100題 - No22

別れ
主公がこの乱世を平定されたら、どこか静かな村で共に暮らしましょう。
いつまでも一緒に……。

―――寝台の上で飽く事なく抱き合いながら、交わした睦言を貴方は覚えているでしょうか。





夢物語のようなそんな話をあの時の私達はよく語り合った。
貴方の吸い込まれそうな漆黒の瞳は私をしっかりと映して、穏やかに微笑みかけてくれた。
日常の貴方からは想像もつかない……私の腕の中で私だけに向けてくれるその微笑がとても好きだった。
私もまた貴方と過ごす時だけが、忙殺される日々の中で心底安らげる時間だった。

ずっと続くと思ったその時間が、すれ違いをはじめたのと感じたのはいつの頃だったか。
最初は僅かで気付かなかった……否、気付かないふりをしようとしたそれが、もう今では偽れない程に大きくなってしまった。

貴方ももう気付いているのでしょう?

この頃は貴方を抱いても、貴方は私の腕の中でとても苦しそうだ。
そして悲しみを湛えた瞳。
私もきっと同じような表情をしているのだろうと思う。

貴方の前にあの人が現れて、そして私の前にあの青年が現れた。
前後してこの国に降った二人。

いつの間にか貴方も私も瞳に映し出す人物が変わってしまった。
お互いを見つめていても、貴方の瞳は私を見てはいない……そしてその逆もまた然りだ。
あれ程温もりを分け合った身体も、今ではその熱を弾くように冷たい。
あの睦言も交わすことはなくなった―――





扉が開く音がして、湯浴みを終えた貴方が入ってきた。
貴方は全身に悲哀を纏っていて、ある種の予感が私の心に翳を落す。
ゆっくりと寝台の私に近付いてきた貴方は、私の隣に腰掛けた。
―――軍師殿」
もう私の事を前のように字では呼ぶことはない貴方。
「何ですか?」
貴方の言わんとしていることは恐らく分かっている。
それでもそれに気付いてはいないように装い、聞き返す。

貴方の瞳は随分と久方ぶりにしっかりと私を映していた。
そうして貴方は私の耳元に唇を寄せ―――
.

「これが最後です」

そう囁いた。

ああ、やはり。
予想通りの言葉。
私は貴方を力一杯抱き締めた。
―――お別れなのですね…趙雲殿」
肩口で頷く気配を感じ取る。

後はもう言葉もなく私は貴方を抱いた。
貴方もまた私を一心に求めてくれた。





夜明け前、貴方は寝台から降り立ち、衣を身に付け始め、私は身を起こしその姿を見つめていた。
「もう行かれるのですか?」
貴方は今日発つ―――遠い任地へ。
あの人と共に。
そう任じたのは他ならぬ私だ。
「はい…。
―――つい先日あの人から想いを打ち明けられました。
まだ返答はしていませんが……私は新しい任地であの人に応えるつもりです。
…あの人に抱かれます」
「そうですか……」
それしか言葉が出なかった。
言い知れぬ悲しみと寂しさで胸が痛む。
けれど…何故だか不思議と嬉しさも感じた。
それはあの人のことを語る貴方がとても倖せそうだから。

「私も…あの子に想いを伝えようと思います」
私もまた進まねばなるまい。
自分の気持ちを偽らず、貴方とは別の道を歩き出す。

その前に一つだけ聞いておきたいことがあった。
「貴方は私と出逢って、関係をもったことを後悔してはいませんか?」
私の問いに貴方はすぐに首を振った。
「貴方との出会いを悔やんだことなどありません。
―――貴方と過ごした日々は…この戦乱の中本当に安らげる時間でした。
とても感謝しています」
そう言って、貴方は私の好きなあの穏やかな微笑を見せてくれた。

きっと私達は誰よりも近い存在だったのだ。
主公達義兄弟からは退いた位置にあり、そしてその他の官僚達からは突出した……そんな狭間の存在。
この国にあって私達二人は異質でさえあったのかもしれない。
惹かれ合ったのは偽りなどではない。
けれど私達二人の関係は“恋”というものではなかった…そんな気がする。
肉親に抱くような……そんな穏やかで安らかな気持ちではなかったか。
それを恋だと錯覚していたのだろうか。
貴方があの人に、そして私があの青年に抱いている感情はきっと私達二人の間にあったものとは違う。
激しく焦がれるような―――そんな気持ちは私達にはなかったから。

―――では、私は行きます」
身支度を整えた貴方は私に背を向けた。
歩きかけて立ち止まり、もう一度私の方を振り返る。
今まで見たどんな表情よりもそれは綺麗な笑顔だった。
「今までありがとうございました。
そして……さようなら―――
思わず抱き寄せ、口付けたい衝動に駆られる。
伸ばしかけた手を、私はきつく握り締めた。
私は言葉もなく、じっと貴方を見つめることしか出来なかった。





そうして貴方はこの地を発った。
私の元から飛び立ってしまった。
今私の腕の中にいるのは貴方ではなく……けれど貴方と同じ澄んだ瞳の青年。
遠く離れた地で貴方もまた私ではないあの人に抱かれているのだろう。
あの日告げれなかった言葉を私は一人空を仰ぎ呟く。





貴方と出逢えたことを何よりも感謝しています。
どうか倖せに。
さようなら―――愛しい貴方
……






written by y.tatibana 2003.09.23
 


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