平伏させ、何事にも揺らぐことのない国家を作る必要がある。
その為には淀んだ今の濁流を押し流し、新しい治世を築くべきなのだ。
その力がゴドウィン卿にはあると感じた故に、彼の側に付くと決めた。
すべてはこのファレナの繁栄の為―――自分はその礎になるのだ。
―――その新しい国家に、残念ながら貴方は必要ないのだ、王子殿下。
ザハークは胸の内でそう呟く。
エルフィードのことが嫌いな訳でも、憎んでいるのでもない。
幼き頃からその成長を見てきたのだ……周囲の雑音にも卑屈にならず、真っ直ぐと育った聡明な彼に、寧ろ好感を抱いている。
だが、ザハークはそのような私情に流されてしまうような男ではなかった。
来るべき日に、もし自分にエルフィードを亡き者にしろとの命が下れば、躊躇いなくそれを行える確信がザハークにはあった。
せめて苦しまぬように一撃でその息の根を止めてやろうと。
「嫌だなぁー、そんなイヤラシイ目で俺の王子を見つめないで下さいよ、ザハーク殿」
ザハークの思考を中断させるが如く、不意に横手から掛けられた声に、彼は一瞬瞠目した。
しかし、それはすぐにいつもの冷静な面持ちへと取って変わる。
いつの間に傍に近付いて来ていたのか。
ゆっくりとそちら側へと視線を移せば、女王騎士正鎧に身を包み、にっこりと笑みを湛えた男が立っていた。
ザハークの後任としてエルフィードの護衛となり、リオンにそれを譲ってからも、陰日向と彼を見守っている男だ。
ザハークと同じ女王騎士の一員でもある。
「そういう目で見られると、純粋無垢な愛しの王子が汚されちゃう気がするんだよなー」
相手は冗談めかした口調で、平然とそんなことを言い放つ。
ぴくりとザハークの眉が僅かに動いた。
「カイル殿。
そういった不謹慎な物言いは止めて頂こう」
だが、男―――カイルは、更に可笑しそうにくすりと笑みを漏らす。
「あれ、図星を指されて怒っちゃいました?
ザハーク殿って堅物そうに見えて、その実ムッツリっぽいですよねー」
などと、突拍子もないことを嘯く。
カイルという男は、万事がこの調子なのだ。
女王騎士らしからぬカイルの言動に、同僚のアレニアなどはいつも怒りも露に嗜めるが、それに従う気は更々ないらしい。
「相も変わらず、訳の分からぬ戯言を口にするのが趣味のようだな、カイル殿。
私を愚弄するのはそれくらいにしてもらおうか。
第一、王子殿下に対し失礼であろう―――不敬にも程がある」
ザハークは冷めた眼差しのまま、感情の篭らぬ声で言う。
それを受けるカイルの方は、そんなザハークの言葉など意に介してはいないようだ。
「珍しくよく喋りますねー。
何か心に疚しいことでもあるのかな」
「……」
無言でさらに蔑みを込めてカイルを見遣るが、カイルの笑顔は崩れない。
この男をまともに相手にする事ほど、馬鹿馬鹿しいことはない。
だが、ザハークはカイルが本当にふざけた言動通りの軽薄な男であるとは思ってはいなかった。
この男のそれは巧妙な仮面だ。
周囲を欺き、油断させる為の。
そうして相手の警戒心を緩め、その本心を探り、見極めんとするのだ。
この男の最も大切な者―――あの少年に仇なす存在なのか、否かを。
女王国においては不要だとことあるごとに蔑まれるその存在を、何ゆえかこの男は守護し続けている。
今、この男の目に、自分の姿はどう映っているのだろうか。
内密理に進められている計画が、この男に漏れているとは考え難い。
しかし明らかにこの男は自分に対し、何らかの不審を抱いているようだ。
その証拠に気配を絶って、自分に気付かれぬよう近付いてきた。
普通であれば、同じ女王騎士に対してそんなことをする必要はあるまいに。
先程、あの少年に視線を向けていたほんの短い間に、何か男の琴線に触れることがあったのか。
が、自分は内心の考えなど、表に出していたつもりは全くない。
普段と何ら変わりなかった筈だ。
にも関わらず、読み取られてしまったというのだろうか。
そこまで考えて、ザハークは馬鹿なとそれを一笑に付す。
謀反のことなど知れる筈はないのだ。
ただ―――この男の勘の良さには恐ろしいものがあることも知っている。
自分の内心を全て見透かされたということはなかろうが、味方であると純粋に信じている様子もない。
来るべき日その時まで、計画は知られる訳にはいかないのだ。
カイルがこちらに疑いを持とうが、自分はそれを上回る仮面を被り、女王騎士としての務めを粛々と果し、この男のみならず周囲を謀るまでだ。
「これ以上、貴殿と下らぬ話をしている時間はないのでな、失礼する」
ザハークは無表情に言い捨てると、カイルの脇を通り過ぎ、その場を立ち去ろうとした。
だがカイルとすれ違ったまさにその瞬間―――。
「あの人に手を出したら、殺すよ」
ザハークの耳元で囁かれた言葉。
不覚にもぞくりとザハークの背筋に寒気が走った程に、それは怜悧で鋭い声だった。
その殺気に肌が粟立った。
思わず立ち止まり、ザハークは背後を振り返る。
しかしそこにあったのは、先程までと同じ見慣れた優男の表情だった。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえって言うでしょう?
横恋慕は駄目ですよー、ザハーク殿」
にっこりと笑い、そう言ってウィンクする男の口調も雰囲気も、やはりいつも通りの軽いものだ。
どこまで本気で、どこまでが冗談なのか、ザハークには判断がつかなかった。
エルフィードをほんの少し見つめていただけで、自分が彼に想いを寄せているなどと、まさか本気で思ってはいないだろう。
そして謀反のことが知られているとも考えられない。
かといって、自分のことを信用してもいないし、危険であると感じている節がある。
やはりこの男の仮面も相当のものだ。
そしてこの先、自分の前に悉く立ち塞がるのは、この男であろうと確信する。
―――面白い。
どちらの信じるものが正しいのか、それは近い将来、一方が倒れ伏した時に証明されるだろう。
ザハークはカイルを一瞥すると、回廊の向こうへと立ち去ったのだった―――。
2007.02.11 up