100題 - No14 |
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控え目に扉を叩く音―――。 寝台に寝そべっていた馬超は身を起こすと、扉をきつく睨みつけた。 その気配を感じ取ったかのように音は止んだ。 けれど扉の外の人影はまだそこにあった。 そこに誰が立っているのか…馬超には分かっていた。 自分を訪ねてくる物好きなど、今は遠征に出ている従兄弟の馬岱かその人物しかいなかったから。 しばらく待ってもみても、訪問者が立ち去る気配はない。 馬超は忌々しげに舌打ちし、寝台から降り立つと、扉を乱暴に開けた。 やはり思った通りの人物がそこにいた。 馬超を真っ直ぐに見つめてくるのは、馬超と同じ五虎大将の一人趙雲だった。 馬超が明らかに怒気を含んだ瞳で睨めつけても、怯む様子はない。 それがまた馬超を苛立たせた。 「…何度も言ったはずだ。 俺は誰とも馴れ合うつもりはない! つまらぬ憐れみなど無用だと」 趙雲はそれを否定するように首を振る。 「私の方こそ何度も申し上げたはずです。 決して憐れみなどではないと。 私は本当に貴方の事が……」 「黙れ!」 趙雲の言葉を遮って、馬超は壁に拳を叩きつける。 蜀に降って以降、馬岱以外の誰とも関わりを持とうとはしない馬超。 その馬超に趙雲は告げたのだ。 「好きです」 と―――。 思わず耳を疑った。 からかわれているのかと思ったが、そう告げた趙雲の瞳は真剣そのものだった。 だからと言って、信じられようはずもない。 趙雲とは最初に会った時の短い挨拶と、軍議や鍛錬で稀に顔を合わす程度の係わり合いしかなかったのだから。 大方、いつまでも他人と馴染もうとはしない自分を気にした劉備辺りの差し金だろうと馬超は思っていた。 それにしても「好きだ」などと突拍子のない、馬鹿げたことを言うものだと馬超は飽きれかえる。 しかし、 「そんな憐れみなど余計なお世話だ」 と幾度馬超が突っぱねてみても、趙雲は頑なにそれを否定する。 「貴方の事が好きなのです」 そう言って―――。 「私の気持ちを受け入れて欲しい訳ではないのです。 ただ…この想いだけは信じて欲しい。 誰に言われたからでも、憐れみでもない…これは私の偽りのない気持ちです」 真摯にひたすら想いをぶつける趙雲の言葉はしかし、馬超の渇ききった心に決して届かなかった―――。 その日は夢見が最悪だった。 虐殺された一族の夢―――。 恨みの込められた幾つもの瞳がじっと馬超を見つめてくる。 うなされて…目が覚めて……。 見計っらたかのように趙雲が訪ねてきた。 馬超にとっては戯言としか思えないいつもの言葉を繰り返す趙雲に、馬超の中で何かが事切れた―――。 馬超は乱暴に趙雲を組み敷いた。 呆然と見上げてくる趙雲に馬超は酷薄な笑みを浮かべる。 「俺の事が好きだなどと…言葉だけなら何とでも言える。 ―――態度で示してもらおうか」 そしてそのまま――― 趙雲を抱いた。 抵抗はなかった。 口付けも愛撫もない…ただ趙雲を傷付けることだけが目的のような行為。 与えられる苦痛に趙雲はただひたすらに耐えているようだった。 コトが終わった後、趙雲は何も言わず身支度を整えると、痛む体を引きずる様に馬超の部屋を後にした。 馬超もまた何も声を掛けなかった。 これで下手な茶番も終わりだ―――。 ただぼんやりとそう思っていた。 しかし何日かの後、趙雲はまた馬超を訪ねてきた。 流石の馬超も驚き呆然と趙雲を見つめていた。 「私の気持ちは変わりませんから―――」 そう言って、趙雲は穏やかに笑った。 それでもやはり馬超は趙雲の想いを信じることは出来なかった。 否…信じようとする気もなかった。 自分は一人で良い。 もう誰も必要ない―――。 曹操への復讐…それが馬超の全てだった。 それでも懲りずに訪ねて来る趙雲をその都度馬超は抱いた。 趙雲が一方的に繰り返す戯言を聞いてやっているのだ。 それならば自分は自分で体の欲を満たさせてもらった所で罰は当たるまい…。 そんな昏い想いで趙雲を抱く。 初めての時と同じように乱暴に―――。 馬超の欲の捌け口としてただ道具のように扱われても、趙雲の態度が変わることはなかった。 ―――そんな堂々巡りの関係がずっと続いている。 そして…今日もまた。 叩き付けた拳をそのままに、昂ぶる感情を抑えようと馬超は一度息を吸い込んだ。 どうしてこの男は自分の心をこうも乱すのだろう。 真っ直ぐなその漆黒の瞳に見つめられると、心の全てを見透かされているような気がして落ち着かない。 顔も見たくない、二度と近付くな……。 趙雲の想いを信じた上でそう言えば、おそらく趙雲はそれに従うだろうと馬超は確信していた。 それ以前に趙雲が訪れて来ても、扉を開けなければ良いのだ。 そうすればこんな関係は絶つことができる。 そうと分かっていながらいつも扉を開けるのは馬超自身だった―――。 趙雲の想いが本気なのだとしても受け入れる気は毛頭ないのに、突き放すこともしない。 一人で良いと言いながら、結局人とのよすがに縋っている自分の弱さと浅ましさに吐き気がした。 「馬超殿…?」 むっつりと黙り込んだままの馬超を趙雲は不思議そうに見つめてくる。 無言で趙雲の腕を取り部屋の中に引き込むと、馬超は寝台へと趙雲を突き飛ばした。 背をしたたかに打ちつけ呻く趙雲の上に、馬超は躊躇うことなく圧し掛かった。 びくりと一度趙雲の体は震えたが、馬超の無機質な瞳を認めて、諦めたように趙雲の体から力が抜けていった。 もう何も考えたくなくて、馬超は乱雑に趙雲の衣を剥ぎ取ると、後はただいつものように趙雲を抱いた―――。 寝台に横たわっている馬超の背後から衣擦れの音がする。 趙雲が身なりを整えているのが気配で分かったが、馬超は背を向けたまま目を閉じていた。 躯が辛いのか、時折趙雲の苦しそうな息遣いが聞こえてきた。 やがてパタンと扉を閉める音が酷く乾いて響いて、趙雲が出て行ったことを知る。 そして辺りに訪れる静寂―――。 ゆっくりと馬超は身を起こす。 傍らの円卓に置いてった杯を手に取り、一気に呷る。 ふと寝台に視線を落すと、赤い雫が点々と散っているのを見た。 趙雲は行為の後、いつも何も告げることなく部屋を出て行くが、その赤が己の浅ましさを突きつけているようで堪らなくなる…。 「くそっ…!」 手にした杯を壁に向かって叩き付けた。 趙雲を抱いても得られるものはひと時の快楽だけだ。 それと引き換えにして残るは…言いようのない虚しさ。 まして趙雲には一欠けらの快感もないだろう。 乱暴に躯を開かされているだけなのだから。 それでもあの男はまた来るのだろう…いつものように柔らかな微笑をのせて。 そして…自分もまた同じ事を繰り返すのだ―――。 自分の弱さとそんな自分を好きだと言い続ける趙雲の愚かさがどうにも可笑しくて、馬超は声を立てて笑い出した。 ―――狂っているのかもしれない…俺は。 そして…あの男も……。 腰から下が鉛のように重かった。 「…い…っ!」 歩みを進める度に走る痛み。 馬超の元を訪れる度に繰り返される行為は、趙雲に痛みしかもたらさなかった。 だが躯の痛みよりも、心がひどく軋んだ。 こうなることが分かっていてどうして馬超の元に行ってしまうのか。 こんな関係を望んでいる訳ではないのに…。 自問してもいつも辿り着く答えは一つだ。 馬超のことが好きなのだということ。 彼は未だ自分の気持ちも信じてはくれない。 憐れみだ…戯言だと一笑に付すのだ。 ただ本気なのだと信じて欲しかった。 その上で拒絶されるのならそれで構わない。 けれどまだ一度も彼自身の口から自分を拒絶する言葉は聞いていない。 そこに一縷の望みを持って、彼の元へ足を向けてしまうのは愚かなのだろうか―――。 漸く馬超の屋敷を出た趙雲は、腕を組み門扉に寄りかかっている人影に気付いた。 「…張飛殿」 張飛は趙雲の姿を認めると、その痛々しさに思わず眉根を寄せた。 ゆっくりと近付いてきた張飛に、趙雲はいつものように微笑んで見せる。 「…どうか…されたのですか? この様な所で…お会いするとは…」 表情こそ笑顔だが、口調は途切れ途切れで苦しそうだ。 月に照られた趙雲の顔色もまた血の気を失って蒼白だった。 明らかに無理をしているのが分かる。 「お前の屋敷を訪ねたら、出かけたと言うから…。 恐らくここだと思ってな……」 張飛は趙雲の馬超に対する想いを知っていた。 趙雲から直接語られた訳ではない。 だが趙雲とは劉備が流浪していた頃からの付き合いだ。 特に趙雲のことを弟のように可愛がってきた。 大抵ことなら言われずとも趙雲の気持ちは分かった。 趙雲が馬超に惹かれていると感じた時、張飛は何故だと強い戸惑いを覚えた。 男だからとかそういう理由ではない。 蜀に降っておきながら、決して他の人間とは関わろうとはしない。 酷く冷め切った目で、ただ曹操を倒す為だけに蜀に降ったのだと言って憚らない男だ。 そんな男を…今まで女に通いつめるようなこともなく、酒に溺れる事もない―――ただひたすら劉備の為、蜀の為に尽くしてきた趙雲が何故―――と。 張飛は趙雲を何も言わずに抱え上げた。 「ちょ…張飛殿!?」 驚いて声を上げる趙雲を気にも留めず張飛は歩き出した。 「俺の前でまで無理をするな…子龍。 お前―――本当は立っているのもやっとなんだろう? 屋敷まで送ってやる。 こんな時間だ…誰かに出くわすこともあるまい、心配するな」 「……申し訳ありません」 張飛には全て知られていることを悟って、趙雲はそれ以上何を言えば良いのか分からずに俯いた。 そんな趙雲をちらりと見遣り、ずっと言おうと思いつつ言い出せなかった言葉を張飛は口にした。 「子龍…、一度だけ言う―――。 あいつのことは諦めろ」 「それは…できません。 馬超殿自身が私にそう言われるまでは」 即座に返ってきた答えはやはり張飛が予測した通りのものだった。 「そうか―――」 二度言うつもりは張飛にはなかった。 すると趙雲は小さく笑みを漏らした。 「張飛殿は…馬超殿に惹かれる私の気持ちが理解出来ないのかもしれません。 けれど…私自身すらも何故こうまで馬超殿に惹かれてしまうのか分からないのです―――。 それでも彼を好きだと思う…止められないんです。 おかしいでしょう?」 その問いに張飛は首を振る。 「いや…おかしいと思わない。 人の気持ちなど…ましてや誰かに惹かれる気持ちはそういうものだ。 理屈じゃないんだろう―――きっとな」 正直、今でも馬超の何処に趙雲を惹きつけるものがあるのか張飛には分からなかった。 けれども人の気持ちとはそういうものだと割り切った時、趙雲が馬超に惹かれた理由を考えるのは止めた。 そんなことは意味がない。 自分に出来ることと言えばただ見守ること。 ただひたすらに馬超を思う趙雲を―――。 その想いの先に待ち構えているものが……破滅であったとしても―――。 written by y.tatibana 2003.07.18 |
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