L-side - No6

揺蕩う意識の中、趙雲は目を覚ます。
最初にその目に映ったのは、豪奢な天蓋。
無意識に視線だけを周囲に走らせれば、仄暗い室内には繊細な細工が施された煌びやかな調度品が並んでいた。

―――ここはどこだろう?

寝台に横たわっているのは確かなようだ。
だが頭は霞が掛かったかのように、ぼんやりとしている。
身体もまた意識と対応するように鉛のように重く、自分の意志で動かすこともままならない状態であった。

趙雲は記憶を辿ろうと試みる。
軍議で眠るという失態を犯した。
その後、あの男が―――馬超がいつもの如く絡んできたのだ。
何故か動けなくなった。
息も出来なくなった。
そして……。

趙雲がはっとして目を見開くと同時に、くすりという笑い声が頭上から届いた。
闇を死角にして、そこに身を置いていた男に趙雲はこの時まで気付かずにいた。
趙雲に察せられぬよう気配を消していたのだろう。

「お目覚めですか?趙雲殿」
不敵な笑みを口元に刻んだ男が、趙雲を覗き込んできた。
「馬超……殿」
喉がからからに渇いていて、上手く言葉が発せられない。
跳ね起きようとした身体は、全く力が入らず微かに揺れるに留まった。

「無理はなされぬ方が良い。
酷く熱が出ているようですから」
馬超はどこか楽しげに言って、趙雲の額に手を伸ばした。
その手を振り払おうと、趙雲は気力で己の腕を持ち上げるが、逆にその手を馬超に取られる。
馬超は大して力を入れているようでもないのに、趙雲は捕えられた手を振りほどくことができなかった。

「額も手も熱い。
やはり相当熱が高いようですね」
馬超は捕えた趙雲の手を口元へと運び、その甲へと口付けを落す。
ひやりと感じたのは、己の手が熱を帯びているせいなのか、それとも男の唇が冷たいせいなのか趙雲には分からなかった。
「離して…下さい……」
男に口付けられるなど、趙雲にとってはおぞましいだけの行為だ。
眦を上げ、馬超を睨みつけるが、男は全く動じる様子もない。
今度は趙雲の指の夫々に唇を押し当てる。
まるで所有の証を刻み付けるかのように。

「今の貴方の顔を見せてあげたい。
熱で潤んだ瞳で睨みつけられても、全く怖くも何ともない。
寧ろ―――
馬超は趙雲の耳元へ顔を寄せた。
「誘っているかのようだ」
低く囁かれる声が耳に流れ込んでくる。
そのまま耳朶を甘噛まれる。
ぞくりと肌が粟立つ感触に、趙雲は身を震わせた。

「止め……っ」
懸命に身を捩るが、然程も馬超からは逃れられない。
身体の自由が利かぬことがこれ程までにもどかしいことがあっただろうか。
「倒れた貴方を介抱する為に、わざわざこうして邸まで運んできたというのに、相変らずつれない人だ」
言葉とは裏腹に、くすくすと面白そうに馬超は笑う。
「そんなにも嫌なのならば、御自分の力で跳ね除けてごらんなさい。
出来るものならばね」

荒い息を繰り返しながら、趙雲は屈辱に耐えるようにぐっと唇を噛み締めた。
本当ならば今すぐこんな男のことなど殴りつけて、出て行きたいのに。
身体だけでなく、意識も自分からは切り離されしまったかのようにぼんやりとしている。

そんな趙雲の様子を楽しげに眺めていた馬超が、唐突に趙雲の視界から消えた。
馬超は何を思ったのか部屋から出て行ったようだ。
扉の閉まる音に趙雲はそう認識する。
無意識の内に、ほっと趙雲は息を吐き出した。

途端にしんと静まり返る室内。
ただ趙雲の口から吐き出される、乱れた呼吸だけが響く。

ここはあの男の自室なのだろうか。
そして自分を一体どうするつもりなのだろう―――

―――貴方を抱きたい。

そう告げた男の言葉がふいに甦ってくる。
本当に自分を抱く気なのだろうか。

―――初めてなのでしょう?
優しく抱いてあげますよ。

また聞こえてくる別の言葉。
霞掛かっていた意識が、少しばかりはっきりとしてくる。
男同士の行為に一体何の意味があるのだろう。
初めてであろうがあるまいが、優しかろうがそうでなかろうが関係ない。
意味を成さない行為など馬鹿げている。

だがあの男は本気なのだろうか。
例えそうだとしても、どうということはない。
今の状態では抗うことなど無意味だろう。
しかし孕む訳でもないのだ……犯されたところでやはり何の損害も受けることはない。
心まで犯すことなど出来ないのだから。
相手の体調が悪いのを良いことに、こちらの意志など関係なく力ずくで抱こうとする男のことなど嘲笑してやれば良いのだ。
何と愚かな男だろうと。
哀れんでもやろう。
それで何を手に入れたつもりだと。

しかし、趙雲の身体はいつの間にか小刻みに震え出していた。
それに気が付いて、趙雲は愕然とする。
発熱のための震えではない。
それは―――恐怖だ。
鎮まれと念じてみても、一向にそれは納まらない。
趙雲の本能がそれを拒絶する。
本当は男に犯されることが恐ろしくて堪らないのだろうと、趙雲へと知らしめるように。

その時、軋んだ音を上げて再び扉が開かれた。
入ってきたのはもちろん馬超だった。
真っ直ぐに趙雲の元まで進んできた男は、手にして来た盆を寝台の傍らの卓の上へと置いた。
そうして、趙雲へと眼差しを移す。

趙雲はそれを感じて歯を喰いしばった。
掛布の上からでも趙雲が震えているのが見て取れるだろう。
どんな言葉が浴びせられるのかと、その屈辱を予感して。

だが予想に反して、馬超は何も言わなかった。
趙雲の様子に気付いていないのだろうか。
男は無言のまま、趙雲の身体を覆う掛布をばさりと取り去った。
一瞬緩んだ趙雲の緊張が、再び襲ってくる。

馬超は趙雲の腰紐を解き、袷を開く。
細身だが、筋肉に覆われた均整の取れた上肢が露になる。
「な…にを……」
思わず声が上擦った。
いつもは戯言ばかり口にする男が、黙り込んでいることが趙雲の不安を殊更に煽る。

馬超は一言も発せぬまま、趙雲の身体に覆いかぶさってくる。
趙雲を見下ろす男の瞳は、怜悧に細められていた。
今まで見たことがないような全く感情を読み取らせないその眼差し。
口元の笑みもなく、彫像のように無表情だった。
整ったその顔立ちが殊更に冷酷さを際立たせている。

―――怖い。

初めてこの男のことを恐ろしいと趙雲は感じた。
それでも通常の状態であったならば、決して負けじと趙雲は睨み返していただろう。
だが身体の不調からくる精神力の消耗か。
趙雲の全身は更に大きく震えだし、顔面は色を失くして蒼白になる。

そんな趙雲の様子を歯牙にも掛けず、馬超は趙雲の喉元へと唇を落とした。
頭を仰け反らせ、趙雲は力の入らない腕で馬超を押し返そうとする。
男は無情にその手を振り払い、己の手でもって趙雲の両手を寝台に縫いつけた。
痕を刻み付けるように押し当てた唇を強く吸った後、歯を立てる。
趙雲の喉を噛み切ろうとするかのように力を込めてくる。

「……や……嫌だっ!」
とうとう趙雲は悲鳴にも似た叫び声を上げた。
その両目からはぽたぽたと涙が零れて落ちる。

頭が混乱して、何がどうなっているのか分からない。
理解できることは只一つ。
この男が―――馬孟起という男がただただ怖かった。

くくく……と押し殺した笑いが漏れ聞こえた。
喉元に感じていた歯の感触も、縛められていた男の手の力も、同時に消える。

馬超は趙雲からふわりと身を離し、床へと降り立つ。
その表情も、そして瞳も、いつも通りの人を喰ったようなそれへと戻っている。
「冗談ですよ、趙雲殿。
そんなに怯えないで下さい。
いつもの取り澄ました顔も嫌いではないのだが、偶には貴方の違う表情を見てみたかっただけです」
悪びれもせず、馬超はのうのうと言ってのける。

馬超は卓の上から、先程運んできた濡れた手拭を手に取った。
「本当はただ貴方の身体を拭いて差し上げようと思っただけだ。
汗を掻いて気持ち悪いでしょう?」
馬超は手にした手拭で趙雲の身体をさっさと清めていく。
そのまま趙雲の衣を脱がせると、新しい夜着へと着替えさせた。

趙雲は抵抗するでも答えを返すでもなく、ただぼんやりと天蓋の揺れる布を見つめている。
無力な自分。
泣くことしか出来なかった。
それが過去の―――幼い頃の己の姿と重なり合う。
今ではもう何事にも脅かされない力を得たと思っていた。
けれど、本当はあの頃と何一つ変わっていないのだろうか……。

溢れる涙をそのままに、趙雲は馬超のされるがままに任せている。
また意識が酷く霞掛かってきて、何も考えられなくなる。

「少し悪戯が過ぎたかな……。
心配されずとも、こんな状態の貴方をどうこうしようという気は流石にありませんよ。
抱いても詰まらないですからね。
さぁ、これを飲んで少しお休みなさい」
突如趙雲に覆いかぶさってきた男と同じとは思えぬような優しい声音で囁く。
肩に男の腕が廻され、馬超の支えで半身が引き起こされる。

男は一方の手で杯を手に取ると、それを趙雲ではなく己の口元に近付けた。
その中味を傾け、中の液体を口に含むと、馬超は趙雲の唇に自身のそれを重ねた。
口移しに、苦味のある薬湯が趙雲の咥内へと流し込まれてくる。
自分が何をされているのか、最早趙雲には理解できていないようだった。
ただその苦さに趙雲は反射的に顔を背けようとするが、馬超がそれを許さない。
幾度かに分けて、趙雲に薬湯を全て飲ませ終わると、馬超は再び趙雲の身体を横たえた。
程なくして、趙雲の瞳は閉じられ、眠りへと落ちていった。

それを見届けて、馬超は部屋を後にした。
酷薄な冷笑をその口元に浮かべながら―――





written by y.tatibana 2006.07.16
 


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