キリリク - No2 |
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趙雲に想いを寄せている者は少なくない。 彼のその整い過ぎた容貌が異性だけではなく同性をも惹き付ける。 そして噂では、自国だけではなく戦場で趙雲を見掛けた他国の中にも同じような者が多くいるらしい。 今もまた一人の兵士が修練場にいた趙雲に声を掛ける。 真っ赤になりながら何事かを必死に告げているようだが、趙雲は対照的に優美に微笑んで二・三言葉を返した。 兵士はがっくりと肩を落すと、趙雲に深く一礼して走り去って行った。 その一連の様子をやや離れた場所から眺めていた馬超だったが、兵士の姿が見えなくなったのを認めると、趙雲に歩み寄った。 「今日はこれで何人目だ?」 「…さぁ…」 横に立つ馬超をちらりと一瞥すると、趙雲は深々と溜息を吐く。 「さっきとはえらく態度が違うな…子龍。 俺にも偶にはああいう優しい笑顔を見せてもらいたい」 人の悪い笑みを浮かべて、馬超は冗談めかして言う。 「―――何故、お前にまで愛想を振りまかねばならんのだ。 疲れる―――」 その顔には先程までの微笑みの欠片も残ってはいない。 それどころか腕を組んで不機嫌そうに眉根を寄せている。 そうこれが皆が焦がれてやまない本当の趙子龍―――。 しかし多くの者が抱いている趙雲の人となりはと言えば、純粋で穏やか…誰にでも分け隔てなく優しい長坂の英雄。 そんな彼に惹かれて多くの人間が兵に志願し、また財ある者は少なくない援助を蜀に齎してくれている。 それが分かっているから趙雲は、その偶像のままを演じ続けていた。 それもまたこの国の武将としての責務のうちだと割り切っているようだ。 その容貌だけなら決して魅かれはしなかった…と馬超は思う。 まして皆が想い描いているような人物であったなら尚更興味はもたなかった。 何の面白みも無い。 だが馬超は趙雲の本質に気付いた。 それを指摘した時も趙雲はさして驚いた様子も無く、ただ肩を竦めてみせただけだった。 しかしそれ以後、馬超と二人きりの時の趙雲は素のままの彼だった。 実際の彼は随分と傍若無人だった。 不敵に笑うことはあっても、先程のような優しい笑顔を見せることなど、まずない。 だがそれが馬超を魅了したのだ。 趙雲もまた自分の本質を容易く見破った馬超に何か感じるところがあったのだろう。 いつの間にか二人は一線を越えるまでの関係になっていた。 「趙将軍〜!」 掛かる声に趙雲は心底うんざりした様に息を吐く。 「またまたおいでなすったぞ」 馬超は可笑しそうに口元を歪めている。 それを一度睨みつけると、趙雲は向かってくる人物に柔和な表情を作る。 槍を片手に駆けて来たのは、丞相諸葛亮の弟子姜維であった。 「今日もまた稽古をつけてもらいに来ました! …ご迷惑でしたか?」 「いや、構わないよ、姜維殿。 それにしても毎日毎日熱心だな。 今のままでも充分お強いと思うが…」 趙雲の言葉に姜維はブンブンと首を振る。 「まだまだ俺なんて、趙将軍の足元にも及びません! おれはもっともっと強くなりたいんです!」 「それはさぞかし、丞相もお喜びになられるだろう」 にっこりと極上の微笑を浮かべた趙雲に、姜維の顔は途端に朱に染まる。 「オ…俺は丞相なんかじゃなく…趙将軍に喜んで頂きたいのです! 誰よりも強くなって、貴方をお守りしたい。 外の敵はもちろん、内の敵からも」 「内の敵…?」 「趙将軍はお気付きではないでしょうが、この国には貴方を狙う不埒な輩が数多くいるのです! そんな輩から貴方の貞操を何としてでも守らなければ!」 力説する姜維に、馬超は思わず吹き出しそうになる。 貞操って……そんなものとっくに子龍にはないんだがな…。 それ言ったらこいつどうすんだろ? などと考えていると、ようやく姜維は趙雲の隣に立つ馬超に気付いたらしい。 「あ…いたんですか、馬将軍。 とりあえず、こんにちは」 「取って付けたような挨拶、痛み入る…ぼうや」 先程までとは別の意味で赤くなった今日がきつく馬超を睨めつけた。 「ぼうやなんかじゃありません! だいたい趙将軍にひっつき過ぎですよ、馬将軍! さぁ、趙将軍こちらへ―――。 馬将軍の傍になんていたら、貴方の美しさに興奮していつ襲い掛かってくるか分かったものではありません! この人の手の早さと言ったらそれはもう有名なんですから!」 言って、趙雲の手を取る。 「俺は色情魔か…。 だいたいお前、どさくさに紛れて子龍の手を握ってるだろうが。 どっちが危険なんだか…」 馬超のからかうような口調に、姜維はますます真っ赤になる。 「貴方と一緒にしないで下さい! 俺は…ただ純粋に趙将軍ををお守り致したいだけです!」 「ふふっ…まだまだですね、伯約。 そんなケダモノの言うことにいちいち反応するなど…情けない」 羽扇で口元を覆い隠しつつ、突然現れたのは丞相諸葛亮である。 諸葛亮は姜維の傍にゆったりと歩み寄ると、姜維からすばやく趙雲の手を奪い取る。 「ああっーーー! 何するんですか、丞相!」 「貴方に趙雲殿は任せられません、力不足です。 趙雲殿に触れるなど、百年早い」 「そんな横暴です! だいたい貴方なんかよりも、俺の方が余程武力があります。 いつも人をこき使うしか能の無い、ひ弱な丞相に趙将軍が守れる訳ないでしょうが!」 またまた今度は姜維が諸葛亮から趙雲の手をもぎ取った。 ぴくり…と諸葛亮のこめかみに青筋が浮く。 「弟子の分際で、師に楯突くのですか!?」 「ふん!いつもいつもそうやって威張りくさって! 俺と趙将軍の仲を裂こうったって、そうはいきませんよ!」 「この愚か者め! 貴方のような青二才を趙雲殿が相手にする訳ないでしょう!」 再度趙雲の手を奪い返すと、諸葛亮は羽扇を握るもう片方の手をそのまま趙雲の腰に廻した。 「ささ…趙雲殿、こんな馬鹿共は放っておいて、私の部屋へ参りましょう。 西方より良いお茶が手に入ったのですよ」 流石の趙雲もこの師弟の勢いに圧倒されて、暫く呆然と交互に手を握られつつ二人のやり取りを眺めていたが、ここにきてようやく我に返ったらしい。 「お心遣いは有り難いのですが、私はまだ鍛錬の途中でして…。 それに今日は確か呉から同盟締結の使者の方々が来られるのでは? もてなしの準備もございましょう」 にっこりと浮かべた必殺の微笑みは、諸葛亮には逆効果だったようだ。 「貴方のその微笑を見られるのなら、呉からの使者など知ったことではありません! そんな事は主公に任せておけばよろしい。 さぁ、趙雲殿! 私といざめくるめく官能の世界へ―――」 「そこまでです!」 「そこまでだ!」 新たな声が同時に乱入してきた。 やって来たのは双剣を手にした青年と、長剣を肩に担いだ大柄の男。 呉の武将、陸遜と甘寧であった。 とてつもなくいや〜な予感が趙雲を襲う。 馬超を見れば、ニヤニヤと面白そうにコトの成り行きを楽しんでいるようだ。 「その手を放しやがれ、この変態腹黒軍師! 子龍、俺が来たからにはもう安心だぜ!」 甘寧が大声で叫びながら、剣を構える。 「子龍などと…馴れ馴れしいですよ、そこの筋肉バカ。 趙雲殿は我らが蜀の武将ですよ。 何故貴方達呉の人間がしゃしゃり出てくるんです!? 第一貴方達の役目は同盟の締結でしょうが。 さっさと用件を済ませてお帰りなさい!」 諸葛亮は忌々しげに呉の二人組みを睨みつける。 「同盟を結べば、私達はつまり同志…。 その同志がみすみす貴方のような奇人変人の手に落ちるのを見逃しはしません! 趙雲殿、こちらへ…」 「いや…あの…」 口を開きかけた趙雲を甘寧が遮った。 「みなまで言うな、子龍。 感謝の言葉なんていらねぇぜ! 何も言わず、俺の胸に飛び込んで来やがれ!」 その言葉に陸遜が弾かれたように甘寧を見遣る。 「あっ!抜け駆けは許しませんよ、甘寧殿! 趙雲殿、こんな野獣のような男の側に近寄るなど危険です。 それこそ何をされるか分かったものではありませんからね…。 さぁ、私の元へ!」 爽やかな微笑を浮かべて、陸遜が両手を広げる。 「てめぇなぁ!」 つい今しがたまで某師弟が繰り広げていた会話と五十歩百歩の二人の掛け合い。 だが陸遜ははたと我に返ったようだ。 「今は仲間割れをしている場合ではありませんよ、甘寧殿! とにかくあの変人から趙将軍を救い出さねば…。 貴方との決着はその後です、いいですね!?」 「おう!」 「いざ勝負!」 武器を構える二人に、流石の諸葛亮も不利だと見て取ったのか、姜維に声を掛ける。 「伯約…こちらも一時休戦して、共にあの不届き者達を倒しましょう。 趙雲殿を呉の火付け軍師と筋肉バカになど渡すわけにはいきませんからね」 姜維もそれが上策と思ったらしく、しっかりと頷く。 「はい、丞相!」 「という訳です、趙雲殿。 しばらくお待ち頂けますか? なに…心配などして下さらなくても、すぐに勝負はつきますよ」 諸葛亮は名残惜しげに趙雲の体から手を放すと、羽扇を前方へと突き出す。 心配も何もろくに話す間さえ与えられず、自分を無視して勝手に状況は進んでいる。 それでなくとも長い間蜀の為を思い、周囲の望みどおりの英雄を演じてきた精神的疲労が溜りに溜まっているいうのに、これ以上こんなくだらない茶番に付き合わなければならないというのか―――。 いい加減にしろ!と怒鳴りたくなるのを趙雲は懸命に堪えていた。 辛うじて表情は平静を保っているが、握り締めた拳がワナワナと震えている。 そんな趙雲の様子を見て取って、それまで楽しそうに状況を眺めていた馬超は呟いた。 「そろそろ限界かな…」 武器を持って睨み合っている四人の間を平然と横切って、趙雲に歩み寄る。 全員の視線が一斉に馬超に注がれた。 それを全く気にするふうでもなく、馬超は趙雲の腰に片手を廻すと自分の方へ引き寄せ、もう一方で趙雲の顎を捉えると、そのまま口付けた。 「―――!」 その瞬間…場が一斉に凍りついた。 趙雲も大きく目を見開いていたが、ややして瞳を閉じると、馬超のそれに応えるように自らの腕を馬超の首に絡み付けた。 自然と深くなる口付け―――。 二人が唇を離した時には、他の四人は茫然自失状態で立ち尽くしていた。 馬超はそのまま趙雲の手を取ると駆け出した。 二人で思い切り走った。 城門を抜け、小高い丘に出た所で、二人はようやく足を止めた。 共に何も言わず荒い息を肩で整えていたが、しばらくするとどちらからともなく笑い出した。 「…良かったのか、子龍? 俺に応えてみせたりして―――。 あんな事をしたら今までのお前の苦労も水の泡だろう。 お前がキレそうになってたから、あいつらを黙らせてかつお前をあの場から連れ出そうと思ってあんなコトをやったんだが…。 てっきり嫌がる素振りでもして、俺に無理矢理連れて行かれるって感じを装うのかと思ってた」 「そろそろ潮時だろうと思ってな。 ずっとみなが思うようなあんな出来た人間のままでなどいられるものか。 純粋で穏やか、誰にでも優しい長坂の英雄は今日でお仕舞いだ。 だいたい正反対の人間を演じるほど、疲れることはない…あのまま続けていれば確実に禿てただろうな。 もう充分に役目は果たしただろう…そろそろ本来の自分に戻らせてもらうさ」 趙雲は晴れやかに笑う。 逆に馬超は仰々しく溜息を落した。 「お前はそれで良いだろうが、俺はこれから大変だろうなぁ。 絶対俺が純粋なお前を誑かして、変えてしまったとか何とか因縁をつけられるだろうさ。 丞相のいびりを筆頭に、毎日皆からの妬みの視線やら嫌がらせを考えると憂鬱だ…。 俺の繊細な神経で耐えれるだろうか…」 「よく言う―――。 目が笑っているぞ。 この状況を誰より楽しんでいるくせに」 「フッ…お前を手に入れられたのだ―――。 その代価と思えば安いものだ。 どんな状況でも楽しめるというもの」 馬超は愉快そうに双眸を細めると、趙雲を抱き寄せた。 一方――― 後に残された四人が、殺気を漲らせて馬超が戻ってくるのを待っていたのはいうまでもない―――。 written by y.tatibana 2003.06.14 ※リク下さった方への【Message】 |
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