アンケ小説 - No2
注:心情的には15禁です。

囚われたるは
壊れゆく我が心
<後編>
この世のものとは思えぬ色香を纏わせ、あの男は妖艶に微笑んで見せた。
その瞬間確かに鮮やかに色彩が蘇った。
そして、長い間何事にも乱されなかった心が揺さぶられたのを…はっきりと感じた―――





昨夜のあれが夢だったのか現実だったのか。
馬超には未だ判断がつかなかった。
気が付いたときには朝で、自邸の寝台の上だった。
どうやって戻ってきたのかさえも覚えてはいない。
それ程に霞みが掛かったように記憶は曖昧で、身体も何処か気だるい。

扉を叩く音がして、馬岱が顔を覗かせた。
「なかなか起きていらっしゃらないので……。
どこか具合でもお悪いのですか?」
「いや」
首を振りながら、緩慢な動作で馬超は寝台から降り立った。
「顔色が少しお悪いようですけど、本当に大丈夫ですか?
お休みになられるのでしたら、私から城の方へは申し上げておきますが」
「大事無い」

何としてでも城へは行かねばなるまい。
趙雲に会って確かめずにはいられなかった。
昨日のあのことを。





城へと出向き、最初に向かったのは趙雲の執務室だった。
だがそこに求める人物はおらず、修練場にいるはずだとそこにいた文官に告げられた。
修練場へと向かう長い回廊、そしてその脇の庭。
どこに目を向けても、やはりいつものように全てが色褪せ見えた。
春が過ぎ、初夏を迎えた今、青々とした緑が映えているだろうに。

修練場は幾人かいて、其々に武器を振るっている。
その中に流れるような所作で槍を振るっていたのは趙雲だった。
馬超はすぐには趙雲の元へ歩を進めず、やや離れた場所からそれを見遣る。
こうしてまじまじと趙雲が槍を持つ姿を見るのは初めてだった。
趙子龍という人物に興味の欠片もなかったからだ。
昨夜のことがなければこうやって眺めることは未来永劫なかっただろう。

やはり周りと比べるまでもなく、群を抜いて趙雲の槍捌きは素晴らしかった。
隙という隙が見当たらない。
長坂の英雄と称えられるのも伊達ではないと馬超は思った。

だが―――
やはり趙雲の姿もまた周りと同じで色褪せている。
昨夜はあんなに鮮明にその姿が見えたのに。
心が揺り動かされることもない。

あれは夢であったのだろうか?

馬超はゆっくりと趙雲へと近付いていく。
その気配を感じ取って、趙雲は動きを止め、馬超の方へと顔を向ける。
「馬超殿ではありませんか。
どうかなされたのですか?」
額の汗を手の甲で拭い、趙雲は穏やかな笑みを浮かべる。
それは馬超が見慣れた趙雲の笑顔だった。
昨夜のあれとは全く異なる―――馬超にとっては取るに足りないもの。

「昨夜のことなのだが……貴殿はどこにおられた?
俺と会いはしなかったか?」
それでも馬超は一応はと尋ねてはみる。
「昨夜…ですか?」
趙雲は不思議そうに小首を傾げる。
馬超が尋ねることの意味が分からない様子だ。
「昨夜は城から戻った後、邸でずっと書簡に目を通しておりましたが…。
もちろん貴方ともお会い致してはおりませんよ」

やはりあれは夢であったのだ。
落胆した。
もうずっと忘れていた昂揚感が蘇ったと―――そして色を取り戻したのだとそう思ったのだけれど…。
それらが願望として夢になったというだけのことなのだろう。

「失礼する」
短くそれだけを告げると、馬超は身を翻した。
夢だと分かれば、趙雲とこのまま会話を交わす気にもなれなかったのだ。
最早趙子龍という男への興味は煙のように消え去っていた。
何度か後ろから趙雲が名を呼ぶ声が聞こえたが、馬超が足を止めることはなかった。





陽が落ち、邸に戻った馬超は寝台に腰掛け、深く息を吐き出した。
傍らの卓に用意された酒を杯に注ぎ、一気に傾けた。
もう一度あの感覚を味わいたかった。
夢でも良いから今一度と。
あの瞬間自分は確かに生きているのだと感じられたのだ。

その時、戸を叩き、朝と同じように馬岱が姿を見せた。
「兄上、趙将軍がお見えになられておりますが…」
その言葉に馬超は眉根を寄せた。
お互いの家を行き来するような関係ではもちろんない。
その趙雲が何故…と馬超はいぶかしんだが、すぐに今朝の修練場でのことだと思い当たった。
大方あの時の馬超の様子が気になって訪ねてきたというところだろう。

あれが夢だと分かった以上、趙雲になど会いたくもなかったが、仮にも将軍をまさか無下に追い返す訳にもいくまい。
わざわざ自分から周囲と摩擦を生むほど馬超は愚かではなかった。
「こちらにお通ししろ」
だが客間まで歩くのも億劫で、馬超は自室に通すよう馬岱に告げる。

しばらくの後、馬岱に案内された趙雲が姿を現した。
「ようこそ参られた、趙雲殿。
少し具合が優れぬ故、このような場所で失礼する」
寝台に腰掛けたまま馬超が言うと、趙雲は慌てた様子でその傍へと寄る。
「そのような時にお伺いして申し訳ありません…。
どうぞ私のことはお気になさらず横になって下さい」
心底申し訳なさそうに趙雲は頭を下げた。
「いや、それ程たいしたことではないのだ。
して今宵はまた何用か?
珍しい客人が参られたので、正直少々驚いているのだが……」
「…取り立てて用という程のことはなかったのです。
ただ、今朝の馬超殿の様子が少し気になったものですから」
「申し訳ない。
本当にあれは何でもないのだ。
忘れてくれ」
「ですが……」
趙雲は納得した様子はなく、なおも食い下がろうとする。

それが馬超を苛立たせた。
放っておいてくれと拳を寝台にでも叩きつけたかった。
いつもなら気にも止めず、さらりと笑顔でも作って受け流せるのに。
今日は何故だか趙雲の態度が癇に障った。
それは夢で見た―――自分の心を突き動かしたあの趙雲と…目の前の男が余りにも異なっていたからか。

「何か悩みでもあるのではないですか?」
そんな馬超の心の内など露知らず、趙雲は心配そうな視線を馬超に投げかける。

本当に苛々する―――

自然に笑いが込み上げてきた。
取り繕われた常の快活な笑みではなく、冷たいそれ。
「随分とお優しいことだな、趙雲殿」
突然低くなった声に、趙雲は驚いたように目を瞠った。

「ならば……俺の心を動かしてみてくれ。
あの夢のように」
言うや否や、馬超は趙雲の腕を取り、寝台へと組み敷いた。
呆然と馬超を見上げてくる趙雲を、冷めた視線で射抜く。
腰紐を解き、それで素早く手を縛り上げ、抵抗を封じた。
「何を…なさるのです?
止めて下さい!」
そこに至ってようやく事態を把握したのか、趙雲が抗議の声を上げた。

だが馬超はそれを気にするでもなく、趙雲の首筋に口付けを落とす。
「嫌です!
馬超殿、止めて…っ!」
身体を捻り、何とか趙雲は馬超から逃れようとする。
再び顔を上がれば怯えを含んだ瞳が馬超を見つめていた。

抵抗する趙雲の姿が馬超の加虐心を煽る。
屈服させてやりたい。
汚してやりたいと思った。
いつも穏やかに微笑んで、汚れなど…絶望など知らぬという風情のこの男を。
苦痛に歪む顔を見てみたいと。

決して優しくはしなかった。
―――出来なかったという方が正しいのかもしれない。
嫌だと、まるでそれしか言葉を知らぬように繰り返す趙雲が堪らなく馬超を煽った。
乱暴に、わざと痛みを植え付けるように趙雲を抱いた。
身体の痛みか、それとも心の軋みか。
とうとう涙を流した趙雲が瞳に映っても、馬超には罪悪感は露ほども生まれなかった。
それどころか益々心は昂揚していく。

己の中にこれ程残虐で冷酷な獣が息を潜めていたことに馬超は今まで気付かなかった。
戦場に出ればもちろん命を奪いはするが、甚振るような真似をしたことはない。
西涼太守の息子として、相応しい人間であるよう常に心掛け、人々の羨望を集めてきた。
しかし―――それが本来の自分の性質を無意識のうちに押さえつけてきたのかもしれない。
その圧迫から、徐々に心は動くことを止め、目に映る世界は色褪せてしまったのか。





そうか―――これこそが俺の本性か。





どれくらい時が流れたのか。
ようやく馬超は趙雲から身を離した。
うつ伏せにされた趙雲は、今はもう堅く瞳を閉ざしていた。
いつの間にか手を戒めていた紐も解けてはいたが、趙雲はぴくりとも動かない。
馬超によって裂かれた衣が無残にその周りに散っていた。

死んでしまったのだろうか?
馬超は趙雲の姿を見下ろすが、その瞳はやはり冷たかった。
後悔など微塵もなかった。
胸に広がるのは充足感だ。
己の内を知ることが出来たことへの。

馬超は趙雲をそのままに、湯浴みに行こうと寝台から降り立つ。
すると微かに趙雲が身じろぐ気配を感じた。
だが馬超は振り返りもしない。
そのまま部屋を出ようとする。

「ど…して…このような…」
小さく耳に届く弱弱しい声。
馬超の手は既に扉に掛かっている。
「さて?どうしてであろうな?
最初は貴殿が余りにしつこいから苛立たしかったのだが―――抵抗する姿を見ているうちに滅茶苦茶にしてやりたくなった。
踏みにじって、痛めつけたかった。
ただそれだけだ」
寝台の方を見ようともせず、馬超は酷薄な笑みを浮かべると扉を開けた。

だが……。
再び聞こえてきた声に、馬超は足を止めた。

それは心底楽しげに笑う声だった。

それが趙雲のものだと気付くまでに馬超はしばらくの時を要した。
ようやく馬超は後ろを振り返る。
気でも違ったのかと、寝台の趙雲を見れば、ゆっくりと趙雲がその身を起こすところだった。

「そうか、それがお前の本性か」
低い声で言って顔を上げた趙雲のその表情。
それはまさしく夢で見たあれそのものだった。
艶かしい笑みをのせ、笑い声を漏らしながら、顔に掛かった乱れた髪を掻きあげる。
愉悦を滲ませた瞳で見つめられ、馬超は思わず息を呑んだ。





色が―――
蘇る。
鮮やかに。
はっきりと。





あの時感じた心臓の鼓動を、再び馬超は感じた。
「何を惚けている?」
そんな馬超の様子に趙雲は更に笑みを深くする。
「それ程までに私の変り様が信じられぬか?
だが、先程は随分と興奮しただろう?」

まさか弱弱しく拒絶の言葉を繰り返し、涙を流しながら、自分に無理矢理抱かれていたのは演技だったのか。
では何故そのようなことをしたのか。
それどころか出会ってからこれまでの彼もまた演じられたものだったのか。

馬超の表情から何を見て取ったのか、趙雲が先回って口を開いた。
「何故だという顔をしているな、馬超殿。
大したことはない、ただお前の本性を確かめたかっただけだ。
初めに会った時からお前の目が酷く虚ろなことに気付いていた。
お前自身も他の誰もそれには気付いてはいないようだったがな。
何もかもがつまらない―――そういう瞳だった。
だからそんなお前の心を動かしてやろうと思った。
そしてその中に潜むお前の本性を暴いてやろうとな」

「何故俺の本性を暴こうなどと思った?」
ようやく馬超は我を取り戻した。
引き寄せられるように寝台の趙雲の元へと戻っていく。
「ただの退屈しのぎだ」
悪びれる様子もなく、趙雲は間髪入れずに馬超の問い掛けに答えた。

くくっ…と喉の奥を鳴らすように、馬超もまた笑った。
「面白い。
まさか貴殿がそのような人間であったとはな。
普段の清廉そうなあの表情と態度にすっかり騙されていた。
とんだ食わせ者だな」
「ああしておいた方が、色々と都合がいいのでな」
「こんな風に男を惹き寄せない為にも?」
馬超は趙雲の頬に滑らす。
顎を捕らえ、上向かせると唇を重ねた。

抵抗する様子もなく、趙雲もまた馬超の口付けに応える。
深く唇を合わせ、舌を絡ませあう。
嚥下しきれなかった唾液が、二人の間から零れ落ちた。
どんな熟れた果実よりもそれが馬超には甘く感じられた。
夢中でその唇を貪った。

思えば、昨夜あんな風に趙雲が自分に己の姿を垣間見せたのも、自分を煽る為だったのだろう。
そして今日…何も知らないと恍けて見せたのも、またあの時の印象をさらに強めさせる為。
現に夢だと確信した後も、あの妖艶な姿が消えてはくれず、何食わぬ顔で現れた趙雲を見て苛立ちが募った。
普段の自分であったなら苦もなく、流せた筈のことなのに。

そう―――気付かぬ内に自分は囚われていたのだ。
趙子龍という檻の中に。
一体何人の人間がこうしてこの男の戯れに囚われ、そして魅入られたのだろう。
そしてその檻の内側で、恍惚の中息絶えたのか。

唇を離し、馬超はそのまま滑らかな肌にそれを滑らせていく。
馬超のそれが首筋に辿り付いた時、馬超はふと噛み付くようにそこに歯を立てた。
趙雲は苦痛の声を漏らしもせず、馬超のされるがままに任せている。

ふつりと……肌を突き破る感触を覚えた。
同時に咥内に錆びた味が広がる。
身体を僅かばかり離して、馬超は自分が噛み付いたその部分を眺めた。
「あぁ…」
思わず馬超は声を上げる。





趙雲の白い肌を伝うその液体。
久方ぶりに見るその鮮やかな紅。
血の色―――





「どうだ?見えるか、その色が…?」
趙雲が楽しそうに問う。
「あぁ」

綺麗だ。
血の色はもちろん。
その流れ出す趙雲の身体も。

「もっと色が見たいのなら何もかも壊してしまえばいい。
私に為そうとしたようにな…。
そうすれば全ての色彩が甦るやもしれぬぞ、馬超殿」
何故馬超が色を失っていることを趙雲は気付いているのか。
問い掛けようとして、馬超は止めた。
そんなことに意味はないと。
この美しい檻に囚われた時点で、全てを知られてしまっているのだ。

「そうだな、それもいいやもしれん」
この世界の全てを壊してしまえば、趙雲以外の色も取り戻せるだろうか。
気付かされた残酷で凶暴な本性の赴くままに。
ぞくりと肌が粟立つ。
それは何とも甘美な想像だった。

そんな馬超を見て、趙雲はすぅっと目を細める。
そうするとその身にまとう色香が更に濃くなる。
「来い、馬超殿。
今度はちゃんと相手をしてやる。
これらもお前には楽しませて貰えそうだからな―――礼として狂おしいまでの快楽をくれてやる」
言って趙雲が解けかけていた髪紐を完全に外すと、その艶やかな髪が白い肌に散った。

馬超はその髪を一房手に取り、口付ける。
まるで誓いを交わすかのように―――






written by y.tatibana 2004.06.26
 


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