100題 - No16

亡きひと
孫策伯符暗殺―――

その知らせが齎された時、誰もが驚き、そして計り知れない衝撃を受けた。
私もその例外ではなかった。
けれど同時にやはりという気持ちがあったのも事実だった。
いつかこういう日が来るのではないか―――心の片隅に常に根付いていた予感。

君は天才だった。
多くの人間は君の事をただ傍若無人で猪突猛進な若者だと感じていただろう。
けれど君は常人では思いもつかないようなことを考えていた。
常に人の一歩も二歩も先を考え進む。
それが周りの人間には理解できなかったのだろう。

幼き頃から親しく過ごしてきた私は、他の人間よりも君という人間を分かっている…そんな自負があった。
それでもその全てまではやはり理解できない程、君は深く複雑な人間だった。

夕日に染まる長江の川面を一人眺めていた君。
その時の君はいつもの明朗さや快活さが息を潜め、何人たりとも近づけないような孤独を滲ませていた。
声を掛けれずに佇む私に君が気付いてくれて、人懐こい笑顔で私を振り返った。
そこにいるのはいつもの君で…もうその孤独な影は払拭されていた。
「なぁ…公僅、俺は天下を取りたい。
今はまだ小さな一勢力過ぎないけど、俺には慕ってくれる兵や臣…そして何よりお前がいる。
―――夢物語だと思うか?」
「君なら天下を取れる…必ず」
迷うことなく答えた私に君は心底嬉しそうに笑った。
「そうか、お前がそう言ってくれるのなら力強い。
俺はお前がいてくれればどんなことでも叶いそうな気がする」
そう言って君から差し出された手―――
それを取れば君の手が力強く握り返してきた。
忘れはしない…その強さ。
私を必要だと言ってくれたその偽りのない澄んだ瞳。

けれど…君は随分と呆気なく逝ってしまった。
君の才能に嫉妬した乱世というこの時代が、君を連れ去ってしまった。

悲しみに沈む暇はなかった。
涙すら流す余裕もなかった。
君の亡き後、軍の全てを任され…日々に忙殺されていった。
私如きでは君の足元にも及ばないかもしれない…しかし今は亡き君の夢を何としてでも叶えたかった。
そうすることで君という人間にもっと近付きたかったのかもしれない。

赤壁で曹操の大軍に勝利し、天下への足掛かりを得た。
だが…その頃から体調の不調は始まっていた。
最初はただ疲れが溜まっているだけだと思っていた。
けれど病魔は私の体を確実に蝕んでいたようだ。
ある日吐血して―――私は己の命の果てを知った。

もう長くはない―――
それが私を駆り立てた。
益州を取れば大敗したとはいえ未だ圧倒的な力を持つ曹操へ拮抗できる。
そこから曹操を倒し、天下を取る。
益州への出兵を急ぎすぎだと反対する者も少なくはなかった。
だが…私には時間がないのだ。
立ち止まっている暇はない―――走り続けるしかない。

しかし……、
それは叶わなかった―――

あの日の君と同じように川辺に立ち、亡きひとを想う。
昨日までは酷い熱と吐き出される血で、とても立てるような状態ではなかった。
だが今日は病など幻ではなかったのかと思える程に体が軽い。
命が燃え尽きる前の最後の灯火なのかもしれない。

思えばこうやって君のことをゆっくりと思い返すのは君が逝ってから初めてだ。
君の夢…そしていつからか私の夢になっていたそれを叶えられず私も逝く。
君の元へ―――
君は怒るだろうか?
それとも良くやったと褒めてくれるだろうか?
多分そのどちらでもない気がする。
ただ黙ってあの笑顔で手を差し伸べてくれるのだろう。
あの時と同じように―――

君が水面を見つめ、何を想っていたのか…結局私には分からなかった。
それでも……君が私が必要としてくれた。
それは真実だから。

今度もまた君が手を差し出してくれるのなら…その手を握れば良い。
そうただそれで―――






written by y.tatibana 2003.08.01
 


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