100題 - No33

ささやき
修練場で槍を振るう趙雲の背後で、腕を組んだ馬超は木に背を凭せ掛け、その様子をじっと見入っていた。
「なぁ…子龍」
馬超がその名を呼んでも、趙雲はそれに答える素振りは見せず、前方を向いたまま槍を構える。
「子龍」
再度呼びかけると、ようやく趙雲は肩越しに視線だけを馬超に投げて寄越した。
馬超の趙雲を見つめる瞳は熱を帯びていて真剣だ。

「お前さ……俺のこと好き?」
流石の趙雲も思わず手にした槍を落しかける。
眉根を寄せ、深い溜息を吐く。

―――真顔で何を言うのかと思えば……。

趙雲は馬鹿馬鹿しいと言うが如く、無言で馬超を一瞥すると、再び彼に背を向け槍を揮い始めた。
それにもめげた様子もなく、馬超は更に問う。
「俺はお前のことが好きだ。
どうしようもないくらいに愛しくて、堪らない。
お前はどうなんだ?」
どうやら趙雲は馬超を徹底的に無視しようと決め込んだらしく、口を真一文字に結んで馬超の存在をそこから消し去ろうとする。

すると今度は馬超が実力行使に出た。
突然後ろから趙雲を強い力で抱き締めた。
「何をする!?」
趙雲は其処から逃れようともがくが、馬超の腕はぴくりとも動かない。
「こうやって腕の中にお前がいても不安になることがある。
お前は―――俺のことをどう思っているのだろうと。
ただ俺に流されるまま、抱かれているだけじゃないのか…本心では俺のことなど何とも思っていないのではないのか?
―――そう思うことが間々あるんだ。
一度で良いからお前の口から本心を聞いてみたい」

馬超は趙雲の耳元に唇を寄せ、熱っぽく囁きかける。
「好きだ、子龍」
趙雲の背筋にぞくりとした甘い痺れが走り、頬には反射的に朱がさした。

しかしそれを気取られまいと、趙雲は俯き、馬超の腕から逃れようとする。
「いい加減にしろ!
時と場所をわきまえろ!
このようないつ人が来るかも知れぬような所で…まだ陽も高いというのに」
「昼だろうが、夜だろうが…城でも邸であっても、お前は何も言ってくれぬではないか!?」
「煩い!離せ!
人が来たらどうする…!?」
高鳴る心臓の音が馬超の耳に届かぬよう大声で叫ぶ。

趙雲は頑なで、どうあっても馬超の望む本心を口にしてくれそうにはなかった。
溜息と同時に、馬超はしぶしぶ趙雲を解放した。
趙雲は赤くなった顔と、激しい鼓動を知られまいと、そのまま馬超を振り返ることもなく、あっという間に走り去ってしまった―――





午後になって、もうすっかり平常心を取り戻していた趙雲は、諸葛亮への書簡を届けるため、丞相府に向かい回廊を歩いていた。
改めて修練場での一件を思い返してみると、あれしきのことで取り乱してしまった自分が情けなくもあり、またあのような暴挙に及んだ馬超にも腹が立った。



劉備の大義の為、武人として一心に生きてきた趙雲は色事には疎かった。
馬超と深い関係になった今でもそれは余り変わっていない。
逆に馬超は妻帯していたこともあるし、随分と慣れている。
気持ちを隠したりすることもなく、いつも趙雲へその想いを真っ直ぐにぶつけてくる。
抱かれている時よりも、耳元で「好きだ」と囁かれる方が馬超の想いが直接伝わってくるようで、趙雲にとってはより羞恥を感じる。

確かに趙雲はそう言った言葉を口にしたことはない。
けれど馬超が言うように彼の想いに流されて関係を結んだのでは決してなかった。
そんなもので男に抱かれてやる程、優しくも甘くもない。
ただどうにも羞恥が先立ってしまい、言えないのだ。



―――あいつは恥ずかしくはないのだろうか?

いつもいつも「好きだ」といとも容易く口にするのを聞いていると、深い意味もなく誰に対しても同じように言っているのではないかと思ってしまう。
馬超に想いを寄せている異性は多くいるらしい。
馬超と趙雲の関係を知らない馬岱が何かの折に、趙雲に教えてくれた。
あれだけの容貌と武の持ち主だ。
何らおかしいことではあるまい…と趙雲は別段驚きもしなかった。

言い寄って来る女達とも関係を持っているのだろうと、根拠はなかったが漠然とそう考えていた。
男の……しかも房事に長けているとは世辞でも言えない自分だけで満足できるとは到底思えなかったから。
それに嫉妬を感じる程、自分は子供じみてはいない。
そういう女達にも馬超は恐らく「好きだ」と囁いているのだろう。



そんなことを考えて歩いていたら、丁度前方に一目で馬超と分かる金の髪が目に入った。
先程のこともあり、足早に通り過ぎようかと思えば、馬超に向き合うように美しい女官が一人立っているのに気付いて足を止めた。
「ずっとお慕い申しておりました」
女官の真摯な眼差しは馬超へと向けられていて、趙雲に気付いた様子はない。

なんという場面に出くわしてしまったのか…趙雲はその場で動けなくなってしまった。
女官の告白に対して、馬超の表情は随分と冷めていた。
趙雲からは馬超の横顔が見て取れたが、そんな冷酷ともいえる様な馬超の表情を趙雲は今まで見たことがなかった。
そんな馬超の様子から、女官は全てを悟ったのだろう。
涙を止め処なく流しながら、女官は馬超に体を寄せた。
「…嘘でも構いません。
どうか一度だけ私のことを好きだと仰って下さい。
それで私は諦らめられます…どうか……」

だが馬超は女官の体を乱暴に引き離し、
「断る」
と、表情と違わぬ冷たさで短くそう言い捨てた。

女官は泣きながらその場を去り、馬超は視線を巡らし、趙雲を捕らえた。
「気付いていたのか…」
「途中からな」
馬超は僅かな笑みを浮かべて、趙雲の方へと進んでくる。
もうそこに先程の冷たさは欠片もなく、いつもの趙雲を見つめる優しい瞳があるだけだ。
―――言ってやれば良かったのに。
毎日私にさえ言ってる言葉ではないか……可哀相に随分と泣いていた」
言い慣れているであろうあの言葉を何故ああも無下に断ったのか、趙雲は心底不思議だった。

だが馬超は呆れた様子で、肩を竦めてみせた。
「お前は本当に鈍いというか…何も分かってないな。
俺が誰にでも“好きだ”なんて言葉を囁いていると思うなよ。
子龍にだから言うんだ―――お前にしか言わない」
馬超は素早く趙雲を引き寄せ、また耳元に囁きかける。
「好きだ」

それだけで、趙雲はやはり過敏に反応してしまう。
ドクンと高鳴る心音。
どんっと馬超を突き飛ばすと、慌てて趙雲は踵を返す。
馬超はククッと喉の奥で笑いながら、その背に向かって声を飛ばす。
「今夜はお前の邸に行くからな!」
返事は当然なく、修練場の時と同じように趙雲はまたたく間に馬超の視界から消え去ってしまった。






湯浴みを終え、趙雲が寝所に入ると、既に先客がいた。
どうやら趙雲が湯浴みに行ったのと入れ違いでやって来たらしい。
寝台にだらしなく横たわって、待ちくだびれたのか馬超は眠っていた。
規則正しい寝息が耳に届く。

枕元に腰掛け、趙雲は馬超の髪をそっと梳いた。
さらさらと金の髪が手の間から滑り落ちる。
こうやって眠っている顔を見ると、無邪気で無防備で、ふと自分よりも年下だったのだと気付かされる。

―――かわいいものだ。

趙雲は小さく笑みを漏らし、髪を好きながら暫くその寝顔を見つめてた。
そこではたと思い立った。

―――そうだ今ならば言えるかもしれない。
眠っている今ならば……。

馬超が聞きたいと望んだ自分の本心を。
趙雲はいつも馬超がするようにゆっくりと耳元に唇を寄せる。
そうして…そっと囁く。

「好きだ…孟起」

それは彼が自分にだけしか言わないと囁いたのと同じ言葉。
ようやく言えた本心。

そして体を離そうとした次の瞬間。
強い力に腕を引かれ、趙雲はあっという間に寝台に組み敷かれていた。
呆然と見上げる趙雲の眼差しの先にいるのは、とても嬉しそうな表情の馬超。
「ありがとう、子龍」
途端に趙雲はカッと全身が火照るのを感じた。
「お…お前…眠ってなどいなかったのだな!?」
「本当に寝てたさ。
全身胆とか言われてる子龍が、それこそありったけの勇気を振り絞って一世一代の告白をしてくれるまでは…さ」
「し…知らぬ!
私は何も言ってはおらん!
夢でも見たのではないか?」
趙雲はふいっと馬超から視線を逸らすが、そのあからさまな態度が墓穴を掘っているのだということに今の趙雲は気付く余裕もなかった。

意地っ張りで…けれどとても純粋な愛しい人。
さて……どうやって機嫌を直してもらおうか。

趙雲が囁いてくれたあの言葉。
心が嬉しさで満たされた馬超は、どうしても緩んでしまう口元を引き締めようと努力しつつ、ゆっくりと趙雲に口付けを落すのだった―――






written by y.tatibana 2004.01.03
 


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