表紙映画メモ>2011.01.02

映画メモ 2010年1・2月

(劇場・レンタル鑑賞の記録、お気に入り作品の紹介など。はてなダイアリーからの抜書です)

恋とニュースのつくり方 / 悪魔を見た / ギルティ・コンサイエンス / SUCK / MAD探偵 7人の容疑者 / ヒアアフター / 幸せの始まりは / リリア 4-ever / ウォール・ストリート / 毎日かあさん / 再会の食卓 / デート&ナイト / ティーンエイジ・パパラッチ / ザ・タウン / ソウル・キッチン / ブローン・アパート / イップ・マン / グリーン・ホーネット / クレアモントホテル / ジャライノール / ウッドストックがやってくる! / デッドクリフ / しあわせの雨傘 / デザート・フラワー

恋とニュースのつくり方 (2010/アメリカ/監督ロジャー・ミッシェル)

とても楽しかった。主人公が「今の居場所」を見つける話が、コンパクトにまとまってる。

地元のテレビ局をクビになったベッキー(レイチェル・マクアダムス)は、ニューヨークの局で朝の番組のプロデューサーとして採用される。低視聴率を打破するため、メインキャスターとして「伝説のキャスター」マイク(ハリソン・フォード)を引っ張ってくるが、報道にこだわる彼は「軽い」番組作りに協力しない。

冒頭は地元で働くベッキーの様子。「朝」専門の彼女は目覚ましを1時30分にセット、打ち合わせ開始が「5時」じゃ遅すぎる。実際の所は知らないけど、一日の始まりを担うってことで、番組そのものだけじゃなく職場にも独特の雰囲気がある。

異動先での担当は低視聴率のお荷物番組。それでも現場の皆はプロ、「ドキュメンタリーじゃない?」と思ってしまうほど「リアル」に仕事をこなすシーンが挿入される。
ベッキーのテコ入れは爽快に描かれ、観ていて楽しい気持ちになるが、それはマイクとの理解につながるものではないし、先も見えている。しかし作中では放送倫理の類より、仲間や場といったものに重きが置かれている。「砂糖か繊維か」(ジャンクフードか、体に必要なものか)という問題は、「砂糖も繊維も!」が思いがけず実現することであっさり解決する。
例えば学校においては、教員同士の仲が良く協力体制にあることは、子どもにフィードバックされるから、とても重要だ。そんなことを思いながら観ていた。

ベッキーの恋のお相手はパトリック・ウィルソン演じる別の部署の男。周囲の言葉を借りれば「ホット」なお坊ちゃん、ただそれだけの存在だ。二人の関係は物語のメインではない。
主人公にとって重要な領域で深く関わった相手と愛し合うわけじゃなく…つまり主人公がセックスするのになんだかんだ理由をつけるわけじゃなく、セックスはセックス。そこがいい。考えたら製作陣のかぶってる「プラダを着た悪魔」にもそういう部分があった。

「お局キャスター」役のダイアン・キートンは「恋愛適齢期」同様、最後に尻を触られるようになってめでたしめでたし。お尻といえばレイチェル・マクアダムスはやたらパンツ姿を披露、どれも可愛い。「着たきり」っぽいキャラなのに、結構可愛いのを着けてた。

(11/02/27・新宿ピカデリー)


悪魔を見た (2010/韓国/監督キム・ジウン)

婚約者を惨殺された男(イ・ビョンホン)が、女を殺し続ける男(チェ・ミンシク)に復讐を試みる。

予告編からブロンソンの復讐ものみたいな話かと思ってたら、冒頭の犯行…というより「暴力」シーンが細かく描かれるあたりから、何か違うなと思わされる。いわゆる「韓国暴力もの」の爽快感は無い。二時間半延々と、チェ・ミンシクとイ・ビョンホンのどちらかが暴力を振るっているばかり。次第に飽きてきたけど、終盤には、このうんざりするような長さに意味があるんだと思った。
ラスト、ビョンホンはミンシクに対し「お前の犯した罪の大きさを認めるか?」と語りかける。観ている方は…おそらく彼自身も、そんなこと有り得ないと思う。他人と価値観を共有したり理解し合ったりすることは不可能だが、肉体の苦痛は、例外を除いて万人に共通だ。痛めつければ相手は痛い。暴力の意味がそこにある。

事前に目にした予告編や宣伝では、女性客を呼ぶためか偶々か、「いわゆる」エロ要素を全て抜いてるんだなと思った。女であることの辛さをなすりつけられるような性的描写。しかし映画自体が女を差別しているわけではない。

お馴染み、イ・ビョンホンの上半身ヌードは今回は無し。寒々しい中、常にダウンジャケットを着込んでいる。コートのフードって、ああいう男たちが仕事するのに使うんだなと気付かされた(笑)

(11/02/26・新宿ミラノ)


ギルティ・コンサイエンス (2010/アメリカ/監督デヴィッド・グリーン)

レンタル新作にて観賞。コロンボシリーズを手掛けたリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの製作・脚本による85年のTV映画、アナログテープをリマスターした初の映像ソフトだそう。

ジャケ裏の解説によると「妻殺しを画策する男の前に、後ろめたい心が生んだもう一人の自分が実体となり現れる」。先日観た「MAD探偵」は「『多重人格者』を複数名の役者が演じる」なんてことを堂々とやってのけて面白かったから、通じるところがあるかもと思って観てみたら、そういうのじゃなかった。
「成功者の『栄華』ぶりを見せた後、犠牲者となる人物が映る」らしき冒頭は、コロンボシリーズを思わせる。アンソニー・ホプキンス演じる弁護士が殺人を犯した後、もう一人の自分と法廷尋問のカタチでやりとりを始める所から空気が変わってくる。頭の中でのシミュレーションだったのだ。しかしあくまでも主人公の職業を活かした妙味が勝ち、「異様」な感じはしない。
そのパターンが繰り返された後に「現実」の方が進み出し、終盤は(舞台がほぼ屋敷内のみということもあり)「探偵スルース」のような様相に。しかし主人公が相手を馬鹿にしているためか(実際大した「敵」じゃないためか)「拮抗」感はない。それなのにああいう結末が訪れるのが面白いのかな。

同時期の「ブレックファスト・クラブ」「ウォール街」などでも印象的だけど、当時のアメリカの裕福な層に、寿司を始めとする「日本」が流行ってることが分かる。「日本の木」には「Police squad!」を思い出し笑ってしまった。

(11/02/25)


SUCK (2009/カナダ/監督ロブ・ステファニューク)

レンジで30秒だけチンしたぬるま湯みたいなロック&ヴァンパイア&ロードムービー。でも楽しく観た。血吸い&キメの場面で流れるのは「T.V.eye」。

ドサ回り中の「Winners」のベース担当・ジェニファーが、ある夜を境にヴァンパイアに。彼女の魅力でバンドの人気は急上昇、メンバーは戸惑いつつもツアーを続ける。しかし彼らの後を、ヴァンパイア・ハンターの「エディ・ヴァン・ヘルシング」(マルコム・マクダウェル)が追っていた。

主人公を吸血鬼道?に誘うのはアリス・クーパー、諌めるのはイギー・ポップ。他、人気DJにヘンリー・ロリンズ(「ロッキン・ロジャー」という役名やスタジオのインテリアの止まり感がすごい)、生肉バンドのボーカリストにMOBY、ちらっと登場する店員としてアリスの娘のキャリコ(エンドクレジットで判明)などが出演。
冒頭、バーテンダーとして登場したアリスが「夢を追わなくなったら終わり」というようなことを言うので、なんだそりゃ?と思っていたら、彼は「黒の天使」なのだった。イギーの方はベテランプロデューサーの役どころ。第一声、まだいける力強さに惹き付けられる。後半コート姿で出てくるんだけど、彼にあんなの着せるなんて、ちゃんとイチ役者として扱ってる証だ(笑)
バンドのメンバーはイギーのスタジオや機材のボロさに文句を言うが、それに対するフォローはなく、「古い」評価のままで終わり。また、最後にアリスいわく「(若造に比べて)俺の種族はオールドスクールって言われてる」。「過去」じゃなく「もはや永遠」ってことなんだろうけど、いずれも印象に残った。

「Winners」はボーカルのジョーイ(この男性が脚本&監督&主演)始め男4人+女1人という構成。4人が極めて「普通」…「ぼんくら」でも「過激」でもなく、ほんとに普通なのが最近じゃ逆に?新鮮でよかった。それぞれの個性を徐々に認め、見分けが付いていく、当たり前のことだ。彼らによるヴァンパイア・ギャグの数々が楽しい。
しかし映画全体について、わびさびは皆無。役者や役どころに色気がないとかそういう意味じゃなく、昔ながらの手法に楽しい工夫も加えた映像からは、何も滴ってこない。「健全」と片付けるのは簡単だけど、そういう個性なのかな?と思った。

時にはゴースト・バスターズみたいな格好で登場しながら、気が抜けた世界を引き締めてくれるのがマルコム・マクダウェル。何がどうって演技じゃないんだけど「映画観てるなあ」という気持ちになる。エンドロールのおまけ映像も楽しい(笑)

(11/02/23・シアターN渋谷)


MAD探偵 7人の容疑者 (2007/香港/監督ジョニー・トー、ワイ・カーファイ)

特殊能力を持ちながら引退した元刑事(ラウ・チンワン)が、彼の銃を引き継いだ後輩(アンディ・オン)に請われて現場に復帰する。

タイトルしか知らずに観たので、7人なんて顔覚えられない私に把握できるかな?と思ってたけど、そういう話じゃなかった。
「MAD探偵」(原題「神探」)とは、他人の思考や性分などが「見えて」しまう男。彼が警官失踪に端を発する事件に挑むという筋書きだけど、犯人との対決や後輩との絆(「あなたは師ですから」というセリフあり)はさほど強調されず、ひたすら、公私において頑張るものの上手くいかない一人の男の世界が描かれる。全編に渡って、もやのかかったような感じを受けた。

ラウ・チンワンって、志村けんとブルース・リーを足して割ったような顔をしている。本編後におまけ上映された特典映像において、ワイ・カーファイが「ああいう男が刑事だったらと考えてみたんだ」などと言うので、それこそ「もしもシリーズ」だなと思った。上記の通り、それ以上のことは描かれないし。
「主人公が多重人格者を目の前にすると7人の男女が映る」って、そういうもんか?と思ってしまいそうなものだけど、その設定を活かして楽しく見せることで、我に返る隙を与えない。

特殊メイクについては、映った瞬間、あっこれ切るんだなと分かってしまうのがご愛嬌。
出てくる女性は皆辛気臭くて嫌だったけど、結局のところ、男性はああいう女性を望んでるのかなと思った(笑)

(11/02/21・K's cinema)


ヒアアフター (2010/アメリカ/監督クリント・イーストウッド)

観終わって、同居人いわく「キスがしたくなる映画だね」。とてもロマンチックなラブストーリーだった。「死後の世界」がどうとかいう話じゃない。波打ち際を散歩してるような気持ち、海にも陸にも踏み込まず、自分のペースで歩いてるような気持ちで観た。

私にとって「センスがいい」とはイーストウッドの映画のこと。津波や交通事故の描写も最高だし、「臨死体験」の映像も、ブナンな感じのものをさらっと見せるところにぐっとくる。最近の例だとアン・リーの「ウッドストックがやってくる!」のラストのCG効果を思い出した。

(今はこれだけしか書けない、そのうち付け足すかも)

(11/02/19・新宿ピカデリー)


幸せの始まりは (2010/アメリカ/監督ジェームズ・L・ブルックス)

「ぼくの母親は『クレイマー、クレイマー』を観て家出したんだ、この映画知ってる?」
「知らないわ」
「自立に目覚めて、父と僕を置いていったのさ」
「ふうん、へんなの」


チームをクビになったプロソフトボール選手のリサ(リース・ウィザースプーン)は、友人の紹介で見ず知らずのジョージ(ポール・ラッド)とデート。彼の方は会社の不正問題により収監寸前の身の上だった。

31歳のリサは、ちょうど「クレイマー、クレイマー」が公開された頃の生まれ。ジョージの話に対する「strange」という反応は、お付き合い、あるいは結婚の「後」に「自立に目覚める」なんて変なの、という意味なのかな(その後彼女が一人でDVDを観る場面あり)。私にはこの映画、自立した者同士がパートナーになる過程の一例、に思われた。

前半はリサとジョージの現状が別々に描かれる。上手く言えないけど、周囲との関わりはありながらも「自分ひとり」という感じがよく出ていた。その後、会話、気持ちの動き、行動、関係の変化をうまくつなげて、最後にはほうっとさせてくれる。「始めはあなたが間抜けに見えたけど…」というセリフがいい、まさにその通りだもの。

メジャーリーガーのボーイフレンド・マティ(オーウェン・ウィルソン)と迎えた朝、消耗品として買い置きされた歯ブラシ&スウェット(オーウェンいわく「もてなしの気持ちさ!」)等にキレて出て行くものの、戻って謝るリサ。「都合のいい女」ってわけじゃなく、自分の信条や相手の言動を基に考えて、言動を「修正」するのだ。このあたりから、彼女の人生見直しが始まる。

上記のシーンで、戻ってきたリサに対し「君はdream girlだよ」なんていうセリフが全然嫌味じゃないのが、オーウェンの素晴らしいところ。「プレイボーイのメジャーリーガー」という役を演るにはずいぶんくたびれたと思うけど(何というか、面の皮だけじゃないくたびれ感がある)、それがたんなる「プレイボーイ」という型にはまらない空気を出しておりよかった。自撮りする場面の最後、見慣れた表情が少し違って感じられた。

よく分からなかったのが、リサとジョージの「初デート」場面。「ドン底」同士の二人はリサのとある提案に従って食事するんだけど、途中から唐突にポール・ラッドのアップが続く。「彼女を見つめる彼」じゃなく「彼女から見た彼」の顔に見えたんだけど、なんだか妙だった。

オーウェンのチームメイトとして、「ピンクパンサー2」で日本人捜査官を演じてた松崎悠希が出演。ベンチとテーブル、二度映ってたけどセリフはなし。メインの登場人物同士のやりとりで一杯いっぱいの作品だからしょうがないか。

▼監督のジェームズ・L・ブルックスといえば、観た作品の中では「スパングリッシュ」が好きだ。

▼ポール・ラッドといえば、レンタル新作にて「奇人たちの晩餐会 USA」観た。オープニングに「Fool on the Hill」が流れる。
ポールが「奇人」のスティーヴ・カレルに振り回されるが最後には親友になる。同名映画のリメイクだけど、何でもかんでもバディものにすることないのに、と思ってしまった。「馬鹿を馬鹿にするつもりがえらいはめになる」話が「真面目な主人公が出世のために仕方なく馬鹿と付き合う」話となり、どこか切実で湿っぽい感じが漂っている。それに私はスティーヴ・カレルを映画でしか知らないから、「デート&ナイト」を楽しんだ後じゃ、ツッコミ役の方がいいなと思う。
お馴染み迷惑でぶのザック・ガリフィナキスも出てきた。「ハングオーバー!」「デュー・デート」とは少し趣が異なる、小奇麗な役。

(11/02/17・新宿ピカデリー)


リリア 4-ever (2002/スウェーデン-デンマーク/監督ルーカス・ムーディソン)

「悪態つかれても、最後までやめなかったろ?
 同じことさ、そうしなきゃ」


ルーカス・ムーディソン監督の「ショー・ミー・ラヴ」「エヴァとステファンとすてきな家族」はどちらも好きな作品。
日本未公開・未ソフト化のためなかなか観られなかった本作が、トーキョーノーザンライツフェスティバルで上映されるというので出掛けてきた。旧ソ連→スウェーデンを舞台に、売春奴隷犯罪の被害者となった16歳の少女の3ヶ月を描く。

冒頭の言葉に尽きる。リリアは近所の奴らの罵声の中、ベンチに「リリア 4-ever」の文字を刻み終える。タイトルの意味が分かった気でいたら、終盤、唯一の友達ヴォロージャがその時のことを持ち出すこのセリフに打ちのめされた。
ソファでぐったりするリリアを「大丈夫、大丈夫」とぽんぽん叩く男、テーブルを挟んで「せめて手を触ってくれ」とおずおず懇願する男。大の「悪党」ってわけじゃない。でもああいう仕組み、環境があれば、自らの益のためにそれに乗り、他の人間を踏みにじってしまう。世の中そんなものなのだ。でも、悪態つかれっぱなしでも、「4-ever」をまっとうするまで生きてくしかない。それは全然ひとごとじゃない。

リリアの売春描写の容赦のないこと。しかし「不快」な感じはしない。上手く言えないけど、だからこそ、観終わって、私が出来ることは何だろうと思わされる。劇場を出て家に帰るまで、その夜、翌日、自分の言動・選択は、こんな世の中を「よく」あるいは「わるく」することに繋がってると思う。そういう気持ちにさせる映画って少ない。

観ているこちらとしては、誰か大人が「気付いて」「救って」くれないかと思う。売店のレジ、空港の審査、ファストファッションショップのレジ、ガソリンスタンド…リリアは様々な場所で「普通に」働いている女性に遭遇する(皆女性なのは、人に対応する場には女性が多いってことなのかな)。しかしリリアと彼女達の間には、見えない壁があるかのようだ。
(リリアはまだ「子ども」とはいえ)ああした環境下で「仕事」の有無は切実な境界線なのだ。潜水艦基地の廃墟で、リリアとヴォロージャは昔の話をする。「ママはここで働いてたわ」「ぼくのパパもだよ」。ヴォロージャは寝転がって夢を語る。「ぼくたちが一緒に、家族みたいだったらって、思うんだ/仕事した後、ごはんを食べてさ」。またスウェーデンへ連れて行ってくれるというアンドレイに「次の月曜から仕事だ」と言われたリリアは、本当に?と顔を輝かせる。

リリアを演じたオクサナ・アキンシナという女優さん(当時14歳)は、どの表情も素晴らしい。何となくシャーロット・ランプリングを思わせる。
空港の店内で、並んだ化粧品を見ながらふと後ろを振り返るその仕草。自分にふさわしくないと思われてないか、万引き犯と思われてないか、気になるんだろうか?印象的なカットだった。

(11/02/14・ユーロスペース)


ウォール・ストリート (2010/アメリカ/監督オリヴァー・ストーン)

「自殺する勇気のある金融マンは少ない、恥を知ってるやつだ」

ミラノ2のスクリーンは「ディスタービア」以来、偶然どちらもシャイア・ラブーフもの。あの監禁されてひーひー言ってた男の子がいっちょ前のwall street manになってる!と感慨深かった。

数日前に「ウォール街」を観返しおいて本当によかった…と始めのうち思った。「金より時間」なんて言葉がマイケル・ダグラス演じるゲッコーの口から出てくるの、以前の彼を知らないと面白くないよなあと。しかし途中から、前作とは全く方向性の違う「ファミリーもの」だと分かってくる。ゲッコーいわく「バブルのような」人間関係の話。はかないと思いきや、ラストに映るしゃぼん玉は、壊れずどこまでも上ってゆく。

ストーリーがもこもこしてる上に映像は古臭いんだけど、観ていて楽しかった。ごちゃごちゃした早回し、分割、反射。しかし例えば「ジェイコブ(シャイア)が車内で電話を受けると、助手席のウィニー(キャリー・マリガン)の顔の上に電話先の顔がかぶさる(脳内の「相手」が代わる)」といった場面には愛嬌を感じた。「カネ」を現すのに女の宝石類を映していくのには、さすがに辟易したけど。
出演者もそれぞれ魅力を活かしている。普段苦手なマイケル・ダグラスもこのシリーズでは心惹かれるし、昔から応援してるシャイアはさておき(笑)キャリー・マリガンの可愛らしいこと!パーティ会場から追ってきた父親と話す際、薄い胸で息してる様子がとてもいい。ファッションもどれも素晴らしい(とくに家を見に行くときの格好!)。脇役の爺さんたちも、私には区別つかないけど(笑)皆いい顔してる。

観終わって、同居人と一時間ほど話し込んでしまった(それだけでも「面白かった映画」ってことになる・笑)。いわく、ウィニーがジェイコブに対して怒ったり許したりする理由が分からないと。確かにストーリーを追ってもいまいちぴんとこない。でも、何かが起こったことで、相手を責めるわけでも自分が反省するわけでもなく、ただ関係を終わらせたくなることってあるよなあ。
最後の展開には、中盤の「おれだって人間だ」というゲッコーのセリフ通り、そういうこともあるかもね、人間だもの…と思ってしまった。

(11/02/12・新宿ミラノ)


毎日かあさん (2011/日本/監督小林聖太郎)

私が読んだサイバラ作品は「ちくろ幼稚園」から「上京ものがたり」あたりまで、それ以降は手にしてない。面白いと思うけど、昔気質の男女観は苦手だし、彼女のような人が目立つことで「女はたくましい」という概念が流通してしまうのは迷惑だと思ってる(笑)

作中サイバラがカモシダさんについて「初めて会った時、同じ匂いを感じた」と言ってたけど、同じ資質が、社会における男女の差によりああいうふうに発露するのかな、なんて思いながら観ていた。またサイバラ母が、いわゆるダメ男の世話をしてしまうことについて「血は争えない」と言ってたけど、それならあの娘はどうなるのかな(笑)

原作のエピソードを次々繰り出してくるかのような前半には、あまり乗れなかった。小泉今日子にツッコミキャラがそぐわない(と私には思える)のが原因。しかし話が動き出す後半から面白くなり、皆の顔もどんどんよくなってきた。
カモシダ役の永瀬正敏がとても良かった。「鉄砲は鉄砲だ!」のシーン、涙がこぼれそうになった。子どもと一緒の場面もどれも素晴らしく、とくに久々に「家」に帰って来た際、二人を呼び寄せてじゃれるシーンなど胸がいっぱいになった。

観終わって、変な言い方だけど、もしもカモシダさんにとって誰かと一緒にいることが必要なら、サイバラが私の代わりにやってくれたんだ、という気持ちになった。

(11/02/10・新宿ピカデリー)


再会の食卓 (2010/中国/監督ワン・チュアンアン)

上海に暮らす女性のもとに、生き別れの元夫が台湾から訪ねて来る。40年ぶりの再会。しかし彼女には、長い年月を共にした夫と家族があった。

観終えてふと、昨年の「ウィニングチケット」を思い出した。つまらないわけじゃないんだけど、とにかくストーリーを前面に感じてしまったというか、その特異性ばかりが心に残ってしまったというか、そういう映画ってあるものだ。

エンディングに流れる曲の歌詞「池の蓮、どれもつがいで幸せそう」というのに哀しくなった。国は「二人じゃなきゃいけない、家庭を持たなきゃいけない」と教育しておきながら、いざとなったら簡単に引き離すんだから。

舞台となるのは上海の高層ビルのふもと、昔ながらの共同住宅。ユィアーと夫は近々立ち退き料をもらって出て行かねばならない。作中映るのは、夫婦の寝室と、何とか客人を泊められる狭い部屋だけ。炊事は「共同台所」で行い、大きな卓を使う際は路地に出す。建物の合間に干される衣類や近所の市場など、いわゆる「庶民の暮らし」がくどいほど描し出される。
空はいつも曇り。台湾からの帰郷団は揃いの帽子でバスの中、ガイドの話に合わせて右へ左へと首を振るが、窓の外はおぼろげでよく見えない。観光に出ると、行く先々で「これは世界第何位、アジアで第何位」といったアナウンスが流れている。

ぱっと見じゅうぶん幸せそうなウィアーが、元夫に「この数十年、ただ生きていただけ」と告げる。一方、国民党軍兵士の妻だった彼女と一緒になった現夫は出世を逃し、「食べなければ、節約しなければ」と自分を鼓舞しながらやってきた。「離婚」の朝、一人食卓でお粥に添えるパンを口に運ぶ姿が切ない。
それにしても、私はあれくらいの歳になっても恋愛していたいけど、ひとまず健康でいなきゃ(その努力をしなきゃ)と思った。

ユィアー役は、最近では「シャオ夫人のお葬式大作戦」(最後まで観ると、そのまますぎる邦題に唖然とする・笑)のシャオ夫人を演じていたリサ・ルー。夫役の二人も、とてもいい顔をしていた。

(11/02/09・TOHOシネマズシャンテ)


デート&ナイト (2010/アメリカ/監督ショーン・レヴィ)

レンタル新作にて観賞。

原題「Date Night」。夫婦が一夜の災難に巻き込まれるという筋書きは幾らもありそうなのに、観ながら何故かウィリアム・アイリッシュを思った。スティーヴ・カレル&ティナ・フェイのコンビが最高。ハリウッド風の味付け(「ビルの下から登場するヘリ」久々に見た・笑)も程好く楽しい。
監督はショーン・レヴィ、夫婦でボートを漕いで逃げる場面は、大好きな「ナイト・ミュージアム」でオーウェン&スティーヴ・クーガンのジオラマ人形コンビが「頑張ってるのにシーン…」というギャグを思わせる(笑)
悪者二人は一目で分かる有名人、脇役にジェームズ・フランコやマーク・ウォルバーグという豪華キャスト。「スモーキング・ハイ」風味のジェームズもいいけど、マーク好きな私としては、彼が「夫の嫉妬をかう」男としてまだいけるのが嬉しかった(笑)上半身裸でPCを操作する姿に、スティーヴが「シャツも着ずにすごいね」と言うのがツボにはまってしまい爆笑。

冒頭のデート場面がいい。疲れをおして出掛けたレストランで、お約束のジョークを披露して笑い合うなんて、素敵な関係。「倦怠期」といっても、お互い愛も思いやりもある。スティーブ演じる夫は私からしたら理想のパートナー…というか、私にとってはああいう言動が「普通」なんだけど(笑)
コメディアンとしてのティナ・フェイは知らないけど、「ミーン・ガールズ」の先生役で好きになった。本作ではヨダレからポールダンスもどきまで可愛く見せてくれる。エンドクレジットのNGシーン集において、レストランでティナが披露するギャグ(全てアドリブ?)に吹き出しちゃうスティーヴが可笑しい。

(11/02/06)


ティーンエイジ・パパラッチ (2010/アメリカ/監督エイドリアン・グレニアー)

「キャメロン・ディアスがマリブに来てるって?行く行く」
「今からマリブなんて、もう寝る時間だぞ」


「(放映中のドラマで)セレブを演じてセレブになった」俳優エイドリアン・グレニアーは、13歳のパパラッチ・オースティンと出会い、彼を追うドキュメンタリーの制作を思いつく。
冒頭の少年と父親のやりとりに始まり私生活を紹介した後、撮られるセレブ、他のパパラッチ、写真を買い取る雑誌社、メディア学の専門家など様々な人に話を聞いたり、エイドリアン自身がパパラッチを体験したり。あげく驚いたことに「こんなことじゃいけない」と少年を「改心」させようとする。有名な報道写真や出来上がった本作のフィルムを見せたりするものの、結局、少年は「時間」によって変わるのだった。

セレブのインタビュー映像はどれも面白くない。パリスが「金持ち喧嘩せず」的笑顔を見せたり(代わりと言っちゃ何だけど彼女の犬が超可愛い)、マット・デイモンが「甘い生活」(この作品に「パパラッチ」という名称が由来していることも語られる)のポスターの前でしかつめらしい顔で意見を述べたり。セレブの登場では、ただの写真だけど、大好きなデヴィッド・スペードの顔がスクリーンで見られたのが嬉しかったくらい(笑)

作り手のエイドリアン・グレニアーって知らない人だと思って観ていたら、撮影中に近寄ってきた一般人が「『プラダを着た悪魔』に出てたろ?クソみたいな映画だけど、お前はよかった」などと言うので、あの人か!と分かった(ちなみに私もこの人と同意見・笑)。その途端、結構イイ男に見えるし、映画もちょこっと面白く感じられる。自分じゃセレブに興味ないつもりでも、こういう「知ってる人」に対して心高ぶる感情が、「セレブ」やパパラッチを生んでるんだろうなと思った。

(11/02/05・新宿バルト9)


ザ・タウン (2010/アメリカ/監督ベン・アフレック)

なんてよく出来た映画だろうと感心した。「年間300件以上の銀行強盗事件が発生する」ボストン北東部のチャールズタウンを舞台に、生き方を変えようとする男の姿を描く。監督・主演にベン・アフレック。

冒頭、男4人が強盗の計画を練っている。「警備員のやつら、薄給のくせに度胸がありやがる」なんてセリフに、幾らかの事情や状況が透けて見える。その後の展開も懇切丁寧で分かりやすい。
しかし例えば、警察はなぜもっと早くに警備会社の線から犯人を追わなかったんだろう?といった「穴」が所々にある。それでも映像が素晴らしいためか白けることはなく、変な言い方だけど、却って愛嬌につながっている。好きな女性に危害を加えるやつを痛めつけに向かうベンの単純さ、そもそものベンの顔の間抜けさなどがあいまって、どことなく「可愛らしい」映画という印象を受けた。

しかし途中から、「ザ・タウン」の意味が重くのしかかってくる。強盗が家業のように引き継がれていく町、しがらみから脱け出せない町。そもそも私は予告から「ハートブルー」を思い浮かべており、タイトルにぴんとこなかったんだけど、ああいう話じゃない。「愛する人に『正体』がばれる」部分はひょいっと描かれる。
不思議なことに、主役のベン、相棒のジェレミー・レナー、その妹のブレイク・ライヴリー、皆顔が似通って見えた。それに対し、外からやってきた支店長のレベッカ・ホールは別の人種のようだ。ちなみに私はブレイク・ライヴリーびいきなんだけど、この作品ではいまいちだった。とくに終盤、バーのカウンターでのアップが続く場面は、観ているのが苦痛なほどのっぺりしていた。

ベンをリーダーとする強盗団の仕事ぶりは「最先端」という感じも野卑な感じもせず、まさに「町の職人」というのがふさわしい。カーチェイスもそれに即した、わりとリアルなものだ。
彼らが町の人間なら警察も、銀行の警備員も、皆そうなんだろう(何人かについては、確実に分かるセリフがちゃんと置かれている)。そう思うと、全てのシーンがより面白い。「仕事」の最中、彼ら目線で撮られる、すれ違う人々、皆が町の人間なのだ。ラストの野球場のくだりの、圧倒的な面白さ。ほんのちょい役の警備員が銃に手をかけるシーンの、かっこよく感じられること!

「映画的」な物の扱い方もスマート。とくにレベッカ・ホールの「足が濡れるまで」歩いた記憶が、ベンの体の下でフラッシュバックする場面にぐっときた。

(11/02/05・新宿ミラノ1)


ソウル・キッチン (2009/ドイツ-フランス-イタリア/監督ファティ・アキン)

ハンブルクのレストラン「ソウル・キッチン」のオーナーと、彼をめぐる人々を描いた物語。とても良かった。

一見おばさんみたいな主人公ジノス(アダム・ボウスドウコス)がトラックを店につけるオープニングから、なぜか分からないけど、猛烈に「懐かしい」感じがする。それは最後まで続く。俗な言い方だけど「古きよき」…かなり「泥臭い」コメディ。
トラブルに対処しながら、汚いキッチンで冷凍食品を温めては客に出す。店はそれなりに賑わっている。頭カラッポにしてぐるぐる回ってるみたいで気持ちいいことは気持ちいい、でもこんな繰り返しはちょっとヤだ、何か変化が欲しい、と思わせられる。そこから話は転がり始める。

冒頭の集まりやその後の会話から、ジノスと兄(モーリッツ・ブライブトロイ)がギリシャ系だと分かる。理学療法士として営業するトルコ系の女性や上海からやってくる中国人男性など、登場人物は監督ならではの「国際色」豊かな顔ぶれ。
ハンブルクの観光映画としての一面もある。屋外のシーンでは曇天が多い。「不法滞在」中のウエイトレスのルチアは、赤レンガの倉庫街のビル住まい。彼女を送ったジノスがベランダへ出る際、周囲が一望できる。不動産業を営むジノスの元同級生が電話しているシーンでは、最後に突然カメラが引いて遠景になる。金回りのいい人達がオフィスを構える場所なんだろう。ジノスとルチアが夜中にクラブに出掛ける際、着いて来た兄は「ここ昔はデパートだったよな、物事は留まってないもんだ」と言う。

ジノスには「体臭」がつきまとっている。ナディーンの送別会に向かう際、店の匂いが染み込んだ革ジャンを一応嗅いでみる。そのまま高級レストランの席に着くと、親族に気付かれ脱がざるを得ない。その帰り、彼と抱き合ったナディーンは、くつろぎながらもその匂いを指摘する。
上海に赴任するナディーンにスカイプの使い方を教えられても、「じかに触ったり匂いを嗅いだりしたい」ジノスは気乗りがしない。空港での長ったらしい別れのシーンがいい。ちなみにジノスは何かというとお尻や脚のことばかり言うが、そういう男には、模型とでも付き合ってろ!と一喝したくなる(笑)
スカイプ使用中の「大事なことだから、近くに寄って」というセリフも印象的だった。ディスプレイ越しなのに、私なら言うかな?いずれにせよ、スカイプで結構、のナディーンと「前時代」的な彼とは合わない。ラストシーンでは、肉体を直接感じたい者同士がクリスマスを祝うのだった。

恋人を追って行く決意をしたジノスは、ルチアに「店をやらないか」と持ちかける。彼女は「私は自由に絵を描いていたいから」と断る。皆それぞれ大切なものがあり、レストランはそれらが交差する場所。終盤のパーティはとても楽しそうで、参加したくなった。
また、冷凍食品ばかり出していた頃の常連客が「ちゃんとした料理」にそっぽを向いて出て行った後、美味しい料理に「改心」する、というシーンがないのもよかった。
そして、さすらいの料理人を演じたビロル・ユーネルのかっこよさ。ああいう軽い役もいいなと思った。

(11/02/01・シネマライズ)


ブローン・アパート (2008/イギリス/監督シャロン・マグワイア)

ロンドンのイーストエンドに暮らす「若い母親」(役名ママ/ミシェル・ウィリアムズ)は、4歳の息子を可愛がる毎日。警察の爆弾処理班に属する夫は多忙で素っ気ない。バーで出会った新聞記者のジャスパー(ユアン・マクレガー)と肉体関係を持つが、二度目の密会の際、夫と息子が爆破テロ事件に巻き込まれてしまう。

「不倫相手によって暴かれる驚愕の真実」という宣伝文句に、ジャーナリストのユアンが大活躍するサスペンスかと思ったら、全くもってミシェルの一人舞台だった。
冒頭にしつこいほど流れる、息子の息遣い。窓についた手の跡。生きている。そしてミシェルのナレーション。うちは絵に描いたような労働階級、車の番組を観て、アーセナルを応援する。ある日、金回りのいい男と出会う。彼の住まいは彼女の公団の向かいの美しい建物。「君の家、眺めはいいの?」「少なくとも窓から公団は見えないわ」という会話がいい(笑)
そして二人の「不倫」の最中に女の方の夫と息子が死亡する…というあたりで、松本清張ものみたいだなと思った(同居人は「桐野夏生」だったらしい)。しかし話はまた違うほうへ向かってゆく。

息子を亡くしたミシェルは、成り行きから幾人かと(色んな意味で)関係を持つことになるが、結局その「穴」は「息子」でしか埋まらない。後に同居人が「あれ(「息子」への依存)こそ『貧困』なのかも」と言っており、なるほどと思わされた。
「母親」にとって「男」はおそらく性的魅力があり、「男」にとって「母親」は「周りにいないタイプだから刺激的」。いわゆるセックスフレンドで、特に「恋人」「親友」というわけじゃなくても、何らかの関係を持てば、何らかの気持ちが生まれる。そういう、普通っぽい人の、普通っぽい感じが出ていたのはよかった。もっともユアンは、「魚フライなんて食べたことない」ような上流階級の男には見えなかったけど(笑・だから「君は新鮮だ」なんてセリフによる説明が必要)

通路は狭いものの私には十分と思われる公団住宅の室内に、小さく固そうなソファが置かれている。「軍人」の夫は遅い帰宅の後に両足を揃えて横になる。違う夜には妻も寝る。ミシェルとユアンの「情事」の場にもなる。ユアンが全裸になるセックスシーン、とても良かった。
二人が初めて会話を交わす際、パブで「Ooh Baby Baby」が流れていたのも、ベタだけど好きな曲だから嬉しかった。

(11/01/29・シネ・リーブル池袋)


イップ・マン (2010/香港/監督ウィルソン・イップ)

「ドニー・イェンのカンフーもの」程度の情報で観に行ったので、始まってすぐ、続編であることに気付いて不安になる。しかし支障はなく、最高に面白かった。ブルース・リーの師匠としても名高い詠春拳の達人、葉問(イップ・マン)の伝記物語。

全体的に、年始の特別ドラマのような雰囲気。悪い意味じゃなく、「オーソドックス」で「ゴージャス」、そして「国民的」。悪役イギリス人の描き方など「絵に描いたよう」だけど、しょうがないと思える。
日本軍統治下の広東省から香港へ移住してきた葉問一家、道場を開くもなかなか上手くいかない。第一の盛り上がりは「魚市場」でのアクション。楽しいけど、このあたりではまだ、血気盛んな弟子によるトラブルに、ドニーが口角上げつつ困ってるだけの話に思える。
前半の見せ場、ドニーとサモ・ハン・キンポーとの対決から空気が変わってくる。「ラスボス」のサモハンが立ち上がるシーンに、劇場では近年一番ってくらい体温が上昇。円卓に飛び乗ったサモハンの横顔は、驚いたことに、とても凛々しく美しく見えた。
以降のアクションシーンが面白いのは、アクションそのものは勿論だけど、その裏に濃厚なドラマがあるから。サモハン演じる香港武術界のドンの苦悩、イギリス植民地下での東洋人の立場、「20年後には弟子のお前が俺を倒す」「戦うのは争わないため」という葉問の教え。そうした下地が油となって、余計に心が燃える。

昨年「小さな村の小さなダンサー」を観た際、「ダンサーが出演している映画はミュージカルに見える瞬間がある」と気付いたのをふと思い出した。本作も「演技」とは違う形で肉体を使うプロが大勢出てるから、アクションシーン以外も目を凝らしたくなる。立ち姿、走る姿など。
ドニーが脚をすっと組み、お茶とタバコを脇に弟子たちの練習を見てる様子もいい。ワンシーンだけ挿入されるベッド(で夫婦で眠りにつく)シーンが、エロくて効いている。最後に家族に会いに階段を駆け下りる姿は、拳法家らしからぬ?可愛らしさ(笑)

ボクシングの試合のラウンドガールがアジア人だったのが気になった。実際そういうこともあったのかな?この映画が男の世界なら、女の世界はまた別にある。

観賞後、同居人が「そういや昨日の『グリーン・ホーネット』では、カトーにハングリー精神が感じられなかったのが不満」というようなことを口にした。私の場合、「娯楽作」における描写って実世界にフィードバックするような気がするから、実際どうであれ、何でも気楽な方がいい。でも確かに、「西洋人に虐げられながら誇りを貫く東洋人」を描いた「イップ・マン」を観た後、ブルース・リーの「挑発」ポーズを無邪気に真似て遊ぶジェイ・チョウの姿を思い出すと面白い。

(11/01/23・新宿武蔵野館)


グリーン・ホーネット (2010/アメリカ/監督ミシェル・ゴンドリー)

「こんなに楽しいの、初めてだ」
「僕もだよ」


あの「グリーン・ホーネット」の映画化…といっても原作?は知らず。

監督のミシェル・ゴンドリー、主演のセス・ローゲン、いずれも苦手なんだけど、楽しく観られた。
作中、ジェイ・チョウ演じるカトーがビールのフタを二つ同時に飛ばすシーン。予告編では途中で切れてるので、どこに当たってどうなるのかな?と思っていたら、ただ「かっこよく飛ばす」だけで、何事もなく床に落ちる。ゴンドリーの物語って「楽しくやる」ことが大事で、結果がどうとかじゃないのかもなあと思った。
ゴンドリーの映画を苦手な理由の一つは(私にとっては)「過剰な手作り感」なんだけど、本作にはあまりないから、楽しめたのかもしれない。カトーが車やコスチュームを作る場面もタイトで良かった。
「子どもっぽさ」の方は全開。そもそもあんな「ぼんくらコンビ」の話だと思わなかった。「一芸に秀でる」(カトーの場合「一芸」どころじゃないけど)事と「ぼんくら」か否かは関係ない、という当たり前のことが分かる(笑)終盤のあまりに子どもじみたケンカのシーンが楽しい。
ガラスから人命までがんがん破壊していくアクションシーンや、「コクーン」に「サイモンとガーファンクル」、「英語にしろ!」なんて小ネタの数々も笑えた。

ジェイ・チョウが(ドラマ版でカトーを演じた)ブルース・リーの真似をするシーンが可愛かった。
彼の日本での劇場公開作は全部観ている。監督・主演作「言えない秘密」でのピアノの扱い方が、柔軟かつエネルギッシュで好きになった。今回もわずかながら、ピアノを弾くシーンがある。「言えない秘密」でもそうだったけど、女の子、というかその場のパートナーと遊びながら弾くのがいい。もっとも彼の良さと本作の雰囲気は少々ちぐはぐな気もした。キャメロンも楽しそうにしながら、簡単にはなびかないし(笑)

(11/01/22・新宿ミラノ1)


クレアモントホテル (2005/アメリカ-イギリス/監督ダン・アイルランド)

ロンドンの街角に建つクレアモントホテルを舞台に、老婦人サラ(ジョーン・プロウライト)と美青年ルードヴィック(ルパート・フレンド)の交流を描く。原作は作家エリザベス・テイラー。

「老人と若者のラブストーリー」って、若者の方はどう思ってるんだといぶかしんでしまう場合もあるけど、青年が「小説家志望」であり(交流を執筆に活かすという理由があり)、彼の小説をナレーションに使用してるというのが、ずるいというか上手い(笑)
ジョーン・プロウライト(故ローレンス・オリヴィエ夫人)は高貴な坂上二郎といった感じの顔なので、役柄に合わないなあと違和感を覚えたんだけど、最後にはそれでよかったと思った。

サラがホテルを訪れる冒頭は、グラナダTVのドラマのような雰囲気。「リタイアした人々がホテルに集ってる」という設定がクリスティもののように感じられるからかな(あんな安宿は出てこないけど)。想像とまるきり違う雰囲気に戸惑うサラの姿を始め、全編に渡って上品なコメディタッチが貫かれており、岩波ホールにしては珍しく?場内に笑いが満ちていた。
老人ホーム然としたクレアモントホテルは、「再・再放送」の「セックス・アンド・ザ・シティ」が唯一の刺激、「ご臨終は禁止」。でも、時が止まったように見えて、そうじゃない。ルードヴィックいわく「夢を見ていても、現実に四方を取り囲まれている」。そこへ来て、坂上二郎の顔が活きてくる。

前半はまさに夢物語。かがんだ腰から下着が見えるルパート・フレンドが、擦りむいた膝をふーっとしてくれる!(大好きな「タイムトラベラー」のブレンダンもやるあれ、その後に歌ってくれるところも同じ!笑)膝の抜けたジーンズ、ご丁寧に染みのついたジャンパー、しかし「公文書館にしまっておいちゃいけない顔」のせいで回春効果はばっちりだ。
サラから贈られた「綿100パーセント」の白いシャツにエプロン姿で料理を振舞った後、暖炉の前でルードヴィックが持ち出すのは、雑誌の「友達テスト」。「相手が遅れてきたら」の問いに、サラは「あなたは遅れてこないから…」と答える。「僕だと決めつけないで」「だって、他に友達がいないもの」すると彼は寂しそうな顔をして、雑誌をしまいこんでしまう。「僕も友達がいない、お金や仕事、車がないとそういうのって難しいんだ」。もし二人が「恋人」ならば、互いに友達がいないことが何の支障になるだろう?実際、後に出会う女性との関係においては、そんなこと気にもとめていなさそうだ。

カトリーヌ・フロ主演「女はみんな生きている」にも、つれない孫に会うため都会のホテルに長期滞在するおばあちゃんが出てきたっけ。こちらの方も、理由は違えど、孫などどうでもよくなってしまうんだった。
本作で数回登場する「本物の孫」がちらっと見せる笑顔も、ルパート・フレンドにはかなわないとはいえ、悪くなかったけど(笑)

「これまで私はずっと、誰かの娘、妻、母だった、だから残りの人生は自分自身でありたい」と言ったサラが、夜中に本を取り落とした際、また病室で目覚めた際、夫の名を呼ぶ。そういうことってあるんだろうなと思う。

(11/01/19・岩波ホール)


ジャライノール (2008/中国/監督チャオ・イエ)

内モンゴル自治区の炭鉱の町・ジャライノールを走る蒸気機関車の、運転士たちの物語。
観賞したポレポレ東中野って、映画館は地下だけど、1階のカフェから総武線が見えるし、電車ものに合ってるなと(笑)前半はSL、後半は大地を走る列車ものでもあった。

前半は、くそ寒そうな辺境の地で老人と若者がいちゃいちゃする日常。退職を控えたジューと、まだ若いリー。後半は、その日々の延長でありながら、二人にとって特別な一日が描かれる。
素朴な題材を扱ってるけど、非常に「映画的」な作品で、全ての場面が決まりすぎなほど決まっている(私にとっては少々やりすぎなほど)。迎えに来るのが遅れたリーの自転車をジューが蹴るカットのかっこよさ、駅で姿を消したリーを見つけるジューのやりくちの可笑しさ。

映画は、二人が機関室でビールとおつまみの「鶏の足」「鍋に2杯茹でた落花生」「にんにく」をやる場面から始まる。室内に入り込む蒸気、煙突から上る煙、男たちのふかすタバコの煙、全てが寒々しい風に吹かれ、画面の中をはためいている。男たちを積んだトラックの荷台にハウスよろしく設えたビニールが飛んでいく様子は、「プリシラ」の有名シーンを思い出したけど、何て違うことか(笑)

ジューに懐いていながら、町から外に出ると食べ物や寸劇、スポーツなどに心奪われ老人のことなど忘れたような顔付きになるリーの様子が面白い。それが「若者」ってことなんだろう。
「もう二度と会えない」予感に終わる映画はたくさんあるけど、この物語の場合、二人は「距離」「交通網」の問題でまず会えないんだよなあ、なんて思ったり。

社則の「よい家族生活を送ること」という文言、「二人転」(日本の漫才のような芸)の女性の衣装に描かれたミッキーマウス。町の子どもたちが着ている服は、日本ならイオン系のお店で売っていそうなもの。どこで買ってるんだろう?たんに「知らない世界」を眺めるだけでも楽しい映画だった。

(11/01/17・ポレポレ東中野)


ウッドストックがやってくる! (2009/アメリカ/監督アン・リー)

アン・リーの新作というので楽しみにしてた作品。やはり良かった。

両親経営の古ぼけたモーテルを手伝う青年が、ふとしたことから地元にウッドストック・フェスティバルを誘致する。「主人公」の手による小説を基に制作。映画「ウッドストック」は学生時代に観たけど、この実話については知らなかった。

印象に残ったのは「男の優しいまなざし」。女のそれもあるけど、主人公が男ということもあり、男の…男と男が見つめあうまなざしがそこかしこに散りばめられている。主人公始め、それを主眼に役者を選んだんじゃないかと思ってしまう。
静かな「優しさ」に満ちた空気に、当時のギター中心の楽曲がよく合っている。ギターの音ってこういう顔を持ってたんだ、と気付かされた。

ヘリコプターで登場し、その後バイク、馬と色々な物を乗りこなすフェス主催者のマイケル(ジョナサン・グロフ)は、主人公エリオットの守護天使といった趣、どことなく「ボーイズラブ」っぽい空気も感じる。最近なら「約束の葡萄畑」のギャスパー・ウリエルといったところか(何かを与えてくれるわけではなく、寄り添ってるだけという点でも)。
エリオットと父(ヘンリー・グッドマン)、あるいは母(イメルダ・スタウントン)を含めた家族の関係描写は、アン・リーお得意のそれ。その他、ベトナム帰りの友人を演じるエミール・ハーシュ、エリオットの元恋人の新恋人の元恋人(笑)のリーヴ・シュレイバー(イイ顔!)など、いずれもいい味を出している。

フェスティバルが始まるまではエピソードが手短に積み重ねられていくが、それ以降は、エリオットの体験の幾つかが、それまでになく時間を掛けて丁寧に描かれる。いわゆるドラッグを使うシーンが何度か出てくるけど、こんなにやりたくなる映画ってない(笑)前半の、マリファナ吸った際の「感じ」もよく撮られてたけど、後半の、会場でドラッグをやるシーンがすごくいい。手作りのものを身の回りに置いとくと、ハイになった時に自分の作ったものに違う息吹が宿るところが見られて面白いなあ、などと思いながら観てた。
また、彼を会場へ送ってくれる警官がヘルメットに花を(おそらく誰かの手によって)飾ってるんだけど、このシーンから、ヒッピーが「花」をシンボルにする気持ちが何となく分かるような気がした。

作中、フェスティバルのステージは出てこない。エリオットが感動するのは「人の海」。それを表すCGのセンスのいいこと、ハイセンスって意味じゃなく、控えめに使うあたりが好みだ。

(11/01/15・ヒューマントラストシネマ渋谷)


デッドクリフ (2009/フランス/監督アベル・フェリー)

崖を登るクライマーのポスター(ちゃんと見ればホラー映画と分かるんだけど気付かず・笑)に興味を持ち観賞。山映画としてはいまいちだったけど、あまりの災難ぶりが笑えた。

舞台はクロアチアだそうで、風景がとてもきれい。カップル二組+うち一人の元彼氏という若者5人組が、立ち入り禁止区域に入り込む。「うまくいけば夕方には町でビールが飲める」というセリフに、「山」ってつくづく物好きな趣味だよな〜と思わせられる(かくいう私も好きなんだけど)。最初から町に行けよと(笑)ともかく、山好きな雰囲気がよく出てた。チラシによると、クライミングなどのアクションシーンは全て役者自身によるものだそう。

「クリフハンガー」冒頭のエピソードのようなひと騒動を終え、一息ついたと思ったら次から次へと災難が降りかかる。この手の映画じゃよくあることだけど、そうなるともうギャグの域で、ハーケンが外れるシーンで笑いが止まらなくなってしまった。
やがてそれらが「山の事故」ではないことが分かってくる。フェラータ(岩場に設置されたワイヤーなどを使用する登山)なので軽装なのは仕方ないとしても、足首はカバーしたほうが…などと思っていたら、装備なんて関係ない、後半はリス・エヴァンズ風の(=マッチョじゃない)殺人鬼に執拗に追われるはめに。色々あって、ラスト、彼がそうなった所以を字幕で説明するのには拍子抜けした(笑)
裸の男を横から見た図が出てくるので、同じくシネパトスで観た、ソーラ・バーチ出演の「テラートレイン」を思い出した。あれも裸は男のしか出てこなかったっけ。

高所恐怖のため吊り橋で足がすくんでしまうシーンに、こういう「恐怖」を演じるってどういう感じだろう?と考えた。

(11/01/12・銀座シネパトス)


しあわせの雨傘 (2010/フランス/監督フランソワ・オゾン)

「宝石をつけるのは、従業員たちへの敬意の表れよ
 労働の結果は皆で分かち合わなくちゃ」


とても良かった!しじゅう胸がいっぱいで、観終わって、今年のベストワン作品はこれで決まりと思ったくらい(笑)
カトリーヌ・ドヌーヴ演じるブルジョワ階級の社長夫人、「お飾りの壷」(原題「Potiche」)が、倒れた夫に代わって雨傘工場を切り盛りすることで変わってゆく物語。

映画は、スザンヌ(ドヌーヴ)がジョギングしたり家事をしたりという朝のひとコマから始まる。ラジオから流れる音楽、面白おかしい効果音、このあたりは「よくできた2時間ドラマ」という感じ。勿論それだってオゾン風味で面白い。さらりと「下ネタ」(という言い方は好きじゃないけど)が入ってくるのは昨年末観た「Ricky」のうんこちんこと同様だけど、それほど違和感はない。

(「ネタバレ」ってわけじゃないけど、今後観る予定があるなら、以下は読まないほうがいいかも)

途中から(私にとっては)たんなる「よくできたコメディ」ではなくなってくる。スザンヌのボスとしての活躍は極めて手短に描かれる。物語のメインは彼女の変化と、それにともなう周囲の人々の変化、彼女と彼らの関係の変化だ。
面白いのが、ジェラール・ドパルデュー演じる市長ババンの言動。予告編から「仕事を通じて変化したスザンヌを愛する「新たな男」(だが、おそらく最後は「身を退く」)」かな?と勝手な想像をしていたら、そうではなく、彼はスザンヌと肉体関係を持ったはるか昔から、ずっと彼女を崇拝してきた男なのだ。しかし再会の後あれやこれやを経て、彼女が他の男とも関係があったことを知ると、仕事の話について「君の何を信じろと言うんだ」と突き放す。これじゃあまるで「(500)日のサマー」のトムじゃないかと思ってしまった。会ってすぐセックスした後で「自分を大切にしてほしい」などと言い出す男のようなものだ(「男」としたのは、私は「男」しか知らないから)。
しかしスザンヌのモットーは「調和」。娘に対する「なぜ敵対しようとするの、私は味方なのに」というセリフが印象的だった。やがて映画の中に彼女の愛がゆきわたり、役者のチャームによるところも大きいけど、「亭主関白」の夫(ファブリス・ルキーニ)もババンも、可愛らしい部分を見せてくれたり、気持ちに余裕がうまれたりと、穏やかになってゆく。

ドヌーヴの脚がとても魅力的に撮られている。去年観た映画ではいつも細いヒールの靴を履いてたから、今回は太いやつで、歩きやすそうだなあと思ってたのが、話が進むにつれ、時代もあるのか次第に細くなっていく。唯一腿まで露わになるのが、大型トラックに乗り込む場面。その後とある状況になった彼女の、表情の妙の素晴らしさ。「野生的」な男が好き、という前フリが効いている(それが「Ricky」のダンナ!見た瞬間笑ってしまった)。とはいえ「公証人」タイプもかっこよければ好き、このへんの自由な俗っぽさがオゾンらしいところ。

「大団円」は、例えるなら「バード・シット」のラストのような、「時をかける少女」のラストのような…って全然違う気もするけど(笑)よくできた映画をひっくり返す楽しさに不意を突かれる。しかもドヌーヴの単独ステージ。はじめ既成曲を聴かせた「ラジオ」から、ドヌーヴの声が流れる仕組み。人々に囲まれ歌う彼女のカメラ目線には心底しびれた。

(11/01/09・TOHOシネマズシャンテ)


デザート・フラワー (2009/ドイツ-オーストリア-フランス/監督シェリー・ホーマン)

もう10年以上前、女性誌の書評欄でトップモデル、ワリス・ディリーの自伝「砂漠の女ディリー」が紹介されていた。興味を持ったけど、いまだに読んでない。先に映画化された本作を観ることになった。

1978年のソマリア。老人男性との結婚を強制された少女ワリスは砂漠を越えて逃げ、ロンドンへ渡り、その後帰国を拒否し路上生活者となっていた。
ある日彼女が出会うのが、最近では「17歳の肖像」にちらっと出てたサリー・ホーキンス演じるマリリン。ダンサーを目指しながらtopshopで働いている。その時代、女二人の友情、彼女のストリート系のファッションから、不意に「マドンナのスーザンを探して」を思い出した(全然違う話なんだけど)。
しばらく友情ものとして楽しく話が進むんだけど、とある場面で、この映画の主題が「FGM(女性器切除)」の告発だと分かる。女同士で性器を見せ合うシーンが丁寧に撮られている。それを見たらどうしたって、ワリスはその問題にどう向き合っていくのか?今現在、その問題は世界的にどうなっているのか?が気になってしまうけど、映画はその問いにきちんと答えてくれる。ワリスが「人生を変えた一日」について語るシーンでは、作中の記者と同様、私も涙が止まらなかった。
ワリスの「告白」の切っ掛けになるのが、マリリンのいわゆる「遊び」のセックスだという点が良かった。また終盤、初めて裸の写真を撮られるワリスは、以前出会ったとある男性の幻に触れてキスをする。女がセックスをする時、裸になる時、それは自らの快楽のためで「も」あることが示されている。

ワリスを「発見」する人気フォトグラファー(ティモシー・スポール)は、その横顔について「究極の美」と評するけど、私にはよく分からない(演じているのは現役モデルのリヤ・ケベデ)。作中一番「美しい」と感じたのは、廊下でウォークの練習をしている時のマリリンの横顔だった。仕事の描写はさらっとしてるけど、ワリスは「モデルのプロ」なんだろうなあと思う。

ワリスに「偽装結婚」を申し出るのが、いかにも「イギリス男」って感じのニール。あんなにも自分の性的魅力に無頓着でいながら他人に迫れるなんて、ある意味羨ましい。「世界一の美女が隣にいるのに指一本触れられない」なんて言ってるなら、その匂ってきそうなカッコをやめろよと(笑)悪い人じゃないんだけど、彼の言動の変化は観ていてとても恐ろしかった。「権利」を持つと、人は次第に相手を思いやる気持ちがなくなる。

最後のスピーチにおいて、ワリスは「お母さんを、家族を愛してる」と言うんだけど、父親についてはどう思ってるんだろう?原作には記述があるのかな?今更ながら読んでみたい。

(11/01/05・新宿武蔵野館)



表紙映画メモ>2011.01・02