100題 - No40 |
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毎夜毎夜よくも飽きぬものだと思う。 趙雲は杯を傾けながら、卓を挟んで向かい座り、同じように杯を口に運んでいる馬超をちらりと見遣った。 そして小さく溜息をつく。 「どうかしたのか?子龍」 どうやら趙雲の溜息に気付いたらしい馬超が訝しげに尋ねる。 「いや…大したことではないのだが…」 一瞬言い淀んで、趙雲は続ける。 「別に毎日私の元に来ずともよいのだぞ、孟起。 私はあまり話すのが得意な方ではないのだし、大して私と会話していても楽しくはあるまい」 すると馬超はムッと眉根を寄せた。 「迷惑なのか?」 「いや…そうではないが…」 「ならば構わぬではないか。 恋人と会いたいと思うのは当然のことだろう? 別に会話などなくたっていい―――お前と側にいるだけで俺はとても安らぐし、楽しい。 一日の執務を終えたこの時間が俺にとっては何よりの至福だ」 そう言う馬超の表情は確かに昼間に見るそれとは異り、穏やかだ。 他者を圧倒するような鋭い眼差しも、優しい色へと取って代わっている。 趙雲は馬超の言葉を反芻してみる。 もちろん趙雲とて恋人に会いたいと思う気持ちは理解できる。 馬超のことは好きだと思うし、だからこそ身体を重ねるまでの関係になった。 こうして執務の後、食事を共にし、酒を酌み交わすのも嫌いではない。 問題はそれが馬超と関係を持ち始めてからずっと続いているのだということだ。 まだそうなってからそれ程の時間が経った訳ではなかったのだが。 毎日夜を共に過ごすからといって、毎回身体を重ねているのかと言えばそうではない。 受け入れいる側の趙雲の身体のことを慮って、極力無理はさせぬようにと気遣っているのだろう。 ただ食事をし、他愛もない会話をぽつぽつと交わし、馬超が帰っていく日の方が圧倒的に多い。 身体の欲を満たすためにここに来ている訳ではないことは分かる。 ならば毎日ここに来る必要などないように思えてならない。 こうやって平凡に時を過ごすだけだというのによくも飽きぬものだと。 たまには一人で過ごしたい思う日もないのだろうか。 少なくとも趙雲は馬超のように毎日会いたいとは思っていなかった。 酒も食事も美味いのだと馬超はことあるごとに言うのだが、別段特別な酒でもなければ、料理もごくありふれたものだ。 全くもって趙雲には馬超の言動が不可解だった。 そんなある日、城内で趙雲は馬超に呼び止められた。 「張飛殿に飲まぬかと誘われた。 あの御仁が相手だし、今夜はお前の邸には行けそうもない」 残念そうな馬超に対し、 「そうか、分かった。 別に私にいちいち断る必要なないのだぞ。 私のことは気にするな」 と、至極あっさり趙雲は答える。 こんなことを言えば馬超は間違いなく機嫌を損ねるだろうが、趙雲の心は内心浮ついていた。 久々にゆっくりと過ごせる一人だけの時間。 元来趙雲は一人でいることが好きな性質だ。 だからこそ今まで妻も娶らず、邸にも最低限の者しか置かずに過ごしてきたのだ。 そんな趙雲でも馬超は気を張らず付き合うことのできる唯一の存在になった。 だから馬超と共に過ごす時間が決して息苦しい訳ではないのだが―――。 それでも偶には馬超のことを忘れ一人だけの時を楽しんだとて罰はあたるまい。 陽が落ち、趙雲は邸へと戻る。 湯浴みを済まし、食事の準備が調えられた卓の前に座った。 趙雲以外には誰もいない広い部屋。 箸を手にした時に鳴った僅かな音が、妙に大きく室内に響いた。 ―――こんなにもここは広くて静かだったのか……。 ふと胸を過ぎる寂寥感。 馬超と関係を持つ前は確かにこの静寂の中で毎日を過ごしてきたというのに。 馬超が訪ねてくるようになってからも、会話がそれ程弾むということもない。 お互い口数が多い方ではない。 だが二人で過ごすあの静けさは、趙雲にとって心地良かった。 それを特別だと別段感じたことなどなかったのだが…。 釈然としないまま、用意された食事に箸を伸ばし、口に運ぶ。 そうして趙雲は小首を傾げる。 いつも食す夕餉はこんな味だったかと。 酒を飲んでみても同様だった。 いつもと同じはずなのに、感じる違和感に趙雲は眉を顰める。 食物も酒も特別美味いと思ったことはなかったが、決して不味くはなかった。 それなのに今はそのどちらもがいまいちに思えてならない。 ふと―――馬超の常日頃言っていた言葉が甦る。 ここは食事も酒も格別に美味いと。 とても嬉しそうに。 ようやく趙雲にもその言葉の意味するところが分かった。 けれどそれを認めてしまうのは、低くはない趙雲の自尊心が邪魔をした。 「違う…断じて私は…違うぞ」 唸るように低く呟きを漏らして、趙雲はかぶりを振り立ち上がる。 そのまま寝所に向かった趙雲は文机の前に腰を下ろす。 そうして諸葛亮から借りたままになっている兵法書を紐解く。 馬超が連日訪ねてくるものだから、なかなか読む時間が取れずにいたのだ。 馬超からは、 「俺のことには構わず、お前のしたようにすれば良い。 俺はお前の傍らで酒でも飲んでいられればそれでいい」 のだといつも言われてはいたのだが、そんな落ち着かぬことは出来ないと趙雲が馬超の言に従うことはなかった。 しかし実際一人になって読み始めてみれば―――。 目は文字を追うのに、どういうことか一向に内容が頭に入ってこないのだ。 馬超といる時よりも余程落ち着かない自分に、趙雲は驚愕しつつもやはりそれを否定する。 「えぇーいっ!!」 忌々しげに己の髪を掻き回し、趙雲は寝台へと歩み寄る。 もう眠ってしまおう。 明日になればこんな気持ちなど跡形もなく消え失せるはずだと。 灯を消し、寝台に身体を横たえる。 冷たい寝台の感触に無意識に一度身体が震えた。 そんなものを今まで感じたことはなかったのに―――。 目を閉じるが、眠りは一向におとずれない。 溜息を落とし、目を開けても、室内は闇と静けさに包まれていて寒々しさをより一層深める。 この空間が自分にとって最も安らぐものだったはずなのに、いつの間にこんなにも落ち着かないものになってしまっていたのだろうか。 いい加減認めねばなるまい。 馬超がいないだけで何もかもが味気ない…色を失ってしまったようだと。 そしてそのことに寂しさを感じている自分を。 一人で過ごす時間より、馬超と共にいる時間の方が安らぎと安心を抱くようになっている。 二人でいるから、ありふれた食事でも酒でも常以上に美味く感じるのだ。 そんな時間を過ごした後は心が満たされているから、身に寒さを感じることもないく良く眠れる。 どれもこれもすっかり日常に溶け込んでいて、全く意識していなかった。 趙雲は身を起こし苦笑する。 いつの間にか、頭で理解しているよりもずっと、心は馬孟起という男に満たされていたのだと、今更ながらにそれを思い知らされる。 ―――もう…孟起は邸に戻っている頃だろうか。 無性に会いたくなった。 その感情に突き動かされるように、趙雲は自邸を出た。 馬超の邸へと続く道を歩き出す。 突然訪ねて行って、馬超はどう反応するだろう。 驚くか。 呆れるか。 笑うか。 そんなことを考えつつも、馬超の元へ向かう足は止まらない。 ふと、暗い夜道の先から人の気配を感じた。 趙雲の方へ向かってくる。 やがて、互いの距離は縮まっていき、出会った。 「子龍!?」 「孟起!?」 声が重なり、顔を見合す。 暫く驚きで沈黙した後、どちらからもなく笑い出す。 「今、お前の邸に行こうと思ってたんだ。 昼間ああは言ったけど、どうしても会いたくなって―――」 馬超がそう言えば、 「私もお前の邸に向かっていたんだ。 自分の邸にいても酷く味気なくてな…お前の顔を見たくなった」 そう趙雲も今は素直に己の気持ちを口にした。 馬超は微笑んで、空を仰ぐ。 「今宵は月が綺麗だな…。 こんな夜はのんびり月を見ながら歩くのも良いかもしれぬな」 「あぁ」 そうして月明かりに照らされた道を二人は共に歩き始めた―――。 written by y.tatibana 2004.03.13 |
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