unknown
Act4
バタンと玄関ドアの閉まる音が響也の耳に届く。
一人取り残された響也は、呆然と目を見開いていた。
何故こんな状況に陥ったのか―――その理由が分からずに、これまでのことを思い返していた。
ここしばらく響也は体調が思わしくなかった。
日頃から身体は鍛えているし、体力には自信があるのだが、仕事の多忙さとここ最近の寒暖の差の激しさに、風邪を引いてしまったようだ。
とりあえず救急箱にあった市販の風邪薬を飲むだけで、響也は休むまもなく検事としての仕事に没頭していた。
七年前にあの裁判が行われた後、響也は検事よりもガリューウエーブの活動に今まで重きを置いてきた。
しかし、メンバーである眉月大庵が逮捕され、バンドは活動休止を余儀なくされている。
それだからといって、響也は検事の方に力を入れ始めた訳ではない。
もし眉月が逮捕されずとも、恐らくそう遠くない未来に、その比重は逆転していただろうと思う。
それは―――王泥喜法介と出逢ってしまったからだ。
彼との法廷での対決は、響也に検事としての熱意を蘇らせてくれた。
不完全燃焼で終わった七年前の法廷が尾を引いて、響也は法廷に立つ意義を見出せなくなっていたから……。
真実を追究することが、如何に大切で、そして充足を齎してくれるものか、身をもって知ったのだ。
新人弁護士である法介にはまだまだ依頼も少なく、法廷で対峙できる機会はあまりない。
だが、もしまた彼とまみえた時に、検事として恥ずかしくない自分でいたかった。
だからこそ精力的に検事の職務に響也は励んでいた。
そのうち治るだろうと高をくくっていた風邪は、響也との思惑とは逆に酷くなる一方だった。
そしてある日とうとう響也は高熱に襲われた。
ベッドから起き上がるのがやっとで、とてもオフィスに行ける状態ではない。
ぼんやりとする意識の中、検事局に連絡を入れなければと思いはしたが、見えるところに携帯電話が見当たらない。
何処に置いたのだろうかと記憶を辿ろうとするが、上手くいかない。
それを探す気力は到底なく、響也はぐったりとベットに横たわっていた。
それからどれくらいの時間が流れたのだろうか。
熱に浮かされ、夢現の中にいた響也には無論把握できはしない。
その響也の耳に、インターフォンの鳴る音が僅かに届く。
霞む意識の中、ゆっくりと響也は目を開けるが、立ち上がる気にはなれなかった。
やがて、しばらくすると今度はドンドンと玄関のドアを激しく叩く音が聞こえてきた。
「牙琉検事!
いなんですか!?
牙琉検事!!」
それと共に耳に入ってきたのは、聞き覚えのある大声だった。
(おデコくんだ)
それを聞いた途端、響也の身体に僅かに力が宿る。
熱のせいで、気弱になっていたのかもしれない。
聞こえるその法介の声が酷く懐かしく思えた。
ただ会いたかった。
響也が恋心を抱いていると自覚したその相手……法介に。
響也は力を振り絞ってベッドから身を起こし、玄関へと向かう。
どうにか辿り着いて、鍵を開け、ドアを開けるまでが響也の限界だった。
法介の怒鳴る声が聞こえてくるが、響也は最早顔を上げることができなかった。
(おデコくんの……顔が見たい……)
そう思っているにもかかわらず。
意思に反して、響也の身体は前のめりに傾いた。
しかし、床に身体は叩きつけられることなく、抱き留められたその温もりに、響也は目を閉じる。
(あぁ……おデコくんだ……)
全身を安心感が包み込み、響也の意識はとうとうそこで途切れてしまったのだ。
法介は甲斐甲斐しく、響也の看病をしてくれた。
響也をベッドに運び、医者を呼んで、額には濡れたタオルをのせる。
その冷たい感覚に、響也の意識は再び浮上した。
法介のお陰で、気分も随分と良くなったように思える。
彷徨わせた視線の先には、法介がいて、目を覚ました響也を不安げに見つめていた。
そんな法介と響也が言葉を交わすと、彼も安心したようだった。
ただ咳が出て、擦れた声は何だか自分のものではないようで、響也は不思議な気分を味わう。
だが法介がこうして傍にいてくれて、自分のことを気にかけてくれることが、響也には嬉しかった。
法介に対する特別な想いはまだ伝えてはいないが、少なくとも嫌われているのではないと感じて。
意識が朦朧となるほど高熱を出したことなど久しぶりだし、そこに法介が訪ねて来たのも偶々なのだろう。
けれどその偶然に響也は感謝した。
正に怪我の功名ならぬ病の功名か。
法介が訪ねてきてくれるまで、気分は最低だったというのに、現金なものだと自分でも思う。
けれど法介の顔を見ていると、安心するのだ。
そして彼の声を聞いていると、とても心地が良い。
だがそんな穏やかで温かな気持ちとは裏腹に、抱きしめて、口付けて―――無理にでも抱いてしまいたいドス黒い欲望のような感情があることもまた確かなのだ。
(熱を下げるのには、汗をかくのが一番なんだよ、おデコくん)
こうして二人きりでいると、成り行きとはいえ看病してくれている法介の優しさにつけ込んで、このベッドの上に組み敷いてしまいたくなる。
熱のせいで理性の箍が緩くなっていることを、響也は自覚する。
だが、それを響也は何とか振り払う。
合意の上でない行為など、響也の趣味ではなかったし、第一法介を傷付けるようなことはしたくなかった。
法介の笑顔と、まっすぐで綺麗な瞳を守りたい気持ちのほうが勝っていたからだ。
ただずっとこのままで良いと思っている訳でもなかった。
もっと距離を縮めていって、いずれ彼への想いを告げるつもりだった。
同じ男だからとか、検事と弁護士だからとか……そんな戸惑いや迷いは最早響也にはない。
法介にそれを受け入れて貰えるように、努めるだけだ。
そうして想いが通じ合った時こそ、法介をこの手で抱きたかった。
だから今はただこうして法介が傍にいてくれることで満足すべきなのだ。
そう言い聞かせる響也の心の内など露知らず、法介は、
「とにかく今は、ゆっくり眠って休んで下さい。
オレ、ここにいますから、大丈夫ですよ」
などと言って、微笑みかけてくる。
そればかりか、法介の手が響也へと伸ばされ、その頬をそっと撫でたのだ。
驚いた響也が口を開くより早く、法介がはっと我に返ったようで、慌てふためく。
「うわーっ!
す……すみません!
オレどうしちゃったんだろ……その……トクベツな意味はないので……許してください。
オトコのオレにそんなふうに触られても、気持悪いだけですよね……あはは」
慌てて手を離し、特別な意味などないのだと懸命に法介は弁明してくる。
しかし響也がそれに落胆していることに、法介は決して気付いてはいないのだろう。
気持ち悪い訳などない。
傍に居てくれるだけで良いと思ったばかりなのに、法介から触れられて、思い切り抱きしめて、キスしたくなってしまったというのに。
(キミは僕の理性を試そうとでもいうのかい……?)
胸の中で愚痴とも問いかけとも取れぬ言葉を響也は零しつつ、そっと溜息を落とした。
法介の手の温もりが、頬から徐々に消えていく。
それが名残惜しく、そしてもう一度はっきりとそれを感じたくて、響也は法介へと手を伸ばし、彼の手を捕まえた。
今度は法介が目を見開くのに構わず、響也はそれを再度自分の頬へと導いた。
この状況ならば、病の気弱さからの行動だと法介は思ってくれるのではないだろうか。
それもまた完全に否定はできなかったが、病気を隠れ蓑にこうして法介と触れ合えるのならばそれを利用しない手はない。
そんな自分の狡猾さに、響也は呆れつつも止められなかった。
だが、法介が少しでも嫌がる素振りを見せれば、響也とてすぐに手を離すつもりだったのだ。
しかし―――法介は拒みはしなかった。
触れた法介の手はやはりとても暖かく、響也に大きな安心感を齎してくれる。
今まで散々に数多くの異性と肌を合わせてきたが、そのどれよりもこうして手に触れられているだけだというのに、響也の心を満たしてくれる。
不思議だけれど、これが恋をしているということなのだろう。
相手が齎してくれるほんの僅かなことでも、とても嬉しく幸せに思える。
法介の温もりに包まれ、響也は襲ってきた眠気に抗うことが出来ずに、ゆっくりと眠りの淵へと落ちていったのだった。
一人取り残された響也は、呆然と目を見開いていた。
何故こんな状況に陥ったのか―――その理由が分からずに、これまでのことを思い返していた。
ここしばらく響也は体調が思わしくなかった。
日頃から身体は鍛えているし、体力には自信があるのだが、仕事の多忙さとここ最近の寒暖の差の激しさに、風邪を引いてしまったようだ。
とりあえず救急箱にあった市販の風邪薬を飲むだけで、響也は休むまもなく検事としての仕事に没頭していた。
七年前にあの裁判が行われた後、響也は検事よりもガリューウエーブの活動に今まで重きを置いてきた。
しかし、メンバーである眉月大庵が逮捕され、バンドは活動休止を余儀なくされている。
それだからといって、響也は検事の方に力を入れ始めた訳ではない。
もし眉月が逮捕されずとも、恐らくそう遠くない未来に、その比重は逆転していただろうと思う。
それは―――王泥喜法介と出逢ってしまったからだ。
彼との法廷での対決は、響也に検事としての熱意を蘇らせてくれた。
不完全燃焼で終わった七年前の法廷が尾を引いて、響也は法廷に立つ意義を見出せなくなっていたから……。
真実を追究することが、如何に大切で、そして充足を齎してくれるものか、身をもって知ったのだ。
新人弁護士である法介にはまだまだ依頼も少なく、法廷で対峙できる機会はあまりない。
だが、もしまた彼とまみえた時に、検事として恥ずかしくない自分でいたかった。
だからこそ精力的に検事の職務に響也は励んでいた。
そのうち治るだろうと高をくくっていた風邪は、響也との思惑とは逆に酷くなる一方だった。
そしてある日とうとう響也は高熱に襲われた。
ベッドから起き上がるのがやっとで、とてもオフィスに行ける状態ではない。
ぼんやりとする意識の中、検事局に連絡を入れなければと思いはしたが、見えるところに携帯電話が見当たらない。
何処に置いたのだろうかと記憶を辿ろうとするが、上手くいかない。
それを探す気力は到底なく、響也はぐったりとベットに横たわっていた。
それからどれくらいの時間が流れたのだろうか。
熱に浮かされ、夢現の中にいた響也には無論把握できはしない。
その響也の耳に、インターフォンの鳴る音が僅かに届く。
霞む意識の中、ゆっくりと響也は目を開けるが、立ち上がる気にはなれなかった。
やがて、しばらくすると今度はドンドンと玄関のドアを激しく叩く音が聞こえてきた。
「牙琉検事!
いなんですか!?
牙琉検事!!」
それと共に耳に入ってきたのは、聞き覚えのある大声だった。
(おデコくんだ)
それを聞いた途端、響也の身体に僅かに力が宿る。
熱のせいで、気弱になっていたのかもしれない。
聞こえるその法介の声が酷く懐かしく思えた。
ただ会いたかった。
響也が恋心を抱いていると自覚したその相手……法介に。
響也は力を振り絞ってベッドから身を起こし、玄関へと向かう。
どうにか辿り着いて、鍵を開け、ドアを開けるまでが響也の限界だった。
法介の怒鳴る声が聞こえてくるが、響也は最早顔を上げることができなかった。
(おデコくんの……顔が見たい……)
そう思っているにもかかわらず。
意思に反して、響也の身体は前のめりに傾いた。
しかし、床に身体は叩きつけられることなく、抱き留められたその温もりに、響也は目を閉じる。
(あぁ……おデコくんだ……)
全身を安心感が包み込み、響也の意識はとうとうそこで途切れてしまったのだ。
法介は甲斐甲斐しく、響也の看病をしてくれた。
響也をベッドに運び、医者を呼んで、額には濡れたタオルをのせる。
その冷たい感覚に、響也の意識は再び浮上した。
法介のお陰で、気分も随分と良くなったように思える。
彷徨わせた視線の先には、法介がいて、目を覚ました響也を不安げに見つめていた。
そんな法介と響也が言葉を交わすと、彼も安心したようだった。
ただ咳が出て、擦れた声は何だか自分のものではないようで、響也は不思議な気分を味わう。
だが法介がこうして傍にいてくれて、自分のことを気にかけてくれることが、響也には嬉しかった。
法介に対する特別な想いはまだ伝えてはいないが、少なくとも嫌われているのではないと感じて。
意識が朦朧となるほど高熱を出したことなど久しぶりだし、そこに法介が訪ねて来たのも偶々なのだろう。
けれどその偶然に響也は感謝した。
正に怪我の功名ならぬ病の功名か。
法介が訪ねてきてくれるまで、気分は最低だったというのに、現金なものだと自分でも思う。
けれど法介の顔を見ていると、安心するのだ。
そして彼の声を聞いていると、とても心地が良い。
だがそんな穏やかで温かな気持ちとは裏腹に、抱きしめて、口付けて―――無理にでも抱いてしまいたいドス黒い欲望のような感情があることもまた確かなのだ。
(熱を下げるのには、汗をかくのが一番なんだよ、おデコくん)
こうして二人きりでいると、成り行きとはいえ看病してくれている法介の優しさにつけ込んで、このベッドの上に組み敷いてしまいたくなる。
熱のせいで理性の箍が緩くなっていることを、響也は自覚する。
だが、それを響也は何とか振り払う。
合意の上でない行為など、響也の趣味ではなかったし、第一法介を傷付けるようなことはしたくなかった。
法介の笑顔と、まっすぐで綺麗な瞳を守りたい気持ちのほうが勝っていたからだ。
ただずっとこのままで良いと思っている訳でもなかった。
もっと距離を縮めていって、いずれ彼への想いを告げるつもりだった。
同じ男だからとか、検事と弁護士だからとか……そんな戸惑いや迷いは最早響也にはない。
法介にそれを受け入れて貰えるように、努めるだけだ。
そうして想いが通じ合った時こそ、法介をこの手で抱きたかった。
だから今はただこうして法介が傍にいてくれることで満足すべきなのだ。
そう言い聞かせる響也の心の内など露知らず、法介は、
「とにかく今は、ゆっくり眠って休んで下さい。
オレ、ここにいますから、大丈夫ですよ」
などと言って、微笑みかけてくる。
そればかりか、法介の手が響也へと伸ばされ、その頬をそっと撫でたのだ。
驚いた響也が口を開くより早く、法介がはっと我に返ったようで、慌てふためく。
「うわーっ!
す……すみません!
オレどうしちゃったんだろ……その……トクベツな意味はないので……許してください。
オトコのオレにそんなふうに触られても、気持悪いだけですよね……あはは」
慌てて手を離し、特別な意味などないのだと懸命に法介は弁明してくる。
しかし響也がそれに落胆していることに、法介は決して気付いてはいないのだろう。
気持ち悪い訳などない。
傍に居てくれるだけで良いと思ったばかりなのに、法介から触れられて、思い切り抱きしめて、キスしたくなってしまったというのに。
(キミは僕の理性を試そうとでもいうのかい……?)
胸の中で愚痴とも問いかけとも取れぬ言葉を響也は零しつつ、そっと溜息を落とした。
法介の手の温もりが、頬から徐々に消えていく。
それが名残惜しく、そしてもう一度はっきりとそれを感じたくて、響也は法介へと手を伸ばし、彼の手を捕まえた。
今度は法介が目を見開くのに構わず、響也はそれを再度自分の頬へと導いた。
この状況ならば、病の気弱さからの行動だと法介は思ってくれるのではないだろうか。
それもまた完全に否定はできなかったが、病気を隠れ蓑にこうして法介と触れ合えるのならばそれを利用しない手はない。
そんな自分の狡猾さに、響也は呆れつつも止められなかった。
だが、法介が少しでも嫌がる素振りを見せれば、響也とてすぐに手を離すつもりだったのだ。
しかし―――法介は拒みはしなかった。
触れた法介の手はやはりとても暖かく、響也に大きな安心感を齎してくれる。
今まで散々に数多くの異性と肌を合わせてきたが、そのどれよりもこうして手に触れられているだけだというのに、響也の心を満たしてくれる。
不思議だけれど、これが恋をしているということなのだろう。
相手が齎してくれるほんの僅かなことでも、とても嬉しく幸せに思える。
法介の温もりに包まれ、響也は襲ってきた眠気に抗うことが出来ずに、ゆっくりと眠りの淵へと落ちていったのだった。
2007.12.01 up