01 // Because you are important

長い長い一日だった―――。





誰もが皆、沈痛な面持ちで扉の傍に佇んでいた。
カイルもまたそれに洩れることなく、彼にしては珍しく険しい表情のまま、腕を組み壁に寄り掛かっていた。
一度天を仰ぎ、緊張を解すように大きく息を吐き出す。
そうしてカイルの視線は、別の場所へと注がれた。
その眼差しの先に佇むのは、新女王に弓引く反乱軍を率いるファレナの若き王子―――エルフィードだった。
最もこちら側にしてみれば、謀反を企て反乱を起こしたのはゴドウィン側の方であるのだが……。

最初は軍とは到底呼べぬ程の小さな集まりだった。
それが時を重ねるにつれ、エルフィードの元に様々な者が集まってきた。
種族や地域を越えて。
ある者はエルフィードに助けられ、またある者は彼の人望や志に打たれ。
何もかもがばらばらであるこの集団を、若き王子は見事に統率していた。

そんな王子の傍らに常にあった少女の姿―――それが今はない。
エルフィードを守ることが役目だった、女王騎士見習いのリオン、その姿が。

ゴドウィン卿達の手により、無理矢理に新女王として即位させられたエルフィードの妹リムスレーア自らが、軍を率いて行われた今日の戦い。
この機を逃す手はない。
リムスレーアを助け出し、長く続いた不毛な戦いにもようやく終止符が打たれる筈だった。
彼女自身もそれを望んでいたからこその親征。

しかしそれはあと一歩の所で阻まれることとなった。
予想だにしなかったエルフィードの叔母サイアリーズの裏切り……。
そして幽世の門の暗殺者ドルフの凶刃からエルフィードを庇い、リオンが負傷した。
結局戦いは終結せず、失ったものはあまりにも大きかった。

エルフィードは医務室の扉をじっと見つめている。
その扉の向こうではリオンを救うために、シルヴァによる懸命の治療が行われている。
泣き喚くでも、取り乱すでもない。
彫像のように動かないその表情は、冷たささえ漂っている。
それがリオンに密かに想いを寄せているロイには気に食わなかったのだろう。
エルフィードの胸倉を掴みに食って掛かるも、彼は何も答えず、その表情にやはり変化は無い。
ミアキスに窘められ、ロイはエルフィードから引き離される。
その間もエルフィードの視線は扉へと向けられたままだった。

カイルはその毅然とした横顔を見つめる。
他の者の目にはどう映っていようとも、カイルには分かった。
まるで一本の張り詰めた糸のようだと。
悲しくない訳が無い。
心配でない筈が無い。
今までずっと家族同様に過ごしてきたというのに。

だがそれを懸命に包み隠しているのだ。
リーダーたる自分がここで冷静さを欠いてしまえば、周囲は不安を殊更に煽ることになる。
誰もがサイアリーズの裏切りとリオンの負傷に衝撃を受けている。
これ以上、士気を乱すようなことをしてはならない。
そう考えて、ぎりぎりの所でエルフィードは耐えているのだろう。

それが何とも痛々しい。
運命はどれだけこの若い王子に残酷さと試練を与えるのだろうかと、カイルは眉根を寄せる。
もう今まで散々に痛めつけ、苦しめただろうに。

重々しい沈黙がどれだけ続いただろうか。
ようやく医務室の扉が開き、中からシルヴァが姿を見せた。
「命は取り留めたよ……」
皆が一斉にほっと息を吐き出す。
カイルもまた肩の力を抜く。
「良かったですねぇ、王子」
ミアキスがエルフィードの手を取るが、彼の表情は依然和らぐことはことはなかった。
よく見れば、命を取り留めたと告げたシルヴァの表情もその言葉に反して浮かない。

「王子、中へ入ってくれ」
シルヴァに促され、エルフィードは微かに頷くと、室内へと足を進める。
再び閉ざされる扉。
一度安堵が広がった周囲に再び緊張が満ちる。
「何かあったんでしょうか?」
カイルの隣に立っていたレレイが不安そうに呟いた。
もちろんカイルにそれが分かるはずも無く、静かに首を振った。

そのままカイルは組んでいた腕を解き、背を預けていた壁から身を離す。
ここで自分に出来ることは何も無い―――そう考えたカイルはその場を後にしたのだった。






エルフィードは自室のベッドの上で膝を抱えて座っていた。
もう陽が落ちて随分経つというのに、明かりも点けず、暗い部屋の中で抱えた膝に顔を埋めて。
リオンのこと、サイアリーズのこと、そして―――先程ガレオンから告げられた両親の最期、ゲオルグのこと。
皆の前では平静を装っているけれど、本当は様々な感情が心の中で渦を巻き、滅茶苦茶だった。
千千に乱れる心に、胸が締め付けられるように痛んだ。

―――と、コンコンと扉を叩く音に、エルフィードはびくりと肩を揺らし顔を上げた。

「王子?少しいいですかー?」
聞こえてくるのはカイルの声だ。
エルフィードはベッドから降り立つと、一度自分の両頬をパシリと両手で叩いた。
今の自分の顔を見せる訳にはいかないと、自身を奮い立たせる。
「うん、構わないよ」
エルフィードが答えを返すと、扉が開き、カイルが姿を見せた。
「うわっ、真っ暗じゃないですかー。
明かりも点けずにどうしました?
……って、もしかしてもう眠ってましたか?」
すみませんーと申し訳なさそうなカイルの声に、エルフィードは慌てて明かりを点けた。
「まだ寝てないよ。
ただ何となく明かりを点けるのも億劫だっただけだから」
苦しい言い訳だと思ったが、それ以外咄嗟に言葉が出てこなかった。

室内が明るくなった為に、カイルの気遣わしげな表情がはっきりと分かった。
それは逆も言えることで、カイルにもまたエルフィードの顔がしっかりと見えているということだ。
エルフィードは笑顔を形作る。
それが自然に見えたかどうか、エルフィードには自信がなかった。
しかしカイルは僅かに眉根を寄せただけで、何も言わなかった。

「どうかした?」
努めて明るくエルフィードは問う。
「リオンちゃんのこと聞きました。
明日は遺跡に発つんですよね?
朝早いでしょうし、今日は色々なことがあってお疲れだとは思うんですど……少し俺に付き合って頂けませんかー?」
きっとカイルは慰めてくれようとしているに違いない、そうエルフィードは思った。
けれど今は一人にしておいて欲しかった。
どんな言葉も今の自分を救ってくれるとは思わない。

しかしカイルとて今日の戦いで随分と疲れているだろうに、こうしてわざわざ訪ねてきてくれたのだ。
無下に断るには忍びなく、エルフィードは分かったと頷いた。





カイルに伴われて、エルフィードが連れてこられたのは地下の食堂だった。
いつもは活気に満ちているこの場所も、今は誰の気配もなく、静まり返っていた。
レツオウ親子すらいないのは珍しい。
そんなことを考えていたエルフィードの視線があるものを捕えた。
思わず足を止める。

それはテーブルの上に置かれた丸いケーキだった。
その上には幾本もの火の点いた蝋燭が立てられている。

「カイル……これ……」
エルフィードが呆然とした様子で呟くのに、カイルは微かに笑った。
「お忘れですか?
今日は王子の誕生日でしょう?」
カイルに言われて、エルフィードははっと気が付いた。
確かに今日は自分が生まれた日だ。
今までの戦いの日々、そして今日の衝撃的な出来事の数々が、エルフィードからすっかりそれを消し去っていたのだ。

「とても今は誕生日を祝うなんて気持ちになんてなれないでしょうけど……。
どうしても俺がお祝いしたかったので、レツオウさんに無理言って作って貰っちゃいました」
カイルが少し照れたように言う。
エルフィードはじっとそのケーキを見つめたまま、動かなかった。
何を考えているのかその表情からは読み取れない。

二人の間にしばしの沈黙が流れた―――。

「僕の誕生日なんて良く覚えていたね、カイル」
ようやくぽつりとエルフィードが呟く。
自分ですらすっかり忘れていたのにと。
「俺の特技は女性の誕生日は忘れないことですから」
あははと笑うカイルに、エルフィードも小さく笑った。
「僕は女性じゃないよ」
「そんなの言わずもがな、王子の誕生日は絶対にぜーったいに忘れはしませんよ。
俺にとってとても大切な人ですから。
生まれてきてくれてありがとうございます、王子」

エルフィードの視界が、徐々にぼやけていく。
堪えようとしても、駄目だった。
とうとう零れ落ちたそれを見て、カイルが困ったような笑みを浮かべながら、自分の髪をくしゃくしゃとかき乱した。

「あー……泣かしちゃったか……。
すみません、王子。
やっぱり今はそんな気持ちになんてなれませんよね。
俺が考えなしでした」
カイルはエルフィードへと歩み寄り、俯いてしまったエルフィードを覗き込んだ。
エルフィードの涙の意味を、どうやらカイルは逆に汲み取ったようだった。
違うよとエルフィードは首を振る。
「嬉しいんだ……カイル。
去年の誕生日の時には、まだ母上も父上も生きていて、リムも叔母上も傍にいた。
リオンやカイル達女王騎士の皆も祝ってくれたよね。
懐かしいな……」

けれど、あの幸せだった日々は既に過去のものとなった。
自分が生きている意味を考えさせられた。
自分さえいなければ、この争いも早々に終わるのではないかと―――太陽宮でいっそ殺されていればと……そう考えたこともある。

それでも今、こうやって自分が生きていることを喜んでくれる人がいる。
大切だと言ってくれる人が。
それがこんなにも嬉しいことだとは思ってもみなかった。

「ありがとう、カイル」
言いたいことは色々あったのに、エルフィードは結局それをいうだけが精一杯だった。
カイルはそれに答える代わりに、ただそっとエルフィードの身体を抱き締めた。



2006.06.04 up