100題 - No41 |
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戦へと発つ、その朝。 邸を出ると、子龍が門柱に寄りかかるようにして立っていた。 俺の気配に気付いたのか、子龍は伏せていた顔をゆっくりと上げる。 「見送りに来てくれたのか?」 俺の言葉に子龍は頷いた。 だがその顔色がどことなく悪い。 「どこか具合でも悪いのか?」 「いや…なんでもない…。 それよりも気を付けてな」 誤魔化すように子龍は笑ってみせる。 不審に思いつつも俺は子龍がわざわざこんな早朝に見送りに来てくれた嬉しさに心が躍っていた。 ここしばらく俺は戦の準備で忙しく、全く会う事が叶わなかった。 子龍と顔を合わすこともなく、発たねばならないと思っていたから余計に。 「辺境の盗賊との小競り合いだ。 心配するな」 微笑み、子龍の頬に手を滑らせた。 そのままゆっくりと子龍に顔を近づけると、子龍は俺の意図を察して瞳を閉じる。 俺は子龍の唇に己のそれを重ね合わせる。 珍しいこともあるものだ。 あの子龍が俺の邸まで見送りにやって来て、あまつさえ、こうして素直に口付けを受けてくれるとは。 いつもなら絶対にこうはいかない。 どうしたというのだろう? 天変地異の前触れか!? などと、口付けながらも俺は心の中で呟く。 「一体どうしたというのだ、子龍? 今日のお前はおかしいぞ」 唇を離し、正直に疑問を口にすると、子龍はムッとしたように眉根を寄せた。 いつもの如く、雷が落ちるか!? と身構えたものの、子龍は押し黙ったままだ。 それどころかその険しい表情を解いてしまう。 何かを考え込むように口を噤んでいた子龍が、しばらくしてようやく口を開いた。 「孟起…実は―――」 だがそこで言葉は途切れた。 子龍は溜息を落とし、頭を振る。 「いや…何でもない。 忘れてくれ」 「子龍?」 「引き止めたりして悪かった。 本当に無茶はするなよ」 そう言い残すと、子龍は俺の返事も待たず走りさった。 だが子龍の足元はどこかおぼつかなく、俺の視界から遠ざかっていく子龍は何度もよろめいていた。 それを見て慌て追いかけようとした俺の背に、岱が声を掛けてきた。 「まだこちらにいらしたのですか!?兄上。 もう兵達は整列を終えております。 さぁ早く兵達の元へ」 「えっ!?ちょっと待ってくれ…岱」 「これ以上待てる訳ないでしょう! 行きますよ」 腕を捕らえられ、強引に俺は連行される。 ひ弱そうに見えて、これでなかなかの馬鹿力なのだ、岱は。 槍でなら兎も角も、素手で戦ったら負けるような気もしたりする。 そんな訳で俺は岱に引きずられるように邸をあとにした。 子龍の姿ももう見えない。 俺は子龍の様子が気になりながらも、出立を余儀なくされたのだった―――。 勝利を収め、俺は成都に戻ってきた。 帰るや否やもちろん真っ先に向かったのは子龍の邸だ。 特に別れ際の子龍の様子が気になっていたから。 勝手に扉を開けて入るのが常だったから、俺はいつものように声を掛けることもなく入り口の扉に手を掛けた。 「ん…?」 首を傾げる。 扉を開こうとしても、まったくそれは動かなかった。 よくよく見れば扉に錠が掛けられている。 留守にでもしているのか。 いやそれでも家の者がいる筈だ。 俺は仕方無しに扉を叩く。 「誰かいないのか?」 だが、返る声はない。 じっと神経を研ぎ澄ませてみるが、人の気配は全くしなかった。 ふと庭に目をやれば、雑草がそこかしこから伸びている。 几帳面な子龍らしくない。 いつもきちんと庭は整えられていたのに。 嫌な予感が胸をよぎった。 そんな筈はないと否定しても、それは湧き上がってくる。 あの日の子龍はおかしかった。 妙に素直で優しかった。 そして随分と顔色が悪くはなかったか。 立ち去る時も何度もふらついていた。 子龍はもうこの世にはいないのではないか。 病に冒されていて、自分の死期を悟っていたのではあるまいか。 だからあんなにも素直に俺の口付けを受けてくれた。 あの顔色の悪さとふらつきが何よりの証拠だ。 そして…子龍はあの時何か言いかけていた。 あれはもしや俺に病のことを告げようとしたのではないだろうか。 だが戦に立つ俺に心配をかけましとして―――。 「くそっっっ!!」 俺は扉へと拳を叩きつけた。 後悔の念が押し寄せてくる。 何故あの時無理にでも子龍からそのことを聞き出さなかったのか。 追いかけて問うていれば良かった。 それで何かが変わった訳ではないだろうけれど。 涙が溢れてきた。 今更嘆いた所で仕方がないことだけれど―――嘆かずにはいられなかった。 せめて傍にいてやりたかったと。 最期の時を見届けたかった。 きっと子龍は嫌がるだろう。 自分のそんな姿を見られることを。 しかし例え嫌われようとも最期まで子龍の傍にいたかった。 「子龍ーーーっ!!」 俺は張り裂けんばかりに叫んだ。 「なんだ?」 後ろから聞こえた懐かしい声に、俺の頭は真っ白になる。 しばし思考が停止する。 「まったく恥ずかしい奴だな…。 そんな大声で私の名を呼ぶんじゃない」 呆れたような怒ったような口調。 それはまさしく―――。 呪縛が解けた。 俺は勢いよく振り返る。 腕を組んで、不機嫌そうな表情でそこに立っていたのは紛れもなく子龍だった。 それでも俺は信じられず、問い掛ける。 「お前…どうして…?」 「どうしてって、ここは私の邸だ。 ここにいて何が悪い」 「死んだんじゃ…なかったんだな…?」 すると子龍は哀れむような目で俺を見る。 「何故私が死なねばならん!? お前、戦で身体ではなく頭でもヤラれたのか?」 やれやれとばかりに溜息を吐き、肩を竦める子龍の身体を俺は力の限り抱き締めた。 「うわっ! 何するんだ、いきなり! 離せ、孟起!!」 どうにかして俺を引き剥がそうと子龍はもがく。 そうそう、この反応こそいつもの子龍だ。 さっきとは違う意味で涙が出てきた。 良かった…本当に。 子龍が生きていてくれて。 ―――で、結局の所、コトの真相はこうだ。 「え?何であの時顔色も悪くて、足元もおぼついてなかったのかって? 気付かれていたか…。 あれはだな前の晩飲み過ぎてな。 酷い二日酔いだったんだ…その上お前の見送りに行こうと早起きしたもんだからもう体調最悪だったんだよ。 頭は痛いし、吐きそうだしで、立っているのもやっとの状態だったんだ」 などと、ケロリと子龍は言う。 じゃぁ、何かを言いかけてやめたのは何だったんだ? と聞けば―――。 「実は…南蛮の孟獲殿に骨休めにでも来いと招かれて、殿も丞相もたまにはゆっくり休んで来いと言われたものだからお言葉に甘えさせてもらおうということになった。 で、お前が戦に行った後に長期休暇貰って南蛮に行く予定になっていてな。 だが流石にお前が戦に行くというのに、私が休暇でのんびり羽を伸ばすというのもいくらなんでも気が引けて、お前にずっと言えずにいたんだ。 あの日、やっぱり寝覚めが悪いと思って見送りかたがた言いにいったんだが、やっぱり切り出しにくくてな。」 つまりはその後ろめたさから、妙にしおらしかったってことかよ!? 邸に人の気配がしなかったは南蛮に行っている間邸の人間には暇を出したからで、鍵が掛かっていたのもそのせいか!? それでもって偶然俺が戻ってくるのと同じ日になったと? 「そう」 とこれまたあっさり悪びれもせずに子龍は言ってのけた。 「お前なぁ…」 流石の俺も怒りに拳を振るわせた。 そんな俺を目の前にしても、子龍はカラカラと笑ってみせる。 「まぁそう怒るなよ、孟起。 お陰でのんびり羽を伸ばせて、いい休暇になった。 だいたい勝手に勘違いしたのはお前の方だろうが。 ほら…これで機嫌直せ」 と、差し出されたのは長方形の箱。 南蛮王孟獲の顔が前面に描かれ、箱の端には、 『名物 南蛮饅頭』 と筆で書かれている。 「土産だ。 遠慮せずに食ってくれ」 もうどこから突っ込んでいいのやら、俺はがっくりと肩を落とした。 俺の早とちりとはいえ、全部俺が悪いのだろうか…。 こういう奴だって分かっていた筈なのに、惚れてしまった俺が。 一体どれだけ寿命が縮まったと思ってるんだ!! くそーっ! 覚悟しておけよ、子龍。 今夜は絶対に寝かさん! 俺の鋭気も存分に養わせても貰うからなーーーっ! written by y.tatibana 2004.03.23 |
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