100題 - No9 注:死にネタ注意? |
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敗戦はもはや決定的だった。 辺りに倒れ伏す兵は、殆どが自軍の人間である。 その中で趙雲は一心に槍を揮う。 「趙将軍!」 聞き覚えのある声が耳に届いた。 声の主は敵を薙ぎ倒しながら近付いてくる。 現れたのは馬岱であった。 其処此処に切り傷はあるものの、見たところ大きな怪我はないようだ。 「馬岱殿…ご無事であったか!? して殿は?」 「ご無事です! 後方の城へ向け撤退を始めておられます」 話しながらも二人が武器を持つ手を休めることはない。 倒しても倒しても、際限なくあふれてくるようできりが無く思えた。 この多勢の敵の中を殿は無事に逃げ切れるだろうか―――。 例え敗れても、殿さえ無事ならば、皆何度でも立ち上がれるし…戦える。 殿は我らを導く光なのだから。 何としてでも守り切らねばならない。 「馬岱殿、どうか貴殿は殿の元へ―――!」 「趙将軍は?」 「―――私の部隊は殿軍を務め、何としてでもここで敵をくい止める。 だが…この数だ、長くはもつまい。 一刻も早く、殿を城へ! そして殿が城へ入られたらすぐに城門を閉ざされよ」 その城は守りが堅かった。 城門を閉ざしてしまえば敵も容易くは攻め込めはしない。 そして城を守っているのはあの馬超だ。 しかし、その言葉に馬岱は戸惑ったような視線を一瞬趙雲へと送る。 「それでは…趙将軍が―――。 門を閉ざせば、殿(しんがり)の貴方は何処に撤退なさるというのです!?」 答える代わりに趙雲は僅かに首を振った。 それだけで趙雲が何を考えているのか知るには充分だった。 「いけません、趙将軍! そのようなこと…殿も望まれてなどおりますまい」 「―――私は…殿の剣となり盾となることを誓ったのだ。 …それに戦場で果てるのなら、武人として本望だ。 どうか……殿のことを頼む」 馬岱は激しく頭を振り拒絶を示す。 「馬岱殿!」 「私が此処に残ります。 …貴方をこんな所で死なす訳にはいきません! そんなことになれば、兄上は…」 趙雲は馬岱の言葉を遮った。 「みなまで言われるな。 私の武人としての誓いは、貴殿の従兄弟殿も理解してくれておろう。 貴殿はまだお若い…それこそここで命を散らすような事になっては殿や軍師殿……従兄弟殿に申し訳が立たぬ。 ―――だから、一刻も早くお行きなされよ。 このままでは二人共倒れだ!」 趙雲の有無を言わせぬ強い口調に押し出されるように、馬超は駆け出した。 去って行くその後ろ姿を見送ると、趙雲は軽く息を吐く。 手にした槍を再度強く握り直すと、周りに残る数少ない麾下の兵達に向かって声を掛ける。 「殿が無事に撤退されるまで、何としてでも敵をくい止めるのだ!」 そのまま趙雲も敵へと向かって行った―――。 どのくらいの間戦い続けているのか。 もう立っているのもやっとの状態だった。 荒い息を肩で整えながら、それでも趙雲は懸命に槍を揮っていた。 殿はご無事だろうか…。 もう城へと撤退されただろうか…。 気に掛かるのはそのことと…そして彼の事。 馬岱にはああは言ったが、実際自分が死んだ時、彼はどう思うだろう。 怒るだろうか。 悲しむだろうか。 それとも―――すぐに自分のことなど忘れてしまうだろうか。 それは寂しいな―――。 すぐにそう感じた自分に少なからず趙雲は驚いた。 フッと自然に笑みが洩れた。 想っていた以上に自分の中には彼が深く根付いていたのだろう。 馬孟起という男の存在は―――。 ―――と、腹部に感じる熱さ。 同時に目の前の敵兵もろとも周囲を薙ぎ払う。 倒れゆく兵の手から滑り落ちた紅に染まった剣。 脇腹に手をあてればぬめりとした生暖かい感触があった。 それが何であるかは見ずとも武人である己が一番よく知っている。 視界が霞んだ。 両膝を地についた。 立ち上がろうと思うのに、体は反対に地面に吸い寄せられていく。 そのまま抗う事もできず、趙雲は倒れ伏した。 動こうにもまるで自分の体ではないように言うことをきかない。 脇腹の痛みだけが、確かに自分のものだった。 「……」 空耳かと思った。 どこからか呼ぶ声がする。 だが次はしっかりと聞こえた。 「子龍!」 その声は意識が遠のきそうになっていた趙雲をはっきりと覚醒させた。 彼方から物凄い勢いで近付いてくる馬の蹄の音。 まさかという思いで、趙雲は動かぬ体を叱咤して、何とか顔を上げる。 群がる敵をものともせず、近付いてくる馬影。 馬上にいるのは、先程まで思いを馳せていた男…馬超だった。 馬超は倒れ伏す趙雲を認めると、急いで馬から飛び降りた。 駆け寄り、趙雲の体を静かに仰向けて抱き起こす。 趙雲の脇腹の傷とそこから流れ出す血に、馬超の双眸に影が射す。 このような敵の中では碌に手当てなどできはしない。 口を開こうとする趙雲を制して、馬超は彼を抱き上げ馬に乗せ、その後ろに跨る。 「辛いだろうが少しの間…耐えてくれ」 片方の腕で趙雲の体を支え、一方の手で手綱を握った。 馬腹を蹴り、ただ一心不乱に敵兵の中を駆け抜けた。 どのくらい走ったのか。 戦場の外れの川辺で馬超は馬を止めた。 周りに何者の気配も感じ取れないことを確認して、馬超は趙雲の体をゆっくりと横たえた。 脇腹を押さえている趙雲の指の間からは止まることなく血が流れ出していた。 白い戦袍もすっかり赤く染まっている。 趙雲を見れば、浅い呼吸を繰り返し、その顔は色を無くして白い。 「どうして…」 ふいに閉じていた目を開き、趙雲は弱々しく問い掛ける。 「どうして…来た…? 早く城へ…戻れ……」 「どうしてって…貴方を助ける為に決まっているだろう。 第一…もう城門は閉ざされている…戻る場所はない。 岱から貴方のことを聞いて、城門が閉まる直前に飛び出してきたからな」 言って馬超は苦笑する。 「馬鹿だ…お前は―――本当に。 ―――殿はご無事か?」 「あぁ、特に怪我もされていない」 それを聞いて、趙雲は胸の痞えが取れていくようだった。 「貴方の方こそ…このような無茶をして……」 「怒っているのか…? けれど…殿が大義を果たされるその時まで…お守りすることが……私の武人としての誓いなのだ」 苦しそうに咳き込む趙雲に、馬超は強く首を振る。 「もう…話すな! 分かっている…貴方のその気持ちは……。 今、手当てを―――」 趙雲は微かに笑みを作って、ゆっくりと手を伸ばすと馬超の頬に触れた。 「手当てなど…必要ない…。 それよりも…さぁ、もう行け。 ここにも…いずれ兵が来よう。 お前ならば……追撃もかわせる筈だ。 城には戻れずとも…どこか敵の手の届かぬ所まで……駆けろ。 ―――最期にお前と会えて……嬉しかった」 苦しい息の下から、趙雲は精一杯の言葉を紡ぐ。 「何を馬鹿なことを…。 貴方を置いて行ける筈などないだろう!」 馬超は頬に当てられた趙雲の手に、自分のそれを重ねた。 「お前ならば…分かるだろう…? この傷では……もう―――。 私は……直に……」 “死ぬ” 最後の言葉は遮られた。 馬超の口付けによって―――。 その不吉な言葉を封じ込めるように、馬超は趙雲に深く口付ける。 趙雲の血の気を失った唇は酷く冷たかった―――。 唇を離すと、趙雲は泣き笑いのような表情で馬超を見つめていた。 「私は……お前に生きていて…もらいたい……」 「俺は―――っ」 そう口を開いた時。 ピュッ―――と空気を切り裂く鋭い音が馬超の耳に届いた。 考えるよりも先に体が動いていた。 馬超は横たわる趙雲に覆いかぶさる。 「―――ッ!」 次の瞬間襲い来た衝撃に馬超は歯を食いしばる。 一本の矢が深々と馬超の背に突き刺さっていた。 しばらくそのまま体の下の趙雲を守って動かずにいたが、次の攻撃がくる気配はない。 警戒しつつも、馬超は身を起こした。 馬超の背に突き刺さった矢を目にして、趙雲は息を呑む。 けれど馬超の表情は変わっていない。 痛みを感じないはずはないのに。 「大丈夫…だな?」 言って、馬超は背の矢を一気に引き抜いて、地面に投げ捨てた。 「お前は……本当に…馬鹿だ」 趙雲はそう口にするのがやっとだった。 もう…助からない自分。 その自分を何故守ったりするのか、この男は―――。 不意に涙が零れそうになった。 それを見せたくなくて、趙雲は馬超から顔を背けた。 馬超は小さく笑いを洩らすと、趙雲の体を静かに抱き起こし胸に抱いた。 「貴方の…劉備殿に対する誓いがあるように、俺にも誓いがある―――。 貴方とずっと共に在ること…そして守ること。 もう一族が殺された時のような後悔だけはしたくない。 ―――覚悟しておけ、子龍。 貴方が嫌がろうが、拒絶しようが、俺は貴方の傍を離れない」 「勝手な……」 けれどその言葉とは裏腹に、とても心が満たされている自分を趙雲は自覚していた。 視界が滲むのは涙なのか…それとも―――。 馬超の腕の中は、急速に体温が失われていく自分の体とは逆に暖かかった。 そのせいなのか、抗い難い眠気が襲ってくる。 「…お前の腕の中は……心地が良いな…。 ひどく眠い……。 少しだけ……眠らせて…くれ……」 意識が少しづつ遠のいていくのが分かる。 馬超が一層強く抱き締めてくる。 趙雲は安心したように微笑んで、静かに瞳を閉じた―――。 抱き締めた趙雲の体から力が抜けるのがはっきりと分かった。 けれど馬超は趙雲の胸に手を当て心音を確かめることも、口元に顔を近付けて呼吸を確認することも決してしなかった。 趙雲は「少しだけ眠る」…と言っていたから。 そう……眠っているだけなのだ、彼は。 そんなことは確かめるだけ馬鹿げている。 だから馬超はただ趙雲の艶やかな黒髪を撫でた。 彼と過ごした夜はこうやって眠る彼を胸に抱いて、髪を飽くことなく梳いていたから―――。 咳が出た。 止まらなかった。 体の内側から何かが迫り上がってくるような感覚。 馬超は趙雲を抱いているのとは別の手で口元を押さえた。 指の間から滴る赤い雫。 だがそれでも馬超の表情は動かない。 「…毒か……」 口元を拭ってただ一言、そう呟いただけだった。 矢に毒が仕込んであった…そういうことだろう。 馬超は一度瞑目すると、趙雲の体を抱え立ち上がった。 足に力が入らなかった。 傾きそうになる体を気力で支えた。 趙雲を抱きかかえているのだ…倒れる訳にはいかない。 「―――もう少しゆっくりと休める場所に行こうか……子龍」 返る言葉ない。 けれど馬超は腕の中の趙雲に微笑みかけて、静かに歩みだした―――。 その後、劉備は懸命に二人を探させた。 けれど遂に二人を見つけることは叶わなかったという―――。 written by y.tatibana 2003.06.23 |
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