unknown
Act6
判例集をめくる法介の手の動きは鈍かった。
視線は手元へと落とされているのだが、実際は字面を眺めているだけで、その内容はてんで頭に入ってはこない。
意識は別のところに飛んでいるからだ。
そしてその原因が何たるかは、自分自身でもはっきりと法介は自覚していた。
はぁ……と深い溜息を落として、法介はひたすらに後悔していた。
頭にあったのは、もちろん響也とのことだ。
どうしてもっと平静でいられなかったのだろうか。
あんな風に一方的に声を荒げて、逃げるようにして去る必要はなかったはずだと。
間違いなく響也はそんな法介の態度を不審に思っただろう。
しかし一方で、元を糺せば響也が悪いのではないかと責める気持もある。
男である自分のことを、異性と―――おそらくは恋人と間違えるなんて、失礼だろうと。
「くらーい顔してどうしたんですか?オドロキさん」
事務所のドアが開いて、学校から帰ってきたみぬきが開口一番尋ねてくる。
「お帰り、みぬきちゃん。
いや別になんでもないけど……」
そ知らぬ顔で誤魔化す法介に、みぬきは鞄の中から袋を取り出した。
それを法介へと差し出す。
「なにコレ?」
「帰り道にぐーぜんアカネさんに会って、これをオドロキさんに渡してくれって頼まれたんですよ。
なんだかオドロキさんにカンシャしているみたいでした。
お陰さまで裁判所にはちゃんと姿を見せたとかなんとか……」
茜は差し迫った審理の為に、連絡が取れない響也を探していた。
そこで成り行き上、法介が響也の自宅に向かったのだ。
みぬきの言葉から察するに、響也はあの後、きちんと予定されていた審理に行くことができたのだろう。
その点は法介も気になっていたことであったから、安心した。
受け取った袋の中身はかりんとうだった。
なんとも茜らしい謝礼の品だ。
(でも途中で投げ出すような感じで、帰って来ちゃったからなぁ……)
法介がぼんやりとかりんとうを眺めていると、みぬきも袋の中身を覗きこんで唇に指をあてる。
「いいなぁ……かりんとう」
「欲しいならあげるよ」
物欲しそうなみぬきに、法介は一度受け取った袋をそのまま返してやる。
するとみぬきは「ええっ!?」と目を丸くして驚く。
「オドロキさんが、食べ物をタメライもなくくれるなんて、熱でもあるんじゃないですか?」
「イヤイヤ!なに言ってんの、みぬきちゃん。
オレ別にそんな食い意地はってないし!」
食べ物に対する執着は、よほど成歩堂親子の方があるだろうにと、法介は呆れかえる。
今まで何度たかられたことか……。
「みぬき、オドロキくんはいま、青春の真っ只中なんだよ」
向かいのソファで横になっていた成歩堂が、むっくりと身を起こした。
「うわっ!」
寝ているものとばかり思っていた成歩堂が、急に言葉を発したものだから、法介は思わず声を上げてしまう。
みぬきの方は全く驚く素振りもなく、「セイシュン?」と小首を傾げた。
そんな法介に構わず、成歩堂は大きく伸びをして、ニヤニヤといつもの人の悪い笑みを浮かべる。
「そうそう青春なんだよ、みぬき」
「そっかー、セイシュンなんだね、パパ」
みぬきはふむふむと納得したように頷く。
本当に成歩堂の意図を汲み取っているのかは、甚だ怪しいものだったが。
しかし、法介は一向に納得できない。
正確にはまったくもって意味が分からない。
「い……一体青春って何のことですか?」
と聞いたところで、成歩堂は「はっはっは」と笑うだけで何も答えようとはしない。
いつもの戦法だ。
この状態の成歩堂になにをいった所で無駄なのだ。
法介はただ溜息を落とすしかなかった。
それから幾度か、法介は響也と顔を合わす機会があった。
もちろんプライベートではなく、仕事でだが……。
とはいえ共に法廷に立つ機会はなく、裁判所で偶然出会うという感じである。
響也はもうすっかり回復した様子で、いつも通りの爽やかな笑顔を振りまいていた。
響也は法介に気付くと、笑顔はそのままに法介の方へと近付いてくる。
「やぁ、おデコくん、この間は……」
「あぁ、あのことでしたらどうぞお気になさらず。
急いでいるので失礼します」
法介は響也の言葉を一方的に遮り、素気無くそう言い捨てると、さっさと響也の脇を通り過ぎた。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、無視して、法介はその場を立ち去った。
そんな風にして、響也と顔を合わせても、法介はまともに口をきこうともしなかった。
自分でもそれがおかしな態度だということは充分承知している。
けれどあの日以来、どう響也と接すれば良いのか分からなくなっていた。
響也の顔を見ると、何故か無性に腹が立ってしようがない。
未だにあの時、自分が彼の恋人と間違われたことに怒りを感じているのだろうか。
だが自分はそれほど執着心の強い人間ではなかった筈だ。
現に今まで誰になにを言われても、それがどれだけ腹立たしいことであっても、一日経てば「まぁいいか」と思えていたというのに……。
何だか胸の中がモヤモヤとしていて、法介は自分でも自分の気持を持て余していたのだ。
その日も裁判所を訪れていた法介は、資料室で成歩堂に頼まれた文献を探していた。
(マッタク……自分で来ればいいのに……たいがい人使い荒いよな)
心の中で悪態を吐くも、成歩堂なんでも事務所に法介は雇われている身なのだから仕方がない。
誰もいない室内の書棚をしばらく探すと、目的の資料は見付かった。
では帰ろうかと踵を返しかけた時、扉が開く音に法介は反射的に入口に目をやった。
「!?」
思わずぎょっと法介は目を見開いた。
姿を現したのが、響也だったからだ。
しかし響也は扉を閉め、そこに立ち塞がるようにして寄りかかるだけで、それ以上動こうとはしなかった。
口元からはいつもの笑みが消えている。
その上、鋭い視線で法介の方をじっと見つめている―――否、睨みつけているという表現の方が相応しいのかもしれない。
法介は見つけた資料を抱え直すと、平静を装って扉の方へと向かう。
「そこどいてくれませんか?」
入口を塞いで立ちはだかる響也に、法介は極めて正当な要求を出す。
ただし響也とは目を合わさずに。
「イヤだね」
対する響也の答えは、ごく短いものだった。
腕を組んだまま、法介を見下ろしている。
「キミはこのところずっと僕を避けているよね?
そのリユウを聞かせて貰おうか?」
今度は響也が法介に問い掛けてくる。
「オレは別にアナタを避けてなんていませんよ。
アナタには確かに世話になりましたけど、元々オレたちは仲良く世間話をするほど親しい訳でもないし……」
しかし法介が全てを答え終わる前に、突然伸びてきた響也の腕が法介の胸倉を掴み、扉の脇の壁へと法介の身体は押し付けられる。
もう一方の手が法介の頤を捕らえ、顔も固定されてしまう。
「ちょ……っ、何す……」
「本当のことを言いなよ、おデコくん。
キミはずっとマトモに僕の方を見ようともしないし、口をきこうともしない。
あの日―――キミが僕を看病してくれた時、キミは怒って帰って行ったよね?
あの時からずっとキミは変だ。
一体どうしたっていうんだい?」
触れ合うほど間近に、響也の顔が寄せられる。
淡いブルーの瞳が法介をじっと捕らえている。
法介は響也の腕を外そうとするが、その細身の体躯に似合わず凄い力で、どちらの拘束も解けない。
法介がきちんとした答えを返すまでは、決して解放する気はなさそうだ。
そしてこの響也相手に誤魔化しは通用しないのだろう。
法介はぎりっと奥歯を噛み締めて、響也を睨めつけた。
「アナタが熱に浮かされていたあの日、アナタはオレを誰かと……多分恋人と間違えたんですよ。
男のオレが、アナタの恋人に間違えられたり、身代わりにされて喜ぶとでも思いますか?
オレにだって男のプライドってものがあるんです。
非常に不愉快だった―――それだけです」
すると、意外な言葉を聞いたように、響也の眉がぴくりとあがった。
「コイビト……だって?」
「別にトボけなくたっていいですよ、オレに隠すことでもないでしょうに。
アナタはあの日、湯たんぽ代わりにしたオレに対して、誰かの名を呼んで、好きだって言ったんです。
オレなら絶対に恋人を間違ったりしませんけどね、たとえ高熱に魘されていても」
最後のは単なる嫌味のつもりだった。
だが、意外なほどに響也の顔が凍りついていく。
「おデコくん……キミ、コイビトがいるのかい?」
法介はその言葉にむっと眉根を寄せる。
お前ごときに恋人がいるのかと、さも馬鹿にされているように思えてならなかった。
「オレにだって恋人くらいいますよ。
馬鹿にしないで下さい!」
それは真実ではなかった。
もし響也が法介の腕輪をしていたならば、はっきりと反応を示していただろう。
ついついつまらない意地を張ってしまったに過ぎない。
響也は呆然とした様子で法介を見つめ、やがて哀しそうに瞳を細めた。
それは今まで法介が見たことのない、響也の辛そうな表情だった。
「牙……」
その予想していなかった響也の反応に、法介は動揺した。
そうして法介が口を開きかけたその瞬間―――響也の唇が法介の言葉を奪った。
それは一瞬触れるだけの軽いキスだった。
それでも法介を黙らすには充分であった。
第一自分が何をされたのか、法介は咄嗟に把握できなかったのだ。
法介を捕らえていた響也の手が、唐突に離される。
響也はそのまま扉を開けると、無言で部屋を出て行った。
残された法介はしばし放心した後、ずるずると壁に背を預けるようにしてその場にへたり込む。
「キス……された?」
呟くと、ようやくそれが現実感を伴ってきた。
法介の頬はかっと火照り、心臓はドキドキと鼓動を早める。
「なん……なんだよ……チクショー……」
途切れ途切れに吐き出した言葉は、響也に向けて―――そして自分自身に対しても向けたものだった。
視線は手元へと落とされているのだが、実際は字面を眺めているだけで、その内容はてんで頭に入ってはこない。
意識は別のところに飛んでいるからだ。
そしてその原因が何たるかは、自分自身でもはっきりと法介は自覚していた。
はぁ……と深い溜息を落として、法介はひたすらに後悔していた。
頭にあったのは、もちろん響也とのことだ。
どうしてもっと平静でいられなかったのだろうか。
あんな風に一方的に声を荒げて、逃げるようにして去る必要はなかったはずだと。
間違いなく響也はそんな法介の態度を不審に思っただろう。
しかし一方で、元を糺せば響也が悪いのではないかと責める気持もある。
男である自分のことを、異性と―――おそらくは恋人と間違えるなんて、失礼だろうと。
「くらーい顔してどうしたんですか?オドロキさん」
事務所のドアが開いて、学校から帰ってきたみぬきが開口一番尋ねてくる。
「お帰り、みぬきちゃん。
いや別になんでもないけど……」
そ知らぬ顔で誤魔化す法介に、みぬきは鞄の中から袋を取り出した。
それを法介へと差し出す。
「なにコレ?」
「帰り道にぐーぜんアカネさんに会って、これをオドロキさんに渡してくれって頼まれたんですよ。
なんだかオドロキさんにカンシャしているみたいでした。
お陰さまで裁判所にはちゃんと姿を見せたとかなんとか……」
茜は差し迫った審理の為に、連絡が取れない響也を探していた。
そこで成り行き上、法介が響也の自宅に向かったのだ。
みぬきの言葉から察するに、響也はあの後、きちんと予定されていた審理に行くことができたのだろう。
その点は法介も気になっていたことであったから、安心した。
受け取った袋の中身はかりんとうだった。
なんとも茜らしい謝礼の品だ。
(でも途中で投げ出すような感じで、帰って来ちゃったからなぁ……)
法介がぼんやりとかりんとうを眺めていると、みぬきも袋の中身を覗きこんで唇に指をあてる。
「いいなぁ……かりんとう」
「欲しいならあげるよ」
物欲しそうなみぬきに、法介は一度受け取った袋をそのまま返してやる。
するとみぬきは「ええっ!?」と目を丸くして驚く。
「オドロキさんが、食べ物をタメライもなくくれるなんて、熱でもあるんじゃないですか?」
「イヤイヤ!なに言ってんの、みぬきちゃん。
オレ別にそんな食い意地はってないし!」
食べ物に対する執着は、よほど成歩堂親子の方があるだろうにと、法介は呆れかえる。
今まで何度たかられたことか……。
「みぬき、オドロキくんはいま、青春の真っ只中なんだよ」
向かいのソファで横になっていた成歩堂が、むっくりと身を起こした。
「うわっ!」
寝ているものとばかり思っていた成歩堂が、急に言葉を発したものだから、法介は思わず声を上げてしまう。
みぬきの方は全く驚く素振りもなく、「セイシュン?」と小首を傾げた。
そんな法介に構わず、成歩堂は大きく伸びをして、ニヤニヤといつもの人の悪い笑みを浮かべる。
「そうそう青春なんだよ、みぬき」
「そっかー、セイシュンなんだね、パパ」
みぬきはふむふむと納得したように頷く。
本当に成歩堂の意図を汲み取っているのかは、甚だ怪しいものだったが。
しかし、法介は一向に納得できない。
正確にはまったくもって意味が分からない。
「い……一体青春って何のことですか?」
と聞いたところで、成歩堂は「はっはっは」と笑うだけで何も答えようとはしない。
いつもの戦法だ。
この状態の成歩堂になにをいった所で無駄なのだ。
法介はただ溜息を落とすしかなかった。
それから幾度か、法介は響也と顔を合わす機会があった。
もちろんプライベートではなく、仕事でだが……。
とはいえ共に法廷に立つ機会はなく、裁判所で偶然出会うという感じである。
響也はもうすっかり回復した様子で、いつも通りの爽やかな笑顔を振りまいていた。
響也は法介に気付くと、笑顔はそのままに法介の方へと近付いてくる。
「やぁ、おデコくん、この間は……」
「あぁ、あのことでしたらどうぞお気になさらず。
急いでいるので失礼します」
法介は響也の言葉を一方的に遮り、素気無くそう言い捨てると、さっさと響也の脇を通り過ぎた。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、無視して、法介はその場を立ち去った。
そんな風にして、響也と顔を合わせても、法介はまともに口をきこうともしなかった。
自分でもそれがおかしな態度だということは充分承知している。
けれどあの日以来、どう響也と接すれば良いのか分からなくなっていた。
響也の顔を見ると、何故か無性に腹が立ってしようがない。
未だにあの時、自分が彼の恋人と間違われたことに怒りを感じているのだろうか。
だが自分はそれほど執着心の強い人間ではなかった筈だ。
現に今まで誰になにを言われても、それがどれだけ腹立たしいことであっても、一日経てば「まぁいいか」と思えていたというのに……。
何だか胸の中がモヤモヤとしていて、法介は自分でも自分の気持を持て余していたのだ。
その日も裁判所を訪れていた法介は、資料室で成歩堂に頼まれた文献を探していた。
(マッタク……自分で来ればいいのに……たいがい人使い荒いよな)
心の中で悪態を吐くも、成歩堂なんでも事務所に法介は雇われている身なのだから仕方がない。
誰もいない室内の書棚をしばらく探すと、目的の資料は見付かった。
では帰ろうかと踵を返しかけた時、扉が開く音に法介は反射的に入口に目をやった。
「!?」
思わずぎょっと法介は目を見開いた。
姿を現したのが、響也だったからだ。
しかし響也は扉を閉め、そこに立ち塞がるようにして寄りかかるだけで、それ以上動こうとはしなかった。
口元からはいつもの笑みが消えている。
その上、鋭い視線で法介の方をじっと見つめている―――否、睨みつけているという表現の方が相応しいのかもしれない。
法介は見つけた資料を抱え直すと、平静を装って扉の方へと向かう。
「そこどいてくれませんか?」
入口を塞いで立ちはだかる響也に、法介は極めて正当な要求を出す。
ただし響也とは目を合わさずに。
「イヤだね」
対する響也の答えは、ごく短いものだった。
腕を組んだまま、法介を見下ろしている。
「キミはこのところずっと僕を避けているよね?
そのリユウを聞かせて貰おうか?」
今度は響也が法介に問い掛けてくる。
「オレは別にアナタを避けてなんていませんよ。
アナタには確かに世話になりましたけど、元々オレたちは仲良く世間話をするほど親しい訳でもないし……」
しかし法介が全てを答え終わる前に、突然伸びてきた響也の腕が法介の胸倉を掴み、扉の脇の壁へと法介の身体は押し付けられる。
もう一方の手が法介の頤を捕らえ、顔も固定されてしまう。
「ちょ……っ、何す……」
「本当のことを言いなよ、おデコくん。
キミはずっとマトモに僕の方を見ようともしないし、口をきこうともしない。
あの日―――キミが僕を看病してくれた時、キミは怒って帰って行ったよね?
あの時からずっとキミは変だ。
一体どうしたっていうんだい?」
触れ合うほど間近に、響也の顔が寄せられる。
淡いブルーの瞳が法介をじっと捕らえている。
法介は響也の腕を外そうとするが、その細身の体躯に似合わず凄い力で、どちらの拘束も解けない。
法介がきちんとした答えを返すまでは、決して解放する気はなさそうだ。
そしてこの響也相手に誤魔化しは通用しないのだろう。
法介はぎりっと奥歯を噛み締めて、響也を睨めつけた。
「アナタが熱に浮かされていたあの日、アナタはオレを誰かと……多分恋人と間違えたんですよ。
男のオレが、アナタの恋人に間違えられたり、身代わりにされて喜ぶとでも思いますか?
オレにだって男のプライドってものがあるんです。
非常に不愉快だった―――それだけです」
すると、意外な言葉を聞いたように、響也の眉がぴくりとあがった。
「コイビト……だって?」
「別にトボけなくたっていいですよ、オレに隠すことでもないでしょうに。
アナタはあの日、湯たんぽ代わりにしたオレに対して、誰かの名を呼んで、好きだって言ったんです。
オレなら絶対に恋人を間違ったりしませんけどね、たとえ高熱に魘されていても」
最後のは単なる嫌味のつもりだった。
だが、意外なほどに響也の顔が凍りついていく。
「おデコくん……キミ、コイビトがいるのかい?」
法介はその言葉にむっと眉根を寄せる。
お前ごときに恋人がいるのかと、さも馬鹿にされているように思えてならなかった。
「オレにだって恋人くらいいますよ。
馬鹿にしないで下さい!」
それは真実ではなかった。
もし響也が法介の腕輪をしていたならば、はっきりと反応を示していただろう。
ついついつまらない意地を張ってしまったに過ぎない。
響也は呆然とした様子で法介を見つめ、やがて哀しそうに瞳を細めた。
それは今まで法介が見たことのない、響也の辛そうな表情だった。
「牙……」
その予想していなかった響也の反応に、法介は動揺した。
そうして法介が口を開きかけたその瞬間―――響也の唇が法介の言葉を奪った。
それは一瞬触れるだけの軽いキスだった。
それでも法介を黙らすには充分であった。
第一自分が何をされたのか、法介は咄嗟に把握できなかったのだ。
法介を捕らえていた響也の手が、唐突に離される。
響也はそのまま扉を開けると、無言で部屋を出て行った。
残された法介はしばし放心した後、ずるずると壁に背を預けるようにしてその場にへたり込む。
「キス……された?」
呟くと、ようやくそれが現実感を伴ってきた。
法介の頬はかっと火照り、心臓はドキドキと鼓動を早める。
「なん……なんだよ……チクショー……」
途切れ途切れに吐き出した言葉は、響也に向けて―――そして自分自身に対しても向けたものだった。
2008.01.06 up