100題 - No77

言葉
切っ掛けは馬超の怪我だった。

怪我といっても大したことはない、浅いものだ。
演習中に太ももに負った傷。
馬超の騎馬隊に配属されたばかりの新兵が、馬から振り落とされたのを馬超が庇った際に、新兵の手にしていた槍が傷つけたものだった。

その傷に包帯を巻こうとしている所へ丁度趙雲がやって来た。
馬超が怪我を負っていると知り、趙雲の表情は曇るが、一見して掠り傷だと悟ると、ほっと息を吐き出した。
そうして次には、口元を緩めた。
馬超が包帯を片手に、なかなか上手く巻けず、悪戦苦闘しているのを見て、思わず。
「相変わらず、不器用ですね」
くすくすと笑いながら近づいてくる趙雲に、馬超は不機嫌そうな眼差しを向けた。
「う……煩い!
こんなも手当てくらいすぐに終わる」

だが言葉と行動は伴わない。
悲しい程に、馬超は不器用だった。
上手く包帯が結ぶことが出来ず、すぐにはらりと解けてしまう。
豪胆な性格である馬超は、こういった細かい作業が苦手なのだ。

「貸して下さい、馬超殿」
馬超の手から包帯を引っ手繰る様に奪って、馬超とは反対に器用にそれを傷口に巻き付けていく。
「手間のかかる人だ……」
別に趙雲は怒っている訳でも、呆れている訳でもなく、ただ何とはなしに出た言葉だった。
寧ろ、いつもは傍若無人に振舞っている馬超が、包帯と戯れてる様が可愛らしくて、趙雲の目には好ましく映っていた。

しかし怪我をして虫の居所が悪かったのか、馬超は趙雲の言葉にむっと眉根を寄せた。
そうして包帯を巻く、趙雲の手を乱暴に振り払った。
その拍子に、再び巻きつけられていた包帯が取れてしまう。
―――わざわざお忙しい趙将軍のお手を煩わせるまでもない。
手当てくらい喜んで施してくれる女は沢山いるのでな。
俺としても男の無骨な手より、女の柔らかな手の方が良い」

いきなり手を振り払われた上の暴言。
趙雲の顔が見る見る険しくなっていく。
「余計なお世話だったようですね。
それは申し訳ないことを致しました……」
「ふん―――
流石に言い過ぎたと馬超は思ったが、今更謝るのも情けない。
馬超は鼻を鳴らし、ふいっと趙雲から顔を背けた。
「そのような女人がいるのならば、私など必要ないでしょう?」
しかし馬超は顔を背けたまま、答えない。
―――失礼します」
小さく漏らされた趙雲の呟きに、はっと馬超は顔を上げた。

一瞬馬超と交差した趙雲の瞳は、哀しげに揺れていた。
そのまま趙雲は踵を返すと、走り去って行ってしまった。
馬超は慌てて後を追ったが、傷のせいか、とうとう趙雲を見失ってしまった。

解けた包帯が、馬超と趙雲のすれ違いを表しているようだった―――





どうしてあんな心にもないことを言ってしまったのだろう。
傷付いた目をしていた。
あんな瞳をした趙雲を初めて見た―――
そうさせたのは、他ならぬ自分。
彼はただ自分の怪我を手当てしてくれようとしただけなのに。
一方的に、理不尽な怒りをぶつけてしまった。

実際馬超に好意を寄せてくる女は沢山いた。
けれどその誰一人として、趙雲より魅力があるとは思えなかった。
強く、美しく……優しくて。
一族を失って自棄になっていた自分を抱きしめてくれた。
初めて自分から欲しいと思った掛け替えない存在。
その彼を傷付けてしまうとは、本当に自分は愚かだ。





馬超は趙雲の姿を探した。
だが城にも、彼の邸にもその姿はなかった。

ようやく見付けたのは、陽が西の空に沈む頃。
城の裏手にある丘に、趙雲は静かに横たわっていた。
二人でよく息抜きにと来た場所だった。

やっと趙雲の姿を見付けたにも関わらず、馬超は立ちすくんでいた。
夕陽に赤く染められた趙雲の身体。
それがまるで血のように思えて、馬超は動けなくなってしまったのだ。
「子龍……」
呼びかけてみても、趙雲の身体はぴくりとも動かない。
それは血ではなく、ただの夕陽だ。
そう自身でも理解している筈だというのに―――

それが過去と重なる。
血溜まりの中、倒れ伏す一族の者達―――妻と子。
冷えた身体を抱きしめても、揺らそうとも……決してその目が開かれることはなかった。

馬超は動かない身体を叱咤して、趙雲へとゆっくりと近付く。
そのまま覆いかぶさるようにして、趙雲の身体を激しく揺さぶった。
「子龍!子龍!」
「……ん…」
と、微かに声が漏れて、趙雲の瞼が持ち上がる。
「あれ……私は一体―――眠っていた…?」
最初にぼうっと彷徨っていた視線は、馬超の姿を認めて焦点を結んだ。
「馬超……殿?」
趙雲は、自分を見下ろす馬超の表情を見て、困ったような笑みを浮かべる。
そっと手を伸ばし、馬超の目元に触れた。

「どうして貴方が泣いているのですか?
必要ないと切り捨てられたのは、私の方でしょうに」
そうは言うものの、趙雲の口調は然程重いものではなかった。
馬超の涙を目の前に、気概が殺がれてしまったのか。
「すまなかった……。
俺には……お前が必要だ……お前だけで良い。
傍にいてくれ……俺を置いて、決して何処へもいかないでくれ……」
幼子のように涙を流し、切れ切れに呟く馬超に、趙雲は彼が過去を重ね合わせているのだと悟る。
馬超の柔らかな髪を優しく梳いて、趙雲は馬超の唇に自分のそれを押し当てた。

「大丈夫です。
私はここにちゃんといますから」
あやすように言う趙雲の両頬に手を沿え、今度は馬超が口付けてくる。
息も継げない程に激しく、深く、繰り返される口付け。
そうしながら、馬超は手を下へと落とし、趙雲の衣の帯に手を掛けた。
それを察して、はっと趙雲は目を見開いた。
「こんな所で……止めて下さい!」
それでも構わず先に進もうと馬超は試みるが、本気で嫌なのだろう―――趙雲は馬超の身体を押し返す。

短く舌打ちをして、馬超はしぶしぶ趙雲の上から退いた。
「仲直りするには、言葉よりもこれの方が手っ取り早いだろうに」
「一体どういう理屈でそうなるんですか!」
口を尖らせて、むくれてみせる馬超は、もういつもの彼で。
先程の頼りなさげで、不安定な様子は微塵もない。

趙雲が身を起こし、その隣に馬超が腰を下ろす。
同時にぬっと趙雲へと差し出された手。
そこに握られていたのは白い包帯。

―――結んでくれ」
どこか照れくさそうな馬超の声。
馬超に気づかれぬように小さく笑って、趙雲は馬超の足へとそれを巻きつけた。
そしてしっかりと結び付ける。
今度こそ決して解けてしまわないように―――





written by y.tatibana 2006.10.09
 


back