100題 - No4

はじまり
燭台の灯りが室内を仄かに浮かび上がらせている。
辺りを支配するのは静寂。
室内に在るのは一つの影―――

白い夜着姿の馬超は寝台に微動だにせずに腰掛けていた。
両膝の上に堅く握り締めた手を置いて、俯いている。
その手は微かに震えている。
が、馬超は怒っている訳でも、悲しんでいる訳でもない。
―――極度に緊張しているのだ。

落ち着け…落ち着け…。

胸の内で何度も呪文のように繰り返す。
静まりかえった室内に、自分の激しい鼓動が響いてそうな感覚に襲われる。
今にも口から強く脈打つ心臓が飛び出してきそうだ。

ややあって、扉の開く音に、馬超は弾かれたように顔を上げた。
入ってきたのは、馬超と同じように白い夜着を身に着けた趙雲。
湯浴みの後なのだろう。
濡れたままの漆黒の髪をそのまま後ろに束ね、上気した肌がほんのりと桜色に染まっていた。

趙雲は馬超と目が合うと、慌てて目を伏せてしまった。
その顔が見る間に朱色に変わる。
パタン…と趙雲が後手で扉を閉める音が妙に大きく響いた。
そのまま趙雲はその場に佇んで動こうとはしない。
馬超もまた掛けるべき言葉が見つからずに黙り込んでしまう。

重苦しい沈黙が辺りを支配する。

その空気に耐えかねて先に口を開いたのは馬超だった。
「…趙雲殿。
いつまでもそちらに立っておられるのも何ですし…、こちらにいらっしゃいませんか?」
コクリと趙雲は頷くと、目は伏せたままゆっくりと馬超の元へ歩んで来て彼の横に腰を下ろした。
ますます馬超の鼓動は早くなる。
そっと横を伺うと、趙雲も馬超を見ていたようではっきりと目が合った。

「「あのっ…!」」
二人の言葉が重なった。
「あ…すみません。
馬超殿から…どうぞ」
言った趙雲の顔は真っ赤なままだ。
「…え…えーと、その…。
夢じゃ…ないんですよね?
俺の気持ち…本当に受け止めてくれたんですよね…?」
緊張の余りしどろもどろになって尋ねる。



馬超は趙雲に想いを告げたのだ。
蜀に降って、趙雲と出会って…そしてその存在にどうしようもなく惹かれて。
言いたくて…でも言えなくて。
けれどようやく気持ちを奮い立たせて告げた。
「好きです」
と、ただ一言。
それが馬超には精一杯だった。

馬超は自他共に認める女好きだ。
放っておいても女達は寄ってきたし、色恋に関して苦労したことも、ましてや悩んだことなど皆無だった。
だから同じ男で…しかもあの長坂の英雄趙子龍に惹かれている自分に気が付いた時随分と戸惑った。
一時の気の迷いかとも思ったが、会う度、話す度に想いは募るばかりだった。
綺麗で優しいその笑顔を自分の為だけに向けてくれたら…と。
けれどそれを伝えることはとてつもない勇気が必要だということを初めて知った。
戦場で多勢の敵に単身斬り込んで行く方が余程楽だ。
思えば馬超は自分から想いを告げたことなど今まで一度もなかったから。
まさか自分が初めて恋をした娘のようになろうとは思ってもみなかった。
そうして悩んで…焦がれて…やっとのことで告げたのだ。

当然の事ながら流石の趙雲もとても驚いてるようだった。
馬超の顔を見たまま、黙り込んでしまった。
そこにいつもの穏やかな微笑はない。
浮かんでいるのは困惑―――
そして何事かをじっと考えているようだった。
馬超にはそれが自分を傷つけないように断る口実を模索しているように思えてならなかった。
だから…、
「分かりました…。
私で宜しければ…貴方のお気持ち受け入れさせて頂きます」
と返された言葉を直ぐには理解できなかった。
呆然としている馬超には気付かないようで、趙雲はいつもの笑顔を馬超に向けた。
その頬は仄かに赤く染まっていたが。
「…正直とても驚きましたけど…。
馬超殿のことをそういう風に考えたことは今まで一度もありませんでしたから…。
ですが…、貴方の気持ちを伺って驚きや戸惑いよりも…嬉しいと……そう思いました。
私のこの気持ちが貴方のものと同じなのかどうかは…まだ良く分かりません。
けれど貴方の事を…もっと知っていけたらと…思うのです」
声は小さかったが、言葉を選ぶように趙雲は確かにそう言ったのだ。

「趙雲殿!
俺…嬉しいです…!」
馬超は趙雲を抱き締める。
趙雲はビクッと身を強張らせていたが、やがておずおずと馬超の背に腕を廻してきた。
想いさえ告げれれば良いとそう思ってたのに、まさか受け入れて貰えるとは。
それだけで充分な筈なのに…人間というのはどこまで欲深いのだろう―――
馬超は趙雲の全てを手に入れたい衝動に駆られる。
心も…そして身体も。



そうして今現在に至る。
屋敷に来ないかと言う馬超の誘いに、趙雲は微かに頷いて応えたのだ。

まるで夢のようだった。
自分の屋敷に…まして寝所に趙雲が居る事が。
だから尋ねずにはいられなかった。
夢ではないのか?と。
趙雲は左右に首を振る。
「…私は確かに貴方の想いを受け入れました。
けれど…私の方こそお聞きしたいのです。
あれは…冗談などではなかったのですよね?
貴方ほどの方が…私をと…何だか今でも信じられなくて」
「冗談なんかじゃありません!
俺は…貴方のことがとてもとても…好きなんです」
真っ直ぐと熱っぽい視線が趙雲を射る。
馬超は趙雲の手を取ると、自分の胸の上に重ねた。
「分かりますか?
…貴方が傍にいると思うだけで、こんなにも鼓動が早い」
「…はい。
私も…です。
…私はこういう事には疎い方ですし…もちろんその…同性の方とこういう関係になったことはありません。
ですから…どうすればいいのか正直分かりません…。
馬超殿は慣れていらっしゃるでしょうから…私では役不足かと思うのですが、本当に…?」
不安げに揺れる瞳が堪らなく愛しかった。

趙雲はその容姿から受ける印象通り穏やかな気質だ。
けれど決して女々しくは無い。
芯はとても強い。
戦場でも日常でも常に沈着冷静だ。
良くも悪くも余り感情を露にはしない。
馬超は趙雲が怒ったり、悲しんだり、ましてや泣き出しそうになっている顔など見たことはなかった。

それが今は自分の前でこんなにも自身を曝け出してくれる。
これ程嬉しいことがあるだろうか。
「貴方が良いのです…。
いえ…貴方でないと駄目なのです…」
馬超はそっと趙雲を引き寄せ、趙雲の髪を束ねている紐に手を掛ける。

それを解くのと同時に。
二つの影が…
一つに…
重なった―――



目が覚めて、自分の腕の中に感じる温もりに馬超はこの上ない幸福を噛み締める。
身じろぐ気配に馬超が目を遣ると、丁度目覚めた趙雲と目が合った。
「あっ…おはようございます…」
真っ赤になりながら、呟くように言って、趙雲は慌てて馬超の腕の中から身を起こした。
苦笑しつつ、馬超もそれに倣った。
「おはようございます、趙雲殿」
が、はたと馬超は思い立って隣の趙雲に向き直る。
改まった様子の馬超に、趙雲は怪訝そうな視線を送る。
「えーと…本当なら昨日言わないといけなかったのでしょうが…俺、あまりに緊張してて忘れてました」
「???」
「どうか、これから宜しくお願いします!」
言って、ペコリと頭を下げる。
一瞬面食らったような趙雲だったが、直ぐに微笑む。
それは馬超が今まで見た中で一番綺麗な趙雲の笑顔だった。
「こちらの方こそよろしくお願いします」



新たなはじまり。
こうして別々だった二つの路は重なり一つとなった―――






written by y.tatibana 2003.05.06
 


back