キリリク - No3

ずっと二人で
大木の根元に上半身を預け、地には足を投げ出し、馬超はぐったりとした様子でその場から動けずにいた。
右の肩口からはおびただしい血が流れ出し、馬超の金の鎧を赤く染めていた。
「まずったよなぁ…」
馬超は天を仰ぎ、一人ごちる。

敵を深追いし過ぎた挙句、伏兵に囲まれ、傷を負った。
どうにかそれを振り払い、この森まで逃れてはきたが、周囲には誰一人として見当たらない。
だが馬超がこんな状況に陥ったのは何も今回が初めてという訳ではない。
これまでに敵へと突撃しては、敵陣の中一人になってしまったこともある。
危険な目にあったことは両手でも足りないだろう。

どうにも馬超は策を弄するとか、敵の出方をじっと伺うとかそういったまどろっこしい戦い方は得意でも好んでもいなかった。
目前の敵をただ己の力でもって討ち取る。
それが馬超の戦い方であった。

それでもこうやって動けなくなる程の深手を負ったのは今日が初めてだった。

このまま自分は死ぬのだろうか―――
ふとそんな予感が胸をよぎる。
だがそれだけは何としても出来ない。
昔は……特に一族を亡くした時は、己の命などどうなっていいと思ったものだったが……。

目を閉じると、馬超の脳裏に浮かぶのは、最愛の人の姿。
「子龍……」
思わず口をついて出た彼の人の名。

―――あいつは無事だったんだろうか?
俺と違って慎重だから、こんな心配は杞憂だろうけれど。

馬超にとっていは自分のことより気に掛かるのは趙雲のことだった。
趙雲は馬超に再び前へ進む力をくれた。
そして何よりもう一度―――人を愛することを思い出させてくれた人だから……。

怪我をしていないか?
自陣に帰りつけたか?
疲れていないか?
―――俺のこと心配しているだろうか?

出血の為か、意識が徐々に掠れていくのが分かる。
ダメだと緩く頭を振るが、抗い難いそれに引き込まれていく。

今何処にいる?子龍。
お前の顔が見たい。
そして力いっぱい抱き締めて、口付けたい。
子龍……。





逢いたい―――





意識が遂に途切れかけたその瞬間、パチパチと頬を軽く二、三度叩かれた。
「馬超殿!馬超殿!!」
必死に自分を呼ぶその声に、馬超の意識は再び引き上げられ、ゆっくりとその瞳を開けた。

目の前には逢いと渇望した―――趙子龍その人がいた。
だが、まだ意識は朦朧としていて、自分の願望が見せた幻かと思った。

「しっかりして下さい、馬超殿!」
けれどまたまた頬を叩かれ、その痛みでそれが現実なのだと知る。
「痛いぞ…子龍」
かすかに微笑んで見せると、趙雲は安心したように息を吐いた。

しかし次の瞬間には、趙雲の表情がみるみる険しいものになっていく。
「この馬鹿!」
戦場以外ではいつも穏やかな趙雲が怒鳴るのを、馬超は初めて聞いた。
何だかその初めての趙雲の表情が嬉しくて、馬超は思わず笑みを漏らした。
「笑う場面ではないでしょう!」
また一つ雷が落ちた。
「お前が怒るところを初めて見たものだから……つい。
また新たなお前の表情を見れて嬉しくてな」
「……。
本当に馬鹿です……貴方は…」
呆れたように、けれども少し目元を染めて趙雲が呟く。

「そう馬鹿馬鹿と連呼してくれるな。
…それは一番俺が良く分かっているさ」
「ならばもう少し自重して下さい。
これで何度目だと思っているのです?」
趙雲は馬超の傍らに膝をつくと、己の戦袍を破り、馬超の傷口にきつく巻きつける。
見る見る朱色に染まるそれを見て、趙雲の端正な顔が歪む。
「今までもこうして戦い抜いてきた―――今更それを簡単に変えられはせぬさ。
だが……今は自分の命が惜しいと思うよ、昔と違ってな。
命を失ってお前と逢えなくなるのが怖いんだ。
…こんな姿で言っても説得力に欠けるやもしれぬがな」
「馬超殿…それならば……」
趙雲の言葉を馬超は首を振り、遮る。

「いくらお前に言われても、やはりこの性格も戦い方も変えられはせぬ。
だが大丈夫だ、子龍。
正義は勝つって決まってるんだ。
俺が死ぬはずがない!」
そんなことを大まじめに力強く言ってのける馬超に、趙雲は深々と溜息をつく。
「…お前また今、俺のこと馬鹿だと思っただろう?」
「ええ、思いました」
趙雲は否定することもなく瞬時に頷く。
「うわっ…怪我人に情け容赦ないな、お前は」
本気で落ち込んだらしい馬超に趙雲はクスクスと可笑しそうに笑う。
「その全く根拠のない自信はどこからくるのやら……。
でも―――それが貴方という人なのでしょうね。
貴方が馬鹿なら、きっと私は大馬鹿です」
「?」
馬超が不思議そうに見返してくる。



「そんな貴方がとても好きだから…」



本当に小さな小さな声で呟いて、趙雲は勢い良く立ち上がり、顔を背けてしまう。
けれど馬超にはそれを見ずとも、今趙雲がどんな表情でいるのか手にとるように分かる。
「今、何て言った?子龍」
当然、趙雲の言葉はしっかりと馬超の耳には届いていたのだけれど。
からかい半分……そしてもう一度その言葉を聞いてみたい気持ち半分で、尋ねてみる。

だがもちろんそれに趙雲が答えてくれる筈もなく―――見事に黙殺されてしまった。
気を取り直すように咳払いをした後、趙雲は再度馬超の傍に屈み込む。
「さぁ馬超殿、早く本陣へ戻りましょう。
一刻も早くきちんとした手当てをしないと……」
「そうだな。
だが…その前に―――
「どうかしましたか?」
問う趙雲に、馬超は怪我をしているにも拘わらず両腕を広げ、優しく微笑みかける。
―――ここなら誰もいないぞ…子龍」

趙雲は驚いたように目を見開き、馬超の意図するところを感じ取って同じように微笑んで見せようと思ったのだが、上手くいかなかった。
馬超が陣に戻って来ず、あちこちを探し回った。
心配で胸が張り裂けそうだった。
ようやく見つけた彼は怪我をしていたけれど、命を落としてはいなかった。
そして彼の声を聞いて、その笑顔を見て……張り詰めていたものがふっと切れた。
しかし自分でも意識しなかったその感情を馬超は敏感に感じ取っていたのだろう。

溢れてくる涙を隠すように、趙雲は馬超の胸に顔を埋めた。
「貴方が無事で本当に良かった―――孟起」
普段はめったに口にしない馬超の字で彼を呼び、涙を流す趙雲の背に広げた腕を回しそっと力を込めて抱き締める。
「すまん…心配を掛けたな」
その髪に項に口付けていく。
腕の中の温もりが、馬超の心を満たしてくれる。



この戦乱の世で、不可能なことかもしれない。
けれど―――ずっと二人で共にいたい。
改めてそう思った。



「やはり俺はどうあっても死ねないな…お前という存在がある限り」
「孟起……」
顔を上げ、涙に濡れた瞳で趙雲は馬超を見遣る。
その目元にも唇を落とし、馬超はその涙を拭う。

―――そうだな、どうせ死ぬなら腹上死が良いな」

本気なのか。
冗談なのか。
どちらともつかぬ調子で馬超は言うが、趙雲の眉間には見る見る皺が刻まれていく。

―――まずいっ……。

そう馬超が気付いた時にはすでに遅く…。
「馬鹿者!」
盛大に頬を叩く音が、辺りに響き渡ったのだった―――






written by y.tatibana 2003.11.29



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