真実の代償 ACT1
それは突然の出来事だった―――。
響也と一緒に食事を摂り、店を出た時点でもう深夜零時を回ろうとしていた。
ほろ酔い気分で、ふわっと欠伸する法介の肩に響也が腕を回してくる。
「検事!外ではそういうことしないっていう約束でしょう!」
法介が声を荒げて、すぐにそれを振りほどくと、響也はあからさまにがっくりと肩を落とす。
しょんぼりとしたその様は、まるで大型の犬が耳を垂れてうな垂れているようだ。
とても人気芸能人とは思えない。
「少しくらいイイじゃないか……酔っ払って肩組んで歩くサラリーマンくらいいくらでも見るし」
「駄目なものはダメなんです。
オレ達は法曹界に身を置いているんですから、たとえどんな小さな約束でもそれを破っちゃいけません。
だいだいアナタは目立ちすぎるんですから、到底フツーのサラリーマンには見えませんし」
法介はきっぱりとそう言い切る。
響也の落胆ぶりに少し可哀想にはなったが、線引きはやはりきちんとしておきたい。
恋人同士だからといって、何もかもが曖昧になるのは嫌だった。
響也は検事で、自分は弁護士なのだから、過去数度あったように法廷で対峙することはこれから先も考えられることだ。
その時にプライベートでの関係を持ち込んで、審理に支障をきたすようなことは絶対にあってはならない。
それが真実を追求するという道を選んだ者の務めだと思う。
響也は裁判に私情を持ち込むような人間ではないと信じているし、自分が堅苦しいのかとも思うが、普段から境界線を曖昧にしてしまいたくはなかった。
それは響也も納得してくれているのだが、時折こうして子供みたいな真似をすることがあるから、困ったものだ。
「おデコくんは相変わらずキビシイね。
じゃあ続きはぼくのマンションでってことで、今はガマンするよ」
「それも却下です」
「えー、どうしてさ!?」
素気無く法介に言い捨てられた響也が、今度ははっきりと不満の声を上げた。
しかし法介は首を振った。
「オレ、明日は早いんですよ。
朝一番の裁判を傍聴しに行きたいし、成歩堂さんにちょっと調べものも頼まれているんで。
という訳で、今日はここで解散しましょう」
「それこそ却下だ。
べつにぼくの家に泊まって、明日ぼくのところから裁判所なり事務所に行けばいいだけの話じゃないか。
ぼくはもっとおデコくんと一緒にいたい。
今日会えたのだって久々だったんだし」
響也の言うことは法介にも分かる。
実際響也は仕事が忙しくて、なかなか会う時間も取れない。
そんな中でも一緒に居たいと思ってくれることが、とても嬉しかった。
法介とてそれは同じだ。
だが、響也の自宅に足を運べば、間違いなくただ眠るというだけでは済まない。
もちろん無理矢理という訳ではないし、響也の存在をより身近に感じられるから、それが嫌いなのではない。
ただとてつもなく疲れるのだ。
法介に掛かる負担を慮って、響也は色々と気遣ってくれるが、それでも最終的に受け入れるのは自分の方で……本来の性とは逆のことをするのだからどうしても無理がきてしまう。
最初の頃に比べれば、随分とマシになったが、それでも翌日は辛い。
従って、翌日の早朝から予定のある法介にとっては、響也の誘いは承諾できかねた。
翌日がオフならば法介も大人しく頷いたのだが……。
第一響也も明後日には、審理を控えていたはずで、そうのんびりしている時間はないだろうに。
「今日は本当に勘弁して下さい。
今度の審理が終わったらオフを取れるんでしょう?
オレもその時はきちんと予定を空けておきますから、二人でゆっくり過ごしましょう。
それまでお互いやるべきことを頑張りましょう、ね?」
柔らかな笑みを浮かべて、幼い子供に言い聞かすように法介は言う。
むぅっと口を曲げていた響也は、その法介の笑顔を見て、しぶしぶといった様子で軽く頷いた。
「キミのその顔には弱いんだよ……まったく。
分かった、今日はもう無理は言わない。
けど、オフが取れたら、ゆっくり一緒に過ごすって約束だよ。
その時は覚悟しておいてよ、おデコくん。
ちょっとやそっとじゃ離してあげないからさ」
「ううっ……ま……まぁ、ほどほどにお願いします……。
と……とにかく、オレは失礼しますね」
「もう遅いし、送っていくよ」
そんな響也の申し出を、法介は苦笑しつつ、丁重に断った。
どうも響也は過保護というのか、心配性なところがある。
特に少し前、ある弁護士が担当した審理の関係者に襲われるという事件があってからは、心配性に拍車が掛かったように思う。
気に掛けてくれるのは感謝しているが、女性ではあるまいし、成人男子である自分の身に一体何が起こるというのか。
弁護士だからと襲われるような事態がそうそう頻発するとも思えない。
以前法介がそう告げた時、響也は眉を吊り上げた。
「何を言っているんだい!
おデコくんは可愛いんだから、誰かに襲われでもしたら大変だよ!」
と、真剣に怒られ、法介は唖然としたものだ。
多分響也の目にはかなり分厚いフィルターが掛かっているに違いない。
「本当に気を付けなよ。
何かあったらキミのその大声で叫ぶんだよ、いいね?
あー、でも心配だなぁ……」
そんな響也を宥めすかし、彼がやっぱり送っていくと言い出さないうちに、法介は「じゃあ!」と駆け出した。
動けないならともかくも、男の自分が送ってもらうなど恥ずかしいではないか。
(何もある訳ないのに、可笑しな人だよなぁ……)
そう心の中で呟きつつも、法介は心がほんのりと暖かくなるのを感じていた。
それだけ自分を想ってくれているということなのだろうから。
(家に着いたら、メールだけは送っておくかな)
別れ際の響也の表情を思い返しながら、法介は足早に自宅を目指す。
それが起こったのは、大通りを逸れ、自宅へと続く脇道に法介が入ったその時だった。
道端に駐車された黒塗りの車から突然現れた男によって、法介は行く手を阻まれる。
覆面をした大柄な男だった。
「な……に?」
瞬時には状況を呑み込めず、法介は驚き目を見開いた。
思わず後退った法介だったが、どんと何かにぶつかってしまう。
振り返ると、前方の男と同じ格好で似たような体型の男が、いつの間にか法介の退路を断つように立っていた。
「なんだ、アンタ達は……」
只ならぬ雰囲気を感じながらも、法介の頭は少しづつ正常さを取り戻していく。
覆面をしていることからいって、とても善良な一般市民とは思えない。
法介の頭を過ぎったのは、『恐喝』『カツアゲ』といった種類の犯罪。
よりによってこの貧しい自分を狙うとは―――そう思うと法介は何だか可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
「残念だけど、オレ、お金なんて……」
「王泥喜法介だな?
我々と一緒に来てもらおう」
法介の言葉を、正面の男が乾いた声で遮った。
法介の笑う声にも、男達はまったく動じる様子もなく、淡々としていた。
予想したような恐喝犯の類ではないようだ。
相手は自分の名前を知っていて、尚且つ自分達と一緒に来いという。
「誘拐でもする気か……オレを……?
あははは、アンタ達相手を間違えてるんじゃない?
さっきも言ったけど、オレお金なんて持ってないから。
身代金なんて当然払えないし、ついでに天涯孤独の身の上だし」
あまりにも現実味に乏しくて、今度は大声で法介は笑ってしまう。
自分を誘拐などしたところで、何の利点もない。
「いいから、来い!」
業を煮やしたのか、男の手が法介の腕に伸びた。
どうやら男達は本気で法介を連れ去るつもりらしい。
「離せ!」
法介は反射的にそれを振り払い、前の男を睨み付けた。
すると今度は後ろの男が法介を羽交い絞めにする。
法介は懸命にもがいた。
体格差はあるが、法介とて一人前の男だ、そう簡単に捕らえられたりしない。
男の腕からどうにか逃れ、法介は前方の男の脇をすり抜けようと試みた。
とても自分一人で太刀打ちできるとは思わない。
ここは逃げることが最善だと思った。
先程から大声を出しているが、近隣の誰一人姿を見せようとはしない。
やはり男の自分では、ただ酔っ払い同士の喧嘩か何かとしか思われていないのかもしれなかった。
しかし法介が逃げ出すより前に、男は懐からバリカン似た何かを取り出した。
男がそれを握ると、先端からは光と共に、バチバチとしたスパーク音が放出される。
(ヤ……バッ!)
それがスタンガンだと法介が認識したと同時に、男は容赦なく法介の腹部にそれを押し当てた。
「痛っ!」
鋭い痛みが法介を襲い、身体がふらつく。
と同時に首を締め上げれ、為すすべなく意識が遠のいていく。
(ごめんなさい、牙琉検事……メールできそうにありません)
脳裏に浮かんだ響也へとそう語りかけたのを最後に、法介の意識は完全に途切れた。
(ACT2へ続く)
2009.04.04 up