100題 - No64 注:この小説は献上小説「傀儡」から 「乱れる」→「強引」→「強いられて」 と続いています。 ダーク系なので、苦手な方にはお薦め出来ません! |
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痛い。 痛い…。 痛い……―――。 身体が。 心が。 絶えることなく悲鳴を上げている。 滾る憎悪を相手に叩き付けることもできず、浄化しきれないそれは自身をただ蝕んでいくのだ。 今宵もまた繰り返される責め苦のような時間。 汗ばんだ身体が気持ち悪かった。 男を身の内に受け入れ、乱れる息とは対照的に、趙雲の頭は冷えていた。 歯を食いしばり、一刻も早くこの苦痛に満ちた行為が終わることをただただ願う。 せめてもの抵抗にと己を抱く男をきつく睨みつけても、男は意に介すことなく薄っすらと口元に笑みを刻むだけだった。 煌々と灯が照らされた室内。 ……男は決して灯を消すことを許さなかった。 趙雲の表情を余すことなく見たいからと。 憎悪と嫌悪に満ちた趙雲の瞳。 それをまた閉じることも男は由としなかった。 趙雲の瞳に映る己の姿が見えなくなるからと。 趙雲にとっては屈辱以外の何もでもない。 そして―――。 とうとう男は、趙雲が今でも想いを寄せるただ一人の人物……魏延へ非情にも趙雲の姿を見せ付けた。 男の邸で、何もその身に間纏わず、寝台に横たわる趙雲の姿を、冷酷に躊躇いもなく。 趙雲の体中に刻み付けられた欲望の痕を晒した。 趙雲が魏延にだけはその関係を知られたくないと思っていることを重々承知した上で。 それは趙雲の中の最後の砦を見事に砕くには充分すぎた。 趙雲は初めて涙を流した。 殺してやる……そう叫んで。 それを本望だと男は―――馬孟起は平然と言い放ったのだ。 そして馬超は今日も飽くことなく趙雲を抱く。 「愛している」 そんな戯言を趙雲の耳元で囁いて。 何とも空々しい嘘だろう。 趙雲には到底信じられない。 これだけのことをされてそれを信じられる者などいようか。 憎まれているのだとしか思えなかった。 寝台の傍らにいつも置かれている剣。 手を伸ばせば直ぐに届く距離にある。 馬超は一時もそれを傍から離そうとはしない。 それが良い証拠ではないか。 馬超が趙雲のことを愛してなどはいない…そのことの。 決して馬超は趙雲に心を許してはいないのだ。 趙雲が馬超に逆らうことが出来ないのを知って尚、剣を手放さない。 それが真実を如実に示している。 出来ることならば、今すぐにでもその剣を手に取り、突き立てたい。 人としての、そして武人としての尊厳も自尊心も粉々にされ、それでも未だ飽き足らず己を抱くこの男の胸へと。 身を焼き尽くすような憎悪の炎が突き動かすままに。 だがいつもそう思うと同時に、趙雲の心に浮かぶ姿がある。 ―――文長。 そっと心の中でその名を呼ぶ。 それだけで愛しさが込み上げてきて、趙雲は剣に手を伸ばすことが出来なくなる。 馬超の命を絶つことは、即ち魏延の死をも意味することになるから。 あの日。 馬超の邸で、魏延が寝台に横たわる趙雲を見た日。 彼は一体どんな表情をしていたのだろうか。 恐ろしくてその顔を見ることなど趙雲にはとても出来なかった。 きっと軽蔑しただろうと思う。 一方的に別れを告げたのは、別の人間に心変わりしたせいなのかと。 あの状況では誰もがそう考えるだろう。 まして趙雲は頷いたのだ。 魏延が尋ねた―――本当に馬超と関係を持ったのかという問い掛けに対して。 肯定を返したのだから。 ―――文長……。 再度その名を胸の内で呟く。 「何を考えている?」 趙雲の思考を遮るように響く低い声。 途端に現実へと引き戻される。 未だ趙雲の中にいて、彼を放そうとはしない馬超の琥珀の瞳が、じっと彼を捕らえている。 「……お前に答える必要などない」 負けじと冷たく答えを返せば、馬超はまた楽しそうに笑った。 まるで趙雲の考えていることなどお見通しだと言わんばかりだ。 だが実際に馬超はそのことについてそれ以上口には出さず、ようやく趙雲からその身を離した。 やっと解放されたのかと、思わずほっと息を漏らした趙雲の耳元へ、そっと馬超が唇を寄せた。 そうして問いかけた。 「あれから魏延殿とは話をしたのか?」 と。 笑いを噛み殺した、趙雲をからかうような声音でもって。 「―――っ!!」 その瞬間、趙雲の全身を押さえ難い怒りが駆け巡った。 最早会わせる顔などない。 あれからずっと彼の事を避け続けていた。 軍議の場で同席することはあれども、彼の顔をまともに見ることはできなかった。 彼と話すことなど出来よう筈もないことを知っていて、この男は―――! あれほど愚弄してもまだ足りぬか! 「…ざけ……るな、ふざけるな!!」 趙雲は沸騰する怒りを馬超に叩き付ける様に叫ぶ。 己の上に圧し掛かったままの馬超の身体を、思い切り突き飛ばすと、馬超はその勢いのままに寝台から床へと叩きつけられる。 趙雲の手は傍らにあった馬超の剣へと伸びた。 それを手にし、身を起こすと同時に趙雲は素早く剣の鞘を抜き去った。 いつもの事後の身体の辛さなど露ほども感じなかった。 それを感じさせないほどの怒りが趙雲を支配していた。 起き上がろうとした馬超の上に、今度は趙雲が圧し掛かった。 馬超の右肩を体重を掛けて押さえ込み、剣を振りかざす。 そのまま露になった馬超の左胸へとそれを突き立てれば全てが終わるのだ。 馬超の命も。 趙雲の苦痛も。 そして……魏延の命運も―――。 「―――!!」 声にならない叫びが趙雲の喉から迸った。 振り下ろされる剣。 だが―――。 その刀身は馬超の胸を貫いてはいなかった。 馬超の首筋の真横に突き立てられていた。 少し掠めたのだろう。 馬超の首筋が薄く切れ、そこから僅かに血が滲み出ていた。 はぁはぁ……と荒い息遣いを繰り返す趙雲の呼吸が静かな室内に響いた。 剣の柄を握り締めたまま、趙雲は俯いている。 長い黒髪が帳になり、趙雲の表情は見えなかった。 「この程度の傷では俺は死なんぞ。 俺を殺したいのなら、ここを突け……さぁ、子龍」 言って、馬超は自らの左胸を指す。 それは趙雲が初めて耳にする、馬超の穏やかで柔らかな声だった。 常に趙雲の優位に立ち、余裕を伺わせるかうような笑いを滲ませたそれではない。 だが趙雲は馬超の言葉が聞こえているのかいないのか、ゆらりと馬超の上から身体を離し、立ち上がる。 寝台の傍らに落ちている衣を拾い上げると、それを纏い、馬超を振り返ることなく部屋から出て行った。 馬超はそれを止めなかった。 床に横たわったまま、天井をただ静かに見上げていた。 覚束ない足取りで部屋を出た趙雲は、湯浴みへと向かうべく、邸の廊下を歩く。 乱れた髪の間から覗く瞳は、未だ感情の昂ぶりを抑えきれないのか、荒々しい光を宿していた。 きつく噛み締めた唇は切れ、そこから血が流れ出ている。 どうしても出来なかった。 あの男を殺すことが。 これほど憎み、恨んでいるというのに―――どうしても。 剣を振り下ろす瞬間、魏延の姿が頭を過ぎったのだ。 「子龍」 と、優しく名を呼ぶ声が響いた。 失いたくはなかった。 例え離れてしまっても、魏文長という存在を。 それがあの男への殺意に勝った。 胸を突き、殺せばいいとあの男は言った。 今まで聞いたことのないいざなうような優しい声音で。 だが…。 「そんな気など更々ないくせに」 吐き捨てるように、趙雲は低く呟く。 信じられようはずもなかった。 きっとあの男は今頃また嘲笑っているにちがいないのだから。 一方、馬超はといえば、趙雲が出て行った時と変わらず床に横たわったままだった。 ゆっくりと手を首筋へと当てれば、ざらついた感触がある。 趙雲に斬られた傷はもう塞がりかけているようだ。 馬超は笑った。 だがそれは趙雲が予想していたような、彼を嘲るようなものではなかった。 どこか寂しさを湛えた微笑みだった。 「駄目か……子龍。 やはり信じてはくれぬか…。 俺はお前に殺されるのならば本望なのだと。 子龍……」 その声は虚しく静謐な空気の中へと飲み込まれていった。 written by y.tatibana 2005.04.03 |
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