100題 - No19

聞こえる
彼は私の中で果て、私を引き寄せるとその腕の中へ強く抱き締める。
私も彼も激しく息が乱れていて、その息遣いだけが室内に響いた。
それが収まってくるにつれ重なり合った身体から伝わってくる彼の鼓動。
力強く、正確に音を刻むそれが聞こえてくる。
目を閉じるとそれは更にはっきりと耳に届く。

彼は私を抱いたまま、空いた片方の手で幾度も繰り返し私の髪を梳いている。
「……大丈夫ですか?」
耳元で気遣わしげに問い掛けてくる声に、
「ええ…」
と私は頷く。
すると安心したように彼は息を吐いて、背に廻された腕に力が込められた。

いつもの夜―――
彼に抱かれて、彼の熱を受け止め…そして聞こえる彼の鼓動を耳にしながら眠りに落ちる。
彼とこういう関係になってからもうどれだけの月日が流れたのか。
その中でずっと疑問に思っていることがある。

―――この行為に一体どんな意味があるのだろうか……と。

何も生み出すことのない行為。
男である私をいくら抱いても何も生み出せはしない。
女のように子が成せる訳ではない。
快楽を得る為なら、それこそ男の私を抱くよりも女の方が余程良いだろう。
豊かな胸も、柔らかな肌も…どれも私は持ち得てはいないものだ。
彼ほどの男ならば言い寄ってくる女はいくらでもいるだろうに。

その彼に想いを告げられた時の驚きは今でも鮮明に覚えている。
「好きです」
あの時告げられたその言葉を、彼は行為の合間にいつも熱っぽく囁く。
私ももちろん彼の事は好きだ。
最初は彼の想いに流されるように始まった関係だったが、彼という人物を深く知るにつれ私もまた彼に惹かれていった。

しかし…―――彼に抱かれたいと私から思ったことは一度もない。
抱かれるのが嫌な訳ではない。
最初の頃はただ痛みしか感じなかったそれも、時が経つにつれいくばくかの快楽を齎すようになった。
けれど……ただそれだけ。
元来私が淡白なせいなのかもしれないが、身体の関係などなくても私は一向に構わない。
彼が私を抱きたいのだと言うからそれに応えているだけで……同性同志で抱き合うこの行為の意味が見出せないままだ。

―――何を考えているのです?」
私の心の内を見透かしたかのように、彼は髪を梳いていたその手を私の頬に滑らせてきた。
響く鼓動を聞きながら私は目を閉じたまま、その上に自分の手を重ねた。
―――貴方が私を抱くのは…快楽を得る為なのですか?」
「いいえ」
間髪容れず返る答え。
ならば何故彼は私を抱くのだろう。
私はただ彼と共にいるだけで満たされる。
酒を酌み交わし、共に語らい、そして戦場を駆けるだけでは何が足りないというのか。
心が通じ合っているのならそれで充分ではないのか。

目を開き、彼の腕の中から見上げると、じっと私を見つめる彼の瞳とぶつかった。
私とは違う色素の薄いその瞳は、私を労わる様な優しさを湛えていた。
きっと彼は気付いている。
はっきりとは分からないまでも私が何事かに引っ掛かりを覚えていることに。
―――言わずにはいられなかった。

「貴方が私を抱くことの意味が分からないのです。
私は何も生み出せない…第一男の私を抱いてもそれ程心地よくもないでしょうに―――
身体の結びつきなど無意味だと思えて仕方ないのです…」
すると彼は寂しそうな微笑を浮かべ、その瞳が哀しげに細められた。
彼は言葉を発する代わりに私を今一度きつく抱き締めた。
そうして力強い彼の鼓動を聞くうちに、私は彼の答えを聞くことなく眠りに落ちていった。



あの日を境に彼は私を抱かなくなった。
だからと言って彼がよそよそしくなったとか、冷たくなったとかそういったことは全くない。
私に触れなくなったこと以外、以前と何も変わっていない。
あの時の私の言葉を彼もまた是だと思ったのか、それとも私の気持ちを慮ってのことなのか。
彼が何も言わないので、私もまたそれを問おうとはしなかった。
今のこの状態に私は何の不満もなかった故に。

「では…今日はこれで。
ああ……そうでした。
近々行われる遠征に俺も行くことになりそうです。
今日諸葛亮殿からのお達しがありました」
いつもの様に共に酒を飲み、席を立った彼がそう告げた。
今までもずっと共に居れた訳ではなく、それぞれ戦場へ赴くことも多々あった。
だから特別寂しいとかそういう感情はない。
しかし……去って行く彼の背を見送るときに、それはきた。
心が妙にざわついて……不安で落ち着かない。
初めは気のせいかと思った。
けれどその後も彼を見送る時、その気持ちは襲ってきた。
そればかりかどんどんと強くなっていくような気さえする。
どうしてこんな気持ちになるのか分からぬまま日々を過ごすうち、彼は遠征へと赴いて行った。



その遠征で彼が負傷したらしい。
成都にその彼が運ばれて来たと聞いて、私はすぐに彼の屋敷を訪れた。
寝台に横たわる彼は固く目を閉ざしていて、胸に巻かれた白い帯が痛々しかった。
寝台の脇に跪き、彼の手を取る。
冷たい―――
私の頬に触れ、髪を梳いてくれた彼の指はあんなにも温かかったのに。
傷に触らぬ様、彼の胸元にそっと耳を寄せた。
聞こえるのは弱々しい…今にも消えてしまいそうな心音。
また……心がざわめく。
彼のあの力強い鼓動を聞いている時には決して在り得なかったこの不安。

ああ……そうか―――

彼に抱かれ、肌を重ねあって聞く彼の鼓動は、彼が確かに存在する…ちゃんと生きて傍に居るのだと―――感じさせるから…安心するのだ。
だからそれが聞こえなくなって…そして彼が遠征に赴くと聞いた時二度と会えなくなるかもしれないという本能的な不安が沸き起こった。
今まで意識したことなどなかったが、この乱世で武人として生きる私達がいつまでも共にいられる保証などどこにもない。
だからこそ傍にいる時は確かめ合いたいと思うのか。
抱き合い……深く繋がって、互いの存在を感じようとするのだろうか。
失くしたことのない私は彼が傍にいる事が当たり前だと思っていたけれど、彼は一度全てを失っている。
だから私を抱いて、彼もまた私の鼓動を感じ、私が確かに生きているということを確かめずにはいられないのだろう。

その時、微かに彼が身じろぐ気配がして、私は驚いて顔を上げた。
彼の視線は虚空を彷徨っていたが、やがて私の所で焦点を結んだ。
「趙雲殿……」
私の名を呼ぶ掠れた声。
私をしっかりと見据えたまま彼はゆっくりと口を開いた。
―――確かに俺達が抱き合っても…貴方の言うように何も生み出しはしないのかもしれない。
それでも俺は貴方を抱きたい。
一つに繋がって…貴方の存在を感じて…そして貴方にも俺の存在を感じて欲しい」
私は頷いた。
今ならば彼の言わんとすることが分かる。
そして私は初めて生まれたその気持ちを口にした。

「私を抱いて下さい……馬超殿」

彼は一度驚いたように目を見開いた後、とても嬉しそうに微笑んだ。
そのまま引き寄せられるようにどちらからともなく口付けた。
だが彼の手が私の帯を解こうとした時、私は慌てて身を離した。
「い……今は駄目ですよ、馬超殿!
その怪我が治ったらに決まっているでしょう!」
彼はわざとらしく拗ねた様な口調になる。
「貴方からあんな嬉しい言葉を聞いて…何もせずにはいられない。
―――まぁでも…この身体では貴方をとても満足させられそうにもないですね…」
「馬超殿!!」
「はは…怪我人相手にそんなに怒らないで下さいよ。
一刻も早く治して、貴方を抱くためにも、今は大人しく眠ることにしますよ」
そう言って目を閉じた彼に、思わず溜息が漏れる。
本当に呆れた人だ―――
けれど彼が私を安心させようとそんな軽口をたたいているのが分かるから……。
私は微笑まずにはいられなかった―――






written by y.tatibana 2003.09.04
 


back