プラチナ
チケット
交差点の向かいのビルの壁面に、大型の液晶ディスプレイが備え付けられている。
そこからは様々なCMが流れていて、行きかう人々の目をひく。
法介も信号待ちの時に、そのディスプレイを何とはなしに見ていた。
そうしながら、肌をじりじりと焼くような夏の日差しに喉が渇き、法介は手にしたミネラルウォーターのボトルに口をつけた。
ホテル・バンドーのCMが終わり、画面が切り替わる。
そして、けたたましい音楽と共に、次に現れたのは、法介も見知ったとある男のアップだった。
「!?」
ぶっと法介は思わず口に含んだ水を噴出しそうになる。
ぎりぎりでそれは回避し、法介は何とかそれを飲み下した後、ゲホゲホと思い切り咽た。
雑踏の中からは、女の子達の黄色い声が上がる。
「ガリューだ、カッコイイよね!」
といった類の。
ディスプレイに映し出される彼の姿は、ライトの加減もあるのだろうが、妙にキラキラと輝いていてた。
おまけにカメラ目線ばっちりで、爽やかな笑顔を惜しみなく見せている。
きゃーという女の子達の興奮気味の声とは裏腹に、法介は咳き込みつつそこから目を逸らした。
まだ何処か信じられなかったのだ。
その男の―――牙琉響也が画面の向こうから愛想を振りまいている……つまり芸能人であるということが。
法介が響也と出会ってから、それほどの時間はまだ経ていない。
とある事件の裁判で、一度法廷で対峙した。
法介の師ともいうべき存在であった牙琉霧人の弟。
外見は驚くほどに似ているが、性格はまるで違った。
検事でありながら、ロックバンドのリーダー兼ボーカリストをしていると聞いたときは、目が点になったものだ。
しかもそのバンドはミリオンヒット連発の人気だという。
が、法介はそのバンドの存在を知らなかった。
バンド名を教えられても、やはり法介の記憶の中には「ガリューウエーブ」という単語はインプットされていなかったし、もちろんその曲も聞いたこともない。
件の法廷では、響也に散々にからかわれ、笑われ、「おデコくん」などという変なあだ名までつけられた。
しかし軽薄なそうなその言動の裏には、真実を追究しようという熱意のようなものを感じることもできたのも確かだ。
本人は否定していたが、実際法介を手助けしてくれた。
だが―――やはり「女の子にもてたいから」という理由でバンドを結成したなどと聞かされても、それを法介は信じることができなかった。
からかわれているのだとばかり、法介は思い込んでいたのだ。
だから突然響也の顔が、巨大ディスプレイに映し出されたのを目の当たりにして、法介は驚愕したのだった。
(ほ……ホントに芸能人だったのかよ……)
見知った顔が映像として流れ、多くの人達に見られているのだということが何故だか気恥ずかしく、法介は顔を上げることは出来ずに胸の内で呟く。
どうやら近々行われるコンサートのCMらしい。
「チケットもう完売してるんだってー」
何処からか女の子達の残念そうな声が、法介の耳にも届いた。
先程の嬌声といい、そんな落胆ぶりといい、響也の誇張ではなく、かなりの人気だというのも本当らしいと、法介はまたもや驚きつつも認識せざるを得なかった。
法介が裁判所に到着すると、まさに先程大画面で見たばかりの顔と出くわしてしまった。
「やぁ、おデコくん。
相変わらず、おデコがテカテカしてるね」
法介の目線に合わせるように、身を屈めて、響也はにっこりと笑顔を浮かべる。
反射的に額に手をやり、法介はそんな響也をむぅっと睨んだ。
「余計なお世話です!」
法介が思ったとおりの反応を返すのが面白いのか、響也は睨み付けられようが笑みを崩さない。
(……確かに、カッコイイよな……)
眼前にある響也の整った顔立ちに、法介は悔しいながらも素直にそう感じてしまう。
女の子達がキャーキャー騒ぐのも分かる気がする。
しかし、はたとそこで法介は首を傾げた。
どこか違うと思ったのだ。
今法介の目の前にいる響也と、先程ディスプレイで見た響也が。
確かに同じ容貌であるし、同じ笑顔だ。
けれど……言葉で明確に表せないが、何かが違うと法介は感じるのだ。
「どうかしたの?おデコくん」
口を噤み、まじまじと自分の方を見つめてくる法介に、響也がそう訊ねてくる。
「牙琉検事って、先生以外に兄弟がいますか?」
「は?」
予想もしていなかった問いかけだったのか、響也には珍しく驚いたような声を上げた。
「いや……いないけど……」
「そうなんですか?うーん……」
法介は額に人差し指をあて、思わず考え込んでしまう。
気になりだすと止まらない性質なのだ。
もしかすると、響也にはもう一人兄弟がいて、その人物がロックバンドのリーダーをしているのではと思ったのだ。
それをさも、響也が自分がしているかのように装って、自分のことをからかったに違いないと法介は考えた。
だが、それも違うらしい。
「さっき街中の宣伝用ディスプレイで牙琉検事らしき人が映っているのを見たんですけど、アレ……ほんとにアナタなんですか?」
法介に再度訊ねられ、響也はようやく合点がいったらしい。
あぁと頷いた後、口を開いた。
「シツレイじゃないか、おデコくん。
あんなにクールでカッコイイ男は二人といないよ?
宣伝用のって、今度始まるツアーのCMのだよね。
正真正銘それは僕だ、疑うべき要素はドコにもないと思うけど?」
響也の口調は心外だと言わんがばかりだ。
一体この自信過剰はどこからやって来るのかも、法介には疑問である。
「それは、スミマセンでしたね」
と、とりあえずは心の籠らぬ形ばかりの謝罪を、呆れ半分に法介は返す。
「バンド組んでるってジジツだったんですね。
女の子達がアナタの姿が映し出された途端、騒いでましたよ」
「トーゼンだよ。
なにせこの僕が蕩けそうな魅惑的な笑顔を見せてるんだからさ。
トリコにならない女の子はいないに決まっているよ」
ごく当然のように響也は言い放った。
(ジブンで言うなよ!)
法介は思わず心の中で突っ込んでしまう。
「画面越しではなくて、その顔が実際にこうも間近にキミの前にあるんだよ?」
響也は何かもの言いたげに、再び法介へと微笑を向ける。
「はぁ……」
だからなんだというのだろう。
法介が気の抜けた相槌を打つと、響也の眉が僅かに釣りあがった。
「おデコくんさ、女の子達ならカンゲキのあまり、今頃ソットウしているよ。
もっと喜んで見せるなりするのが当然じゃないか。
なのに、なんだ、その反応は」
「どーして、男の俺が女の子達みたいに牙琉検事にトキメかなくちゃならいんですか!
あれだけ女の子達に騒がれているんだから、十分でしょうが!
だいたいさっき見た牙琉検事と今のアナタとは、どこか違うように見えるんですよ、俺には」
すると響也の目が驚いたように一瞬見開かれ、それから深々と溜息を吐き出した。
「キミは……鈍いのか鋭いのか……一体どちらなんだろうね。
その様子だと、それに気付いていても、僕がおデコくんに向ける笑顔のイミは分かってなさそうだし。
でもそーいうところからどーにかするのが、力の見せドコロということか……」
ぶつぶつと響也が呟くのに、法介は訳が分からず困惑するのみだ。
相変わらず法介にとって響也は捉えどころのない存在で、相手をすると疲れる。
だからといって嫌いだとか苦手とは思えないのだから不思議だ。
「じゃぁ、そろそろシツレイしますね」
法介はこの不毛な会話に終わりを告げるべく、響也の元を立ち去ることにする。
響也に会うために、ここに来たわけではないのだ。
その背に、響也が声を掛けてきた。
「キミの所にプラチナチケット送っておいたから。
それがあれば、きっと僕のことがもっとよく分かると思うよ」
そう言われても、法介にはこれまた何のことだか分からなかった。
肩越しの振り返り、「そうですか、どうも」とおざなりな返事をし、法介は再び歩き出す。
事務所に戻れば、みぬきが響也からの手紙を手に、法介の帰りを待ちわびているとも知らず―――。
「ちゃんとお嬢さんとの連名で送っておいたから、きっとキョゼツは出来ないとおもうよ、おデコくん」
くすりと笑みを漏らしながら響也が呟いた言葉は、法介には届いていなかった。
去りゆく法介の背を見つめながら、響也は自然と笑顔になってしまう。
ファンに見せるものとは違うその笑顔。
その意味を法介が知ればどんな反応を示すだろうか。
計算され、作られた笑顔ではなく、それは深い想いを込めた特別なもの。
いつの日か、法介にそれを分かって貰いたかった。
否、分からせてみせる。
その為の第一歩として、響也は文字通りのプラチナチケットを送ったのだ。
そして響也の思惑通り、法介はコンサートにやってきてくれた。
だがそこで激しく落ち込むことになろうとは、この時の響也は思ってもみなかった。
「ああいう音楽はあんまり好きじゃないから」
と、法介にばっさりきっぱり切捨てられてしまい―――。
道は遠く厳しそうだ。
2007.08.11 up