罪に濡れて・・・ #1

※戦争終了後の話です。
色々捏造してます。
甘い系がお好きな方はご注意を!

ゴドウィン家の謀反の後、長く続いた内乱はようやく終幕した―――。
多くの犠牲と引き換えに。
新女王リムスレーアの元、まずは疲弊し混乱した国内の建て直しが、始まった。
その復興の影には、ゴドウィン家と戦った反乱軍の者達の存在が多くあった。
その甲斐あってか、戦で疲れきった人々の顔に、徐々に笑顔が戻りつつあった。

しかし、リムスレーアの心は戦いが終わって以後も、ずっと晴れずにいた。
まだ幼い女王とは思えぬほど、精力的に執務を行い、日々復興のために尽力を尽くす彼女に対する周囲の信頼は篤い。
多くの人間が彼女を支えようと、惜しみない協力を申し出てくれる。
にも関わらず、リムスレーアの表情は硬かった。
その心に深く影を落としているものの正体は―――彼女の兄エルフィードだった。

執務の合間を縫って、リムスレーアは城の一室へと向かう。
いつもは冗談ばかり口にする、女王騎士のミアキスの表情も厳しいものだった。
彼女もまた黙ってリムスレーアに続く。

目的の場所に辿り着くと、扉の前を守る近衛兵が敬礼する。
「ご苦労」と声を掛け、リムスレーアは逸る気持ちを鎮めるように、その扉の前で大きく深呼吸をする。
コンコンと……数度扉を叩く。
しかし中から返る答えはない。
再度同じ動作を繰り返し、今度は呼びかけてみる。
「兄上、わらわじゃ。
入っても構わぬだろうか?」
すると途端に、悲鳴にも似た叫び声が向こう側から返ってくる。
「駄目だ!来るな、リム!」
その言葉同様、強い拒絶の意志を扉の向うから感じる。
「兄上!」
それがあまりにも悲しくて、リムスレーアはエルフィードの言葉に反して、扉に手を掛けた。

しかしいくら押しても、扉は開かない。
がちゃがちゃと激しく揺さぶるものの、やはり結果は同じだった。
中から鍵が掛けられているのだ。

「何をぼーっと突っ立っておる!ここを開けよ!
早ようせい!」
業を煮やしたリムスレーアが近衛に向かって、厳しい声で命じる。
外から開錠できる鍵はこの兵が持っている筈である。
「は……はいっ!」
リムスレーアの剣幕に気圧されたのか、近衛の兵は持っていた鍵束の中から、なかなか目的の鍵を見つけ出すことが出来ずにいる。
焦る近衛の手を、ミアキスがそっと押し止めた。
「探さなくても良いです」
「ミアキス!」
驚いた様子で目を瞬く近衛と、眦を吊り上げるリムスレーア。
それに対し、ミアキスは静かに首を振った。

「陛下、今は兄上様をそっとしておいて差し上げましょう。
兄上様の気持ちがもう少し落ち着かれるまで」
ミアキスは優しく諭すように言い、リムスレーアの肩に手を置く。
いつも通りの彼女であったなら、未だに「姫様」と言っては、リムスレーアをからかうのに……今はそれがない。
それがリムスレーアの昂っていた気持ちを、すっと落ち着かせていく。

自分はもはや庇護されるだけの存在だった「姫」ではない。
今や「女王」なのだ―――常に毅然としていなければならい。
先代の女王であった彼女の母親がそうであったように。
一般の兵士の前で、今のように取り乱すようなことがあってはならない。
無闇に動揺を与えるようでは、女王失格だ。

「すまぬな。
もう良い、手間を掛けた。
また改めて参るとしよう―――しっかりと見張りを頼むぞ」
リムスレーアは大きく息を吸い込むと、打って変わった静かな口調で近衛に告げる。
はっ!と敬礼する近衛を残し、リムスレーアはミアキスとその場を立ち去った。

本当は悲しくて泣き出しそうな気持ちを、リムスレーアは懸命に押し殺していた。
もう長い間、兄の姿を見ていない。
ずっと自室に閉じこもったままなのだ。
辛うじて部屋付きの女官が食事を運び入れることだけは、リムスレーアの願いによりエルフィードが受け入れていた。
しかし、その食事もあまり手が付けられていないのだと聞く。
生きるに必要最低限量を辛うじて摂取している状態だ。

あの戦いが兄を変えた―――。

リムスレーアは確信していた。
彼女だけではなく、この城に残るエルフィードを知る者は誰しもそう考えていた。
エルフィードの口からそれを聞いた訳ではなかったけれど。

多くの裏切りがあった。
ゴドウィン親子、女王騎士ザハーク、アレニア、叔母であるサイアリーズ。
そしてまた、親しい人々も次々と命を落とした。
母アルシュタートや父フェリドを始め、サイアリーズも……。
エルフィードと共に戦った仲間も、激しい戦いの中で、幾人もが命を落としたと聞く。
そして女王騎士見習いとしてエルフィードに常に付き従っていたリオンも。
戦い終結の後、それぞれの思惑や決意のもと、反乱軍に集まった者達の多くが旅立って行った。
女王騎士であったガレオン、ゲオルグ―――そしてカイル。

エルフィードの力でこの国は平和を取り戻したけれど、何もかもが昔とは変わってしまった。
過去の幸せだった時、エルフィードの周囲にいた人々は殆どいなくなった。
あの内乱の後、ぽっかりと開いたそんなエルフィードの心の穴に濃い翳が落ち、そうして彼の精神を蝕んでいったのだろうか。
エルフィードの顔から徐々に笑顔が消えていき、やがて彼は自室から出てこなくなってしまった。
人と接触することを厭って。

そして現在に至る。

リムスレーアは玉座のある広間まで戻ると、さらにその奥へと続く自室へと向かう。
昔は母アルシュタートが使っていた部屋である。
リムスレーアは当時のまま殆ど室内を変えてはいない。
まだまだ母の思い出が色濃く残るこの部屋は、リムスレーアに懐かしさと共に切なさも齎す。
だがここにいると母が今でも傍に居てくれるようなそんな気がするのだ。

部屋に入り、リムスレーアは女官を下がらせると、何かに耐えるように拳を握り締めたまま空中を睨みつける。
黙って付き従ってきたミアキスが、リムスレーアの肩にそっと手を置いた。
「王子はきっと姫様に今の自分の姿を見られたくないのだと思いますよ―――大切な妹だからこそ」
王子、姫とミアキスの呼び方も、先程とは異なり昔の気安いそれへと戻っている。
ここならば……二人きりの今ならば、リムスレーアも我慢することはないのだと、暗に告げているかのようだ。

そんなミアキスの気遣いを感じ取ったのだろう、リムスレーアはとうとう堪えきれず、ぽろぽろと涙を零す。
「ほんの少しだけじゃ、ミアキス。
わらわは女王……ゆっくりと泣いている暇などないのじゃ」
涙を流しながらも、気丈に振舞うリムスレーアが何とも痛ましく、ミアキスは彼女を抱き締めた。
まだこんなに小さな少女なのに、その肩には多くの義務と責任が圧し掛かっている。
それを彼女はちゃんと理解しているのだ。

「兄上は、わらわを恨んでおるのだろうな……。
きっと兄上は―――」
その先の言葉を、リムスレーアは飲み込んだ。
音にすることはあまりにも恐ろしかったのだ。
言ってしまえば、それは現実のものとなりそうで―――。
それを心の内で反芻する。

―――兄上は、死を望んでいた……。

エルフィードが精神の均衡を崩し始めた時、リムスレーアは周囲の誰よりも早くそれを察した。
もしかすれば、エルフィードですら自身の状態を把握していなかったのかもしれない。
だが、リムスレーアは気づいてしまった。
ふとした瞬間に、エルフィードの瞳に濃い翳りが降りるのを。
そして仮面をつけたかのように無表情で、ぼんやりと佇んでいるエルフィードの姿に。

リムスレーアは先手を打つように兄に縋った。
「わらわを決して一人にはしないと、約束して欲しいのじゃ!
兄上がいなくなってしまったら、わらわも生きてはおれぬ」
と。
それに対し、エルフィードはただ静かに頷きを返した。
何故?とも、どうして急にそんなことを?とも、エルフィードは問い掛けはしなかった。
どこかその瞳が辛そうだったことには、リムスレーアは気付かぬ振りをした。

それがエルフィードをこの世に無理矢理留める為の楔になっている。
自分という存在が、エルフィードの意志を妨げている。
あの優しい兄が、自分の願いを聞き届けてくれなかったことなど一度もないのだから。

リムスレーアはそれを充分に承知していたが、後悔はしていなかった。
たとえどれほど恨まれようとも、エルフィードが生きて傍にいてくれさえすれば。
けれど出来る事ならば、もう一度あの優しく穏やかな笑顔が見たかった―――。



<続>



2006.10.28 up