100題 - No54

燃え上がる
賑やかな城下の通りを、諸葛亮は方々に目を走らせながら歩いている。
こうして城下街の様子を数日に一度、見て回ることもまた諸葛亮の執務の一環だった。
民の生活が逼迫していはいないか。
市で不正は行われてはいなかなど…様々なことに気を配る。
このような巡回は丞相たる諸葛亮の役目ではないだろうと周囲の者は思うのだが、当の本人は己の目で見ることが何より信頼できるらしく、多忙を極める執務の合間を縫ってはこうして街に出る。
本人曰く、それはまた息抜きの意味もあるのだそうだ。

その諸葛亮の後ろにぴったりと従うのは、蜀の誇る五虎将の一人趙雲だった。
多数の人間が行き交う街の中。
何処にこの国の要である諸葛亮の命を狙うものが潜んでいるとも限らない。
そのような輩から彼の身を守る為の趙雲は護衛の役割だ。

街外れの広場に辿り着いた時、諸葛亮が突然足を止めた。
反射的に趙雲は腰の剣に手を掛けた。
「どうかされましたか?軍師殿?」
鋭い声で問い、趙雲はすばやく諸葛亮の前へと出ると、彼を自分の背に庇う。

だが目にした光景に、趙雲は軽く目を瞠っただけで、その剣が抜かれることはなかった。
小さく背後から漏れる諸葛亮の笑い声。
「行きましょう、趙雲殿。
お邪魔しては悪い」
「そうですね…」
趙雲もまた緊張していた体の力を抜き、呆れたように溜息を落とした。

広場の木陰―――
そこには激しく抱擁し、口付け合う一組の男女の姿があった。
周囲のことなど何も目に入らないのか、一心に行為に耽っている。
街外れとはいえ妙に広場が閑散としていたのは、この周囲を憚らない者達のせいかもしれなかった。





そのまま二人は来た道を引き返していたのだが、とある辻で諸葛亮は何を思ったか、道を折れ狭い路地へと入って行った。
戸惑いつつも、趙雲もまたその後に続く。
「どこに参られるのですか?」
「行けば分かりますよ」
趙雲が尋ねてみても、諸葛亮は短くそう答えるだけだった。
けれどその声が妙に弾んでいるように思えたのは、趙雲の気のせいか。
と同時にとてつもなく嫌な予感が趙雲の胸を過ぎった。

ほどなくして、諸葛亮は路地の突き当たりで足を止めた。
大きいが古びた建物の前。
その入り口から漂ってくる何とも妖艶な香の臭い。
路地の奥まった所にひっそりと建つそこがどういう場所であるか、幾ら生真面目な趙雲とて分かる。

「ぐ…軍師殿……。
このような場所にどのような御用がおありなのですか?」
焦る趙雲を尻目に、諸葛亮は羽扇を優雅にはためかせている。
「今ここにいるのは誰ですか?」
などと逆に趙雲に問い掛ける。
「は…?
誰って……軍師殿と私です」
「そうですね、ここには今貴方と私しかいない。
で、こういう所に来たからにはするこはひとつしかないでしょう?」
「…え!?
―――っ!」
思わず叫んだ趙雲の唇に諸葛亮は指を押し当てた。
冷静沈着と自他共に認める趙雲が、日常でも戦場でもこのような叫び声を上げることを聞いた者はまずいないだろう。
だがそれ程に諸葛亮の言葉は趙雲の予想を越えていたのだ。

「お静かに。
別段今更恥かしがるような仲ではないでしょうに」
涼しげな表情の諸葛亮とは対照的に、趙雲は目を白黒させている。
「な…なっ……」
二の句を告げずにいる趙雲であったが、徐々に頬に朱が差す。
「おや、どなたかもこちらに向かってくるようですよ」
諸葛亮の視線は二人が入ってきた路地の左手入り口に向けられている。
釣られて趙雲もそちらを見れば、確かにこちらにゆっくりと向かってくる男女の姿があった。
男の腕は女の肩に廻され、女は男の胸に媚びるように寄りかかっている。
その二人に趙雲は見覚えがあった。
それは先程広場で周りの目も憚らずに、口付け合っていたあの者達だった。

相変わらず二人は自分達以外には興味がないのか、こちらには気付いてはいない様子だ。
だがそうは言っても、近付いてくれば二人もこちらに気付かぬ筈はない。
右はといえば高くそびえる壁があり行き止まりなのだ。
このような店先で丞相たる諸葛亮と将軍である趙雲がいる所を目撃されるのは非常に拙い。
やって来る二人が自分達のことを知っているかどうかは何とも言えぬところではあったのだが。
それ以前に、その諸葛亮本人が全くここから去ろうという気配を見せないのが一番の問題なのだった―――

趙雲はがっくりと肩を落として、覚悟を決めた。





扉をくぐり、中へ入れば、まだ陽も高いというのに酷く薄暗い。
入り口の傍らに設えられた台の奥に男が座ってたが、暗くてその顔までは見えない。
このような場所だからこそ互いの顔は見えないようになっているのだろう。
それでも一応と、趙雲は背後に諸葛亮の姿を隠す。

懐から取り出した金を男へと差し出すと、男はそれを慣れた様子で受け取った。
「二階の一番奥の部屋を使ってくれ。
ま、せいぜい頑張るこったな兄さん。
楽しい時間になるといいな」
卑下た笑いと共に掛けられる言葉に趙雲は不快げに眉根を寄せた。
だがまさかこのような場所で剣を抜くわけにもいかない。

しぶしぶ趙雲は諸葛亮の姿を隠しつつ、男に指示された通りに階段を上がる。
諸葛亮が笑いを噛み殺しているのが、背後からでも感じ取れる。
それどころか、
「頑張るのは私の方なんですけどねぇ」
などと小声で嘯いてもいる。
最早趙雲には溜息を吐くことしかできなかった。

部屋の中は、粗末な寝台と机と一対の椅子があるだけの小さな間取りだった。
それを見て改めて趙雲はここがとある行為の為だけにある場所なのだと認識する。
諸葛亮はと言えば鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌の様子で、部屋の中を興味深げに見つめている。

「軍師殿…一体何を考えておられるのですか?
このような場所に、真昼間から足を踏み入れるなど…」
趙雲は入り口に立ち、再び大きく息を吐く。
「先程も申したではありませんか。
こういった場所ですることはただ一つでしょう?」
さらりと諸葛亮は答えると、寝台へと腰を下ろした。
ギシギシと今にも壊れそうな寝台が悲鳴を上げる。

趙雲の眉間に寄る皺も更に深くなる。
「ですから、どうして急にそのような……」
「貴方を抱きたくなったからに決まっているでしょう」
言って、諸葛亮は相変らず涼しげな表情でもって、ふふ…と小さく笑った。
「正確には中てられてしまったのですよ、あの広場で口付けていた二人に。
どうしても貴方が欲しくなったんです」
そんな台詞と共に、今までの平然とした様はどこへやら、諸葛亮の熱を帯びた眼差しが趙雲へと注がれる。

「そんな―――貴方らしくもない…」
急にそのような瞳で見つめられ、趙雲は思わず目を伏せる。
先程までの涼やかな面持ちの諸葛亮とはまるで別人のようだ。
「貴方の前でだけは丞相としてではなく、ただの人間でありたいのですよ。
そんな私はお嫌いですか?
私のことを軽蔑なさいますか?」
弾かれたように趙雲は顔を上げた。
そうして強く首を振る。
「そのようなことは決して!」
すると諸葛亮は心底嬉しそうな表情で微笑むのだった。
そして扉の前で立ち尽くす趙雲へと手を差し伸べる。
「さぁ…趙雲殿」

導かれるように諸葛亮が腰掛ける寝台へと、趙雲はようやく歩み寄った。
差し出された手を取ると、諸葛亮は強くそれを引き、均衡を崩した趙雲の身体を抱き留める。
趙雲の鼓動は早く脈打っていた。
合わせた胸元から伝わってくる諸葛亮の鼓動もまた同様だった。
見つめあい、引き寄せられるように互いに顔を寄せる。
あと僅かで唇が重なる。




が、その時―――





隣の部屋から甲高い嬌声が響いてきて、思わず二人は動きを止めた。
寝台が激しく軋む音も伝わってくる。

ふぅ…と諸葛亮がはじめて口惜しそうな溜息を漏らした。
「折角良い雰囲気だったというのに―――
あの二人組みでしょうかね…まったくしょうのない…。
どうやら相当に壁が薄いみたいですね」
「やはり止めましょう、軍師殿…。
こ……声も漏れる…ようですし…」
隣から絶え間なく聞こえてくるその淫らな声に我に返ったらしい趙雲が、諸葛亮から身を離そうする。
だがそれを諸葛亮は許さなかった。

趙雲の身体が離れるより前に、さっさと寝台へと組み強いてしまう。
普段は身体を動かす機会などそうないだろうに、この機敏さは一体どこから生まれてくるのか。
けれど、趙雲は武人だ。
いくら諸葛亮に押さえつけられようとも、力で跳ね除けることは容易である。
だが……。

「愛しています、趙雲殿」

そう優しく耳元で囁かれれば、趙雲はもう抵抗することができないのだった。
惚れた弱みというものなのだろうか。
与ええられる口付けを素直に受け止め、趙雲は今日何度目にもなる溜息と共に諸葛亮の背に腕を廻す。

「くれぐれも手加減して下さいね、軍師殿…」
趙雲の言わんとしている意味を瞬時に悟り、諸葛亮はくすくすと笑う。
「大丈夫ですよ。
貴方の声が漏れそうになったなら、私が口付けて塞いで差し上げます」
―――っ!」
途端に赤くなる趙雲を、諸葛亮は楽しそうに見遣る。

戦場では鬼神の如き働きを見せる猛将が、こうやって自分の言葉一つで羞恥に顔を染めるのが諸葛亮には愛しくて堪らないのだった。
身も心も自分を受け入れてくれるのが心底嬉しい。
この美しき蒼き龍が男の元で快楽に喘ぐ様を誰が想像するだろうか。
もちろん諸葛亮自身、誰に話すつもりもないけれど。
ただ趙雲の傍らだけが、激務に追われ、時に重圧に押しつぶされそうになる諸葛亮の安らげる唯一の場所なのだ。

ありったっけの愛しさを込めて、再度唇を重ねた。






written by y.tatibana 2004.10.08
 


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