100題 - No46

説得
回廊を歩けば女官から文を手渡され、調練が終われば兵に呼び止められ……ようやく執務室で一息ついたと思ったら見計らったかのように今度は文官が俯きがちに入ってくる。

性別、年齢、身分は異なり、手段も違えど其々の目的は同じだった。
それは秘めた想いを告げること。
その相手とは趙子龍―――その人であった。

先程も邸へ戻る道程に商家の娘から文を手渡された。
中身はまだ見ていない。
だが見ずともその内容は分かっていた。

趙雲は目の前の机にそれを置き、大きく溜息を落とす。
想われることは素直に嬉しいと思う。
けれど自分には色恋の為に費やす時間はない。
日々多くの為すべきことがある。
そして何より自身にそういった気持ちが皆無なのだ。
劉備が大義を成し遂げる為にこの身を尽くすこと以外考えられない。

想いを告げられたことに対して、趙雲はその都度きちんと返事をしてはいる。
申し訳ない。
今の自分にはそういった気持ちは持てないのだ……と。

いい加減自分は誰ともそういう関係になるつもりはないのだということが広まりそうなものだと趙雲は思うのだが、相変わらず想いを告げる人間が引きも切らない。
本心を言えば流石に趙雲も疲れ果て辟易していた。
断るのだから多少なりとも罪悪感もある。
本来の武人としての務めにだけ励めればどれだけ良いだろうかと。

疲労を振り払うように頭を振り、趙雲は一度机に置いた先程の文を手に取る。
やはり内容は趙雲への想いを綴ったものであった。
心の中で謝罪し、趙雲はその返事をしたためようと筆を手にした。

だが扉を叩く音に、趙雲は手にしたそれを置き、顔を上げる。
まさか邸にまで―――と趙雲の表情は曇ったが、趙雲の返事も待たず入ってきたのは馬超であった。

「何だ、孟起か」
ほっと胸を撫で下ろす趙雲を、馬超は手近にある椅子へ腰を下ろし面白そうに見遣る。
「何だとはご挨拶だな、子龍。
一体誰だと思ったんだよ?」
全てを分かっているくせにそんなことを尋ねてくる馬超を趙雲は無言で睨みつけた。
すると降参とばかりに、馬超は小さく手を上げた。
「そう睨むなよ、悪かった。
もてる男は辛いよな、子龍。
俺もその気持ちはよーく分かる。
で、そんなお前を酒でも飲みながら元気付けてやろうと来たんだよ。
なんて友人想いなんだろうな、俺って」
「自分で言うなよ。
ただ単に私の事をからかいに来ただけの間違いじゃないのか?」
「まぁ、そうとも言うな」
呆れた口調の趙雲に全く馬超はめげる様子もない。
悪びれる感も無く言われ、趙雲は苦笑するしかない。
だがこういう男だからこそ、趙雲にとって気負うことなく付き合える貴重な友となった。

「少し待っていろ」
そう言い残し、趙雲は部屋を出た。
酒と簡単な肴の用意を整え戻る。

馬超と差し向かって座り、趙雲は馬超の杯に酒を注いでやる。
「今日も帰り道に文渡されてただろ?」
馬超が返杯してくるのを受けながら、趙雲は目を瞠る。
「見てたのか?」
「偶然な。
それにしても毎日毎日…男女問わず言い寄られる奴だな」
「正直、流石に疲れてきた。
どうにかできないものか…」
そんな趙雲の呟きに、馬超は考えるまでもないという風に答える。
「そんなことは簡単だ。
早く身を固めてしまえば良いのだ。
お前は長坂の英雄であり、将軍だ。
そんなお前がいつまでも独り身でいるから、女は我こそはと期待するし、男はお前が異性に興味がないのかと思うんだ。
本当にお前…誰か気になる女はおらぬのか?」
「そう言われても……いないとしか答えようがない。
第一私には妻を娶るよりも大切なことがある」
「とか言いながら、本当は女じゃなく心に決めた男がいるとか?」
などと馬超は冗談めかして言う。

すると途端に部屋の空気が凍りつく。
しまった!…と馬超が思った時にはもう遅かった。
酒のせいでついつい軽口が過ぎた。
そういった冗談を趙雲が嫌うことを酔いのせいですっかり失念していた。

「孟起……」
低く、そして酷く冷たさを含んだ声音に、思わず馬超は姿勢を正した。
目の前の趙雲の瞳はすっと細められ、趙雲が本気で怒っているらしいことが見て取れた。
「わ…悪かった……子龍。
冗談だ…冗談だからそんなに怒るな」
戦場で趙雲の前に立った敵はこんな気持ちなのだろうかと、馬超は額に滲む冷や汗を拭う。
普段滅多に趙雲が怒る事がないだけに、余計に恐ろしい。

無言で趙雲は値踏みするように馬超を見つめている。
「本当に悪かったって。
…そうだ!詫びに問題を解決する方法を何か俺が考えるから……。
皆を説得できるような手段をな」
「……本当に?」
その馬超の言葉にようやく趙雲が口を開く。
こくこくと馬超は何度も頷いて見せた。
それを受けてようやく趙雲は表情を和らげた。
「分かった、許してやる」
そう言って、空になった馬超の杯に上機嫌で酒を注いでやるのだった。

その後は差し障り無く、いつものように他愛もない話をして時を過ごした。
夜も更けて、馬超が席を立った時、趙雲も馬超を見送る為腰を上げた。
「例のこと…本当に良い手立てを考えてくれるんだろうな?」
最後に念を押すように尋ねる趙雲に、
「任せとけって。
俺は冗談は言っても、嘘はつかん」
と馬超は自信満々に言い切るのだった。

しかしその実、その時の馬超に別段何か手立てがある訳ではなかったのだが……。
何とかなるだろうと、元来楽観的な馬超は根拠も無くそう考えていた。
そんな馬超の性格を熟知していた筈なのに、この時の趙雲は消耗しきっていた為か判断を誤った。
藁をも縋る想いだったのだ。
だが馬超という男に任せるべきではなかった。
後々それを趙雲は深く後悔することになる。





その後起こる出来事をこの時の趙雲はもちろん予想もしてはいなかった―――





馬超と飲んだあの数日後のこと。
「子龍!」
城の一室にある趙雲の執務室に馬超が勢い込んで訪ねてきた。
「どうした、孟起?」
「例の件の…妙案を思い付いたのだ!」
「本当か!?」
趙雲は思わず声を荒げる。
馬超が来る直前にもまさに一人の文官に謝罪と共に断りを入れたところだった。

肩を落とし出で行った文官と入れ替わるようにして、馬超がやって来たのだ。
馬超は頷きを返し、城門前に来るように趙雲に告げる。
「何故そんな所へ…?」
怪訝な面持ちの趙雲を馬超はまぁいいからと促して、共に部屋を出た。

馬超に連れられるまま趙雲が城門に向かうと、そこには男女問わず幾人もの人間がいた。
数日前文を手渡された商家の娘もいる。
はたとよくよく集まった人間の顔を見れば、趙雲の見知った者も何人かいる。
趙雲に想いを告げた者達だ。

これは……?と訝しむ趙雲の表情を認めて、馬超がそっと趙雲へ耳打ちする。
「お前に想いを寄せている者達を呼び集めたのだ。
お前に関して、重大な話があるとの噂を広めてな」
と言われても、趙雲には何のことだかさっぱり分からない。
重大な話…?
そんなことは趙雲自身も初耳だ。

「馬超殿」
後ろから声がして、振り返れば、こちらに向かって諸葛亮がやってくるのが目に入った。
「お忙しい所、お呼び立てして申し訳ない」
「いえ…丁度少し息抜きをしたいと思っていましたから。
それより一体何が始まるのですか?」
「丞相には立会人になってもらいたくてな。
これからすることの……」
趙雲と諸葛亮は顔を見合わせ、そして互いに首を傾げる。

そんな二人の様子を気に止めることもなく、馬超は城門前に集まる人間に向かって声を掛けた。
「実はここにいる趙将軍に関して話しておきたい事がある。
みなも知っている通り趙将軍は素晴らしい方だ。
みなが想いを寄せるのもよく分かる」
突然何を言い出すのかと、趙雲は眉を顰める。
集まった人間も馬超の言わんとしていることの意味が分からぬ様子だ。

「だが!」
そこで馬超は殊更声を張り上げた。
「趙将軍のことは諦めろ!
彼にはこの馬孟起という心通わせあった男がいるのだ!
趙将軍はお優しい故…みなを傷付けたくはないと黙っていた!
しかしそれはそれで心苦しくなり、こうして今日打ち明けようということになった」

一瞬にして周囲が静まり返った。
全く関係の無い通りすがりの人間でさえ、馬超の声に思わず足を止めてしまっている。
名指しされた趙雲本人も、例にも漏れず固まってしまっている。
馬超を除いては諸葛亮だけが涼しげな顔で羽扇をはためかせている。
だが羽扇で隠した口許は笑みを称えていた。

「突然で信じられぬのも無理はない。
今、証拠を見せてやる」
呆然とする一同の中、馬超は傍らの趙雲の腕を捕らえると、自分の方へと引き寄せた。
そうしてそのまま唇を重ね合わせる。
何度も角度を変えては、貪るように深く馬超は趙雲に口付ける。
趙雲は未だ自分の身に起こっていることが理解できないようで、抵抗することも無くそれを受け続けていた。

くくく……と、とうとう耐え切れなくなった諸葛亮が低く笑いを漏らす。
ただ周囲には悟られぬようひっそりと、羽扇で口許を覆ったまま。
そうして、散々に趙雲に口付けた馬超が趙雲から唇を離すと、それが合図だったように諸葛亮は表情を引き締める。
ごほんと一つ咳払いをすると、集まった者達へと語りかける。
「皆さんもご覧になられたように、趙将軍と馬将軍は身も心も強く結ばれておいでです。
私も今日この時までお二人の関係を存じ上げなかったのですが、今のお二人の行為を見れば強く結ばれていることは火を見るより明らかです。
私には本当にお二人が愛し合っているのだとしか思えません」
二人の口付けを見て、その上諸葛亮の言葉がとどめになったのか。
最初は信じられぬ面持ちで馬超の言葉を聞いていた者達も、次々と落胆の表情になる。
そうして傷心の為かそのままちりぢりに四方へと散って行く。

残されたのは馬超と諸葛亮…そして未だ言葉を失ったままの趙雲だけになった。
「流石は丞相。
俺のこの素晴らしい策略、分かってくれると思ってた。
これで子龍に妙な期待を持つ人間もいなくなるだろう。
今日此処に来なかった者にもすぐに噂が伝わっていくだろう。
我ながら見事な策だ」
馬超は満足げに一人悦に入っている。
「お役に立てたようで何よりですよ、馬超殿。
面白いものを見せて頂けましたから、ほんのお礼です。
ですがね……馬超殿…」
「ん?」
「最後の詰めを全く考えてはいない策は見事だとは言えませんよ」
くすりと小さく諸葛亮は笑うと、身を翻した。

「え…?それってどういう…?」
馬超は首を捻る。
だが諸葛亮は足を止めない。
「御身の無事……せめてお祈りいたしておりますよ」
馬超の届くか届かないかの声音で諸葛亮そう言い残し、城へと戻って行った。

「孟起……」
諸葛亮が去りゆくの同時に、傍らから聞こえてくる低い声。
ぎくりと、馬超の身体は震えた。
これは正しく数日前飲んだ時と同じあの趙雲の声―――
否…あの時よりも格段に冷たさを含んでいる。

今度は馬超が動きを止める。
背筋に冷たいものが流れ落ちる。
「い…いや、子龍…あれはだなお前の為を思って……。
みなの期待を打ち砕くにはあの方法が一番だと……」
「ほう…?言い残すことはそれだけか?」
ボキボキと指を鳴らす音も、そこに加わる。
「お…落ち着けって、子龍…」
「後生だ、せめて骨くらいは拾ってやろう」
「うわーーーっ!」





その後の馬超の行く末は―――もはや言わずもがな。






written by y.tatibana 2004.07.17
 


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