決別の
とき
*後編*
注:センセーが壊れ気味ですので、
センセーファンの方はご注意を!
ここに至って、法介は震える手で、首から霧人の手を外そうと試みるが、元からの体格差かこの特異な状況故か、それは叶わない。
霧人は微笑みながら、いたぶるようにじわじわと法介の首を絞める。
「……くっ……ぅ……」
法介から苦悶の声が漏れると、ますます霧人は楽しそうに笑みを深くする。
―――苦しい。
意識が遠のいていく。
このまま自分は死んでしまうのだろうか。
そうなれば、もう会えなくなってしまうではないか。
ふと頭を過ぎる想い。
迫り来る死を前に、しかし法介の心を真っ先に占めたのは恐怖ではなかった。
霞む意識の中に浮かんだのは一人の男の姿。
今目の前で法介の命を絶とうとしている男と良く似た顔立ちの彼の人のことが。
容貌は酷似していても、それ以外は何もかもが違う。
法介の記憶にある彼は、とても優しく微笑んでいて、綺麗な声で法介を呼んでくれる。
「おデコくん」
と―――。
法介にとって、彼は大切で特別なその存在なのだ。
「…き……や」
法介が思わず脳裏に浮かぶ彼の名を切れ切れに呟いたのを、霧人は聞き逃さなかった。
一瞬目を見開いて、次の瞬間にはまた笑顔に戻る。
そうして何を思ったか、法介の首から唐突に手を離した。
ゲホゲホと苦しげな咳を繰り返しながら、法介は壁に背を預けたままの格好で、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
霧人はそんな法介を満足そうに見下ろした後、法介の前に屈みこんだ。
「助かったと思っていますか?」
霧人はそう問いかけながら、何かを探すように法介をじっと見つめる。
法介はまだ咳き込んでいて、答える術を持たなかった。
そんな霧人の目が、すぅっと細まった。
法介の首筋―――ぎりぎりシャツに隠れるか隠れないかといった部分に視線を留めて。
そこに刻まれていたのは、くっきりとした鬱血の痕。
「どうやら早速新しい飼い主に、尻尾を振っているようですね、オドロキ君。
成歩堂を選ぶのかと思っていたら、意外な相手ですね。
私のことを断罪するのも結構ですが、君とて所詮は同じ穴の狢ということだ。
検事と深い繋がりをもっておけば、何かと有益な情報も引き出せるでしょう?」
霧人の言葉に、法介は大きく首を振る。
「ちが……う」
未だ乱れて苦しい息の下から、法介は否定する。
彼とは、決してそんな打算的な関係ではない。
弁護士と検事―――反する関係を越え、想いの紆余曲折を経て、ようやく互いに特別で大切な存在になったのだ。
彼の肩書きに魅せられてなど断じてない。
検事としての彼を尊敬している。
ボーカリストとしての彼を格好良いとも思う。
だが自分は、彼……牙琉響也のことを―――検事でもボーカリストでもない……ただその大きな心と優しさに惹かれ、愛しているのだ。
しかし、霧人に法介の本心など届くはずもなく、彼は冷笑を浮かべた。
「ふふっ……口ではなんとでも言えます。
だが今はそんなことなど詮無きことですね。
きみが響也の下でどんな艶声で啼くのか、私にも聞かせてもらいましょう。
きみを散々に犯して、その後君の息の根を止める方が、より大きなダメージを与えられそうだ。
オドロキ君、きみだけじゃなく、私を裏切った響也にもね!」
残酷に霧人はそう言い放つと同時に、法介のネクタイを乱暴に外し、シャツの襟元に手を掛けると強引に引き千切った。
ボタンが飛び、法介の胸元が露になる。
そこには首筋にあったのと同じような鬱血の痕が、其処此処に散っていた。
それを見て、霧人は愉悦に満ちた笑みを漏らす。
霧人の唇が、法介の首筋の痕へと押し付けられる。
「やっ……止め……」
法介は懸命に身を捩り、霧人の身体を押し返そうと試みる。
だが霧人の身体はびくりともしない。
法介の抵抗を嘲笑うかのように、その身体に付けられた痕跡をなぞり、口付けを落とす。
冷たい掌が、法介の身体を撫でる。
霧人が何をしようとしているか、分からぬほど法介は愚かではない。
押し寄せる恐怖と嫌悪感に、法介の肌は粟立った。
こんなのことは、心を通い合わせた響也とだから出来る行為であって、いくら霧人がそっくりの顔立ちであったとて到底受け入れられるものではない。
このまま無理矢理抱かれるくらいならば、今すぐ殺された方がマシだ。
いっそ舌を噛んで―――必死に抵抗を試みながらも、そんなことが頭を過ぎった、その時―――。
「そこまでだ、牙琉霧人」
張り詰めた空間に、凛と響く声があった。
法介のみならず、霧人までもが驚きに身を揺らし、動きを止める。
独房の中に現れた男は、鋭い視線で霧人を射る。
「牙琉検事……?」
すぐには信じられず、呆然と呟く法介に、響也は霧人に向けるのとは違う優しい眼差しを投げかける。
「大丈夫かい?おデコくん」
「どうしてここに……?」
「キミの様子がここ数日ずっと変なのには、気付いていたからね。
あの手紙をようやく見つけて、大急ぎで来たんだけど……遅くなって、ゴメンね」
にっこりと法介を安心させるように微笑む響也に、法介は泣きたくなる。
何一つ彼が謝ることなどない。
寧ろ迷惑を掛けたのは、自分の方なのにと。
「さぁ、とっととおデコくんから離れて貰えるかな?
アンタなら分かっていると思うけど、僕の逆鱗にこれ以上触れないでくれ。
でないと、感情も行動もセイギョできなくなってしまうよ」
再び、響也の視線は霧人へと向けられる。
今まで法介が見たことが無いくらい怜悧で、相手を蔑むかのような瞳で、霧人を見下ろす。
響也の本気を感じ取ったのだろう。
霧人は深々と息を吐き出すと、法介から身を離し、立ち上がる。
そうして真正面から響也の視線を受け止めた。
「どこまで私の邪魔をすれば、気が済むのですか?響也。
こんなまぐれで勝った新人弁護士など、おまえには相応しくないでしょうに。
誰かのために必死になるなど、おまえらしくもない」
そんな霧人の言葉を、響也は鼻で笑い飛ばす。
「そんなことをアンタに指図されたくないね。
選ぶのは僕自身だ。
そしてその選択に僕が後悔を覚えたことは一度もない」
霧人がくいっと眼鏡のブリッジ部分を押し上げる。
再びレンズに光が反射して、その瞳を隠してしまう。
「私に一度ならず二度までも刃向かうとは……赦しませんよ、響也」
対する響也は全く怯まない。
「アンタにユルしてもらう必要なんて、これっぽっちもないさ。
こっちが謝ってもらいたいくらいだね」
そう吐き捨てるように言い捨てて、響也は法介の傍に屈み込み、その手を取り立たせてやる。
そうして自らのジャケットを脱ぐと、それを法介の肩に包み込むようにしてかけた。
その温もりに、法介はようやくほっと安堵の息を漏らす。
「行こうか、おデコくん」
法介の肩を抱き、響也はここから出るように促す。
もはや無駄だと悟ったのか、霧人はそのままの姿勢で動かない。
去っていく二人の背を、何を想うのか感情の読み取れぬ瞳で霧人は見つめていた。
「もう兄とは呼んでくれないのですか?響也」
「僕のアニキは七年前に死んだよ」
振り返ることもなく、響也は淡々と答えを返す。
そのまま霧人の視界から消え行くと思った二人だったが、その足が止まった。
振り返ったのは、響也ではなく法介だった。
まっすぐと霧人を見つめ、
「さようなら」
はっきりとした声で、一言そう告げた。
それは決別の言葉だ。
法介の中に深く根を張っていた「牙琉霧人」への。
そして今度こそ二人の姿は消えた。
後に残された霧人は、しばしの沈黙の後、彼らしからぬ大声で笑い出した。
愉快でしかたないというように。
「―――私は諦めない。
この手で直接果たせなかったことは残念だが、如何なる手段をもってしても必ず殺すよ……王泥喜法介。
きみの騎士はどこまで守りきれるかな。
決して赦しはしない……王泥喜法介、牙琉響也、成歩堂龍一……お前達を」
そんな狂人の声は、冷たい闇の中へと消えていった―――。
外に出ると、燦々と輝く太陽の光に、法介は思わず目を細めた。
助かったんだと、改めてそう思うと、反射的に身体が震えた。
それに気付いた響也が、法介の顔を覗き込む。
「大丈夫かい?」
心配そうなその声に、法介は響也を心配させまいと、慌てて笑顔を作った。
「もう平気ですよ!
助けてくれてありがとうございました、牙琉検事」
響也はしかし、そんな法介を包み込むようにして抱きしめた。
「無理はしなくていいよ、法介」
そう法介の耳元に囁きかける。
滅多に口にしない法介の名を呼んで。
どうしていつも彼にはこうも簡単に、自分の心が見抜かれてしまうのだろうか。
暖かな温もりと、自分の名を呼んでくれるその声に、法介の中で張り詰めていたものがとうとう切れた。
様々な想いが渦を巻いていて、それが涙となって零れ落ちてくる。
響也の胸に顔を埋めて、法介は感情が赴くままにただ泣いた。
響也はなにも言わず、そんな法介を守るようにただ抱きしめ続けていたのだった。
2007.07.14 up