アンケ小説 - No4
※オロチ設定ですので、苦手な方はご注意を!

貌(かお)
遠呂智との戦いは日々激しさを増していく。
その中でようとして知れぬ彼の主君の所在。
周囲が焦燥と絶望に包まれる中でも、彼は常に笑顔を絶やさなかった。

現在、反乱軍の中心にいるのは彼だといって過言はないだろう。
従って彼に掛かる負担はおのずと大きなものになる。
それでも疲弊した様子は少しも見せず、彼は周囲を気遣い、鼓舞していた。
そして日々遅くまで、主の情報を求めて奔走していた。

少しは休んだ方がいいと苦言を呈したことはあるが、決して彼は首を縦には振ろうとはしなかった。
「これしきのこと、何ということはありませぬ。
今も何処かで殿が助けを待っておられるのだと思えば、じっとしてることなど出来ません。
お気遣いありがとうございます」
そう言って、また柔らかに笑って見せるのだ。

顔色がそんなにも優れないのに?
また痩せてしまったように見えるのに?

そんな疑問が頭を過ぎるが、問うたところできっと彼の答えは変わらないのだろう。
彼の笑顔は武人とは思えぬほど綺麗で優しいけれど、何処かしら壁を感じずにはいられない。
まるで煙に巻かれているように思えるのだ。
人は誰しも大なり小なり素の己を隠して、生きているのだろう。
だから彼の行動を非難する資格などない。
だが―――本当に心を許した者に対しては、飾ることのない姿を見せるものではないのだろうか。

つまり己が彼の特別ではないことを思い知らされるのが、辛いのだ。
それが堪らなく馬鹿げた嫉妬を駆り立てる。
本来ならば出遭うことなどあり得なかった人。
その彼と出会って、長い時を共にしてきた訳ではないし、彼の頭の中は主君の安否のことでいっぱいのようだ。
そんな状況で、彼がこの自分に対して心を許し、特別な想いを寄せてくれることなどありはしないと分かっていながら……焦燥は募る。
ましてこちらが抱く気持ちを、彼に伝えてもいないのだ。

彼との距離は遥か遠い。
でもいつの日か彼をこの手に―――そう思わなかったといえば嘘になる。
あの男が現れるまでは……。





彼の主君の居場所に関する情報を諜報活動中の兵が持ち帰ってきた。
次こそは本当かもしれない。
その知らせを受け、彼の喜ぶ顔が一刻も早く見たくて、彼の陣幕へと向かった。
気が逸っていた為に、断ることも忘れて、幕を押し上げ、中に入る。

「ち……」
彼の名前を呼ぼうとしたところで、それは遮られた。
遮られたという言い方は適当ではないかもしれない。
思わず自ら口を閉さざるをえなかったといった方が正しい。

静かにというように唇に指を立てた男と目が合ったから―――
男は粗末な寝台の淵に座っていた。
そして男の隣に同じように腰掛け、男の肩に頭を凭せ掛けて目を閉ざしている彼の姿を見たから―――

「すまないが、少し眠らせてやってくれるか?」
彼が目を覚まさぬように気遣ってだろう、男は小さくそう呟いた。
つい先日、仲間に加わった金色に近い髪と色素の薄い瞳が印象的な男だ。
彼と同じ国の武人だと聞いている。

「ここ最近あまり眠れていなかったみたいだな」
独り言のようにぽつりと男は零し、視線を彼が寄りかかる方へと転じる。
彼はぐっすりと寝入っているようだ。
目を覚ます様子もなく、無防備な寝顔をさらけ出して。
その彼に向けて、男はとても穏やかで優しい眼差しを注ぐ。

ずきりと胸が痛んだ。
この男にとって彼はとても特別な存在であることは、その眼差しで分かる。
そして彼にとってもこの男は……。
その証拠に彼は安心しきったように身を寄せて、眠っているから。

普段の彼であったなら、たとえ真夜中であったとしても、ほんの僅かな物音一つで、目を覚ます。
身を起こすと同時に、傍らに置いた武器に手を伸ばすのだ。
それは彼が特別な訳ではなく、武人であれば他の気配に敏感なのは当然だ。
だからこそ、今こうして彼が手元に武器も持たず、眠りに落ちていることが大きな意味を持つのだ。
それは即ち彼がこの男のことを、心底から信頼していることに他ならない。
この男の傍であったなら、己が身を預けて安心して眠れるのだと―――そういうことだ。

口惜しいが、寄り添う二人の姿は、まるで二人で一人のようにごく自然とそこにある。
何人たりとも、入り込めるような隙間はない。

それでもまだ諦めきれずにいることを、彼は嗤うだろうか―――





彼は相変わらず、笑顔を絶やさない。
そればかりか、以前と比べそれが更に輝いて見えるのは、やはりあの男が傍にいるからか。
きっとあの男の前では、誰に見せるものよりも、一番綺麗な笑顔を浮かべるのだろう。
ちりり……と胸が焦げ付くような感覚―――嫉妬のせいだ。

そんな中、先日齎された情報を元に、彼の主君が囚われているという地方に攻め入ることとなった。

この戦いが終わったら―――彼に想いを告げよう……そう決意した。
彼の特別な笑顔をどうしても見てみたかった。
何もせずただ嫉妬に身を焦がすよりも、余程建設的であろう。

戦いは、想像以上に熾烈を極めた。
配備された敵の数が、今までとは比べ物にならぬほど多かったのだ。
けれどそれは逆に、そこに要人が囚われているということの証拠ではなかろうか。
当然そう考えた者達は多く、こちらの士気は上昇した。
そして激しい攻防の末―――勝利を収めることができたのだ。

だが……そこに彼の主君の姿はなかった。
期待した分、その落胆はより大きい。
今度こそはと戦い抜いた自軍の兵達の中には、戦意を失ったり、疲労から倒れる者が続出した。
それこそが敵の真の狙いだったのかもしれない。
妲己という女の高笑いが聞こえてきそうだった。

そんな中にあっても、彼はやはり落胆する素振りも見せず、懸命に周囲を励ましていた。
いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて。
本当に強い人だ―――彼とて辛くない筈はないのに……。

そして告げようと心に決めていた想いを、彼に伝えに向かった。
丁度視界の隅に、真っ直ぐに駆けて行く彼の姿が映った。
一体何処に向かっているのだろう。
気取られぬように、そっとその後を追った。

程なくして、彼の向かう先を理解し、彼を追う足を止めた。
否、止めざるを得なかった。
彼は尚も駆けていく。
ただ一心に、その目的に向かって。
こちらに気付く様子もない。

その先に居たのは、豪奢な鎧を身に着けたあの男。
周囲に人は見当たらない。
恐らく二人で示し合せた場所だったのだろう。

あの男はゆったりとした優しい笑みを浮かべ、両手を広げる。
彼は躊躇うことなく、その腕の中に飛び込んだ。
そうして縋るように……男の背に腕を回し、強く抱きしめる。

風に乗り、微かに聞こえてくる嗚咽。
そして震える肩。
やがて、男の胸から顔を上げた彼の目は、涙に濡れていた。
男は宥めるようにして彼の背を摩り、そうして己の手で彼の頬を包み込む。
その手で彼の涙を拭ってやると、そっと口付けを落とした。

反射的に、踵を返した。
想いを告げるまでもなく、再度思い知らされてしまった。
彼が誰を欲しているのか。

いつも笑顔しか見せない彼が、あの男の前では声を出して、泣いていた。
子供のように。
彼とてやはり辛く、哀しく、苦しかったのだ。
ただそれを懸命にひた隠し、周囲に悟られぬようにしていただけ。
それが武人趙子龍という人なのだろう。

だがあの男の前でだけ、彼はそんなものを脱ぎ捨てる。
蜀という国の将軍でも、武人でも……なんの肩書きもない―――ただの趙子龍に戻れるのだ。

彼の特別な笑顔が見たいと思った。
悔しいけれど、それは結局、彼の上辺しか見ていなかったことになるのだろう。
人は決して笑ってばかりでは、いられないのだから。
とてもこの想いは成就するものではない。
けれど彼に対する想いは、決して偽りではなかった。

だからどうか―――彼の涙が……その哀しみが少しでも癒えるように、祈ることくらいは許して欲しいと願うのだ。






written by y.tatibana 2007.06.09
 


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