※「君ヲ想フ」の番外編です。

音にならない
コトノハ
<前編>
言えずに飲み込んだ言葉。
出せないまま仕舞った書簡。
それらが長い年月の間に随分と溜まってしまった。

けれど。
これから先も私が本心を告げることはないだろう。
それが私の選択した道だから。
決して後悔はすまい。

だが……辛くなかった訳ではない。
気付かぬ振りをして、平気な顔を見せて―――その度に心が軋んだ。
本当は私も同じ気持ちだったのだから。

すまない。
お前の気持ちを知りながら、無視し続けて。
本当の想いを告げることが出来なくて。
だから、せめて心の中で告げるよ。





好きだ―――孟起。





あの日、戦地の陣幕で二人きりの祝杯を挙げた。
戦での勝利の喜びからか、私も、孟起も随分と杯が進んだ。
そうして、そろそろ自分の幕に戻ろうと腰を上げた瞬間、私は予期せずふらついてしまった。
自分ではそれ程酔っているとは思ってはいなかったのだが。
「危ないっ!」
それをすぐに立ち上がった孟起が支えてくれた。

酒器の倒れる音が耳に響く。
図らずも、抱き合うような格好になってしまった。
その瞬間、どくりと私の鼓動が高鳴ったことに果たして孟起は気付いただろうか。
例え気取られたのだとしても、この状況ならば酒のせいにしてしまえる。

「すまない……もう大丈夫だ。
思ったよりも酔いが回っているらしい」
私は気持ちを落ち着かせようと大きく息を吸い、孟起から離れようとした。
照れ隠しの笑みを浮かべて。

だが孟起の腕は緩まない。
私を抱き締めた格好のまま黙り込んでいる。
「どうした?」
問いかけ、視線を上げたその先に、孟起の酷く真剣な瞳があった。

そこに宿っているのは、友人に対するそれではなく、鮮明な情欲。
私を焼き尽くしてしまわんばかりの、熱く強い炎があった。
私は孟起の瞳を見つめたまま、じっと動かなかった。
否、動けなかった。





彼の気持ちに気付いたのはいつの頃だったか。
私に寄せてくれる友情とは違う想い。
時折私を見つめる瞳に、今と同じような色が揺らめいていることを感じ取ってしまった。
孟起自身はそれを隠しているようだったけれど。

彼が何を恐れて、私に本心を悟らせまいとしているか充分過ぎるほど分っていた。
私が彼を拒絶すれば今までの関係は壊れてしまう。
そうなるくらいなら、自分の気持ちを押し殺してしまおうと考えているのだろうと。
私が孟起に対して、友情以上の感情を決して抱いてはいないと彼が思い込んでいることも。

だが―――

本当は私も同じ気持ちなのだと知ったら、彼はどんな表情を見せるだろう。
それを言うつもりは決してなかったけれど。
いつから孟起に対する感情が友情から変化してしまったのか、私自身も覚えてはいない。
彼のことをもっと知りたいと思った。
ずっと傍にいたいと願った。
そして、傷付いた彼の心を癒したいと切望するようになった。

孟起が私に対して恋情を抱いてくれていることに気付いた時、どれだけ嬉しかったことだろう。
出来ることなら、私のこの気持ちを伝えたかった。

けれど、それでどうなるというのか。
心を通わせ、身体を重ねる関係になったとしても、その先に何がある?
彼も私も男であって、婚姻することも、まして子を為すことも出来ない。
私自身は、それらのことに全く執着はない。
独り身であることに気軽さを覚えこそすれ、寂しいと思ったこともない。
子を残すことも臣たる者の務めだと分かってはいるが、その為だけに婚姻する気もない。

しかし、孟起にはもう一度家族を持って欲しかった。
一族を虐殺され、深く心に傷を負ってしまったけれど、それを癒せるのもまた家族ではないかと思うのだ。
彼は辛い記憶に繋がる家族というものを避け続けている節がある。
だが、そこには痛みしかなかった訳では決してないだろう。
与え、与えられた―――家族と共にあった頃の幸せな温もりをもう一度思い出してもらいたかった。
その為に、妻を娶り、子を為して、再び家族という大切な存在を得てもらいたかったのだ。

馬家の再興は孟起にとっても、悲願である筈だ。
けれど、凄惨な過去が枷となり、孟起は動き出せずにいる。
それを乗り越えて欲しかった。

だから―――私の本当の気持ちは、決して孟起には悟らせまいと決意した。
あくまでも友人としての関係を続けていくと誓ったのだ。





黙り込んでいる私の瞳に、孟起は何を見たのだろうか。
抱き締めていた腕の力をようやく緩め、今度は私の頬を包み込むと、優しく撫でる。
孟起が何を為そうとしているか、それが分からない程私も鈍くはない。

拒むのならば今しかない。
孟起の手を振り払って、酔っているからと悪ふざけが過ぎるぞと苦笑して、流してしまえばいい。
そうすれば彼はきっとそれ以上ことを進めようとはしないだろう。

早く動かなければと思うのに、私の身体は意志に反して動かない。
そう……本心では嬉しいと思っているのだ。
孟起とこうして間近で肌を触れ合わせることが。

孟起の顔が傾き、私の方へと近づいてくる。
口付けを受けてしまえば、もうきっと私自身も止められなくなる。
それが分かっていながらも、私は静かに目を閉じた。
どうしても己の欲望に逆らえなかった。

初めて孟起と交わした口付けは、長かったのか短かったのか、私自身分からなかった。
ただ無心に唇を重ね合わせた。

一度だけ―――

私は心の中で呟く。
これを最初で最後にするから、孟起と身体を繋げたい。
彼を誰よりも近くで感じたい。
明日からはまたいつも通りの友人の顔に戻るから、今夜この時だけは感情の赴くまま任せてしまおう。
今の状況ならば、酔いに任せての行為にしてしまえる。
戦場という特殊な状況も利用出来る。
それは同性同士が関係を持つことが、戦場では何ら珍しいことではないからだ。

すまない……。

胸の内で詫び、私は自分が酷く酔っているのだということを孟起に告げる。
本当は状況判断がつかぬほど、酔ってなどいないのに。
これは酒の上での戯れに過ぎないのだと、強調する為だ。

孟起も困惑しているのだろう。
黙り込んでしまった孟起に、私は泥酔した振りをして、孟起の首に腕を廻す。
口付けを強請るような仕草で。
私の誘いに導かれるように、孟起は先程とは全く異り、激しく唇を重ねてくる。
舌を絡ませ合い、息も出来ぬほどに唇を貪った。
そのまま縺れ合うように牀台に倒れ込み、互いの袍を脱がせに掛かる。

孟起の唇が私の体の彼方此方に触れる度に、快楽に身体が跳ね、吐息が漏れた。
彼から施される何もかもが愛しい。
そして、孟起を受け入れた時の痛みすらも、すぐに甘い痺れに変わっていった。
果てた彼の熱を最奥に感じた時、意識せぬままに一筋の涙が零れた。
燈されていた灯はいつの間に消えていた為に、それを孟起に見られることはなかった。

喜び。
悲しみ。
罪悪感。
愛しさ。
苦しみ。

様々な孟起への想いが形となって現れたのだろうか。
私自身もその涙の意味がはっきりとは分からなかった。





目を覚ますと、まだ夜は明けてはいないようで、外は薄暗い。
傍らの孟起は私の傍らでぐっすりと眠りについていた。
その寝顔を私はしばらくじっと見つめていた。
こうして彼の寝顔を見ることは、もう決してないだろうから。

そして私は孟起に気付かれぬように、そっと牀台から抜け出した。
次に彼と会う時には、いつも通りの友人の仮面をつけねばならない。
最初で最後の夢の時間はもうお仕舞いだ。

私は袍を身に付けると、静かに孟起の陣幕を後にした―――





その戦から戻ってすぐ、丞相から北方の要所へ赴いてはくれぬかと話があった。
砦の建設と魏への牽制の為に。
大きな仕事になる―――恐らく何年も成都に戻ってくることは叶わぬだろう。
返事は直ぐでなくても良いと丞相は仰った。
けれど丞相からの命を拒むことなどできようはずもないし、その理由もない。

実際いい機会だと思った。
孟起から離れる必要があると考えていたのだ。
私が傍にいては孟起の心は私へと向けられたまま、彼は進むことが出来なくなる。
そしてそれは私にも言えることだ。

それでもすぐにその命を受けなかったのは、気掛かりが一つあったからだ。
孟起に家族と過ごした日々の温もりを思い出して欲しかった。
そうしなければ過去が枷になり、彼はもう二度と家族を持とうとはしないだろうから。

けれどその心配も、二人で城下を巡回している時に、赤子を抱いたまま体調を崩したらしい母親を助けた時に解消された。
最初は孟起の胸で泣き喚いていた赤子が、孟起の心の変化を感じ取ってか、にこりと笑う。
そして目的地へ着く頃には、赤子はすっかり安心しきった様子で孟起の腕の中で眠っていた。
その赤子を見つめる孟起の優しい瞳に、もう大丈夫だと思った。
これで心置きなく発つことが出来ると。





私が北方の任地に発つと知って、孟起は驚き混乱しているようだった。
だが私はそれに気付かない振りをする。
孟起もまた懸命に平静を装おうとしていた。
互いの本心はどうあれ、私と彼の関係は厭くまでも友人であるのだ。
行かないでくれと追い縋る訳にはいくまい。

私が出立する前夜は、孟起の邸で飲んだ。
こうして二人で飲むこともこれからしばらくない。
もしかすると、もう一生ないかもしれない。
他愛もない会話の一つ一つを私は胸に刻みつけていた。
寂しいかと問われたときも、私はそれを一笑に付した。
本当は寂しいのだと、孟起と離れたくはないのだと言ってしまえればどれだけ楽だったろう。
けれどそれは絶対に言えない―――

席を立ち、私が孟起へと手を差し出す。
孟起がそれを握り返してくれる。

ぐっと胸が詰った。
溢れてこようとする涙を、私は懸命に押し止めた。
「ではな」
私はその言葉と共に身を翻した。
孟起の視線が背に突き刺さる。

後ろ髪を引かれる思い……。
だが振り向いてしまえば、私の本当の気持ちを吐露していまいそうだった。
私も孟起と同じ気持ちなのだと。

しかしそれを告げる訳にはいかない。
私は押し寄せてくる衝動を断ち切って、孟起の部屋から去った。

これで良かったのだ―――そう強く自身に言い聞かせて―――



(後編に続く)





written by y.tatibana 2007.07.07
 


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