テアトルタイムズスクエアで観てきました。
ドナテロウズに映画のオリジナルジェラートを置いてるそうなので、寄ってみたら、売り切れだった。でも同じフロアに、謝肉祭のカーニバルシーンで実際にヒースが着た衣裳が飾ってありました。えらくちっこく見えた。
18世紀、水の都ヴェネツィア。良家の子女と婚約したばかりのカサノバ(ヒース・レジャー)は、「女だてら」に学問や剣を使いこなすフランチェスカ(シエナ・ミラー)に興味を抱き、正体を隠して接近する。
劇場出るとき、女性二人組が正しい発音で「カサノ〜バ」「カサノ〜バ」(「ノ」が上がる)と言い合ってたのが可笑しかった。そう、作中、ヒース自身は勿論、町中の人々の口から「カサノバ」という名前が出てくる。そうでもないと「カサノバの話」ということを忘れてしまいそうなほどの「ファミリー映画」でした。
(ヒースが名乗るのを見ると、「ROCK YOU!」のクライマックスで、自分の名を叫びながら向かっていくシーンを思い出してしまう)
ヒースの…いやカサノバの、女性とのナマっぽい会話はほとんど出てこず、シエナ・ミラーに対しても、彼女の著書を引用してみたり、特別なモノを用意してみたりと、行われるのはカタチ的なやりとりばかり。でもそういうとこも、骨組みのしっかりした「コメディ」というかんじで楽しかったです。
カメラは、大勢の登場人物を追って、目まぐるしく廻る。一瞬だけ映る町の人々も皆印象的。
勿論エキストラだけでなく、カサノバ逮捕に執念を燃やす司教(ジェレミー・アイアンズ/髪型が面白かった/けど、もうちょっと活躍してほしかった)や、フランチェスカの婚約者(オリヴァー・プラット)、母親(レナ・オリン)など、皆よかった。
だって、あの(「存在の耐えられない軽さ」「蜘蛛女」の…近年の「ハリウッド的殺人事件」でも相変わらずの黒下着だった)レナ・オリンが、「どうせ私はクモの巣の貼った後家」なんて言って拗ねるんだよ。可愛い。
ヒース・レジャーは、時代物への出演が多いこともあり、「パトリオット」「ROCK YOU!」「サハラに舞う羽根」「ケリー・ザ・ギャング」「ブラザーズ・グリム」「ブロークバック・マウンテン」いずれでも馬に乗っているけど、今回もクライマックスで飛び乗ってた。なかなか爽快なシーンでした
(06/06/29・劇)
ここんとこ毎日サントラ聴いて、楽しみにしてました。観たら、やっぱりすごく良かった。
60年代、アイルランドのちいさな村。諸事情あって教会に置き去りにされた赤ん坊は、神父さま(リーアム・ニーソン)の手で近所に預けられる。
女性の格好やキラキラしたものが大好きで、変わり者として浮きまくる彼…パトリック“キトゥン”ブレイデン(キリアン・マーフィ)は、やがてスーツケースひとつで町を出た。放浪の末ロンドンにたどり着き、街に呑み込まれた「幻の女」、女優のミッツィ・ゲイナーに似ているというほんとうのママを探し求める。
キトゥンの目は、とてもまっすぐである。ふつうの人はそんなふうに見つめないから、「お前、ヤクやってるのか?」なんてあらぬ疑いをかけられたり。
初めての男にむかって、そのまっすぐな目で、彼は言う。
「もしも私が病院に運ばれたら…あなた、迎えに来てくれる?」
そこには、駆け引きも、拗ねもいじけもない、ただ「好きな人に伝えたい」思いがあるだけ。
数年後、クラブで抱き合って踊る男に、彼は言う。
「あなた、内緒で犬を買って、私を喜ばせてくれる?」
今度は、目は肩越しに見開かれたまま。たまにはそんな夜もある。
初めての男も、それからの男も、ほんとうに望むことはしてくれない。キトゥンもそれは重々承知。「わかってたの、バラもチョコレートも、口先だけだって…」でもしょうがない。ラブソングを聴けば心は躍るし、故郷には大事な人たちがいる。楽しくいかなきゃ。
冒頭いきなり、吉田戦車の「伝染るんです」を思い出しちゃったんだけど(読んでた人なら絶対連想するはず・笑)、その他心に浮かんだことがいくつかあって、まず、唐突だけど、ロザンナ&パトリシア・アークエット姉妹。手品の助手というのが、「マドンナのスーザンを探して」でのロザンナの役柄とかぶったのと、キトゥンの実家の部屋が、「リトル・ニッキー」でパトリシアが住んでたところに似てるように感じられて。都会と田舎だし、実際には全然違うんだろうけど。
それから、「Fairy Tale」の章でキトゥンがちいさなおウチをみつけるシーンは、大島弓子の「つるばらつるばら」。「女」として生きる男の子が、夢で見た家を探し続ける話。そういや最近、性同一障害の男の子が、女の子として小学校に通ってるという話があったね。そういうニュースはやはり嬉しいものだ。
キトゥンは多くの男と出会うけれど、手品師(「クライング・ゲーム」のスティーブン・レイ)とのエピソードがいちばん印象的でした。
カフェで拾われたキトゥンが、初めてショーの「手伝い」をさせられる場面、私は胸がえぐられそうになったんだけど、彼はその仕事をこなし続ける。手品師もわるそうな顔ひとつ(少なくとも作中では)せず、二人はそれなりに愛し合っている。
「おれが好きなのは、お前みたいな女だ」
「私、女じゃないのよ」
「わかってる。だから言ったんだ、girl like youって」
そう、人は自分にとっての「それ」を愛するんだ。
音楽も盛りだくさんで楽しかったです。映画って、音楽が流れて…それが、俗っぽい曲、いつかの流行歌でも…映像があって、それだけで面白い。今回のテーマ曲「シュガーベイビー・ラブ」は、「ミュリエルの結婚」の「ダンシング・クイーン」を思い出した(この映画でも「シュガーベイビー〜」はお約束で使われてた)。
時代の流れとともに、ロックも変わってく。そうそう、当時はあんなむさい男でも、グラムロックのカッコしてたんだよなあとか。腹肉出してさ。
外は雨、相手はあの人、クルマの中で「Feeling」が流れるシーンは、「チャーリーズエンジェル・フルスロットル」でドリュー・バリモアが聴く「Livin' on A Prayer」を思い出しちゃった(笑)
サントラには入ってなかったけど、私の大好きな「Me and Mrs.Jones」が流れたのも嬉しかった。歌詞だけ見れば、ありがちな不倫の恋の歌だけど、その場の状況とちょこっとかぶっちゃって。
「ぼくらは毎日、同じカフェで会う
6時半、いつも彼女はそこにいる
(中略)
そろそろ別れの時間だ、心が痛む
彼女は彼女の、ぼくはぼくの道をゆく
でも明日、ぼくらはまた会う
同じ場所で、同じ時間に」
最後に、子どもの想像は、意外と当たるものだ。
リーアム・ニーソンはまたしてもいい役だったなあ…
(でも神父さまの朝食は、不味そうだった!油の海に浮かぶウインナー…)
(06/06/15・劇)
ファッションカメラマンとして働く31歳のロマン(メルヴィル・プポー)は、ある日医者から、余命数ヶ月であることを知らされる。
同居中の青年にも、しっくりいっていない家族にも、自分に死が迫っていることは言えない。
ロマンは、森の中にひとり暮らす祖母(ジャンヌ・モロー)に会いにゆき、彼女にだけ、事実を告げる。
「どうして私にだけ教えてくれるの?」
「僕に似ている…もうすぐ死ぬから」
まったく関係ない話だけど、「『赤ずきん』はなぜ愛くるしいか」の中で、著者は、自らの若気の至り的解釈として、赤ずきんのお婆さんは、なぜ寂しい森の中で暮らしていたのか、赤ずきんの両親に捨てられたので、狼を利用してその娘を殺したのではないか…という文章を載せているんだけど、それをふと思い出してしまった。ジャンヌ・モローには似つかわしくないけど。
「(夫が亡くなってから)愛人たちがいなければ、私はどうにかなっていたわ」
というセリフがあったけれど、愛人たちとも、森の中で逢っていたのだろうか。
森の中の老女と愛人、というと、フィクションにはあまり見られない組み合わせなだけに、ロマンチックなものだ。これも関係ない話だけど、先日「ナイロビの蜂」を観た際(以下ちょこっとネタバレ)、冒頭、主人公の妻は、慈善活動に熱心ながら男も大好き、と取れるような描き方をされており、あまり見ないキャラクターで面白いなあ、と思ったものだけど、後半そうでもないことが判って、そこのところはつまらなかった。ちなみに「ナイロビ」のビル・ナイは、たいして面白みのある役でもないのに、やはり素敵でした。
閑話休題。
ジャンヌ・モローは裸で眠る。
「おばあちゃんと一緒に寝たい」
「でも私は裸で寝るのよ」
「だいじょうぶ、見ないから」
ちなみに私自身も、寝るときは何もつけないんだけど、先日、同居人がふと、もし私が年をとって、病院なり施設なりに入ったら、パジャマを着なきゃならないでしょう?せめて最期には、裸で死ねるよう、自分が脱がせてあげる、と言っていたのを、思い出した。
「私のために化学療法を受けて」
「そんなもの…信じてないくせに」
「あなたを、信じてるわ」
「おばあちゃんは素敵だ。もっと早く会ってたら、結婚を申し込んでた」
ロマンはなぜ、子どものころの自分に何度も遭遇するのか?
「夢の中でなら、誰とでも寝られる…それこそ昔の自分とでさえも」
最後は「ベニスに死す」を思い出してしまいました。
そうそう、「ベニス」といえば、ロマンの恋人のサシャ(ジャッキー・チェンが美形になったようなカンジの鼻デカ好青年)は、別れを告げられた夜、ソファで一人寝している際、こめかみから一筋の血を流す。印象的なシーンだった。
ロマンは、身勝手な別れの宣告の後、彼に連絡を取り、もう一度セックスしたいと頼むが、断られる。
「今更そんなことしてどうなるの?」
「可笑しいな、君からその言葉を聞くなんて…
これまで毎日、そんなことをしてどうなる、と思ってきた。
だけど今日だけは、そう思わなかったんだ。
それがいま、君からその言葉を聞くなんて…」
二人は仰向けに寝転がり、ロマンは彼の手を、自分の胸に当てる。鼓動が聞こえるかい?まだ動いてる…
ラストシーンの、ロマンの海辺に寝そべる身体、男の人の、横たわる硬い身体は、私にとっては丘陵のような、あるひとつの世界、美しい世界であることを、ふたたび思い出した。
追記。主人公のロマンがいわゆるハッテン場に行くくだり、どこかで見たものに似てる気がしたんだけど、トッド・ヘインズの「エデンより彼方に」(大好き)で、ジュリアン・ムーアのゲイのダンナがバーに出かけるとこだ。時代も雰囲気も全然違うんだけど、どちらからも、大仰でメロウな印象を受けた。そんな真剣にならなくても…という。
(06/06/01・劇)
ジャケ写や裏の解説に、「潜水艦映画だ〜」とワクワク見始めたのですが、いい意味で、期待は裏切られました。面白かった。
港町のちいさな波止場。水兵の塗りたくった赤ペンキの被害に遭う海鳥。はためく国旗を見上げる艦長。あちこちから集まってくる乗組員たち。そのほとんどは「潜水艦映画」らしくないスッキリした顔。さらに頭部もスッキリ気味の若い航海長は、ラップミュージックはいいなァ〜などと遅刻寸前までねばっている。
軍事訓練に出るこの通称「スラヴ・ガール」には、一年生水兵の他に、初めて潜水艦に乗るというので心おどらせているオヤジがいた。学者で名前はチェルネンコ。楳図かずおを数十才若くしたような風貌、青ジャージに肩かけカバン。艦内の風習を知らない彼を皆はバカにするが、その風習というのが、どの世界でもそうだけど、外部からすると知らなくて当然のことばかり。声を掛けるときは「ちょっといいですか」ではなく「すいません」…というのはまだしも、持ち込んだ金魚の水槽に氷が入ってるのは「ゆだっちゃうからな!」って、それ、ホントなの?
でもって、まるい出入り口をひょいっとくぐり抜ける、潜水艦映画には頻繁に出てくるアレを初めてやった学者さんは、マジメな顔でガッツポーズ。役には立たなさそうだけど、憎めないオヤジだ。でもやっぱり、乗組員たちには受け入れられない(笑)
このあたりまで、いわゆる「潜水艦映画」の趣はまったくありません。でもその「普通の人たちぶり」が面白い。
しかしこの後「スラヴ・ガール」は、放った魚雷の燃料タンクが海中で機雷に衝突したことにより、予想もし得なかった危機に見舞われる。おし流され、火だるまになる乗組員たち。
(↓以下ネタバレ)
結局、かろうじて使える一組の潜水セット(12組あるのに使えるのは一組だけ…それが明らかになるくだりは、それこそ普通の会社でもありそうな、「潜水艦映画」らしからぬ一幕)を着込んだ上記の学者さんが72メートルの深度から脱出し、救出を求めることに。私なら何度聞いても覚えられそうにない「脱出の手順」を聞きつつぎょろぎょろする、マスクごしの眼がコワイ。
結末は…私、こういうリドル・ストーリー、好きなんだよなあ。灯りだす町の明かりが印象的。
ところで後半、まんじりともしない中、乗組員同士がこんな会話を交わすシーンがある。
「オレンジ食べるか?」
「…だってお前、どうせ「オレンジなんてない」って言うんだろ?」
(…最初の彼、食糧庫からくすねておいたオレンジを取り出す)
こんな返し方をされるってことは、いつもこんなようなことを仲間相手に言ってたからだよね。これと似たようなこと、私もよく言うんだ。冷蔵庫のアレ、食べちゃったよ!え〜ほんと?ううん、ウソ!みたいな。ばからしいけど、気付くと口から出てるの…