「運命を分けたザイル」に感動したので、この機会に「山の映画」についていくつか書きます。
一本目はヘルツォーク作の「彼方へ」。山登りが延々と続くわけではなく、山をめぐる男たちのドラマといったかんじですが、ラスト20分ほどの登山シーンはすごい迫力。
ロッククライミング選手権で優勝した若いマーティン(ステファン・グロヴァッツ)と、大会のゲストとして彼に渋いコメントをしたベテラン登山家のロッチャ(ヴィットリオ・メッゾジョルノ)。二人はスポーツ記者アイヴァン(ドナルド・サザーランド)の提案で、パタゴニアにそびえる前人未到のセロトーレ山にやってきた。だがロッチャは以前の失敗から慎重になり、なかなか行動を起こさない。しびれを切らしたマーティンは彼の留守をねらって山に向かい、相棒を雪崩で失いながらも山頂に到達したと主張。ロッチャは黙って姿を消す。
しかし山岳界ではマーティンの登頂を疑う声もあり、アイヴァンの指揮によりテレビカメラの監視のもとに再登山が行われることとなる。ヘリコプターが舞う中、山のふもとに一人留まっていたロッチャは、マーティンとは反対側から頂上を目指す。
原題は、副題の「ザ・クライマー」ではなく「Scream of Stone」。ロッティが出会う「指のない男」…メイ・ウェストのために山に登った男が、セロトーレ山について、「岩が「来るな」と叫んでるのさ」と言う。
冒頭、ふもとでキャンプしてる場面では、山男でもないのにやって来ている、ぺらぺらの黒コート着たサザーランド(遭難者を探しに行こうとするロッチャに「そんな馬鹿げたレインコートなんか着て!」と怒鳴られる)や、朝っぱらからキッチリした髪に化粧で炊事する女性(マチルダ・メイ)がジャマだなあ…と思ってしまうのですが、話が進むと、その他にもいろんな人が出てきて、結構面白い。デブッたテレビ番組のプロデューサーは「この番組が成功したら(富と名声が手に入り)もう山なんて登らなくても生活できますよ」なんていう。
サザーランドのぼそぼそしたナレーションもあって辛気臭い雰囲気ですが、何度か観ると可笑しく思えてくる。
パッと見、この話は、中年男と若者の対立だ。根っからの山男であるロッティは、「このままでは登山がたんなるスポーツになってしまう」と頭を抱える。またマーティンの登頂(主張)を公の場で糾弾するのも、熟練した(もしくは引退した)山の男たちという風貌である。それに対し、近代的な部屋にトレーニング用のでこぼこ(名前が分からない…)を備え付けてちょいちょい練習するマーティンは、いかにもあっけらかんとした若者。
クライマックスの登山シーンは、マーティンが南側の岩肌から、ロッティが北側の雪面から、それぞれ頂上を目指します。吹雪がすごくて、場所はともかく、あんな天候の中撮影を強行するなんて、さすがヘルツォーク。
ラストシーンは山の頂と二人の男をとらえた壮大なカットで、アンドレ・カイヤットの「眼には眼を」(大好きな映画!山じゃなく砂漠だけど)をちょっと思い出させます。
これは面白かった!ドキドキしっぱなしでした。
テアトルタイムズスクエアって、客席の傾斜が大きくて山の斜面みたいだから、面白さがさらにアップしたかも。
1985年。英国人登山家・ジョーとサイモンは、標高6600メートル、前人未到のシウラ・グランデ峰西壁の登頂に成功する。
しかし下山時にジョーが右脚を骨折。互いをザイルで結びふもとを目指すが、ジョーは氷壁を墜落、宙吊りに。共倒れを目前にサイモンはザイルを切断。クレバスに転落しながら一命を取り止めたジョーは、激痛に耐え決死の脱出を試みる。
原作は、奇跡の生還を遂げたジョー自身が書いた「死のクレバス アンデス氷壁の遭難」。俳優が演じる再現ドラマの合間に、本人へのインタビュー映像が挟み込まれます。
冒頭、一面の雪に深々と残るいびつな足跡。いっぱい積もってるなあ(当たり前だ)と思いきや、カメラが引くと、それは、点々と口をあける巨大なクレバス…
頂上にたどりつくまでの描写も十分面白く、これだけをスクリーンで見るためにお金払っても惜しくないと思いました。だってほんとに垂直なんだよー。ピッケルと、ナイフが何本も飛び出てるような靴の先を突き刺して一歩一歩登るの。実際のアンデス山脈で撮影したそうだけど、メイキングフィルムがあれば観てみたい…
登山経験のない私には謎である「どうやって用を足すのか」「何を食べるのか」などには触れられなかったけど(少しは触れてたけど…鍋に雪のかたまりをいれると、みるみる茶色くなったように見えたけど、あれは何なんだろう。映像の加減かな)、映像も話の内容も、とにかくすごくリアル。
とくに、当たり前ながらサイモンの心理描写に真実味があり、何らかの状況に陥って→心が動く、決断する、行動する、ただそれの繰り返しなんだけど、胸を打たれてしまいました。
(ところで、ジョーの骨折に際しサイモンがとった手段について、私は、へえ!そういう方法があるんだ、と感心してしまったのですが、登山家一般が使うテクニックなのか、それとも彼がその場で考えたものなのか、どっちなんだろう?)
私としては、ジョーが発見された後のこと、たとえば、まず何を口に入れたのか、どうやって運ばれたのか、あるいは清潔な病院のベッドで何を思ったか(写真は出てくる)、そして何より、エンドクレジットでちょっと触れられた、事件の後サイモンにふりかかった非難はどんなものであり、二人はどう対処したのか…そういったことにとても興味が湧きました。
映画としては、そこまで描いちゃうとクドイんで、バスッと切られててよかったけど、観たあとは色々考えずにいられない。原作には載ってるかな。
ちょろっと挿入される南米の風景も美しかったです。岩を這うでかいコオロギみたいのが出てきたけど、映画に写った人間以外の生物はあれだけかな?
「山を登る」なんて、ただ生きるだけなら、しなくていいことこの上ない行動なのに、人間はそういうこと、しちゃうんだなあ、面白いなあ、と思いました。
(05/02/22・劇)
レイ・チャールズの伝記映画。シーンがめまぐるしく替わり、音楽もばんばん流れるので、たとえ眠くても、ちょっと眠ってしまっても、耳だけでも楽しめると思います。
冒頭、レイの母親が洗濯物を干しているシルエットが映るのですが、お尻がおおきくてぴょこんと自己主張してる。黒人の、あのお尻。その後も、レイ・チャールズがピアノを弾けば皆が踊りまくるので、いろんなお尻が見られます(でも出世するに従って、でかいホールで演奏するようになるので、見られなくなる。客の服装も次第に変わってくる)。こころなしか、そういうお尻を支えるピアノの椅子も、日本のヤマハあたりのそれより、肉厚に出来てるような気がして…
色んなピアノが出てきたのも面白かったです。レイが弾くのだけでなく、二つ目の家に置いてあった、オクターブ2つ分くらいしかないやつも可愛かった。子供のころよく折り紙で作った「オルガン」を思い出しちゃう。
彼がうまれて初めてピアノを弾くシーン…近所のピアノマンに教えてもらうシーンは、「まずこの3音」ってどの音だろう、と身体をナナメにして確認してしまった。ちなみに日本のふつうの子供が習うクラシックの「ピアノ」を弾いてきた私が最初にやらされたのは、同じ音の四分音符を四拍ずつ、4321/4321…とかそういうの。はやく曲が弾きたかったものだ。
この映画を通しての、私のレイ・チャールズに対するイメージは、一人でなんでもやっちゃう人、一人でやるのが一番だと信じてきた人、というかんじ。
ラスト近くは突然さっさと駆け抜けて話が終わってしまい、ビックリしましたが、前半の、音楽人生が軌道に乗るまではとくに楽しかったです。
そうそう、クインシー・ジョーンズ(ラレンズ・テイト)にもっと出てきてほしかった。いいかんじだったのに、どんな人だかよくわからずじまい。
(05/02/10・劇)
19世紀末のパリ、オペラ座。ダンサーのクリスティーナ(エミー・ロッサム)は、プリマドンナ・カルロッタ(ミニー・ドライヴァー)の代役として初めて主役をつとめ、美しい歌声で人々を魅了した。その夜、これまでひそかに歌を教えてくれた“音楽の天使”を呼ぶと、鏡の中から怪人ファントム(ジェラルド・バトラー)が現れ、彼女を地下にある住処に誘う。仮面を剥いでその正体を知った彼女は恐れて逃げ出すが、ファントムは二人の絆を信じ、クリスティーナのために尽力する。
ミニー・ドライヴァーの歌姫カルロッタが良かった。わがままで気分屋、ド派手なメイクと衣裳、なによりあのクセの強い地声(喋り声)がよくて(ただし、歌はキャストのうち彼女のみが吹き替え)。
映像としても、支配人たちが彼女をなだめすかして舞台にたたせるまでが一番面白かったです。メイク中に差し出されるチョコレートや犬、お輿で運ばれて、衣裳つけて(空からドレスが降ってくる!こういうのは映画ならでは)…その後に続く彼女主役の舞台をまるまる観たかったくらい。
クリスティーナを推すファントムには「もう盛りを過ぎた」なんて言われるけど、彼女の登場シーンは楽しかったし、ミニー自身の演技も上手かった。
いっぽうクリスティーナは、主役の初舞台後の騒ぎにも参加せず、友達のメグ(ジェニファー・エリソン/優しそうだし、ファントムはこの子にしたらどうか、そしたらダブルデートできるし・笑)には「天使がいる」などと気味わるいこと言うし、私からしたら全然友達になれそうもないタイプ。
エミー・ロッサムという女優さんは初めて見たのですが、屋上のシーンでケープがひん曲がってたり、ファントムの住処に向かう際に馬に乗るとき姿勢が傾いてたり、彼女の演技の問題じゃないかもしれないけど、もっとシャンとしてほしかった…
ファントムは…私、「オペラ座の怪人」は、昔両親に連れられて劇団四季のを一度観たきりなのですが、あんな色男が演じるのもアリなんだ。脚もすらっと長いしお尻もちっちゃいし(指はイモムシみたいだったけど)、回想シーンではやたらイイ身体してるし(ボディダブル?)、舞台ドンファンのシーンなんて、ゾロやってるときのバンデラスよりスマートだった。
(声はインパクトなくて、あまり私の好みじゃなかったけど。でも今ファンサイトみたら、ジェラルド・バトラーって、過去に弁護士兼バンドのボーカルやってたらしい)
ラウル子爵を演じたパトリック・ウイルソンは、無難な王子様ってカンジで、あっそうだ、クリスティーナがファントムからもらったバラを落としてゆくところで「ガラスの仮面」最新刊を思い出してしまった。さしずめラウルは皆に「(昔の物語を演じるには)現代的すぎるのよねえ」と言われてた桜小路くんか(笑・彼もたしかに現代っ子ぽかったから)
ファントムは、皆に宛てた書面に「カルロッタの盛りは過ぎた」などと書くんだけど、じゃあクリスティーナが「盛りを過ぎ」たらどうするんだろう。もっとも彼女はカルロッタのようにキーキー言わず、家庭でも修道院でもおさまりそうだけど…いや、そもそもファントムとの関係は、そういう社会的なこと、未来に続くこと…ファントムの「闇」に対するラウルの「光」の世界か…なんて全く連想させないけど。
いずれにせよこういう、才能ある男性が才能を持った女性を見初めて導こうとする話にふれると、つい山岸凉子の「黒鳥/ブラック・スワン」(天才振り付け師と結婚したバレリーナの話)を思い出してしまう。「オペラ座の怪人」も、見初めた相手を洗脳しようとしてるふうにしか思えない(「ドンファン」のシーンのクリスティーナなんて、洗脳されかかってるようにしか見えなかった)。私は、師弟の恋、濃ゆいつながりのある恋はしたくない。たんなる男と女でいたい。
正しいとか悪いとかじゃなくて、色んな愛があっていいと思うけど、でも、人間同士って難しいものだ。
映画ならではといえば、オペラ座で働く人々の様子が垣間見られたのも面白かったです。酒呑んでロープの番してるようなオッサンが、じつは一番健全なのかも…
(05/02/01・劇)
現在教育テレビで、デヴィッド・スペード出演の「パパにはヒ・ミ・ツ」第2シーズンが放送されてます。
一家に居ついてる無職の甥っ子という役柄なのですが、今回の放送で「恋人が迎えに来たら、あったかいカリフォルニアに行くんだ〜」と言う場面があった(その後、当然のごとく振られてしまう)。
でもってその後、先日廉価盤を買った「ライラ フレンチKISSをあなたと」を観たら、舞台があったかそうなロサンゼルス(デヴィッドが「ここじゃあ(金や地位より)頭の回転が決め手なのさ」というようなことを言う)。偶然だなーと思っちゃった。
海辺の町でちいさなレストランを経営するディラン(デヴィッド)は、同じアパートに越してきたチェロ奏者のライラ(ソフィー・マルソー)にひとめ惚れ。脱走癖のある彼女の犬をダシに仲良くなろうとたくらむが、色々トラブルに巻き込まれ…
犬と一緒におフロでシャンプー、チェロが大きくて運べない等々、数々のツボシーンが見られます。あと、ワンちゃんを「ウォシュレット」させるシーンはエロいなあ…
冒頭デヴィッドが、アパートに居ついてるオバサン連中にカードで負かされて裸にされちゃうくだりがあるのですが(やたら何度も物を落としては拾い、テーブルの下から下半身を覗こうとするツワモノも…)、彼は年上の人にいいように可愛がられるのが似合う。子供にはバカにされてばかりだけど(笑)
ソフィー・マルソーのキャラクターは、自分のことばかり喋ってる女性に思えてしまうんだけど、彼女自身の表情は昔のまま、キュートでした。ほぼ全篇、日に焼けた肌にスリップドレスというカッコなんだけど、途中白いパジャマを着てるのもとても良かった(中の下着が黒ってのがまた可愛い)。
その他の出演者も面白くって、ちょろっと出てくるのがマーティン・シーン(久々だよ)やジョン・ロビッツ(「リトル・ニッキー」の冒頭、不届きなことをして地獄におちる男/「ディッキー・ロバーツ」でディッキーの健気すぎるエージェント)など。
この映画で最初に流れるのがヴァンヘイレンの「Runnin' with the Devil」なんだけど、アメリカの、というかSNLのこの世代って、やっぱりこういうのなのかなあ。「リトル・ニッキー」の冒頭の曲もコレだったし。デヴィッドは「Joe
Dirt」('01/日本盤なし)でも、(このご時世に、という設定で)ヴァンヘイレンのファンというキャラクターみたい。
ソフィー・マルソーの役柄がフランスからやってきたチェロ奏者なので、ポピュラーなクラシックの曲の数々も聴けます。私は弦楽器に疎いので、彼女の弾き具合がどんなもんだかわからないのですが、チェロ弾く人って、地にがばっと足つけてるカンジがカッコいい。
(ちなみに私が映画に出てくる「チェロを弾く人」で一番に思い出すのは、「ハンガー」のデヴィッド・ボウイ)
首相選挙を数日後に控えた北アイルランドのベルファスト。コラムニストのダン(デヴィッド・シューリス)は美大生マーガレット(ローラ・フレイザー)と知り合い、関係をもった。ところが買い物に出ている間に、彼女は何者かに殺されてしまう。「ディボース…ジャック」という言葉を残して。
警察はもとより、なぜかIRAやアルスター義勇軍にまで追いかけられるダン。どうやら選挙がらみの事件に巻き込まれたらしい…
「Divorcing Jack」(原題同じ)ってダイイングメッセージだったんだ。でもその謎は早々に解けます(ただし、解けても犯人はわからない)。
典型的な「巻き込まれ」モノですが、冒頭の酒呑みお気楽ライフから、殺害シーンへの落差がすごい。ローラ・フレイザーのうめき声と目ん玉かっぴらき演技がコワくて。しかし作品自体は「殺人」をそれほど重いものとは扱っておらず、あっさり幾人もが死にます。事件に対するダンの態度も(映画の登場人物としては)結構いいかげんで、とるものもとりあえずラストまで一気に駆け抜ける、というかんじなのが面白い。もっとも、あんな情勢(クルマでちょっと行けば全然政治事情の異なる土地だったり、見渡すかぎり何もない野原でラストシーンのようなことが起こったり)では、他人のことなど構っていられないのかも…
ストーリーや登場人物の会話には北アイルランドの政治事情が色々と出てくるのですが、あまり詳しくない私でも、楽しく観られました。
ダンは酒と女が好きな皮肉屋のコラムニスト、町に出れば皆がその顔を知っており(なぜ?顔写真付きで記事書いてるのかな)、タクシーの運転手(いい味出してる)にもアンタの記事は最悪だとか何とか言われる。そういうキャラクターって私あまり好きじゃないのですが(フィクションにありがちなベタな「男の夢」っぽいから)、デヴィッド・シューリスのヨレヨレ演技、良かったです。ミスターベイターみたいなヅラ姿もあり。
他のキャラクターも面白くって、とくに、ダンを救ってくれる尼さん(レイチェル・グリフィス/実は尼さんじゃない)と、マーガレットの元恋人でIRAくずれのキーガン(ジェイソン・アイザックス)。ジェイソンしぶかった。
ダンに愛想を尽かした奥さんが「アンタのピストルズのレコード、トースターで焼いといたから!」と言うのが可笑しい。トースター?と思ったら、ホットサンドメイカーみたいなやつでプレスされてるの。私もやってみたい(笑)
日記でスティーブ・ザーンとニール・ダイアモンドの名前を出したんで、この映画の話を。
スティーブ・ザーン、ジャック・ブラック、ジェイソン・ビッグスは幼なじみ。3人ともニール・ダイアモンドの熱烈なファンで、仕事のかたわらコピーバンドを組んでいる。
しかし、ジェイソン・ビッグスが美女アマンダ・ピートと付き合いはじめたことから事態は一変。インテリで気の強い彼女は、ジェイソンをだらしない二人から引き離してしまう。いきりたった二人は彼女を誘拐…
ニール・ダイアモンドのことはよく知らないのですが、3人がやってるコピーバンドってのが、全員ニール役(ヅラ+衣裳)なんで、その絵面が見られるだけでまず面白い。
出演者皆が、持ち味を生かしたキャラクターを見事に演じてます。スティーブ・ザーンとJBって、根は気がいいんだけどバカ過ぎて主人公の足を引っ張るヤツ、というイメージがあるけど、この話でもそのとおり、そんな彼等の計画がうまくいくはずない。二人ともテンション高くて、くだらないけど笑わせられちゃう。ジェイソン・ビッグスもいつもどおり、それほどボケボケではないけど、気弱で純朴な青年の役。
三人の恩師?のアメフトコーチは「ハートマン軍曹」リー・アーメイが熱演、自己パロディのような役をみせてくれます。
アマンダ・ピート演じる美女は、ワガママだけど、度胸と体力がモリモリあって頭がよくて、そういう点は憧れちゃうな。ニールのレコードを燃やしちゃうのはよくない、けど、まあ、二人のどうしようもないホワイトトラッシュぶりと比べたら、どっちもどっちというカンジ…
最後には本物のニールが出てきて、「よーしわかった!この映画をハッピーエンドにしてあげよう!」。
そのとおり、むちゃくちゃなハッピーエンドを迎えます。よかった。
20世紀初頭のロンドン。劇作家のバリ(デップ)は、未亡人シルヴィア(ケイト・ウィンスレット)と4人の子どもたちに出会う。
ごっこ遊びが大好きな彼はすぐ皆と仲良くなるが、三男のピーターだけは、父親の死に心を閉ざし、なかなか打ち解けようとしない。その姿に、かつて兄を失ったときに作り上げた「ネバーランド」を思い起こしたバリは、新たな作品「ピーター・パン」に取りかかる。
ごっこ遊びをするバリと子どもたちの映像が楽しいです。デップのファンには嬉しいコスプレもあり。「劇」に関するあれこれ(劇場の様子や、役者たちの練習ぶりなど)も、描写はあっさりしているのですが、面白かった。
(冒頭の場面は、ジャック・ベッケルの「穴」を思い出してしまった。ああいうことってよくやるんだろうか?)
日がな人んちの子どもと遊んでばかりのバリと、妻のメアリー(ラダ・ミッチェル)の関係は次第に悪化してゆく。子どもたちと一緒に過ごしたいバリーの気持ちもわかるし、それを不満に思う妻の気持ちもわかるし、物事はなんでも、縁なんだなあ、いつどういうことが起こるかわかんなくて、それに対処してたら、他人のそれとぶつかることも、当然あるよなあ…と思ったり。
バリを遠ざけようとするシルヴィアの母親(ジュリー・クリスティ)も、最初は憎まれ役キャラなんだけど、きちんと自分の言い分を述べるから、そうだよなあ、と納得させられる。
だけど、
「ぼくは、君と結婚したとき、大冒険に飛び出せると思っていたのに…」
なんて、言っちゃあいけないよね…
犬のナナ(?)も可愛くて、そうそう、冒頭、ピーターが「ただの犬じゃないか(It's just a dog)」と言い捨てるのに対し、「just」なんて、とバリが諭すシーン、私も昔、とある口癖をつきあってた人にたしなめられたことがあるのを思い出しちゃった。
ラスト近く、観劇に来た老婦人とバリのやり取りには涙がこぼれてしまいました。彼女が目と同じ色、エメラルド色のドレスを着てたのも印象的。
(05/01/16・劇)
冬のロンドン。9歳のトムとトーマス(アーロン・ジョンソン二役)は、会ったこともないのに、いつも互いのことを想像していた。男手ひとつでトーマスを育てる父(ショーン・ビーン)は、居もしない友達に夢中の彼に手を焼いている。
ある日トムは、養護施設を抜け出してロンドンの町へ。博物館で出会った二人は、たいへんな事件に巻き込まれる。
男の子ふたりが主役の、結構本格的なアドベンチャーもの。周りの大人たちは怖かったり(学校の先生もちょっとヒドイ…)、パパも子供づかいの荒い、物分りがいいわけでもない普通のパパ、そうかと思えば漫画みたいに騙されてくれちゃって、ご近所のお姉さんはカッコよくて頼りになって、子供とは皆、一段ちがう世界にいるようで、全体に子供視点のファンタジーぽい雰囲気が漂ってます。
二人が博物館で出会うまでの冒頭がとてもいいんだなあ。説明しちゃうとつまらないので、ちょっと書けませんが。
トムとトーマスが可愛くて、ロンドンの町の雰囲気もよくて、楽しかったです。
ショーン・ビーン演じる父親は「早くに妻を亡くし、養子をとった画家」。「ローンのきつい」部屋で親子二人、サンルーム(冬のロンドンなので、陽の差している様子は一向にない)をアトリエにして暮らしてます。筆を持った手で触るシャツの裾は絵の具でべたべた、片付ける者のいない部屋はおもちゃや何やらでぐちゃぐちゃ、でも犬の「ライカ」も可愛くて、過ごしやすそう。
彼の描いてる絵については、私の目には、全然よくは見えませんでした…
(絵といえば、アキ・カウリスマキの「ラヴィ・ド・ボエーム」でマッティ・ペロンパーが描いてた絵、なんだこりゃ…と思ってたら、後のムック本にアキの奥さん(画家)の作品との記述があって、それ以降、ますます自分の絵を観る目が信用できなくなりました…。そういえば、「ラヴィ〜」に出てくる犬のボードレールの本名は「ライカ」。「アイアン・カウボーイズ」にも出演している女優犬で、「過去のない男」のハンニバルのおばあちゃん)
あと、ショーンの作るマカロニ(チーズ・マカロニ?)も、とても不味そうだった…
アーロン・ジョンソンくんって、「シャンハイ・ナイツ」のあの子(最後に と名乗る子)なんだ。可愛いなあ。
先日、日記で「ヒューマン・ネイチュア」にちょっと触れたのですが(リス・エヴァンス演じる男は、類人猿として育ったが、やたら礼儀作法を重んじる博士に拾われ、人間としての教育を受ける。ちなみにパトリシア・アークエット演じる毛深女の少女時代をやってるのがヒラリー・ダフ!)、これ、私にはどうも後味のわるい話で…
こういう「教育」(又は文化格差)モノにも色々あって、私なんかは、キレイごとだろうと、ありがちだろうと、ハッピー系のほうがいいなあと思ってしまう。その例としてこの作品を紹介。
カタブツな博士が宇宙探査用に発明した、彼そっくりのアンドロイド・ユリシーズ(ジョン・マルコヴィッチ二役)。性能はばつぐんだが、教育係のフランキー(アン・マグナソン)に預けられている間にloveを覚えてしまい、一人で宇宙に行くなんてイヤだ!と悩みはじめる。
物を知らないアンドロイドを演じれば誰であれそれなりにキュートに見えるもんですが、このジョン・マルコヴィッチ、浅黒くて背が高くて金髪フサフサ(!)で動作がぎこちない→紳士用下着のマネキンみたい…(右画像)
オレンジのつなぎ、タキシード、博士のほうは眼鏡に白衣など、色んな姿が見られるんで、ファンには嬉しいかも。
監督は「マドンナのスーザンを探して」「私のパパはマフィアのドン」「シー・デビル」などのスーザン・シーデルマン。これ全部大好き。女性監督だから、という見方はしたくないけど、女同士の会話シーンが多くて、この作品もそういうとこが楽しいです。フランキーはいわゆる当時のキャリアウーマン(華麗なスーツの数々が時代を感じさせる)なのですが、ダンナとうまくいかない妹が転がり込んできたあげく、アンドロイドのユリシーズとセックスしてしまって、今までにないほど良かった!とか、二人で中華の宅配(映画でおなじみのあれ)食べながら、ベッドでテレビ見てうだうだ言ったり。部屋のインテリアにも原色がふんだんに使われてて、これは時代もあるけど、この監督の作風そのままというかんじ。
ラスト、宇宙の映像(チープで可笑しい)とともに流れるのはタートルズの「Happy Together」。マルコヴィッチ扮するアンドロイドが研究所を抜け出して、初めて外に出るときにも流れるんで、この映画では結構カナメの曲。不似合いなようでいて印象的でした。
南イタリアの小さな村落。10歳のミケーレは、遊び場の廃屋で、穴に閉じ込められている少年をみつけた。翌日からこっそり食べ物を持っていくが、大人たちの会話から恐ろしいことを知ってしまう。
山岸凉子の「鬼来迎」みたいな話かな?と思ったら、違ってました。
見渡すかぎり広がる、金色の麦畑。
冒頭、その中を駆けて遊ぶ子供たち。のどかだなあ、でも皆やたら力一杯走ってるなあ、と思っていると、ボス格の男の子が、でぶっちょの女の子に、かけっこの競争に負けた罰として「アソコを見せろ」なんて言う。
たった5軒の村、大人たちは否応なく助け合って生活しているが、暮らしは厳しい。子供に対してもつい気まぐれに当たってしまう。率直に言って、私ならあまり帰りたくない家だけど、子供たちは皆ごくごく普通に、遊んで食べて、暮らしている。更に子供には子供の世界、ボスの男の子なんて、いばっちゃってイヤなやつ!と思うけど、皆はさほど苦にもしてなさそうだ。たくましいなあ。
主役のミケーレくんは、ランニングシャツとブリーフの似合う美少年。これが映画デビューだそうだけど、きっと見目麗しい男性に育つことと思います。母親への思い、友人との確執、見知らぬ大人への恐怖や嫌悪、好奇心、大きな目を見開いて、いろんなものに立ち向かう姿が素晴らしい。
見所のひとつは、次々出てくる動物たち。ミケーレの部屋を朝訪れる小鳥、暑さにへばるヘビ、倒れた顔にたかる蟻、ひび割れた地面を横切るネズミ(?)、檻の中で騒ぐブタ…子供の頃、そろばん塾の帰り、友達と二人でたんぼの中を近道してたら、突然ヘビが現れて、大騒ぎで逃げ帰ったのを思い出した。
でも、早くにベッドに入るミケーレは、夜の動物は見たことがない。だから、決意して家を抜け出すとき、その神秘的なものたちに向けて、自作の呪文を唱えて無事を祈る。「夜に起き出す、子供の知らない動物たちよ、あの少年の眠りを守りたまえ」…
その他いつもながら、こういう映画みると、食べ物が気になって。ママが焼いたほろっと崩れそうなチーズケーキ、一軒だけのお店で売ってるドーナツやキャンディー、味のなさそうなパン。朝の食卓でミケーレの前に置かれた大きなカフェオレボウル?の中身がよく見えなかったのが残念。
冷蔵庫の中にはトマトしか入ってなかったりするけれど、質素ながら、美味しそうなものがたくさんありました。
母親役の女優さん(アイタナ・サンチェス・ギヨン)は、名前知らなかったけど「雲の中で散歩」でキアヌの相手役だった人。クリスチャン・ベール主演の「マシニスト」にも出てるようなんで、公開が楽しみ。
中学校の卒業旅行でローマへやってきたリジー(ヒラリー・ダフ)。トレビの泉にコインを投げると、なんと、現地のポップスターに声をかけられた!
平凡な女の子が、すてきな恋と、友情のめばえと、セレブとしてのひとときを手に入れるという、ディズニー製作の可愛いアイドル映画。
冒頭、部屋で衣裳をアレコレしながら歌い踊るヒラリーが可愛くて、こういうシーンってよくあるけど、きっといい映画に違いないと思ってしまう。
余談だけど、私は子供のころ、こんなふうに自室で歌ったりしたことはなくて、何故かと考えてみるに、女の子の歌う曲を聴いたことがない。欧陽菲菲とかテレサ・テンとかなら応接間でカラオケしてたけど…(昔って、子供でもそういうの歌ってたものだ)。自分が歌の主役になるという楽しみ方はしてこなかったんだな。
オープニングにアニメーションキャラが登場するので、同じディズニー映画の「フリーキー・フライデー」(感想)も最初のアニメが良かったなあ、と観ていると、この作品ではその後もずっと出っぱなし、ミニ・リジーというカンジで彼女の気持ちを代弁してくれます。なかなか可愛い。
お話は、登場人物全員揃ったとこで「きっとこうなるだろう」と予想すると、まったくその通りになるという…昔の少女漫画みたいな(ごく普通の女の子が一躍世界の舞台へ、という「まゆ子の季節」みたいなやつね)かんじ。
リジーの幼馴染の男の子(この右…写り悪いけど)も良かったです。ちょっと松本潤みたいな雰囲気。飛行機で隣同士に座ってはしゃぐ姿が可愛かった。彼の映画出演はまだこれ一本みたいなので、今後覚えておこう。
ちなみに私はヒラリー・ダフが動いてるのを見たことがなかったので、最後のステージのシーン、さぞかし派手に歌い踊るのかと楽しみにしてたら、あっさり終わってしまって残念でした。
黒髪のポップスター・パオロがイタリア語で話しかけると、リジーの心の中の声:「ああ、イタリア語はダメ!ぞくっとしちゃう…」と思わず返事はイエス、になってしまうわけだけど、私は島国日本から出たことがないんで、こういう感覚がわからない。せいぜい何語か判断する程度、それ以上の感慨ってない。
「ラブ・アクチュアリー」でもアメリカに渡ったイギリス男がモテモテだったじゃん?ああいうの、いいなあ。