100題 - No15 |
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修練場で手合わせをして欲しいと姜維に乞われて、趙雲はそれを快く受けた。 三本ほど打ち合った後、姜維は地に膝をついた。 「参りました……」 姜維の呼吸は激しく乱れている。 趙雲も肩で息を整えながら、滴る汗を拭った。 「随分と腕を上げたな、伯約」 「いいえ、まだまだ趙将軍の足元にも及びません」 清々しい笑顔を見せて、姜維は膝の土を払い落とすとゆっくりと立ち上がった。 「伯約の場合、振りが大きすぎると思うんだ…、だから隙ができる。 構えるときももう少し……」 趙雲は姜維の手を取りながら槍の扱いを指導してやる。 姜維もまた趙雲の教えを何としてでも飲み込もうと、真摯な瞳を趙雲に向けていたが、ややして戸惑ったように口を開いた。 「あの……趙将軍…」 「んー?」 「俺の気のせいではないと思うのですが、先程からどなたかの視線が突き刺さっているようなのですが…」 その言葉に趙雲は深い溜息を吐くと、姜維の肩にポンっと手を置く。 「気にするな、伯約。 そんなものはないと思い込め…」 趙雲にそうは言われたものの、姜維にはその視線が明らかに殺意に近いものを含んでいる気がしてならなかった。 その視線が誰のものであるのか凡その予測はついていたが、それを確認する勇気はとても姜維にはなかった。 目が合おうものなら何をされるか…背筋に冷たいものが走った。 それでもしばらく姜維は趙雲に稽古をつけてもらっていたが、とうとう絡みつくような視線に耐え切れなくなったのか、礼を述べると足早に去って行ってしまった。 その後ろ姿を見送って、趙雲は少し離れた木陰で腕を組んで立っているその視線の主を見遣った。 目が合った瞬間、その人物―――馬超はわざとらしく咳払いすると視線を逸らす。 「孟起」 趙雲が呼びかけても、馬超はあらぬ方向を向いたままだ。 「孟起」 もう一度優しく趙雲が名を呼ぶと、馬超はようやく趙雲を見た。 ただその表情は不機嫌そのものであったが…。 口を硬く引き結び、趙雲を睨みつけると、馬超はくるりと踵を返して歩き出した。 だが、趙雲がそのまま動かずにいると、馬超もまた立ち止まったまま動かなくなった。 「はぁ……やれやれだな…」 趙雲は一度肩を竦めると、馬超の後ろに付いて行く。 すると馬超は肩越しに趙雲を振り返る。 「付いてくるな…」 表情と違わぬ不機嫌そうな低い声で言って、また歩き出した。 ―――その言葉を真に受けて、付いて行かなければ行かないで怒るくせに…… 趙雲はもう一度溜息を吐くと、馬超の後ろに従って歩いて行った。 もう馬超は振り返りも立ち止まりもしなかった。 馬超が向かったのは城の一室―――馬超の執務室である。 馬超に続いて趙雲は部屋に入ると、静かに扉を閉めた。 「どうして付いてくるんだよ…? あいつの所に行けばいいじゃないか……」 趙雲に背を向けたまま、馬超は不貞腐れたように言う。 「…あいつ?」 趙雲は何のことかと小首を傾げたが、ややして姜維の事を言っているのだと気付く。 クスっと小さく笑いを漏らして、趙雲は馬超の前へと廻りこんだ。 馬超はやはり不機嫌さを隠そうともぜず眉根を寄せていた。 「もしかして、さっき姜維に稽古をつけてやってたことをヤキモチでも焼いているのか?」 図星だったらしく、馬超はぷいっと横を向く。 「お前……ずっと伯約の事睨んでただろう? 可哀相に…あいつえらく怯えていたぞ」 「そうやってあいつの肩を持つんだな。 そんなにあいつが良いなら、あいつの所へ行っちまえよ!」 「―――分かった。 孟起がそう言うならそうする」 あっさりと告げて、趙雲は馬超の脇をすり抜け、出て行こうとする。 驚いたのは馬超だ。 本当に趙雲が行ってしまうとは思わなかったから。 慌てた馬超は扉に手を掛けた趙雲の腕を後ろから捕らえた。 すると、振り向いた趙雲は、馬超がそうやって止めることが分かっていたのだろう―――声を殺して笑っていた。 「子龍!?お前騙したな!!」 馬超の顔が恥ずかしさからか、それとも怒りのためか、朱に染まる。 「お前って本当に子供みたいだな。 あんなくらいでヤキモチ焼くなんて」 「よく言うぜ! あんなくらいって……お前あいつの手握ってたじゃないか!!」 「手って…槍の構え方を教えてただけだろ。 しかもほんの僅かな間じゃないか…」 呆れた様子の趙雲に、馬超はむきになって言い募る。 「僅かの間でも、あいつと手が触れ合っていたのは事実だろう! お前に触れていいのは俺だけだ」 「かわいいなぁ……孟起は」 ふわりと微笑んだ趙雲が子供にするように馬超の頭を撫でた。 「またそうやって子供扱いするな! 少しばかり年上だからって、いつも余裕ぶって…」 口を尖らせる馬超に、 ―――そういうところが子供なんだよ……。 と趙雲は胸の内で呟く。 「それに手合わせなんかして、もし万が一お前の顔に傷でもついたらどうするんだよ!?」 「何を言ってるんだ…、私は武人だぞ。 戦場に出れば手合わせどころじゃない…敵は死ぬ気で攻めてくるんだ。 今までは偶々大きな怪我もなかったが、そのうちお前がいつも綺麗だなんだと言ってくれるこの顔ももしかしたらグチャグチャのボロボロになって、二目と見られなくなったりしてな…」 冗談めかした趙雲の言葉に、馬超は耳を塞ぐ。 「そんなこと聞きたくない! 縁起でもないこと言わないでくれーっ!」 耳を塞いだまま、馬超はブルブルと首を振る。 趙雲は今度こそ声を上げて、笑い出した。 「あははは、孟起はからかい甲斐があって面白いな」 楽しそうに笑う趙雲に、馬超は憮然となる。 趙雲もそんな馬超を見てやり過ぎたと思ったのか、笑いを収めると、軽く馬超に口付けた。 「悪かった…。 お前…本気で私の事を心配してくれてたんだよな。 でも実際…いつどうなるか分からない世の中だから…」 「だからこそいつも子龍の傍にいたい。 僅かの間でも…離したくない…他の奴になんて見せたくない。 本音を言えば閉じ込めておきたい。 心が狭いと言われようと…俺はもう失いたくないんだ」 過去のことを思い出しているのだろうか…馬超の瞳が哀しげに揺れた。 趙雲はそんな馬超をぎゅっと強く抱き締める。 「大丈夫だよ……孟起。 私はお前を残して死んだりはしない…約束する。 ……だからお前も…」 答えの代わりに馬超の力強い腕が背に廻された。 しばらくそうして抱き合っていたが、趙雲が馬超の背を軽く叩く。 「さぁ…そろそろ修練場に戻らないと…」 だが馬超が趙雲を離す気配はない。 そればかりか趙雲の背に廻した手で、馬超は趙雲の体をまさぐりだした。 「ちょっ……孟起!?」 あせる趙雲の首筋に口付けを落しつつ、馬超は趙雲の鎧を外しにかかる。 「こらっ! 今はまだ執務中だぞ! こんな真っ昼間からなに盛ってんだ!」 「僅かの間も惜しいって言っただろ。 それに俺はガキだからな……思ったままに行動するんだよ。 それくらいは大人の余裕で受け止めてくれるよな、子龍?」 抵抗する趙雲に馬超はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。 形勢逆転――― 果たしてその後…趙雲が腰を押さえて馬超の部屋から出てきたのは、日も傾きかけた頃だった―――。 written by y.tatibana 2003.07.25 |
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