100題 - No23 注:死ネタ注意! |
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最初にそれを感じたのは魏との戦を前にして開かれた軍議だった。 馬超は真向かいに座る趙雲が一瞬見せた表情に違和感を抱く。 微かに眉間に皺を寄せ、まるで何かに耐えているかのような……だがそれはすぐにいつも通りの表情に覆い隠された。 恐らく馬超以外の誰も気付いてはいまい…ほんの僅かな変化。 「子龍…どこか具合でも悪いのか?」 軍議が終るとすぐ馬超は趙雲を呼び止めた。 しかし対する趙雲はきょとんと目を瞠り、首を振る。 「別に…何ともないが…。 いきなりどうしたというのだ?可笑しな奴だな」 苦笑する趙雲にやはり変わったところはどこにもない。 どうやら気のせいだったらしい。 「行くぞ」 部屋を出て行く趙雲の後ろに、馬超は胸を撫で下ろしつつ続いた。 そのまま互いに出陣の準備の為、ゆっくりと二人で過ごす間もなく日々は過ぎていった―――。 はっきりと趙雲の様子がおかしいと確信したのは、出陣をいよいよ明日に控えた日。 修練場の片隅で、人目を憚るように蹲っている趙雲を見つけた時だった。 慌てて駆け寄ると、趙雲は自分の胸を鷲掴かんできつく目を閉じていた。 「子龍!!どうした!?」 馬超の声に反応して趙雲は薄っすらと目を開け馬超を見遣ったが、その瞳はどこか虚ろだった。 「…大丈夫だ、そう騒ぎ立てるな。 鍛錬に熱が入りすぎて…疲れただけだ―――。 明日に出陣を控えていて少々気も昂ぶっているのかもしれん」 ゆっくりと趙雲は立ち上がるが、フラフラとして何とも頼りないのを馬超が支えた。 その身体が酷く熱いことに馬超は気付いた。 「お前…熱が…」 「大したことはない。 ここしばらく明日の準備で忙しくしていたからな―――そのせいだ」 「だが…」 言い募ろうとした馬超の言葉を趙雲は遮った。 「本当にもう何ともない。 念の為私は屋敷に戻って休む事にする。 お前も明日に備えて早く休んだ方がいいぞ」 今度はしっかりとした足取りで歩き出した趙雲の背はもうどんな言葉も拒絶しているようで―――。 馬超はそれ以上何も言えなかった。 胸にざわざわとした言い知れぬ不安が押し寄せてくる。 「まさか……な」 呟いてそれを振り払おうとしても、やはり湧き上がってくるその感情を馬超は無理矢理押し込める。 ―――そんな筈はない、そんな筈は……。 何度も自分に言い聞かせ、馬超は動く事も出来ず、しばらくその場所に佇んでいた。 戦場での趙雲はいつも通りの鬼神のような働きぶりで、馬超は心底安堵した。 出陣の前日のあの趙雲はやはりただ疲れが溜まっていただけなのだろう…と。 感じたあの不安もただの取り越し苦労だったようだ。 そして戦は蜀軍の勝利で終わりを告げた。 勝利の杯を酌み交わそうと、馬超は趙雲の陣幕に向かった。 だが求める人物はそこにはおらず、兵の一人に尋ねればまだ戻って来ていないのだという。 それを聞いてまたあの漠然とした嫌な予感が襲ってくる。 馬超は馬を走らせた。 多くの兵が大地に伏し、火矢によって所々焼けた大地。 戦いの爪痕をまだ色濃く残したその地に一人趙雲は立ち、じっとその風景に見入っていた。 「子龍!」 趙雲の姿を認めた馬超が馬上からその名を呼ぶが、趙雲は反応を示さない。 慌てて馬超は馬から飛び降りる。 「これが…」 その時、趙雲の呟く声が馬超の耳に届いた。 「これが―――私の生きてきた世界……。 後悔はない……」 綺麗に趙雲は微笑んで―――そのまま目を閉じる。 グラリと傾いたその体を馬超は腕の中に抱きとめた。 「子龍!子龍!!」 うわ言のように馬超は繰り返す。 だが腕の中の趙雲は目を閉じたまま…どんな言葉も発っすることはなかった―――。 成都の趙雲の屋敷。 戦場で倒れた趙雲を馬超は急いで連れ帰って来た。 そして彼は今その部屋の奥で床に伏している。 部屋から出てきた医師はゆっくりと首を振った。 その場にいた誰もがそれを聞いて途端に顔を曇らせた。 馬超は拳を握り締める。 ―――どうしてあの時、何としてでも問い詰めなかったのか。 身体の具合が悪いのは一目瞭然だったというのに。 縛り付けてでもここに留めておくべきだったのだ。 そうすれば病は治ったかもしれない…例えそれが無理だとしても、もっと長く―――命を繋ぎ止められたかもしれないのに。 とてつもない後悔に苛まれる。 「丞相…趙将軍がお目に掛かりたいと仰っています。 どうか他の方はご遠慮下さるようにとも」 医師の言葉に諸葛亮は驚いたように首を傾げる。 「私を……ですか? ―――分かりました」 ちらりと馬超に目を遣ると、諸葛亮はそのまま部屋の中へと入って行った。 馬超にしても何故だという思いでいっぱいだった。 どうして自分ではなく諸葛亮なのだと。 残されたのはただ重苦しい空気だけだった―――。 「どうして私を呼ばれたのです? 馬超殿とお会いしたいのではないのですか?」 枕元の胡床に腰掛け、諸葛亮は問い掛ける。 その問いに趙雲は微かに笑みを浮かべただけで答えはなかった。 そして天井に向けていた視線をゆるりと諸葛亮へと移した。 顔色が相当に悪い。 それでも口調はしっかりとしていた。 「軍師殿に…頼みたいことがあるのです」 「頼み…ですか? ―――もちろん構いませんよ…私に出来る事なら何なりと仰って下さい」 すると弱々しく趙雲は笑った。 「ありがとうございます。 では軍師殿……どうか私を―――」 しばらしくて部屋を出てきた諸葛亮はとても厳しい表情だった。 「皆さん、申し訳ありませんが馬超殿と二人にして下さい。 馬超殿に―――大事な話がありますので」 諸葛亮の真剣な眼差しにその場にいた一同は感じる所があったのか、二人を残して去っていった。 残された馬超は何事かと訝しむように諸葛亮を見た。 諸葛亮は大きく息を吸い込むと、重々しく口を開いた。 「―――殺してください……そう趙雲殿は私に仰られました」 「な…んだ…と?」 すぐには理解し難いその言葉。 「趙雲殿はご自分の命の果てを感じていらっしゃるのでしょう。 ―――薬も治療ももう必要ないと。 そんなことで僅かに生き長らえるつもりはないのだとそう仰って……。 自分で命を絶とうにももう剣を握る力さえ残されてはないから…私に頼みたいと」 「どうして…」 色々な感情が綯い交ぜになって、心の内はもう滅茶苦茶だった。 けれどその中で最も強く感じたのは…悔しさ。 何故命の終わりを託すのが諸葛亮なのだ。 自分には何も言ってはくれないのか…と。 彼にとって自分はそれ程までに取るに足らない存在だったというのか。 全ては自分の一人よがりだったのか。 抱き合った日々も全てが幻のように思える。 「馬超殿…趙雲殿が何故私にそのようなことを頼まれたのか分かりますか?」 まるで馬超の心の内を見透かしたかのように諸葛亮は問う。 馬超は悔しさから諸葛亮をきつく睨めつけた。 「俺のことをそんなにも嘲笑いたいのか…? 貴殿の事を…俺よりも信頼している……そういうことだろう」 搾り出すような苦しそうな声。 「違いますよ」 だがすぐに諸葛亮はそれを否定した。 「貴方の事が誰よりも大切だからこそ……私に仰られたのです。 ―――貴方が趙雲殿ことを深く愛していることを感じているから……貴方にそんな残酷なことはさせたくはないのでしょう。 誰しも自分の愛した人間をその手に掛けることなどしたくはないですから。 きっと本心では貴方の手に掛かる事を趙雲殿は望んでいます―――ただそれ以上に貴方が傷付く事をあの人は何よりも恐れている」 一度言葉を切って、諸葛亮は真っ直ぐに馬超を見据えた。 「しばらく考える時間が欲しいと、私は部屋を出てきました。 さぁ……どうします?馬超殿。 私は趙雲殿の願いを聞き入れるつもりです。 私を止めますか? それとも―――」 しばらくの沈黙の後、馬超は口を開いた。 自らの決意を告げる為に。 馬超の瞳から一筋…涙が零れ落ちた―――。 扉が開いて、枕元に気配を感じ、趙雲は目を開いた。 そこに立っていたは予想外の人物。 諸葛亮ではなく馬超であった。 「孟起…」 驚いた様子の趙雲に馬超は静かに問うた。 「子龍…どうして病だと分かっていながら戦に出た? 病を隠し、病身を押してまで……」 「それは私が武人だからだ。 私は槍を持ち、生涯を戦場で生きると決めた。 最後の最後まで戦い抜きたかった―――私が生きていたその道を決して後悔はせぬ為に。 そしてもう……槍を持てなくなった私は武人でない。 それはつまり死んだも同じ事。 だから……」 馬超は穏やかに微笑んで、そっと趙雲の髪に触れる。 「―――俺はお前を止められなかったことを後悔していた。 けれどお前を無理矢理留めていても、それは本当の意味で生きた趙子龍という人間ではないのだろう。 俺も武人だ……お前の気持ちは痛い程に分かる」 馬超は言いながらゆっくりと手を滑らせて、趙雲の顔をなぞっていく。 その存在をしっかりと自分の中に刻み付けるように。 「―――お前の最期を……俺にくれ」 「孟起……」 「大丈夫だ―――俺は。 お前の決意が固いのなら、それを誰かに委ねることの方が俺には耐えられん」 馬超の言葉に趙雲の表情が和らいだ。 「ありがとう、孟起。 本当はお前にこの命を絶ってもらいたかった―――」 言って、嬉しそうな微笑を浮かべる。 この部屋に入った時から馬超にもう迷いはなかった。 身体を屈め、ゆっくりと趙雲の唇に己のそれを重ね合わせた。 そうして唇を離すと、馬超は腰に佩いた剣を抜く。 刀身を下に向け、剣を掲げる。 馬超の瞳と趙雲の瞳は互いの姿を映したまま少しも揺らがなかった。 ―――お前が後悔なく生きたというのなら、そのお前の最期をこの手に託された事を誇りに思える。 決して後悔はすまい。 別れも言わぬ。 そして―――静かに剣は振り下ろされた―――。 written by y.tatibana 2003.09.30 |
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