100題 - No47
注:この小説は献上小説「傀儡」から続いています。
ダーク系なので、苦手な方にはお薦め出来ません!

乱れる
馬超は酒の入った杯を卓の上に置く。
ことりと響くその音に、趙雲が小さく身体を揺らした。
怯えるようなそんな身体の反応とは裏腹に、趙雲は射るような視線を馬超へと向ける。
それを平然と受け止め、馬超は低く笑いを漏らす。
「いくら睨んでも、それは俺を喜ばせることにしかならん。
俺はお前のその瞳がとても気に入ってるのだからな、子龍」
「馴れ馴れしく、私の名を呼ぶな」
趙雲の冷たいその声もまた、馬超には何の痛みも齎さない。
「恋人相手につれないな。
お前はもう俺のものだろう?」
「……っ」
答えられず、趙雲は唇を噛む。

ふざけるな!
お前のことなど大嫌いだ!
憎くて憎くて堪らない…殺してやる!

そう言ってしまえたらどれだけ楽だろう。
けれどその言葉はいつも喉元で押し留められ、けっして音になることはない。

「何か言いたいことがあるのか?
はっきり言っても俺は一向に構わぬぞ」
嘲笑とも取れる笑みを口許に刻んだまま、馬超は趙雲の心の内を見透かしたかのような言葉を投げかける。
趙雲は唇を噛み締めたまま、口を開かない。
それを見て、馬超はまた可笑しそうに瞳を細める。

馬超は趙雲が答えられないのが分かっているのだ。
知っていてなお、趙雲に問い掛ける。
趙雲は座っていた膝の上で拳を握り締め、殴りつけたい衝動を耐える。

馬超に何を言われようと、そして何をされようと、趙雲は抗えはしない。
全ては彼を守る為。
卑怯な手段でもって彼を貶めようとする馬超から、なんとしてでも守りたかった。
魏文長という男を。
心にもないことを言って別れを告げてしまったけれど、今でも愛してやまない唯一の……。
心は未だ彼の元にある。
これから先もずっと。

楽しく、満ち足りていた日々は何の前触れもなく突然壊された。
馬孟起の手によって。
魏延の命運をその手に握る策を弄し、趙雲に告げたのだ。
俺のものになれ―――と。
趙雲は拒めなかった。
そうしてしまえば、馬超の策によって魏延の生命は尽きる。
だから馬超に従った。
そんなことを魏延は望みはしないと分かっていても尚、趙雲は魏延に生きていてもらいたかったのだ。

ほんの少し前まで、この部屋を訪ってきたのは魏延だった。
それなのに、魏延に代わり、己の自室にこの男がさも当然のようにいることに趙雲は吐き気を覚える。
趙雲の心の内など見透かしているであろう馬超はしかし、動じるような素振りもない。

「さて、酒を飲むのもそろそろ飽いた」
言って立ち上がる馬超に、趙雲の身体は再度無意識のうちに揺れた。
向かいに座る趙雲の元へ歩みを進めると、己を睨みつづける趙雲の顎を捕らえ、身を屈めると唇を重ねた。
趙雲の握り締めた拳が、ぶるぶると震える。

その嫌悪感に。
そして―――これから為される行為への屈辱に。

目を見開いたままの全く反応を変えそうとはしない趙雲を気に留めるでもなく、馬超は何度も口付けを落とす。
趙雲の衣の帯に手が掛かった所で、趙雲は馬超の手を払い除けた。

「お前の手など借りずとも自分でする。
ただお前は私を抱きたいだけだろう?
このようなまどろっこしいことなど無用だ。
さっさと済ませてくれ」
趙雲もまた立ち上がり、自らの足でもって寝台へと向かう。
そうして帯を解き、手早くその身に纏っていた衣を脱ぎ捨ててしまう。

寝台に上がり、その傍らの灯りを消そうと伸ばした趙雲の手を馬超が捕らえた。
「消す必要なない」
「なっ…!?」
「消してしまえばお前の顔が見えないではないか。
お前の表情を余すことなく俺に見せてくれ」
「どこまで…お前は私を恥辱に塗れさせれば気が済む…?」
怒りに震える趙雲に、馬超は涼しげな顔のまま肩を竦めた。
「そのようなつもりなど欠片もないのだが…。
愛しい者の顔を見ていたいと思うのは当然のことだろう?」

そのまま趙雲を組み敷けば、彼はとうとう耐え切れなくなったのか、堅く目を閉ざしてしまった。
だが馬超はそれを許さなかった。
「目を開けろ、子龍。
今からお前を抱く人間が誰であるか、しっかり見ておけ。
その綺麗な瞳でな…」
趙雲は狂おしいまでの憎しみをどうにか抑え込み、馬超の言に従った。
従うしかなかった。
すると馬超はそれを見て、満足げに笑うのだ。

憎悪に彩られたその瞳。
その中に自分の姿が映ることが、馬超にとってはこれ以上にない至福だった。
だから灯りは消させはしない。
目を閉じることも許さない。
その瞳に映るものを確かめられなくなってしまうから。
どのような感情であっても、趙雲の中に自分の存在がありさえすればそれで良いのだ。





ふと、目が覚めた。
趙雲の身体を存分に貪って、心満たされ眠りに落ちていたのだが。
窓に目を遣れば、まだ外は暗いようだった。

馬超はゆっくりと身を起こす。
隣に視線を移せば、そこには当然の如く趙雲がいた。
しかし、彼は寝台の端ぎりぎりの位置にまで身を寄せ、馬超の方へ背を向けている。
絶対に趙雲が馬超の傍らで眠りについていることなどない。
それが自分に対する趙雲の拒絶の表れなのだろう。

果たして趙雲は眠っているのだろうか?
自問して、それが愚かなことだと馬超はすぐに思い直す。
馬超が起きる気配には反応することはなかったが、彼が馬超に気を許して眠ることなどないことも承知している。
如何に己が趙雲に憎まれているのかは、誰よりも理解していたから。
どれだけ馬超に身体を苛まれ、疲労しても、恐らく彼は眠ってなどいないに違いない。
全身に拒絶の色を滲ませて、ただ朝が来るのを待っている。
馬超が部屋を出るその時を―――





それでも馬超には、趙雲を手放す気は毛頭なかった。
己が狂っているのだと分かっていても尚……。
歪んだ愛は止められなかった。





そんな馬超でも時折我に返り、ふと罪悪感を覚えることがある。
心は別の人間にある、そんな者を抱いてどうなる。
何より愛しいと想う者を苦しめて、憎まれて―――それで本当に満足なのか。
そう身の内から問い掛ける声が聞こえてくることがある。





どしゃぶりの雨の中、馬超は立ち尽くす。





せめてもっと優しい言葉を掛けられれば…。
寝台で背を向ける彼をそっと包み込むように抱き締めて、己の腕の中で眠らせることが出来たなら。
ただ心の底から愛しているのだと信じてもらえれば、どれだけ幸せだろうか。





馬超は重く垂れこめた空を仰ぎ、目を閉じる。





―――この雨が、全て洗い流してくれればいいのに。





そう切に願う一瞬がある。





けれど、狂った心はまた馬超を呑み込むのだ。
ただ趙雲を欲して、暴れ出す。
罪悪感などその欲望の前では、あっという間に跡形もなく消え去ってしまう。

馬超は再び歩き出す。
もう通い慣れたその道を。
そうして見えてきた邸を前に、うっすらと微笑みを浮かべるのだ。

その中に入り、目指す扉の前でそれを叩く。
扉が開き、姿を現した彼へと雨で濡れた手を差し出す。
「随分と雨に濡れてしまった…。
暖めてくれるな?子龍…」
返事も待たずに部屋の中へ入り、扉を閉める。





こうしてまた狂気に満ちた時間が繰り返えされるのだ―――





written by y.tatibana 2004.07.28
 


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