罪に濡れて・・・ #5

※戦争終了後の話です。
色々捏造してます。
甘い系がお好きな方はご注意を!

「久しぶりじゃの、ゲオルグ」
リムスレーアは目の前で膝を折る男を、懐かしそうに見遣った。
それはリムスレーアの傍らに控えるミアキスも同じようだ。
「お元気そうでなによりです、陛下」
「そのように……」
堅苦しい言い方はせずとも良いと、リムスレーアは言いかけて止めた。
昔のように話して貰いたいと思いはしたが、今はやはりそういう訳にはいかぬのだと思い直したのだ。
互いの立場も随分と変わってしまった、今となっては―――。
彼は最早女王騎士ではなく、そして自分もまた姫ではないのだ。

「旅に出ようとなされている所を、お呼び立てして申し訳なかった、ゲオルグ殿。
求めに応じて頂き、感謝しておる」
リムスレーアもまた口調を改め、ゲオルグへと謝意を述べる。
「貴殿もお忙しい身と思う故、単刀直入に申す。
兄のエルフィードに一度会ってもらいたい。
わらわ自身の私的な願いで申し訳ないのだが、兄はあの戦以降……徐々に心の均衡を崩していってしまった。
部屋に篭ったまま、ろくに食事も採ろうとしないのじゃ。
兄をずっと支えてくれた貴殿ならば、兄も心を開くのではないかとそう思うのじゃ」
言ったリムスレーアの声音は至って平静を保っていたが、ゲオルグに向けられた彼女の瞳は、縋りつくようなそれだった。
兄であるエルフィードのことが心配で仕方ないのだろう。

それに応えてやりたい気持ちは、ゲオルグとて充分にあった。
彼の笑顔を自分が取り戻してやれたならばと。

エルフィードが心の均衡を崩したと聞いた時、ゲオルグは然程驚きはしなかった。
あの戦いの日々の中、エルフィードはまるで張り詰めた糸のようだったのだ。
あのままの状態であれば、それがいつの日か切れてしまうだろうと、予測できていた。
全てを受け止めるには、あの少年の手は小さ過ぎた。
実際、そこから零れ落ちていったものが、あの戦いの中で沢山あったのだ。
それでも彼は立派であったと思う。
過酷な運命を耐え抜き、ファレナの内乱を収めたのだから。

ゲオルグはあの戦いの終結後、エルフィードを旅へと誘った。
外界を見て回ることによって、少しでもエルフィードの心の負担を軽減出来ればと考えてのことだった。
このファレナの地は今や、エルフィードにとって楽しい思い出よりも、哀しみと痛みの象徴だろうから。
少しずつでも心に負った深い傷を癒す為の手助けになればと良いと。

しかしエルフィードはしばらく逡巡した後、静かに首を振ったのだ。
「ごめん……」
と。
リムスレーアの求めに応じて、ファレナに残ると言う。
ゲオルグには別段驚きも、落胆もなかった。
誘ってはみたものの、恐らくそう答えが返ってくるだろうと最初から思ってはいた。

心に浮かんだのは、ある男の存在。
その男に向けられるエルフィードの瞳は、特別な想いを含んでいた。
エルフィードが幼き頃より、長い時を共に過ごしてきた男だ。
男もまたエルフィードのことを常に優しく庇護し続けていた。
きっとあの男の存在がある限り、彼はこのファレナを……太陽宮を去ることはないだろうと感じていたのだ。

しかしあの男が傍に居ても、エルフィードの心の崩壊を止めることは出来なかったのか。
いつもニコニコと柔和な笑みを湛えた、女好きの優男ではあったが、エルフィードに対する気持ちだけは特別なのだと思っていた。
彼を守りたいと思う気持ちは、何者よりも強いのだと。
にもかかわらず、むざむざとこんな状態を招くとは……。

勝手な感情だが、あの男の不甲斐なさに腹立ちを覚えないといえば嘘になる。
そんな男にエルフィードを委ねた、自分の判断の甘さにも。
あの男にならば彼を任せられると、信じていた。
だから旅の申し出を断られた時も、易々と引き下がったのだ。
あの男なりに手を尽くしはしたのだろうが……。
それほどまでにエルフィードの心の傷は深かったということなのだろう。

「……カイルは兄君の部屋ですか?」
その男の―――カイルの姿がここにはなかった為、ゲオルグはリムスレーアに問い掛ける。
兎に角、まずはカイルと話をしてみようと思ったのだ。

しかしゲオルグの問いにリムスレーアも、傍らのミアキスも驚いたように目を瞬いた。
「ゲオルグ殿は、ご存知ではなかったのか……?
カイルはあの戦いの後、貴殿と同じように女王騎士を辞し、旅に出てしまった。
ここにはもう居らぬのじゃ」
リムスレーアの言葉に、ゲオルグは僅かに目を見開いた。
まさかカイルがエルフィードの傍を離れてしまっていたとは、ゲオルグとて思いもよらなかったからだ。

カイルが女王騎士を辞したその心情は理解できた。
その後旅立ったことも。
だが、エルフィードを置いていったことが信じられない。
追い詰められたエルフィードの心を、あの男が理解していなかったとは到底考え難い。
その彼を放っていってしまったというのか。
優しく手を差し伸べておきながら、掴まれたその手を振り払い、去っていったと。
エルフィードが一番誰を必要としていたか、分からぬはずはないだろうに―――。

と、その時、
「陛下!大変でございます!」
蒼ざめた女官が謁見の間に駆け込んできた。
その女官を顔を見たリムスレーアが、はっと表情を強張らせ、玉座から立ち上がる。
ゲオルグも只ならぬ気配に、険しい顔つきになる。

「突然のご無礼をお許し下さい……」
女官はリムスレーアの前で平伏する。
そうして断りもなく入ってきたことを詫びる。
「そのようなことはよい!
兄上に……兄上の身に何かあったのじゃな!?」
リムスレーアは壇上から、その女官の元へと駆け寄る。
エルフィードの部屋付きの女官であることは、そこから察せられた。

「先程昼食の後片付けにお部屋に参りましたところ、兄君様のお姿がどこにもお見えにならず……っ!
バルコニーへ続く窓が、開け放しになっておりました。
おそらくそこからお外へ……」
女官の言葉に、リムスレーアは眦を吊り上げた。
「ミアキス!一刻も早く、兄上を見つけ出すよう兵達に命じるのじゃ!」
ミアキスもらしからぬ硬い表情で、頷く。
しかし、流石というべきか―――ミアキスはリムスレーアの傍に寄り、その肩を抱く。
「陛下、しっかりなさいませ。
兄上様はきっとご無事ですから……ね?」
落ち着かせるように優しく語り掛けると、リムスレーアはふーっと大きく息を吐き出した。
「そうじゃな……。
わらわが取り乱したとて、なにも解決せぬものな」

それを見て、ゲオルグもまた安堵の息をつく。
幼いながらに女王とはどうあるべきかを悟っている。
それもミアキスのさり気ない気配りあっての故だろう。

そう―――こんな風にエルフィードの傍にも常にあの男の姿があったのだ。
もしカイルがエルフィードを独りにしなければ、こんなことにならなかったのではないだろうか。

そこまで考えて、ゲオルグは軽く首を振る。
それを考えたとて、今更詮無きことだ。
自分が今為さねばならぬことは、後悔でも叱責でもない。

「私も手伝いましょう」
言って、ゲオルグは立ち上がる。
まずはエルフィードを探し出すこと……それからだ。
リムスレーアに一礼すると、ゲオルグは謁見の間を後にした。



外は激しい雨だった。
太陽の国にはまるで似つかわしくない。
まるでエルフィードの心の内を写取ったかのように、ゲオルグには思えてならない。

エルフィードがどこに行ったのか―――その心当たりが一箇所、ゲオルグにはあった。
降りしきる雨の中を、ゲオルグは走る。
目指すはソルファレナから目と鼻の先にある静かな森。
その奥にはあの戦争で命を失った者達の眠れる場所―――墓所があるのだ。
セラス湖の城にあった墓も、内乱終結後、そこへと移された。

あの戦いの最中、エルフィードは暇があれば、ソレイユ城に造られた墓所に参っていた。
独りそこに佇む彼の姿を、ゲオルグは幾度か目にしたことがある。
泣き叫ぶでも、謝罪を口にするでもない。
ただ静かに、戦いの度に増えていく墓碑を彼は見つめていた。
その瞳に深い愁いと哀しみを湛えて。

だから、エルフィードが向かった先が墓所であると思ったのだ。
そして、ゲオルグは自分の予想が正しかったことを知る。

雨の音だけが木霊する森の中で、エルフィードは佇んでいた。
全身がずぶ濡れていても気にするでもない。
まるで彫像のように動かず、俯く横顔は酷く無表情だった。
儚げで朧げで……今にも消え去ってしまいそうに見える。

「エルフィード!」
ゲオルグは彼の名を呼び、叫ぶ。
それでも反応はない。
ゲオルグは小さく舌打ちすると、エルフィードの傍へ駆け寄った。
彼の正面へと回り込み、顔を覗き込んで、その頬に触れる。
そこは驚くほどに冷え切っていた。
両手で包み込むようにして、ゲオルグはエルフィードの顔を自分の方へと向かせる。

「エルフィード!エル!」
再度か名を呼ぶと、ようやく僅かにエルフィードの表情が動いた。
その眼差しが、ゆっくりとゲオルグへと向けられる。

「この雨にとけて消えてしまえれば良いのに―――僕の身体も、心も……そして罪も。
そうすれば赦しは得られるだろうか……?」

呟くと、エルフィードの身体がくらりと揺れた。
ゲオルグはそれを抱きとめる。
腕の中の身体は、あの頃よりも格段に細くなっていた。
当時から華奢だったその体躯は、更に肉が削げ落ちて、ゲオルグがほんの少し力を込めれば折れてしまいそうだ。

「……ル……」
雨音にかき消される程の小さな声を残し、エルフィードは意識を失ってしまった。
ゲオルグは腕の中にあるエルフィードの蒼白い顔を見つめながら、きつく眉根を寄せる。
エルフィードが何を口にしたのか、ゲオルグの耳には届いたからだ。
名前だった。
エルフィードが一番求めているのであろう、その者の。

自分では何も出来ることはない。
それをはっきりとゲオルグが悟った瞬間だった―――。



<続>



2006.06.16 up