100題 - No48 |
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目覚めの時、いつも真っ先に耳に入ってくるのは鳥の鳴き声でも、家人の扉を叩く音でもなく―――彼の鼓動だった。 力強く打つその規則的な音が、徐々に私の意識をはっきりとさせる。 起き上がろうとするが、毎回それは侭ならない。 彼の腕がしっかりと私を捕らえているからだ。 私をこうして己の胸に抱きこんだまま、彼はいつも眠りにつく。 冬の頃ならまだしも、そろそろ夏を迎えようかというこの時期にこんな風に肌を寄せ合っていると暑くて叶わない。 ましてや私も彼も武人なのだ。 女の肌のような柔らかさとは程遠い。 つまりあまり……いやかなり心地良いとは言い難い。 それなのに、彼の方はそんなことは気にもならないのか、未だ眠りの底に沈んでいるようだ。 もぞもぞと私は身体を動かしてはみるが、彼が目覚める気配はない。 「暑いし、何より鬱陶しいから止めろ」 と、はっきり何度も言った。 だがその度に、 「嫌だ」 こう答えが返ってくる。 ならばと強引に身を離して眠ろうと思っても、彼の熱に翻弄されるままに抱かれた後は流石に彼に抵抗するだけの体力も残っておらず、結局されるがままになってしまう。 深々と溜息を吐き、再度私は身体を動かす。 「孟起! 起きろ、孟起!!」 彼の腕の中から呼びかければ、ようやく僅かに彼の身体が身じろいだ。 「ん……、何だよ…子龍…」 彼はうっすらと目を開けると、視線を私のほうへと落とす。 それでも相変わらず私をしっかりと抱き込んだままだ。 「何だよじゃない! いい加減離せ! 暑苦しい!」 私がそう怒鳴りつけても、彼は私を捕らえた腕を緩めるどころか、ますます力を込めてくる。 「孟起!」 「嫌なら自分の力で逃れれば良いだろう。 まだ夜も明けきってはおらぬようだし、俺はこうしていたいんだ」 全くこの男は……忌々しいことこの上ない。 私にそれができないことを知っていて言っているのだ。 まだ身体全体に行為の名残が残っていて、その気だるさに思ったように力が入らない。 「どうした?子龍。 何か言いたそうだな」 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる彼を、私は思い切り睨めつけた。 不機嫌さを露に、低く問う。 「誰のせいでこうなっているか分かっているんだろうな?」 「そこまで力が抜けてしまう程、良かったんだろ? 俺に抱かれるのが……」 「孟起!!」 怒りと羞恥で私の顔に朱が差したのを、自分でも感じた。 だが彼の表情は変らず涼やかだ。 「俺は嘘は言ってない。 あんなに感じまくっていただろうが」 厚顔無恥とはまさにこの男の為にある言葉ではないだろうか。 よく恥かしげもなくそんなことを口にできるものだ。 「そんなことは知らん! 記憶にない!」 「ふーん、記憶も飛んでしまうくらいに良かったんだなぁ。 そこまで言ってもらえると、俺としても頑張った甲斐があるというものだ」 「違う!」 ああ言えば、こう言う。 全く口の減らぬ男だ。 「違わないだろ。 散々喘ぎまくっていたくせに。 そのお前のその声が何よりの証拠だ」 「……」 咄嗟に返すべき言葉が見つからずに、私は口を噤む。 事実、私の声は酷く擦れていた。 喉も痛む。 さっきからずっと大声を出していることもあるのだが、その根本的な原因は―――。 正しく彼が指摘した通りであって……。 だがそれを認めてしまうのは私の自尊心が許さない。 「煩い!もう黙れ! この恥知らず!!」 そう私が怒鳴ると、彼は大仰に溜息を落とした。 「そんな赤い顔して、擦れまくった声で言われてもなぁ…。 説得力に欠けるぞ、子龍。 ―――それとも、もしかして……」 彼は私の耳元に唇を寄せた。 「誘ってる?」 言って、私の背に回した彼の手が優しく撫でるように肌の上を滑っていく。 私の意思とは関係なく、身体はびくりと反応した。 それを隠そうと、私はまた怒鳴る羽目になる。 「誘ってなどいない! 止めろ、孟起!」 「本当に素直じゃないな。 身体の方はこんなにも正直なのにな」 小さく漏れ聞こえてくる忍び笑いが、何とも癪に障る。 断じて誘ってなどいない。 それなのに、彼に触れられる度、身体が昨夜の行為を思い出すのか反応を示してしまう。 それを楽しむように、彼の手が私の体の其処彼処をなぞる。 だが、これ以上は駄目だ。 絶対に起き上がれなくなってしまう。 今日は朝から大事な軍議があるのだ。 「孟起…頼むから、止めてくれ」 とうとう私は懇願の声を上げた。 すると、今度は随分あっさりと彼は手を止めた。 「分かっている、今日は軍議があるんだったな。 余りにもお前の反応が面白いから、ついからかいたくなってしまうんだ。 この続きは夜までお預けだな」 そのまま彼は、再び私の背に腕を回し、抱き寄せる。 結局、目覚めた時と同じ体勢になってしまった。 「お前と言う奴は……呆れて物も言えん」 「そうか、そうか。 なら黙って、眠ってしまえ。 軍議で居眠りしてしまっても知らんぞ」 「お前にだけは言われたくない…」 ぶつぶつと文句を言いつつも、私は目を閉じる。 やはり身体はまだまだ疲れているのだろう。 私の意識は程なくして、眠りへと落ちていった。 その中で聞こえた彼の声。 「俺がお前を抱き締めて眠るのは、俺が眠っている間にお前が消えてしまうんじゃないかと不安で堪らないから。 馬鹿げているとお前は笑うだろう。 だが―――もう決して失いたくはないから。 俺の腕の中にいるお前が何処にも行ってしまわぬように……俺は抱き締めずにはいられない。 俺は今とても幸せなんだ。 ありがとう、子龍」 その言葉は夢だったのか。 現実だったのか。 それを確かめようと一瞬私は思ったけれど。 私以上に天邪鬼な彼がそれに素直に答える筈もないと―――そっと胸の奥にしまっておくことにした。 written by y.tatibana 2004.08.11 |
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