100題 - No36
注:この小説はアンケート小説「嘘」から続いています。
ダーク系なので、苦手な方にはお薦め出来ません!

身を尽しても
貴方が本当は誰のことを想っているのか―――
もう随分と前から……貴方と深い関係になる以前から気付いていた。
そうして今でもずっとその人物のことを貴方は一心に想い、求めている。

貴方にいくら心を込めて愛を囁いても。
どれだけ深く愛撫を施し貴方を抱いても。
そう―――どんなにこの身を尽くそうとも。

そこに真実の貴方はいない。

胸を焼くような痛みと、嫉妬に苛まれても、それでも貴方から離れることが出来ないのは何故なのか。
どこを探してもそこに明確な答えなど見当たらない。
ただあるものは―――
貴方を求めて止まないこの想いのみ。





長きに渡った戦を終え、馬超は成都へと無事に帰還を果たした。
馬岱に戦後の雑事と率いる兵達を任せ、一人予定よりも数日早く戻ってきたのだ。
劉備への報告の後、真っ先に向かったのは趙雲の邸であった。
本来ならばまだ城にいるべき時間だが、今日は早々に邸に戻ったのだという。
趙雲に一刻も早く会いたいと、帰路を急いだといっても過言ではない。
それは純粋に趙雲に会いたいという想いと、そして何より気掛かりなことがあったからだ。

その通いなれたその道すがら、馬超は魏延と出くわした。
そう彼こそ、その気掛かりの原因だった。
それに気付いているのかいないのか、魏延はいつものように不敵な笑みを刻んで、目の前に立つ馬超を見遣る。
「よう、孟起。
随分と早いお戻りだな…こちらに着くのは数日後だと聞いていたんだが」
とは言うものの、魏延が驚いた様子は一向に感じ取れない。
彼が感情を露にするところなど馬超は今まで見たことがなかった。

馬超もまた小さく笑う。
極めて自然を装って。
「後のことは岱に任せて、一足先に戻ってきたんだ。
どうにも戦以外のことは苦手でな」
「先の戦いでも大した働きだったと聞き及んでいるぞ。
流石は錦馬超殿だな」
「そのように大袈裟に言われる程のことではないさ、文長。
―――そう言えばお前の隊の人間が探していたぞ。
黄忠殿の隊と合同演習の時間が迫っているのにと随分焦っていた」

すると魏延はやれやれと肩を竦めてみせた。
「丁度今から戻ろうと思っていたところだ。
せっかちな奴を部下に持つと堪ったものではないな」
「で、城を抜け出して、お前はどこに行っていたんだ?」
馬超の声が微かに冷たさを帯び、低くなる。

視線を魏延の歩いてきた道の先へとすっと移す。
そこを暫く歩けば、馬超の目指す場所があるのだ。
そう―――趙雲の邸が。

だが魏延はその馬超の変化にも、表情を少しも崩さない。
「少し息抜きにぶらぶらと歩いていただけだ。
俺のことよりも早く子龍の所へ行ってやれ。
お前のことを随分と心配していたぞ。
あの子龍にそこまで愛されている気分はどうだ?孟起」
「よせ…からかうなよ、文長」
俯いた馬超を見つめ、魏延はククッと喉の奥で笑うと、
「悪い悪い。
またゆっくり酒でも飲もう。
ではな」
馬超の肩を軽く叩き、魏延は彼の脇を通り過ぎ、城への道を歩いて行った。

そして俯いたままの馬超。
その表情は魏延にからかわれ羞恥に顔を染めていた訳では決してない。
きつく眉根を寄せ、苦痛に耐えるように歯を食いしばっていた。

魏延が馬超の脇を通り過ぎた時、鼻腔に届いたほんの僅かな残り香。
それは魏延のものではなく、馬超が良く知る彼の人の香り。

胸がキリキリと締め付けられるように痛んだ。
けれどややして馬超は歩き出す。
魏延が歩いてきたその道の先を目指して。
行けば今よりも苦しむことになるのは分かっていた。
それでも会わずにはいられないのだった。





蜀に降り、一目見た時から貴方に心奪われた。
しかし貴方を目で追ううち、貴方の視線の先には常にあの男の姿があることに気付いた。
そしてあの男がまた貴方とは違う別の人間を想っているということも。

それでも貴方に想いを告げた。
まさか受け入れてもらえるとは思ってもみなかった。
夢のようだった。

―――否。

やはり夢だったのだ。
貴方はただあの男への叶わぬ想いから逃れる為に、この気持ちを受け入れてくれたに過ぎない。
それでも決して忘れることはできなかったのだろう。
貴方の視線は変わらずあの男を追っていたから。
手に入れたと思った貴方はただの抜け殻でしかなかった。

そして……。
貴方があの男と身体を重ねていることも知っていて、何も知らない振りをしている。
本気であの男を求めればおそらく手に入れるどころか、あの男はますます遠い所に去っていくだろう。
ならばせめて身体だけでもと貴方が考えているだろうことも全て―――貴方のことなら手に取るように分かる。
あの男に抱かれる為に、貴方には贄が必要だった。
決して本心をあの男に本心を悟られぬ為に。
だから貴方は本当は何とも想ってはいないその贄を愛している振りをするのだ―――





寝所の扉を開けると、その部屋の主である趙雲が窓辺に寄り、濡れた髪を乾かしていた。
入ってきた馬超の姿を見つめて、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに趙雲はゆったりと微笑んだ。
「予定より早かったのだな、孟起。
無事に何よりだ。
お前が帰ってくるのが待ち遠しかった」
「俺も貴方に早く会いたかった」
優しく微笑み返して、馬超は趙雲の方へとゆっくり歩を進めていく。

―――こんな時間に湯浴みをしたのか?」
尋ねる馬超の口調は穏やかだ。
だが細められたその双眸には、ひどく冷たい光が宿っていた。
しかし趙雲がそれに怯んだ様子はない。
微笑を湛えたまま頷いた。
「少し……汗をかいてな」
「…そうか」
馬超はもうそのことに触れようとはしなかった。

聞いてもそれ以上を趙雲が語るとは思えなかったし、何より聞かずとも趙雲が何をしていたかなど分かりきったことだ。
馬超は趙雲の濡れた髪を一房手にとり、それを弄ぶ。
頃合を見て、馬超は趙雲を引き寄せ抱き締めた。
趙雲もまた素直に馬超の背へと腕を廻してくる。

ここに確かに感じる温もりがあるのに。
だがやはりこれは心は別の所にあるただの人形に過ぎないのだ。
それでも心の内から湧き上がって来る欲望は止められなかった。

馬超は趙雲の身体を寝台へと組み敷いた。
唇を重ねれば、それが合図だったように趙雲は目を閉じた。

いつも趙雲は馬超に抱かれる時、瞳を閉ざす。
まるで馬超の存在をそこから消し去るかのように。
行為の間中、甘く艶やかな吐息を漏らすのに、その瞳は閉ざされたまま、決して開かない。
一体誰のことを想い、そして誰と馬超の身体を重ね合わせ、抱かれているのか。

―――それもまた愚問だ。

「子龍、目を開けろ」
馬超の声に、それまで夢中で快楽を貪っていた趙雲の表情が、苦悶のそれへと取って替わる。
「目を開けてくれ」
再度馬超が促すと、趙雲はようやくゆっくりとそれに従った。

美しい漆黒の瞳。
だが明らかにそこには狂気の色が宿っていた。
趙雲自身の心の状態をそのまま映し出しているかのようだ。


「今、貴方を抱いているのは誰だ?」
「……」
苦しげな表情のまま趙雲はかぶりを振り答えない。
「では―――貴方が心の中で呼んでいる名は何だ?」
結局趙雲の口からその答えが返ることはなかった。
ただただ趙雲は苦しそうだった。

馬超はそれに耐え切れず、仰向けていた趙雲の身体をうつ伏せ、その背へ口付けを落としていく。
趙雲もまたホッと息と吐くと、その狂気の瞳を再び閉ざし、先程までの甘い表情へ戻る。

そして。
「愛してる、子龍」
馬超が何度も囁きかければ、
「私も愛している」
趙雲もまたそう答える。

ただその瞳は変わらず硬く閉ざされたままに。
込み上げてくる乾いた嗤いを口元に刻み、馬超の唇が言葉を紡ぐべく動いた。

―――うそつき。

と。
それは決して音にはならず、瞳を閉ざしたままの趙雲には伝わらなかったけれど。





それでも貴方を手放せない。
いつの日か貴方を心ごと抱くことを諦めきれないのだ。
それを知れば愚かだと貴方は嘲笑うだろうか。
けれどもう動けなくなっている。
触れる度、貴方という存在に魅入られ、縛られて―――心が埋め尽くされていく。

貴方の心があの男への想いに罅割れ壊れるのが早いのか。
それとも貴方を想うこの心が、砕け散るのが早いのか。
予想もつかない。





だから今はただ―――何も考えず快楽に身を委ねるのだ。






written by y.tatibana 2004.01.24
 


back