100題 - No3

矢は一直線に左目を貫いた。
それでも男は決して跪かなかった。
「将軍!」
配下の兵が慌てて駆け寄ろうとするのを剣を持つ逆の手を突き出して止める。
「大事ない!
それよりも敵を討つことに集中しろ!」
そしてその手を左目に突き刺さったままの矢にかける。
男は躊躇うこともなく一気に引き抜いた。
―――ッ!」
矢と…傷付いた左目から流れ出した血が足元を朱に染めた。
だが男は流れ出る血も、疼く様な痛みも何も気にはならなかった。
気に掛かるのはこの戦いの行く末―――
全ては不遜で尊大…だが自分を惹きつけてやまないあの光の為。
男は剣を今一度強く握り締めると、敵へと斬り込んで行った―――

戦いの後、手当てを…という部下の言葉を無視し、男が真っ直ぐ向かったのは自陣の中、一際大きな陣幕。
陣幕の周りを警護する兵達は、男の顔を見るとギョッとしたように目を見開いた。
それを気にも止めず幕の内に入ると、中央にどっしりと座す人物と視線がぶつかった。
だが男の顔を見ても、その人物の表情は何も動かなかった。
「何とか凌いだな…孟徳」
男の言葉に、曹操は座したまま口元を歪めて不敵に笑った。
「当たり前だ。
俺はまだこのような所で倒れる訳にはいかぬ。
目指すは乱世の覇者。
天が俺を見放しても、俺が俺である限り登りつめてみせる」
言って、曹操はゆっくりと立ち上がると、男に歩み寄る。
「随分と男っぷりが上がったではないか、元譲」
「妬けるか?」
「ぬかせ…
曹操は男の…夏侯惇の左目に躊躇いもなく触れる。
未だ傷口の塞がっていないそこは、血が流れ出していた。
「…駄目か?」
血に染まったその手を見ながら曹操が問う。
左目の事を聞いているのだろう。
「ああ…おそらくな」
もう二度とその目がこの世を映すことはないだろう。

だが…
夏侯惇は思う。
現実を映す目など片方あれば充分だ。
本当に見たいもの…目の前の男が放つ光は…目など無くても見えるから。
その礎となるのなら、左目など安いものだ。
例え両の目を失っても、その強い光を見失うことはない。

「光となれ、孟徳。
この乱世を切り裂き、全てを照らす強い光に」
曹操はふんと鼻で笑う。
「元よりそのつもりだ。
―――お前こそ、その光の強さに惑わされること無くついて来れるのか?
俺は躓いても決して手を差し出したりはせん。
足手まといはいらぬ」
「愚問だな」
夏侯惇の答えに満足そうに頷くと、曹操は懐から一枚の布を取り出す。
それを夏侯惇へと手渡すと、何も言わず陣幕を出て行った。
「…フッ」
思わず苦笑が漏れる。
手渡された布は曹操がいつも身につけているものだった。
夏侯惇はその布を左目へと巻きつけた。
痛む筈の左目から、それが消えていくような感覚。
無論錯覚ではあろうけれど。

不思議な男だ―――
だがそうでなくては、面白くない。
お前は思うが儘進むがいい。
そしてお前が乱世の光となる姿…しかと見届けさせてもらおう。

夏侯惇もまた陣幕を後にし、光の中を歩みだした―――






written by y.tatibana 2003.05.03
 


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