100題 - No50
注:この小説は献上小説「傀儡」→「乱れる
と続いています。
ダーク系なので、苦手な方にはお薦め出来ません!

強引
一体いつまでこの日々は続いていくのだろうか―――





趙雲は寝台の端に身を横たえ、湧き上がってくる嫌悪感に必死に耐えていた。
背後からの微かな寝息が、趙雲の耳に届く。
それは趙雲が最も憎むべき男のもの。
敵にさえ、これ程までの憎悪を抱いたことはなかった。

今すぐにでもその男の胸に剣を突き立ててやりたい。

だが、それが出来ぬことは趙雲も……そして男にもよく分かっていた。
だからこそ男は安穏と眠っていられるのだ。

軋むほどに趙雲は歯を食いしばった。
卑怯な手段で自分を絶望の底へと落とした男に抱かれる屈辱。
男は灯すら消すことも許さず、せめてもの抵抗と男を睨めつける趙雲を見て、楽しげに笑うのだ。
趙雲の瞳に映ることこそが至福なのだと―――そう言って。

男の思うが儘に身体を貪られ、疲労が全身を支配しているというのに、趙雲は眠りに付くことはなかった。
憎しみと屈辱に神経が昂ぶり眠ることなどできないのだ。
第一絶対に隙を見せたくはなかった。
全身に男に対する拒絶の色を滲ませて、窓から光が射すのを待っている。
一刻も早く朝が来て、男が此処から去ることだけを趙雲はひたすらに願い続けるのだった。

男に―――馬孟起に対する憎悪を滾らせながら。





趙雲にとって重苦しいだけの夜が明け、ようやく待ちわびた朝を迎える。
馬超が身を起こす気配がする。
寝台から降り、衣を纏っているようだ。
だが、すぐに馬超は出ては行かなかった。
こちらへと投げ掛けられる視線を趙雲は感じる。
「子龍」
名を呼ばれたが、趙雲はもちろん返事を返しはしない。
すると馬超がくすりと小さく笑いを漏らした。
「また―――今宵。
偶には俺の邸に来ると良い……嫌なら無理にとは言わんが。
ではな」
馬超は趙雲が眠ってなどいないことを承知しているらしく、そう趙雲へ言い残すと部屋を出て行った。

去り際の馬超の言葉を反芻して趙雲は拳を握り締める。
嫌ならと、馬超は言った。
そんなもの嫌に決まっているではないか。
何故自らあの男の元へと足を運ばねばならぬのか。

だが―――心でどれだけ馬超を罵倒しようと、拒否することは出来ないのだ。

握り締めた拳を一度寝台に叩きつけると、趙雲はゆっくりと起き上がった。
腰に走る鈍痛に趙雲は眉を引き絞った。
己の身体を一瞥し、さらに眉に刻まれる皺が深くなる。

吐き気がする。
あちらこちらに残された男の痕跡を見て。
馬超がここに居らずとも、未だ支配されているような感覚に陥る。
外だけではない。
身体の奥に吐き出された男の残滓を一刻も早く洗い流してしまいたかった。

寝台から降り立つと、軽い眩暈を趙雲は覚えた。
馬超との歪んだ関係は、趙雲の心身へと凄まじい負担となって圧し掛かっているのだった。
それでも関係を断ち切ることは出来ない。
今でも趙雲が愛するただ一人の人物―――魏文長の為に。

趙雲は重い身体を引き摺るようにして、趙雲は湯浴みを済ませる為、部屋を出た。





午後になり、修練場に足を運んだ趙雲がそこにいた人物に気付き、足を止める。
魏延だった。
幾人かの兵を相手に、剣術を指導しているようだ。
兵達を前に笑顔を見せる魏延を見て、趙雲の胸に愛おしさが込み上げてくる。
強く、そして優しい…海のような男。
もう言葉にすることはなくとも、想い続けるのはただ魏延のことだけだ。

「子龍」
立ち尽くす趙雲に気付いた魏延が、趙雲の元へと近付いてくる。
理由も告げず一方的に趙雲が別れを告げて以降も、魏延は何も変わることなく接してくれる。

きっと心の中では怒っているだろう。
呆れ果てているだろうに……。

趙雲がそう考えるのも無理はない。
にも関わらず、最後に交わした口付けに、自身に対する趙雲の別れへの強い決意を感じ取ったのか、魏延はもう理由を問おうとはしなかった。
いくら理由を問われようと絶対に真実を告げることはできないけれど。
話せば間違いなく魏延は馬超の卑怯な策略を甘んじて受け入れる。
例え屈辱に塗れた末路を迎えることになっても。
だが趙雲にはそれを受け入れることなど到底できなしない。
だからどんなことになろうとも魏延に突然の別れの訳を知らせることはできないのだ。

「子龍も鍛錬か?
今日は風も心地良い。
身体を動かすには最適だ」
魏延は以前と寸分違わぬ優しい笑顔を趙雲へ向ける。
自然に趙雲の表情も和らぐ。
「あぁ、本当だな」
だがいつまでも魏延とこうして話しているわけにはいかない。
万が一にも魏延に全てを吐露してしまわない為に。
それ程に魏延の傍らは心安らげる場所なのだ。

「ではな…」
まだこのまま居たいと揺らぐ気持ちを断ち切って、趙雲は魏延の元を離れ修練場の奥へと足を進めようとする。
だが、脇を通り過ぎようとした趙雲の腕を魏延が捕らえた。
予期していなかった魏延の行動に、趙雲は目を瞠る。
魏延は再び趙雲の正面へ回り込むと、空いたもう一方の手で趙雲の額に手を宛てる。

懐かしい。
けれど身体にしっかりと馴染んでいる無骨な魏延の手。

「矢張りな…」
魏延が呟くのに、趙雲は微かに首を傾げる。
「何が?」
「自分でも気付いていなかったのか?
お前、熱があるぞ。
どうりで顔色が悪いと思った」
呆れたように魏延は大きく息を吐く。

趙雲自身には全く自覚がなかった。
頭が痛むのも、身体を支配する気だるさも―――馬超と関係を持って以来、最早日常と化していた。
今日も城へと出向く前、鏡に目を遣ったが、顔色の悪さなど気付きもしなかった。
自身だけではない。
現に、魏延以外の誰にも指摘されるようなこともなかったのだ。

それは―――彼が未だ自分のことを想ってくれているのだと―――そう考えるのは何とも滑稽だろうか。

「どうした?
矢張り具合が悪いのだろう?
今日はもう邸へ戻れ」
優しく気遣う魏延の声に、趙雲の沈みかけていた意識は戻った。
「いや、大丈夫だ、文長。
自分でも気付かぬ程なのだ、大したことはない」
「駄目だ。
お前はいつもそうやって無理をする。
仕事のし過ぎで疲労がたまっているんじゃないのか?
丞相には俺が話しておくから、お前は邸でゆっくり休め」
珍しくきつい調子で魏延に諭されるが、趙雲は首を振った。
仕事をしていた方が気持ちが紛れるのだ。
あの男とのことを思い出さずに済む。

「本当に何ともない。
それに……例え私のことであってもお前が丞相に話しに行けば、あの御仁は決して良い顔はすまい。
いらぬ波風は立てぬことだ」
「あの人は俺が何をしても気にくわぬのだろうさ。
今更厭味の一つや二つ言われた所でどうとも思わぬよ。
お前が気に病む必要はない」
本当に何でもないことのように魏延は言う。
「文長!」
声を荒げる趙雲に肩を竦めてみせると、捕らえた腕をそのままに趙雲を引き摺るようにして歩き始めた。
「何をする!?」
「どうしても戻るのが嫌なら、せめて俺の執務室で休んでおけ。
お前のところ違って滅多に誰も来ぬ部屋だ。
気を使うこともなかろう。
これ以上抵抗するなら、女のように抱き上げてでも連れて行くぞ。
病人のお前に負けるほど俺も柔ではない」
「分かった、分かったから」
趙雲はとうとう白旗を揚げた。
身体の力を抜き、魏延に導かれるのに素直に従う。

何とも強引な男だ。
趙雲はそっと溜息を落す。
強引と言えば、あの男…馬超も同じだ。
けれど―――感じる気持ちはこんなにも違う。
自分を心の底から気遣ってくれる魏延の態度が、嬉しくて堪らない。

魏延の強引さは、趙雲を慮っての優しさから来るもの。
一方、馬超の強引さは、ただ趙雲を貶めて踏みにじるだけのもの。

恐らく馬超は自分のことを憎んでいるのだろう。
だからあのような卑劣な行為を平然と行う。
原因など思い当たる節もない。
それまで話したことも数えるほどしかなかったのだから。
だが、愛しているのだとあの男は言う。
そのような戯言を信じられると思っているのだろうか。





―――文長…私の心はずっとお前の元にあるから。





前を歩く魏延の背に向けて趙雲は心の内で呟く。
魏延を映す趙雲の瞳は、愛しさと切なさに満ちていた。
だが、だた一心に魏延を見つめるあまり、趙雲は気付かなかった。

その姿を離れた場所から見ていた馬超の存在に。
馬超は怜悧に瞳を細めて、二人が城の方へと消えるのを見送った。
口元が弧を描く。
それはひどく冷酷な笑みだった―――





written by y.tatibana 2004.09.12
 


back