罪に濡れて・・・ #4

※戦争終了後の話です。
色々捏造してます。
甘い系がお好きな方はご注意を!

ぽつぽつと窓を濡らした雨音が、ザァーッと激しさを増すまでそれほど時間は掛からなかった。
暗闇に包まれた室内にもそれははっきりと響いた。

その音に反応するようにエルフィードはベッドの上からゆっくりと身を起こした。
身体は相変わらず、酷く重い。
夢と現の狭間にいるような感覚も変わりはない。
闇の中でエルフィードは何を想うのか、ぼんやりと中空を見据える。

トントン……と雨音にまぎれる様に控えめに扉を叩く音。
エルフィードは僅かに身を強張らせた。
また妹がやって来たのではないかと危惧して。
決して彼女に会いたくない訳ではないのだ。
出来ることなら会って、話をして、幼いながらも女王としての責務を懸命に果たそうとしている妹の力になってやりたかった。
しかし―――今の自分では会うことは出来ない。
血塗られた自分の手は、無垢な彼女をきっと汚してしまうから。

「エルフィード様、お食事をお持ちいたしました」
エルフィードの願いが通じたのか、外から聞こえるその声は、侍女のものであった。
「……どうぞ」
軽く息を吐き出し、エルフィードは力なく答える。

鍵を外す音がして、人の入ってくる気配がする。
食事と燭台を載せた銀のトレイを抱えた侍女が、しずしずとエルフィードの前に姿を見せた。
暗い室内で、その仄かな明かりが彼女の姿を浮かび上がらせる。
侍女は慣れた様子でエルフィードの深々と一礼すると、中央のテーブルの上にトレイを置いた。
「またあまりお召し上がりになっておられませんね」
沈んだ声音で言った侍女の視線は、先に置かれていた今朝の朝食のトレイに注がれていた。

「ごめん……少し食欲がなくて。
いつも運んで貰っているのに、すまないと思っている」
エルフィードはベッドから降り立つと、頭を下げ、詫びる。
たったそれだけのことで、眩暈が襲う。
だがエルフィードはふらつく身体を懸命に支え、平静を装うのだった。

慌てて侍女が畏れ多いとばかりに首を振った。
「エルフィード様にそのようにして頂く資格など、私にはありません!
どうぞ頭をお上げ下さいませ!」
エルフィードが頭を上げると、侍女はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「私のことなど本当にお気にして頂く必要などございません。
ただ―――女王陛下が……エルフィード様があまり食事を召し上がられないことに酷く御心を痛めておられるご様子なのです」
「……」
妹のことを出されると、エルフィードの胸は疼く。
彼女の力になるどころか、逆に心配ばかり掛けてしまっているではないかと。
いやそれは仮定ではなく、事実そうなのだろう。

厳しい表情で黙り込んだエルフィードに、侍女は彼の気分を害してしまったと感じたのか、顔色を無くす。
「申し訳ございません!
私などが余計なことを……」
「……いや、別に怒ってなどいないよ」
ただ自分が情けなかっただけなのだ。
エルフィードが弱々しい笑みを見せると、それでも侍女は安心したようだった。
朝食のトレイを持つと、失礼致しますと立ち去ろうとする。
だが、ふと何かを思い出したように、扉の前でエルフィードの方を振り言った。
「今日はゲオルグ様がいらっしゃるようですよ」
と。
そうして一礼すると、今度こそ侍女は姿を消した。

エルフィードは大きな溜息を落とすと、ベッドに腰を降ろした。
たったあれだけの会話だったというのに、重い疲労感が全身を支配している。
人と関り合う事はこうも疲れるものだったか。
王族という身分上、今まで多くの人間に囲まれて生きてきたが、こんな風に感じたことなどなかったのに……。
それは単にそう思う心のゆとりなどなかったということだろうか。

「ゲオルグが……来る…」
ぽつりとエルフィードは呟く。
父であるフェリドの親友―――ゴドウィン側との戦いの中、時には父のように、時には兄のように、自分を見守り包んでくれた人。
あの内乱が終わった時、ただ静かに抱きしめてくれた。
一緒に旅に出ないかと誘ってくれたゲオルグの申し出を、エルフィードは断ったのだ。

あの時、頷きを返していれば、今とは違った自分があっただろうか。
彼と旅に出る道を選んでいたのなら……。

今更詮無きことだと、すぐにエルフィードはそんな想いを打ち消す。
ゲオルグは一人旅に出たのではなかったのか。
その彼がここに来る理由―――それは考えるまでもないことだ。

エルフィードは今日もう幾度目かになる溜息を、深々と吐き出す。
テーブルの上に載せられた昼食が目に入った。
侍女の言葉が蘇り、エルフィードは立ち上がるとテーブルの前の椅子に座った。
妹にこれ以上余計な心労を掛けるわけにはいかないと。

空腹などついぞ感じはしない。
それでもエルフィードは口元へと食べ物を運んだ。
きっと美味しい筈であろうに、エルフィードはどんな味も感じることはなかった。
機械的に咀嚼し、飲み込む。
それを淡々と繰り返す。

だが、しばらくを過ぎた頃、突然エルフィードは口元に手を充て、席を立った。
苦しげに眉根を寄せ、壁に縋るようにして、浴室へと向かう。
何とかそこまで辿り着き、四つん這いになると、がはっと辛そうな咳を繰り返しながら、胃からせり上がってきたものを吐き出す。
何度かそうして胃の中のものを全て吐き出しても、嘔吐感はなかなか消えてはくれなかった。

身体が―――否、心が……食べるということ行為を拒否しているのだ。
今までは多少なりとも食べることが出来ていたというのに。
ついにそれすら心は拒み始めた。
それは即ち、生きるということを拒絶するということだ。

「……ル」
無意識の中、ふいに口を突いて出た者の名。

はたと我に返り、エルフィードは力なく自嘲した。
未だに忘れられない自分に。
自分のしたことを棚に上げて、もう一度会って、あの笑顔を見せて欲しいと願っている自分に。
自分を憎んでいる彼の人が望みを叶えてくれる筈もないのに―――。

ようやく吐き気が治まったエルフィードは、おぼつかない足取りで、今度は窓辺へと寄った。
外は未だ激しい雨が降り続いているようで、雨音は一向におさまらない。
カーテンに手を掛け、エルフィードは久方ぶりにそれを開け放った。
室内から暗闇は取り払われたが、雨のせいか外からの光量は然程ない。
重く垂れ込めた雲が太陽をすっぽりと覆い隠し、そこから止め処なく雨が落ちてくる。

エルフィードは窓をも開け放つと、ベランダへと足を踏み出した。
雨が容赦なくエルフィードの身体を瞬く間に濡らす。
しかし、エルフィードがそれを気に留める様子はない。
ただそこから、太陽が隠された空をじっと見上げていた。



<続>



2006.03.11 up