アンケ小説 - No1
注:趙雲が酷い人間でも、
馬超が可哀相な役割でも
OKな方のみどうぞ。

真実が知られれば…この関係は崩れゆくのだろう。
だからまた嘘を重ねる―――
そうして……その度に心が罅割れていくのだ。





どこまでも続くかのように広がった草原に、多数の兵が隊列を為している。
銅鑼の合図に合わせて、様々な動きを乱れることなく繰り返している。
その様子をやや離れた小高い丘の上から、趙雲が見下ろしていた。

「見事なものだな、子龍」
ふいに後ろから声が掛けられた。
驚いた様子で趙雲が振り返れば、そこに立っていたのは同じ蜀の将である魏延であった。
「文長か……あまり驚かせてくれるな。
気配を消して近付いて来るなど―――悪趣味な」
目の前に立つ魏延に、趙雲は不満げに眉根を寄せた。

それに対して魏延は悪びれた様子もなく不敵に笑って見せた。
「お前が真剣に自隊の演習に見入ってたせいだろ。
俺は気配を絶ったつもりなどないがな。
それに―――
そこで言葉を切り、魏延は趙雲と並び立つと、眼下へと視線を注いだ。
「仮に気配を消していたとしても、相手が孟起ならば気付いていただろう?」
「無論だ」
即答する趙雲に、魏延は苦笑しつつ肩を竦めた。
「臆面もなく言ってくれる……。
孟起もそこまであの長坂の英雄殿に想われているとは幸せ者だな。
孟起の方もお前に首っ丈のようだし…本当に羨ましいことだ。
独り者は寂しい限りだよ」

魏延の言葉に趙雲は大仰に溜息を吐く。
「お前の方こそよくもそんなことが言えるな。
お前程の男だ…言い寄って来る者は多くいるだろうに」
魏延は前方を向いたまま、可笑しそうに首を振る。
「そんなことはない。
俺を買い被り過ぎだぞ、子龍」

そのまま会話は途切れ、辺りには銅鑼の音と兵達の足音だけが響く。

趙雲はそっと隣に立つ魏延を伺う。
精悍な横顔とよく日に焼けた褐色の肌。
風が吹き、魏延は乱れた髪を無骨な、けれども細く長い指でかき上げる。

趙雲は己の鼓動の高鳴り自覚していた。
―――本当は魏延がこちらに近付いて来ていたことに趙雲は気付いていた。
ずっと離れたところから。
いくら気配を絶とうが趙雲には分かる。

―――魏延の気配だけは絶対に。

それは趙雲が魏延のことを愛しているからに他ならない。
そう……他の誰でもなく、魏延のことだけを趙雲はずっと想い続けている。
だが、それは決して悟られてはならない。
秘しておくべき感情。

「孟起は…?」
趙雲の感情を読み取った訳ではあるまいが、趙雲の思考を中断させるようにふいに魏延が彼の方へと視線を移した。
瞬時に趙雲の熱を帯びた瞳は、普段の涼しげなそれへと取って変わった。
魏延に本心を知られる訳にはいかないのだ。
「今朝早くに発った。
今度の戦は長引きそうだと―――そう言っていた」
「そうか。
あいつのことだ―――お前に早く逢いたいがばかりに無茶をしなければいいがな」
「いくら孟起でも、そこまで愚かではあるまいて」
すると揶揄するように魏延は薄く笑った。
「だがそうは言ってもやはり心配だろう?」
「…私をからかうのもいい加減にしろ」
低く唸るように趙雲は言うが、その目元は薄く染まっていた。
これでは魏延の言葉を肯定しているようにしか見えないだろう。

だが―――それは偽り。
心底馬超のことを案じているのだと見せ掛ける為の。
そして馬超のことを愛しているのだと思わせる為に。





こうしてまた嘘を重ねていく―――





本当は馬超ことを心配してなどいないくせに。
想っているのは魏延のことだけにも拘らず。

―――酷い人間だ…私は。

罅割れて壊れそうな心にもそれくらいの自覚は辛うじて残ってはいた。
だが、それを改める気持ちは更々なかった。
自覚はあっても、今はもう良心の呵責を感じることもなくなった。
もう完全に趙子龍という人間が壊れてしまう日は近いのかもしれない。





「さて…と、あまり仕事をさぼっているとまたあの人に何を言われるか分かったものではないしな。
持ち場に戻るとするか。
ではな、子龍」
趙雲の返答を待ちもせず、さっさと魏延は身を翻し去って行く。
その背を趙雲はただじっと見送る。

雲のような男だ。

趙雲は魏延のことをそう思う。
形が定まらず、どれだけ手を伸ばしても決して触れる事が叶わない。
魏延という人間を捕らえる事が出来る存在はこの世でたった一人なのだろう。

魏延が去り際に言った「あの人」
「あの人」は明確な理由もなく魏延のことを忌み嫌い、才有る魏延ほどの人間がそのせいで重く用いられることがない。
冷遇されているにも関わらず、彼がもっと重く用いてくれるであろう他国へ決して行こうとしないのは「あの人」の為。
自分を軽んじている張本人である「あの人」のことを魏延は想っている。

いつも飄々としている魏延が「あの人」を見る瞳だけは全く違った―――酷く熱を帯びたものであることに趙雲は気付いていた。
そう言っても魏延は絶対にそれを認めたりはしないだろうけれど。
ただ笑って煙に巻くに違いない。

それでも趙雲は魏延を諦めきれなかった。
想いが届かずともせめて側にいたかった。

だから―――また嘘を吐く―――

趙雲はもう見えなくなった魏延が去った方向を、未だ微動だにせず見入っていた。





薄暗い廊下を抜け、その先にある扉の前に立った趙雲は、控えめにその扉を叩く。
「入れよ、子龍」
直ぐに中から答えがあった。
趙雲が一言も声を発していないにも拘らず、中の人物は彼が来たのだと分かっていたのか、彼の名を呼び中に招き入れる。

ゆっくりと扉を開け趙雲が中に入ると、正面の寝台に魏延が腰掛け、酒を呷っていた。
趙雲の姿を認めると、傍らの卓の上に杯を置き、趙雲を真っ直ぐに見据える。
口元には愉しげな笑みを刻んで。
「来る頃だと思っていた」
「……」
趙雲は答えない。
ただ魏延の瞳を逸らさずにじっと見つめるだけだった。
そんな趙雲へ向け、魏延がそっと手を差し伸べる。
「来いよ、子龍」

戸惑うような素振りを見せ、趙雲は俯く。
だがそれもまた嘘だった。
本当は躊躇する気持ちなど欠片もない。
それどころか今すぐにでも駆け寄りたい衝動を懸命に堪えていた。

そう―――それを悟られては駄目なのだ。
あくまでも罪悪感を感じている素振りを見せなければならない。
馬超という決まった相手がいながら、別の男と肌を合わせようとしているのだから。

のろのろとした足取りで顔を伏せたまま、趙雲は魏延の元へ向かう。
魏延はようやく目の前まで近付いてきた趙雲の手を捕らえ引き寄せると、そのまま寝台に彼の身体を易々と組み敷いた。
ビクリと震える趙雲の身体を包み込む衣を、手際よく剥ぎ取っていく。
そして静かに趙雲の唇に魏延が己のそれを重ねると、趙雲の瞳から涙が零れ落ちた。

「嫌なら止めるか?」
魏延の問い掛けに、趙雲は溢れる涙をそのままに僅かに首を振り、それを拒む。
魏延は趙雲の涙を、馬超と違う男に身を任せることへの罪悪感だと理解しただろうか。
だがそれは趙雲にとって歓喜の涙だった。
これから魏延に抱かれることに対しての。





「好きだ」

ただ一度だけそう告げたことがあった。
それ以前にも身体は何度も重ねていた。
女のいない戦場で、互いにその欲を満たすことを目的として。
その行為自体別段珍しいものではない。
そこに恋だとか愛だとか、そういう感情が存在しないだけだ。
それだけで充分だと思っていたはずなのに、愚かなことにそれ以上を求めてしまった。

「冗談はよせ」
魏延は趙雲の告白を可笑しそうに笑った。
だが魏延の瞳は決して笑ってはいなかった。
冷たく凍てついた瞳は、明らかに趙雲を拒絶していた。

それ以来、魏延は趙雲を抱かなくなった。
趙雲が魏延の陣幕を訪ねてもそこに居ることがなかったり、言葉を交わしていても早々にそれを切り上げて立ち去ってしまう。

やはり心までも求めてはいけなかったのだ。
友として、そして時には身体を重ねるだけの気軽な関係―――魏延が趙雲に望んでいるのはそれだけなのだろう。
分かっていたつもりであったのに、現実を突きつられ、趙雲は絶望した。
もう元には戻れないのだろうかと。

そんな時に現れたのが蜀に降ってきた馬超だった。
馬超は趙雲に魅せられ、そして趙雲への想いを隠そうともせず、一心に趙雲を求めた。
魏延への募る想いから逃れるように、馬超の気持ちを受け入れ、関係を結んだ。

魏延へそれを告げた時、
「あいつは良い男だ。
友として祝福するぞ、子龍」
趙雲の気持ちが馬超に向かったのだと理解したのだろうか。
魏延はそう言って、久方ぶりに趙雲に笑顔を見せた。
それがまたただ友人へと戻った瞬間でもあった―――

馬超は優しかった。
自分を深く愛してくれてるのだということは心でも身体でも感じていた。
それでもやはり魏延への想いを断ち切ることは趙雲には出来なかった。
だがもう二度と彼の心を求めるようなことは言うまい―――そう誓った。
多くを求めてはいけない……友としてでも良い―――ただ側に居られればと。
だから馬超を愛している振りを続ける。
魏延に対する気持ちを悟られぬ為に……。





馬超が蜀に降って初めての戦へと発ったその日、趙雲は昔のように魏延に抱かれた。
馬超と関係を持ち始めてからはもちろんただの友人として過ごしてきた。
だが馬超が居らず、身体が疼くのだと―――そう告げた。
すると魏延は苦笑しながらも趙雲を抱いた。
心さえ求めなければいいのだ。
そうすれば魏延はこうして自分を抱いてくれる。

それからまた魏延と身体を重ねるようになった。
馬超が戦へと発ち、不在のその間は。
身体の熱を鎮めて欲しいと趙雲が求め、魏延がそれに応える。





そうして今もまた趙雲は魏延に抱かれている。
これが己のものかと思う程に、甘い嬌声がひっきりなしに口から漏れる。
「孟起のことを余程愛しているのだな、子龍。
あいつを求めこれほどまでに身体が疼くか」
魏延の言葉に、上気した頬を更に染めて趙雲は無心に頷く。
小さく笑いを漏らし、魏延はさらに趙雲を追い立てるように深い愛撫を加えていく。
「孟起…孟起!」
うわ言のように趙雲は馬超の名を繰り返す。
趙雲が求めているのは馬超だと思わせる為に。
心の中で呼んでいるのは別の名だ。

「文長」

と。

そして今日もまた嘘で始まった一日が、嘘で塗り込められて終わっていく。
趙雲の心が完全に壊れるその日まで……、
変わらず続いて行くのだろう―――
その虚誕な日々は。





written by y.tatibana 2003.12.13
 


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