100題 - No42

めぐりあい
貴方との出会いは、私が丞相の前に膝を折った時。
策を弄され、還る場所を失くした。
その私の前に差し出された手。
ゆるゆると顔を上げた私の目に映ったのは、優しく微笑む貴方の顔。
蒼い鎧をその身に纏った姿から、貴方が武人であることは理解できた。
だが武人とは凡そ似合わぬその美しい面に、私は思わず魅入られる。

「私達と共に参りましょう。
諸葛亮殿は貴方の才を高く評価されておられます。
殿の大義の為、貴方のお力をぜひお貸し下さい」
その顔立ちに違わぬ柔らかな…けれど凛とした声だった。
導かれるように差し出された貴方の手を取った。

掴まれた手はやはり武人らしいそれで。
力強いその手を握り返しながら、私は立ち上がった。
目の前の貴方は私よりも背が高く、私は貴方をやや見上げる格好となる。
貴方は微笑んだまま、そんな私を見つめ大きく一度頷いた。
まるで私の決意を読み取ったかのように。





そうして私は蜀へと降った―――





カツン…カツン……と槍を合わせる音が周囲に響く。
額に汗を滲ませている私と対照的に、目の前の貴方は至って涼しげな表情だ。
こうして貴方と手合わせするのはもうほぼ毎日の日課となっていた。
流石は五虎大将―――そして長坂の英雄と讃えられている方だ。
私如きでは全く隙を見つけることも叶わない。

一歩踏み込み槍を突き出した所を、容易くかわされ、私の槍は手から弾き飛ばされた。
私の息は大きく乱れ、思わず地に膝と手をついた。
「…ありがとうございました……。
やはり…趙将軍には……敵いません」
肩で息を整えながら、切れ切れに私は言う。
「今は未だ…というところですよ、姜維殿。
貴方は日々強くなられてます。
私が驚くほどに」
優しい声が上から掛けられる。
と、同時に差し出される手。

こうして貴方に手を差し伸べられると、貴方とめぐりあったあの日を思い出さずにはいられない。
いつも手を差し伸べられるのは、私の方。
あの日から私は幾度貴方に助けられてきただろう。
降将の私を気遣い、常に心を砕いてくれた。
多忙を極める執務の合間を縫って、毎日私との手合わせも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる。
本当に感謝してもしきれない。





けれど―――
私の本心は―――





「どうかされましたか…?」
黙り込み動こうとはしない私に、貴方は怪訝そうに問いかけてくる。
ふと沈んでいた意識が、引き戻された。
慌てて私は首を振った。
「何でもありません!」
差し出してくれた貴方の手を取り、私は立ち上がる。

立ち上がった私を見つめ、貴方は疑問を示すかのように微かに首を傾げる。
「姜維殿、少し背が伸びられたのはないですか?」
「えっ?」
私は思わず自分の身体を見下ろす。
しかしそうやってみてももちろん自分の背の変化など分かるはずもない。

だが再び顔を上げた時、私もまたその違和感に気付いた。
言われてみれば、貴方を見る目線が少しばかり変わっている。
「本当……ですね」
伸びた背と同じように、私もこの国の為に少しでも役立てるようになってきただろうか?
私の才を見込んで下さった丞相と、そして……あの日手を差し伸べて下さった貴方の―――期待に応えることが出来ているのだろうか?

「この調子だと近々私の身長を越えてしまわれますね」
そう言ってふうわりと微笑む貴方の微笑みに、ドクンと強く心臓が跳ねる。
手を伸ばし、抱き締めたい……。
湧き上がってくる衝動を拳を握り締め、押さえ込む。

私の貴方に対する想いなど、貴方は欠片も感じてはいないだろう。
貴方の微笑みに魅せられ、それを私一人だけに見せてくれたらと。
口付けて、そして―――貴方の心も身体も抱くことができたなら。
そんな私の想いを知れば貴方はどうするだろうか。

「そろそろ城に戻りましょうか?」
貴方が歩き出し、私はその後に続く。
暖かい春の風が貴方の漆黒の髪を揺らしている。
並んで歩く、この時間が永久に続けば良いのにと思わずにはいられなかった。
そっと隣の貴方を伺う。
貴方の視線は道沿いを続く桜の木々を追っていた。
薄く色づいた桃色の花弁が、風が吹くたびに宙を舞う。

「何を想っていられるのですか?」
桜を見つめる貴方の瞳が、ここではないどこか遠くを見つめているようだったから、私は思わずそう尋ねてしまった。
「あと幾度こうして桜を見つめられるのだろうかと。
そして―――
貴方はひらりと舞い降りてきた花弁を手のひらにのせた。
「私の命もまた、いつかはこうして散ってしまうのだろうと……ふとそんなことを思ったのですよ。
別段それを恐れている訳ではないのですが」
貴方はその花弁を見つめたまま、静かに微笑んだ。

本当に無意識だった。
意識よりも身体が先に動いた。

私は貴方をきつく抱き締めていた。
「姜維殿…?」
戸惑いを含んだ貴方の声。
だけど私は貴方を抱き締める腕の力を緩めはしなかった。
「少しだけ―――このままでいさせて下さい」
そう言うと、貴方は黙って、私の望みに任せてくれた。

腕の中にある温もりを離したくはない。
それは叶わぬことだと分かっていもなお。
この戦乱の世……まして貴方は武人だ、いつその命を落としても不思議ではない。

それに比べ今の私は貴方に手を差し伸べられ、助けられてばかりだ。
優しくされることは心地よい。
だが庇護されてばかりでは駄目なのだ。
そう、私もまた貴方へ手を差し伸べられるようになりたい。
貴方と並び立ち、戦場に赴きたい。
そして貴方を守れるほどに強くなりたい。
貴方がそれを必要とする程、弱く脆い人間ではないことは理解しているけれど、それでもそれが私の本心であり願いだから。

今の私ではまだまだ貴方には及ばない。
けれど…いずれ私の背が貴方に追いつき、そして越えるその時までには―――必ず。
その時こそ私の想いを伝えよう。





―――貴方を愛しています。






written by y.tatibana 2004.04.14
 


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