100題 - No37 |
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次の戦で敵を陽動する為、囮となるべく任じられたのは趙雲だった。 その命を下したのは丞相諸葛亮。 その声音にも表情にもどんな感情の色も浮かんでいない。 対する趙雲もまた同様に。 「御意」 ただ短く答え、拱手しただけであった。 丞相と五虎大将。 いつ如何なる時も淡々と自らの務めを果たす二人の間にそれ以上の関係があることなど誰が想像できようか。 ただ一人―――今も眉根を寄せて不機嫌さを隠そうともしない―――馬超を除いては。 軍議が終わり、皆各々に席を立ち退出していく。 そんな中趙雲の背に声が掛けられる。 すると趙雲は困ったように大きく溜息を吐く。 まるで呼び止められることが分かっていたように。 振り向くと、そこには険しい表情の馬超が趙雲を見据え立っていた。 「どうした?孟起」 聞いてはみたものの返ってくる答えを趙雲をあらかじめ予測していた。 「何故お前はそうも平気な顔をしていられる? 今度の作戦が如何に危険であるかお前ならば分かっているだろう? 命を落すやもしれぬのだぞ」 やはり思った通りのことを馬超は尋ねてくる。 「孟起…私は武人であり、一軍を預る将だ。 死など恐れてはいないよ」 諭すように言う趙雲に、馬超は大きくかぶりを振る。 「俺はそういうことを言っているんじゃない! お前と丞相は特別な関係だろう!? 何故二人して平然としていられる? 顔色一つ変えず命じる丞相も丞相だが、同じようにそれを受けるお前もお前だ!」 馬超は怒鳴るが、趙雲は激昂することもなくただ苦笑する。 「―――私情に流されていては、国は成り立つまいよ…孟起」 どこまでも静かな趙雲に対し、馬超は憮然とした表情を崩さない。 苛立たしげに舌打ちする。 「理屈じゃないだろう!?こういうことは。 深い関係にある人間にあんな風に冷静に命じられて、本当にお前は何とも思わないのか?」 馬超の言わんとしていることは理解しているつもりだ。 彼が友として懸命に自分のことを気遣ってくれていることも。 けれど趙雲は小さく笑って、頷いた。 「それがあの人の務めであり、国の為に身命を尽くすのが私の役目だ。 ―――それに例え私が命を落そうとも、あの人は悲しんだりはせぬさ。 この国の為散るのならば、喜んでくれるはずだ」 「それが逆の立場だったとしても、お前は同じことが言えるのか?子龍。 丞相が国の為に死んだとしたら、お前はそれを喜べるのか? 悲しいとは思わないのか?」 「それは……」 言い澱んだ趙雲の瞳に明らかな戸惑いの色が浮かぶ。 だがそれを隠すように趙雲は眼差しを伏せる。 そして再び馬超に向けられた瞳からはもうそれはすっかり消えていた。 「仮定の話などしても仕方のないことだよ。 準備もあることだし、私はそろそろ行かせてもらう」 まだ何か言いたげな馬超を遮って、趙雲は踵を返し部屋から出た。 出逢ってから一線を越えるまで、そう時間は掛からなかった。 どちらかが想いを告げたというようなはっきりしたものはない。 始まりは何とも曖昧だった。 身体を重ねるようになっても、互いの態度が変わることもなく短くはない時を過ごしてきた。 だから周囲の誰もが自分達の関係に気付くことはなかっただろう。 ただ馬超だけは、彼の卓越した直感とでも言おうか―――自分達二人の間に漂う僅かな空気の違いのようなものを敏感に感じ取ったのだろう。 彼が降って間もなく気付かれてしまったのだが。 思えば甘い睦言を囁き合ったこともない。 そんな何とも淡々とした曖昧な関係だったが、それでも趙雲にとって諸葛亮は特別な存在だ。 それは揺るぎのない真実。 あの時、馬超から投げ掛けられた問い。 彼が死んだら悲しくないのか?と。 答えず逃げるようにして立ち去ったが、もちろん悲しいに決まっている。 そんな事を考えただけでも恐ろしさに身震いする。 例えそれが国の為であったとしても、彼が命を落すことを喜んで許容できるはずもない。 だが彼のほうは果たしてどうなのだろう? それを考えた時、趙雲の辿り着く答えは一つだった。 自分が想う程に彼は自分のことを想ってくれている訳ではあるまいと。 ただ今の関係を解消する理由が別段ないだけで、もし自分が終わりにしようと告げれば彼はあっさり頷くだろう。 彼にとって自分の代わりなどいくらでもいるだろうし、身体の欲を満たすためならばそれこそ対して抱き心地も良くない男の自分などより相応しい人間もいよう。 だから馬超に言った通り、自分が死ぬことになっても彼が悲しむようなことはないだろうという確信がある。 それに満足しているか、虚しいと思ったことはないのかと問われれば、その答えはまた自ずと導き出される。 けれど今更彼にそれを求めることなど愚かしい。 ―――最後はいつも自分に言い聞かせるように趙雲は心の中でそう呟くのだった。 それから数日が過ぎ、出陣を前日に控えた夜。 趙雲は諸葛亮の邸に招かれた。 明日の出陣の件で何かあるのだろうと趙雲が赴くと、やはり諸葛亮はそのことについて確認したいことや申し伝えたいことがあるのだと言う。 そうやって戦の前に話し合うことは間々あった。 いつもの様に感情を挟まぬ、事務的な会話を交わし、 「では、明日からよろしくお願いします」 そう諸葛亮に言われたのを合図に、趙雲は席を立った。 諸葛亮の机の上に積み上げられた書簡の山からも見て取れるように、彼の忙しさは相変らず半端なものではないのだろう。 「それでは失礼します」 一礼し、部屋を出ようとした趙雲だったが、その動きが封じられる。 諸葛亮が後ろから趙雲を強い力で抱き締めてきたのだ。 「軍師…殿…?」 趙雲の戸惑いと驚きを表すかのようにその声は掠れていた。 それに気付いているのかいないのか、諸葛亮は背後から趙雲の首筋や項へと口付けを落としていく。 彼らしくないその行為に趙雲の戸惑いは増すばかりばかりだった。 趙雲は明日に出陣を控え、そして諸葛亮自身も執務に追われている状況で、彼が自分を求めてくるとは思ってもみなかったのだ。 諸葛亮とて人間だ。 元来二人とも淡白な方ではあったが、もちろん性欲がない訳ではない。 偶々それが今どうにも押さえきれなくなったのか。 だから丁度居合わせた自分を求めているのだろうか。 混乱する頭のまま、趙雲が肩越しに振り返れば、肩口に唇を落す諸葛亮と目が合った。 今まで趙雲が見たことのないような随分と熱を帯びた眼差しだった。 「私は貴方だから抱きたいと思うのですよ。 他の誰でも良いという訳では決してない」 趙雲の心の内を読み取ったかのような言葉。 「馬超殿に問われました。 貴方が命を落としても平気なのかと。 私が何と答えたかお分かりでしょう?」 しかし趙雲が答えあぐねていると、諸葛亮は悲しげな笑みを浮かべる。 「平気な訳がないではありませんか! 貴方は彼に自分が命を落としても私が悲しんだりしないと言ったそうですね。 そのようなことある筈がないでしょう!? 貴方を失ったらきっと私は狂ってしまう」 「軍師殿…」 「どうやら貴方は私が貴方のことを別段何とも想っていないと―――ただ惰性で関係を続けているだけとお思いのようですね。 馬超殿から話を聞いて愕然としました。 これだけ長い時を過ごしながら、何も伝わってはいなかったのかと。 ですが……考えれば当たり前のことですね。 私は貴方に何も告げたりはしてこなかった。 言葉にはしなくとも当然貴方への想いは伝わっているものだと思い込んでいた私の失態です」 趙雲の腰に廻された諸葛亮の腕に更に力が込められる。 混乱はようやくおさまっていた。 趙雲はそっとその手に自分の手を重ね合わせる。 「それは…私も同じことです。 私もまた―――貴方へ伝えるべき気持ちを口にはしなかった」 溜息混じりに諸葛亮は、苦々しげに唇を歪めた。 「私達は二人共、不器用過ぎましたね。 馬超殿に諭されました。 失ってから大切さに気付いても遅いのだと。 貴方が戦へと赴く時は本当は心配で心が押しつぶされそうでした…命じたのは私自身であるにも関わらず。 けれど立場上それを覆い隠して、冷静な振りをしていました。 それに―――貴方程の武将が命を落すことなどありえないと、根拠もなく高を括っていました。 戦では予想もしないことが起こることは私も良く分かっていたはずなのに……。 本心では貴方を明日行かせたくはないのです―――このままここに閉じ込めておきたい」 捕らえられていた諸葛亮の手をゆっくりと外し、趙雲は身体ごと振り返る。 顔を見合し、啄む様に何度も口付けた。 そうして趙雲の耳元に諸葛亮は唇を寄せ、囁きかけた。 ずっと伝わっていると思い込み言葉にはしなかったそれを。 「貴方を心から愛しています、子龍。 必ず生きて―――私の元に帰って来て下さい」 趙雲もまた強く頷きを返す。 「はい、必ず…。 私も孔明―――貴方のことが誰より大切ですから…生きてまた貴方に会いたい。 こうして抱き合いたい」 絡めあう指も。 重ねる唇も。 触れ合う部分が余すことなくこれまで感じたことがない程に熱い。 二つの身体が一つに融けていくような感覚に、二人は身を任せ、そして夜は更けていく―――。 夜明け前、諸葛亮が目を覚ますと、もう隣に趙雲の姿はなかった。 けれど寝台の傍らに置かれたものを目にして、諸葛亮は愛しげに双眸を細めた。 手を伸ばしそっとそれを取る。 それは趙雲がいつも付けている小さな耳飾。 その片方だけがそこに残されていたのだ。 それを受け取る為に必ず戻ってくる―――その趙雲の想いが込められているのだと諸葛亮は直ぐに悟った。 旗をはためかせ出陣してく大軍を、諸葛亮は城の上から見送った。 その中に白い戦袍に身を包んだ趙雲もいた。 馬を進めながら趙雲は一度後方の城を振り返る。 そこに諸葛亮の姿を認め、僅かに微笑むと、また直ぐに前方へと視線を移す。 遠くなっていく趙雲の姿を見つめる諸葛亮に、風が吹きつけ髪を揺らした。 髪と共にその耳元で揺れていたのは、小さな耳飾だった―――。 written by y.tatibana 2004.02.07 |
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