真実の代償 ACT3


身体を激しく揺り動かされ、何か叫ぶ声が聞こえて、法介の意識は呼び起こされる。
そのまま法介はゆっくりと目を見開く。
最初に目に入ったのは薄汚れた壁だった。
「ようやくお目覚めですか」
背後から掛けられた声に、法介は反射的に身を起こそうとするが、それは叶わなかった。
後ろ手に縛られ、両足も同じように拘束されていて、身体の自由が利かなかったのだ。

法介は懸命に身を捩り、何とか身体を反転させる。
そこは倉庫のような広い場所で、大部分を箱詰めにされた荷物が占拠していた。
空いた場所にはスチール製のテーブルと折りたたみのパイプ椅子が何脚か置かれているだけだった。

目の前にある革靴の先を法介は視線で辿っていく。
仕立ての良いスーツを着込んだ、一見紳士然とした初老の男がおり、屈強そうな体躯の男が二人、その脇を固めるように立っていた。
その瞬間、法介は自分の身の上に起こったことを思い出す。
響也と食事をして、帰宅途中に覆面をした男達に襲われたのだということを。

「アンタ達、何者だ?
何の目的でオレを……?」
法介が男たちを睨みつけると、初老の男が低く哂った。
「我々が何者かを貴方が知る必要はないんですよ、王泥喜弁護士。
貴方はただ大人しくしていればいいんです。
明後日、牙琉響也―――つまり貴方の恋人が担当する裁判が終わるまでね」
「な……に?」

自分の名前だけではなく、響也との関係も知られている。
そして明後日響也が審理を担当することも。
自分が連れ去れた目的―――それが法介には理解できた気がした。

「オレを人質にして、牙琉検事に明後日の裁判で負けろってことか……。
アンタ達はその裁判で被告人が有罪になっては困るっていうことなんだろう?」
法介が問うと、初老の男は「ほう」と感心したような声を漏らした。
法介を見下ろすその瞳がすっと細まると、怜悧な印象が際立つ。
「見かけによらず、頭の回転が早い。
普通連れ去られて、監禁されているとなれば、大の大人でも恐ろしくてパニックになるでしょうに……貴方は随分冷静だ。
私の部下に欲しいくらいですよ」
冗談とも本気ともつかぬ淡々とした口調で言って、男はスーツのポケットから携帯電話を取り出した。
その携帯電話に法介は見覚えがあった。
自分のものだったからだ。

「そんな頭の良い貴方ならお分かりでしょう?
どうすれば自分が助かることが出来るのか……。
今から牙琉響也に連絡を取ります。
一度目のときは貴方がまだお休みだった故、あちらも半信半疑の様子でしたので。
助けてくれとせいぜい必死に懇願なさい」
そう言い放って、男は法介の携帯電話のボタンをプッシュする。

法介は相手を睨むが、男はぴくりとも表情を動かさない。
携帯を耳にあて、しばらくすると響也に通じたのか、
「どうも、先程連絡差し上げた者です。
王泥喜弁護士がようやく目を覚まされたので、お約束通り再度連絡させて頂きました。
これで我々の言うことを信用して頂けることでしょう」
そう電話口に向けて話す。

男は法介の身を屈めると、縛られて携帯を持てない法介の代わりに、それを耳元に押し当てた。
「牙……琉検事?」
『おデコくん?おデコくんだね!?』
法介が一言発すると、電話口の向こうからは響也の珍しく取り乱した声が聞こえてくる。
随分と心配を掛けているのだろうなと思うと申し訳なくなる。
そんなことを考えられる程に、不思議と法介は冷静だった。
「落ち着いて下さい、牙琉検事。
オレは無事ですから」
縛られて自由は奪われているし、いつ危害を加えられるとも知れないのだが、響也を安心させようと法介は柔らかな声で言う。

僅かに響也がほっと息を吐き出す気配を感じたが、
『おデコくん、ごめん。
ぼくのせいでキミを巻き込んでしまって……やっぱりちゃんとキミを送っていけば良かった―――キミの弁護士バッジが現場に落ちていたよ……』
そう耳に届いた声は、まだ硬かった。
「別にアナタのせいじゃない。
悪いのは全て―――」
法介は自分を拘束した男達を強い視線で射る。

携帯を手にした男は、薄く哂った。
「さぁ、余計なお喋りはそこまでです。
御自分が今置かれている立場をよく考えて、言わなければならないことを伝えなさい」

言わなければならないこと―――相手の意図していることは充分法介にも分かっていた。
響也に助けて欲しいと懇願しろと言っているのだ。
つまりわざと裁判で負けろと。
それを法介の口から告げさせて、響也の心を揺さぶろうとしている。

法介に迷いはなかった。
押し当てられた携帯に向かって、法介は叫ぶ。
「いいですか、牙琉検事!
わざと裁判で負けるなんてこと、オレは絶対に許しませんよ!
そんなことをすれば絶交です!
もう二度と口を利きません!」
絶交というところが我ながら子供みたいだと思ったが、今は自分の正直な気持ちを伝える方が先決だった。

携帯を持つ男の手が僅かに震えた。
「愚かな」
吐き捨てるように呟いて、両脇の男達へと目配せをする。
それだけで通じたようで男達は法介の前と後ろに取り囲むようにして立つ。
そして何の前触れもなく、いきなり法介の腹部や背中へと強烈な蹴りを食らわす。

「ぐっ……」
その衝撃と痛みに法介の頭は一瞬真っ白になるが、くぐもった声を漏らしただけで耐えた。
『おデコくん!?』
しかしそれだけで電話口の向こうの響也には法介の異変が伝わったようで、叫びに近い響也の声が電話口の向こうから掛けられる。
「だ……いじょうぶ……。
それより……絶対に……コイツらの言うことなんて聞かないで……」
咳き込みそうになるのを堪えて、法介は懸命に声を搾り出す。
そこで法介の耳から携帯は取り上げられた。

「貴方の恋人は賢い人だと最初は感心したのだが……とんだ馬鹿のようですね。
貴方がこの人の命を救える方法はただ一つです。
生きた彼に会いたいのならば、我々の言う通りに……」
「ダメです!」
男の言葉を遮って、法介は大きな声で叫ぶ。

途端にまた蹴りを見舞われるが、今度は不思議と痛みを感じなかった。
否。
正確には感じていたのだろうが、法介は必死だったのだ。
響也が要求を呑むようなことは、絶対に阻止したかった。

「オレの気持ちは―――アナタが拾った弁護士バッジに込められている。
アナタなら分かっていくれるでしょう?
牙琉検事……オレ達はどんなことがあっても決して真実から目を逸らしちゃいけないんだ!」
「黙りなさい!」
男の怒声と共に、法介の携帯電話は床へと叩き付けられた。
そうして男の靴底に踏みつけられ、砕けた。

男は法介の傍にしゃがみこみ、法介の胸倉をぐっと掴み挙げた。
初老とは思えない力強さだった。
「貴方は死ぬのが怖くないんですか?
それとも我々が本気ではないとでも?
貴方の息の根を止めることなど、我々には造作もないことだ」
「……」
法介は男の凄む声に対し、相手を睨みつけただけで、何も答えなかった。

相手は本気だ。
恐らく自分は殺されるのだろう。
けれど、それは響也が裁判に勝とうが負けようが同じことなのだ。
もし響也が条件を受け入れたところで、端からこいつ等は自分を無事に帰す気などないと思う。
素顔を晒しているのは、自分を消す心積もりだからだ。

死ぬのが怖くないか?
(怖いに決まっているじゃないか!)
怖くないだなんて、格好の良いことを言えるほど自分は強くはない。
まだまだやりたい事も、やり残したことも沢山ある。
こんな所で死にたくなんてない。

けれど―――死ぬことよりも恐ろしいのは、あの人が信念を曲げてしまうこと。
どんなに辛い現実でも、それが真実ならば、あの人はそれから決して目を逸らさなかった。
兄や親友の罪を暴く道を選んだ。
真実を追求する為に。
そのために検事という道を選んだあの人の想いは、何としてでも守りたい。
自分の為にその想いを汚してしまうようなことは、絶対に耐えられない。
もしもそんなことになれば、あの人は間違いなく法曹界を去るだろう。

(牙琉検事―――決して間違わないで下さい。
たとえオレに何があっても、悲しむ必要はないんです。
アナタが胸を張って、真実を追究する道を歩んでくれること……それがオレの望みだから)

鳩尾に激しい衝撃を覚えた法介の意識は、再び暗転したのだった。



(ACT4へ続く)



2009.07.11 up