100題 - No20 |
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暗闇の中灯された橙色の明かり。 それが室内を仄かに浮かび上がらせている。 ゆらゆらと揺れる炎の側に立つのは金の髪の男。 男は手にした長細い針の先端をその炎の中でゆらめかせている。 傍らの寝台に横たわった作り物めいた容貌の男が、気だるそうにそれを見つめている。 「もし……」 金の髪の男が手はそのままに、ゆっくりと寝台の男に視線を巡らす。 「劉備殿が貴方に死ねと命じられたら、貴方はどうされる?趙雲殿」 唐突な問い掛けにも、寝台の男―――趙雲は眉一つ動かさず、身体を横たえた姿勢そのままに答えを紡ぐ。 「愚問だな、馬超殿。 殿がそうせよと命じられるのならそれに従うまでだ」 「では……俺を殺せと言われたなら?」 問う馬超の声もまたどこまでも淡々としている。 「殺す」 欠片も躊躇いなく趙雲は返答する。 馬超の手元の炎を見つめる趙雲の瞳に冷酷な光が宿った。 「心配めされるな…苦しまぬよう一撃で殺してやる」 馬超はそれを聞いてクックッと低く笑いを漏らす。 「先程まで褥を共にした相手にそうもはっきりと申されるか。 恐ろしい人だ……」 だが言葉とは裏腹に、馬超は心底楽しそうだ。 顔に掛かる漆黒の髪をかき上げ、炎から馬超へと向けられる視線。 刺す様な冷たさを湛えた瞳そのままに。 「恐ろしいとは心外な…。 私ほど優しい人間はおらぬというに。 ―――殿に命じられ貴殿を殺したなら……貴殿が寂しくないよう共を送ってやる。 殿が大望を成し遂げられたなら、その後……殿の首を貴殿の墓前に供えてやろうぞ」 事も無げに言って、趙雲は口の端を吊り上げる。 ぞくりとする美しくも冷たい微笑。 恐らく多くの人間が畏怖を覚えるであろうそれを見て、馬超が感じたのは甘い痺れ。 「ふふ……貴方は劉備殿に忠誠を誓われたのであろう? そのようなことを申されてもよいのか?」 「誓ったな……確かに。 私の命ある限り、大望を果たされるその日まで身命を賭してお仕えすると」 「なるほど…大望を成し遂げた後のことは与り知らぬという訳か…。 ―――まことこれ程までに恐ろしい龍を囲っていること、劉備殿はお気付きなのだろうか。 その美しい顔と躯で一体今までどれだけの人間を惑わし、そしてその肉を喰らった?」 「さてな……」 趙雲は楽しげに双眸を細めた。 馬超もまたその瞳に明らかな愉悦を滲ませて趙雲を見遣る。 視線を絡ませたまま、馬超は炎から針を取り出した。 しれが合図だったように、ゆったりとした動きで趙雲は寝台の上に身を起こした。 一糸纏わぬ白い肌に、胸元へ滑り落ちた漆黒の髪が良く映えた。 それを趙雲は悠然とした仕草で背に払い除ける。 その動作の一つ一つが妖しいまでに魅惑的だった。 馬超は趙雲の露になった耳を手に掛け、一度耳朶に口付けを落とした。 そして口付けたその部分に針の先端を添えると、躊躇うことなく一気に突き刺した。 もう一方も同様に貫かれるが、趙雲は目を伏せたまま何の反応も示さない。 小さく穴の開いたその部分からぷくりと滲み出た血液は、やがて一本の細い線を描いて滴り落ちた。 それは趙雲の鎖骨や肩口をぽつぽつと赤く染める。 白と黒の対比よりもそれは殊更に際立っていた。 馬超は趙雲から体を離し、じっとその姿に見入っている。 「―――何を見ている?」 伏せていた視線を上げて、趙雲は感情の全く篭っていない声音で問う。 趙雲の冷めた眼差しを受けて、馬超はうっすらと笑った。 「龍の血も……赤いのかと―――そう思ってな。 ―――やはり貴方にはどんな色よりもその色が似合う」 馬超は円卓の上に乗せられた二対の耳飾を手に取った。 小さな翡翠が埋め込まれたそれを、血で塗れたままの穴へと差し込んでいく。 深緑の宝玉が炎に照らされ、趙雲の耳元で鈍い光を放っている。 「その翡翠も龍の牙に掛かった人々の返り血を浴びて、すぐに真紅に染まるのであろうな」 答えはない。 それに代わるのは―――妖しく艶やかな微笑み。 見るもの全てを魅了し、跪かせるかのような。 心臓の高鳴りを馬超は抑え切れなかった。 流れるような動きで寝台から降り立った趙雲を、馬超は後ろから抱き締めた。 だが趙雲はするりとその腕の中から抜け出す。 床に散っていた衣を手に取り身に纏うと、趙雲は肩越しに馬超を振り返った。 「―――殿に呼ばれているのでな」 そのまま歩を進め、扉に手を掛けたところで、趙雲は思い出したように今一度馬超の方へと体を反転させた。 「貴殿は先程問うたな―――殿が私に死ねと命じたらどうするのだと。 私はそれに従うと答えた。 ―――だが…一つ言い忘れていたことがある。 私はこう見えても寂しいのは嫌いでな…。 その時にはみなにも共に逝って貰いたいのだ。 殿も軍師殿も…民や兵も…そして―――貴殿も。 全てを喰らってくれよう。 みなの流すその血溜りの中で…私は命を絶とう。 さぞ―――心地良かろうな」 その表情からも声からも…やはりどんな感情も読み取れない。 冗談なのか…それとも本気であるのか。 けれどその場面を想像して、馬超は肌が粟立った。 全てを喰らい尽くし、その血溜りの中で佇む趙雲―――それはさぞかし…… 「美しい姿だろう―――」 意識せずに漏れた呟き。 誰よりも紅が似合う―――人の姿をした龍なれば。 趙雲はすっと馬超を指差す。 「貴殿のその瞳―――狂っておるな。 だがそういう瞳は……嫌いではない」 くるりと踵を返し、趙雲は今度こそ扉を開けた。 「殿は私に何をお命じになるのであろうな…このような深夜に。 愉しみだとは思わぬか? ―――貴殿と話したことが現実になるやもしれぬ故…」 パタン…と扉の閉まる音。 一人残された馬超はこみ上げてくる笑いを抑えられなかった。 声を立てて笑う。 ―――俺は…貴方が言う通り狂っているのだろう。 だがその俺の瞳が嫌いではないと貴方が言うのなら…… 貴方に惑わされて…そして何処までも堕ちていこう。 それが貴方に更なる狂気と歓喜を呼び起こさせ、 貴方を一層美しく色めかせられるのなら―――本望だ。 written by y.tatibana 2003.9.10 |
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