新た
なる風
Act5
法介が響也のマンションに戻ると、彼は既に帰宅していた。
昼食後、成歩堂なんでも事務所に寄り、みぬきと話しこんでいた為にそれなりに遅い時間にはなったが、まさかもう響也が帰ってきているとは思わなかった。
それはいつも響也は忙しそうにしているからだ。
「お帰り、おデコくん。
もう一本の腕はブジかい?」
そんな声に迎えられて、法介は響也のからかいに憮然とするよりも、びっくりしてしまった。
ぱちぱちと目を瞬かせる法介に、響也の方も拍子抜けしたのかきょとんとなる。
「どうしたんだい?」
「あっ……いえ、お帰りなんてあんまり言われたことがないので、新鮮な響きだなぁーって思って」
幼い頃から両親がおらず、肉親の縁が薄かった法介にとって、それはどこか遠い言葉だった。
長じてからは自分で鍵を開けて、一人きりの部屋に帰るのが当たり前だったから、尚のこと耳にすることもなかったのだ。
実際そう言って迎えて貰うと、何故だか心がほっと温まると同時に照れくさい。
響也は法介の生い立ちを知らない為に、そう法介に説明されてもぴんとこない様子だった。
朝食を摂ったダイニングテーブルの上には、夕食らしき食事が準備されている。
またもや普段の法介の食卓には並ばない、豪華なものばかりだった。
「うわーっ、肉にもの凄い厚みがありますよ、牙琉検事!」
先程の照れ隠しのように、法介はメインらしいステーキに大仰に驚いてみせる。
「丁度今、出来上がったばかりだよ。
そろそろおデコくんが戻ってきそうな気がしたんでね。
さすが僕だよね―――読みにマチガイはなかった」
そんな法介の様子に笑いながら、響也は自画自賛も忘れない。
夕食もまた響也が作ってくれたらしい。
朝食同様に、法介が食べやすいようにどの食材も一口サイズにカットされている。
それに再び感謝しつつ、法介は響也との夕食の席についた。
「何だか俺、このままだと丸々と太ってしまいそうです」
美味しい食事に舌鼓をうちつつ、法介がじみじみと言うと、
「君を太らせるだけ太らせて、僕は君を食べてしまう気かもしれないよ」
響也はわざとらしく、ぺろりと舌を出す。
「お……俺なんてちーっとも、美味しくないと思いますよ」
ぶるぶると法介も大げさに震えてみせる。
そんな風に笑いあって、とても和やかな食卓だった。
法介も初めて昨日ここに来た時が嘘のように、緊張が解れている。
法介が話す他愛もない言葉の一つ一つにも、響也は耳を傾けてくれて、楽しそうな笑顔を浮かべられると、法介も嬉しくなった。
食事が終わって、ひと段落した後、法介はシャワーを借りた。
響也は手を貸してくれようとしたが、流石にこればかりは固辞した。
いつもは強引な響也もほっとした様子で、法介をバスルームに案内し、「何かあれば声を掛けて」と告げただけで去っていった。
男同士なのだから裸を見られたところでどうということはないのだが、やはり何処か気恥ずかしかったのだ。
それは自分が一般的な男より背が低く、どちらかというと貧相な体躯であることを法介が自覚しているせいかもしれない。
服を着ていても、引き締まった立派な身体つきと一目で分かる響也とは大違いで、そんな彼の前で自分の身体を晒すのは同じ男として悔しい思いもある。
響也とて、敢て男の裸など見たくはないだろう。
法介が手伝いを遠慮した時、明らかに安堵したようだったから。
悪戦苦闘しながら服を脱ぎ終わった頃には、既に汗だくだった。
ただ浴室はこれまた広々としていた為に、それほどの苦労なくシャワーを浴びれた。
ギプスも昔のものと違い少々は濡れても大丈夫だと医師から聞いていたから、なるべく濡らさぬよう注意したくらいだ。
法介の自宅の狭いユニットバスではこうはいくまい。
「本当に良い所に住んでるよなぁ……牙琉検事」
湯船には浸からなかったが、浴槽は足を充分に伸ばせそうだし、テレビもついている。
ジェットバスやらスチームサウナまで完備されていて、思わず法介は一人呟いてしまう。
(綺麗な女の人とか連れ込んで、ますますうっとりさせちゃってるんだろうなぁ)
ぼーっとそんなことを考えて、法介はちくりと胸が痛むのを感じた。
ん?と法介は首を傾げる。
なんだったというのだろう、今の感覚は。
響也と女性が二人並ぶ姿を想像して、胸が疼いた。
自分ではこんな風に良い部屋で、甘い台詞を口にして、異性を魅了することなんかどう足掻いても無理そうだという―――響也に対するそんな羨望の現れなのだろうか。
どうもしっくりこないが、しかしそうとしか考えられない。
「おデコくん、大丈夫かい?」
と、法介の思考を中断させるかのように、浴室の向こうから響也の声が聞こえた。
すりガラスの向こうに、人影が見える。
なかなか出てこない法介が、のぼせているのでは心配したらしい。
「あっ、大丈夫です!
もう出ます」
「ならいいけど」
響也の安堵したような声がし、バスルームから出て行く気配がする。
法介はもうそれ以上考えることを止め、浴室から出た。
そうしてまたもや一苦労してパジャマに着替えると、バスルームを後にした。
響也は自室に戻ったとばかり思っていた法介は、自分もそのままゲストルームへ向かおうとした。
しかし、リビングに微かに照明がついてることに気付き、そちらに足を向ける。
そこに響也はいた。
ソファに腰掛け、手に持った資料に目を通している。
その眼差しはとても真摯で、法介には気付いていないようだ。
あれは―――検事としての響也の顔だ……そうすぐに法介は気付く。
普段の気障な笑顔からは想像のつかない、厳しい横顔だった。
以前刑事の眉月大庵が言っていた言葉を思い出す。
「あいつはああ見えて、真面目なんだ」
と。
法廷でも笑みを崩さず、軽薄そうなその口調から、真面目ということばからは最も縁遠そうに見える。
だが、実際は眉月の言う通りなのだろう。
こうして真剣に携わる事件の資料に目を通し、法廷に臨む。
弁護士が矛盾を突いても、それが矛盾足りえなければ容赦なく切り捨てるし、それが本当に疑問であったならば究明しようとする。
そうして真実が何であるかを見極めようとするのだ―――牙琉響也という男は。
そんな響也の姿を見つめて、何だか法介の胸は熱くなる。
一刻も早く怪我を治して、法廷に立ちたい。
弁護の依頼があるかどうかは分からないが、事件に隠された真実があるのなら、響也と共にそれを見つけ出したいと思った。
響也とでなければ出来ないことだとも。
有罪か無罪か。
そんなことには拘りなく。
そんな風にして、響也と法介の共同生活は恙無く日々過ぎていった。
互いの胸の内に不可解な想いを抱えながらも。
オフィスやスタジオに籠ったり、また異性との一夜を過ごすことも多く、普段の響也はあまり自宅に帰ることはなかったが、法介を自宅に招いてからは、毎日早くに帰宅するようにしていた。
遅くなりそうな時にも、仕事を持ち帰って、自宅で続きをすることにして。
嫌々や渋々といった感情はまるでなく、法介が響也の料理や助けを喜んでくれることが嬉しかった。
そうでなければ、自宅に仕事など持ち帰らない。
しかしそんな生活ももう明日には終わりを告げる。
とうとう法介のギプスが取れることになったのだ。
内心、響也はほっとした。
法介の面倒をみることを、疎ましく思っていたり面倒だと思っていたからでは決してない。
そうではなく―――。
響也が風呂からあがってくると、法介はリビングのソファでぐっすり眠っていた。
ソファの前のガラスのローテーブル上には、ワインのボトルやらつまみやらが散乱している。
明日でギプスが取れるということで、前祝いとばかりに先程まで二人で酒盛りしていたのだ。
口当たりは良いが、強いワインを「美味しい、美味しい」と法介はがぶ飲みし、案の定つぶれてしまった。
多分そのワイン一本の値段を知れば、法介は別の意味ひっくり返るだろうが、もちろんそんなセコいことを言うつもりは響也にはない。
響也も法介に合わせて同じくらい飲んだのだが、法介とは違いけろりとしたものだ。
酔いつぶれてしまった法介を起こそうとしたが、「うーん」と唸るだけで一向に目を覚まさないので、仕方なしに響也は先にシャワーを浴びることにしたのだ。
バスルームから戻ってきて、
「おデコくん、こんな所で寝たらカゼを引いてしまうよ」
再びそう声を掛けるが、法介は未だ深い眠りの中にいるようで、心地よさそうな寝息を繰り返すだけだ。
はぁ……と深々溜息を落とすと、響也は法介の身体をソファから抱き上げた。
流石に男の身体だ―――軽々という訳にはいかなかったが、それでも小柄なせいか男にしては軽い。
ゲストルームまで法介の身体を運んで、ベッドの上にそっと寝かせてやる。
しかし、その衝撃で法介は目を覚ましたようで、薄っすらと目を開ける。
「あ……ガルー……けん……らー」
と、響也の顔を見て、呂律の怪しい口調でヘラヘラと笑う。
完璧なる酔っ払いだ。
本人は、「あっ、牙琉検事だ」と言ったつもりのようだが。
法介の酔って上気した頬と、トロンとした瞳、緩んだ口元、そしてほんのりと染まった肌に、響也の心臓はドクンと強く脈打った。
まるで誘われているかのようだ。
耐え切れず、響也は襲ってきた衝動のままに、ベッドの上の法介に圧し掛かった。
法介は響也の行動の意味が分からない様子で、ぼけーっと彼を見上げている。
その無防備な様子が、尚更響也を煽る。
「誘ったのは、キミだからね」
そんならしくもない言い訳を口にして、響也は法介のパジャマのボタンを一つ二つ外し、露になった鎖骨に口付けを落とした。
「プロレス……ごっこ……れすかー?」
法介はここに至ってもまだ状況を把握し切れていない。
呑気にそう言って、何が可笑しいのかケラケラと笑い声を上げる。
どうやら笑い上戸らしい。
「れも……オレ……もーねむいんれすよねー」
そんな言葉と共に、響也に組み敷かれたまま、法介は再び目を閉ざし、糸の切れた人形のようにこくりと眠ってしまった。
そんな法介を組み敷いていた響也は、呆然と取り残されてしまう。
しばらく寝入ってしまった法介の顔を見下ろしていたが、またもや深い溜息を共に、響也はベッドから身を降ろした。
そのままベッドの脇にどかりと座り込む。
さっき湧き上がってきた情動は、間違いなく欲情だった。
法介に対して、抱きたいという性的な欲求が溢れて、押さえきれなくなった。
まさか男である法介にそんな欲望を抱くことになろうとは―――。
「最近、女の子とシてないし、溜まってるのかなー。
よりによって、おデコくん相手なんて……」
響也はぽつりと冗談めかしてごちるが、心の中はもうごまかしきれなくなっていた。
法介と一緒に暮らして一週間ほど……彼の今までは知らなかったちょっとした仕草や表情に、胸が高鳴った。
彼の着替えを手助けする度に、ドクドクと鼓動が早くなった。
入浴の介助に関しては拒まれて、本当に助かったと思った。
きっと平静ではいられなかっただろうから。
そう―――押し寄せる渇きにも似たこの欲情は、今に始まったものではない。
法介と生活を共にし始めて、幾度となく感じたものだ。
それに気付かぬ振りをして、理性で押さえつけてきた。
だがもう限界だ。
真実から目を逸らすようなことは、自分がなによりも軽蔑していることなのだ。
もう偽れない。
目を逸らさない。
本心から逃げたりはしない。
(僕は、王泥喜法介に恋をしている……彼のことがスキなんだ)
そう認めてしまえば、すっと胸の痞えが下りた気がする。
法介に恋しているなんて、勘違いだと思い続けていた方が楽かと思ったが、こうして認めてしまった方が余程楽だった。
今まで悩んでいたことがなんだか滑稽で、笑えてくる。
「あはははは」
笑い声を上げながら、首を捻り響也はベッドの法介へ視線を移す。
気持ちよさそうに法介は夢の中だ。
「そんなムボウビなままでいると、本当に喰ってしまうよ、おデコくん」
本当に明日でこの生活が終わることになって、良かった。
このままでいたならば、自分の欲を抑える自信が響也にはなかったからだ。
無理矢理にでも抱いてしまうかもしれないから―――。
翌朝。
二日酔いで痛む頭を抱えながら、法介は玄関先で響也に深々と頭を下げていた。
「色々とお世話になって、本当にありがとうございました!」
と、無駄にデカイ自分の声が頭に響く。
「いやいや、これくらいのこと、この僕に掛かれば大したことはないさ。
ま、ひき逃げの車くらい、カレイに避けれるようになっておくれよ、おデコくん」
「無理ですよ!」
笑いながら響也が茶化して、法介が突っ込む。
いつもの変わらぬパターン。
しかし響也の胸には、法介に対するこれまでと違った想いがある。
そして法介の胸にも、響也に対して今はまだ正体の掴めぬ感情が芽生えつつある。
二人の間に検事と弁護士という以外の、別の風が吹き込み始めていた―――。
昼食後、成歩堂なんでも事務所に寄り、みぬきと話しこんでいた為にそれなりに遅い時間にはなったが、まさかもう響也が帰ってきているとは思わなかった。
それはいつも響也は忙しそうにしているからだ。
「お帰り、おデコくん。
もう一本の腕はブジかい?」
そんな声に迎えられて、法介は響也のからかいに憮然とするよりも、びっくりしてしまった。
ぱちぱちと目を瞬かせる法介に、響也の方も拍子抜けしたのかきょとんとなる。
「どうしたんだい?」
「あっ……いえ、お帰りなんてあんまり言われたことがないので、新鮮な響きだなぁーって思って」
幼い頃から両親がおらず、肉親の縁が薄かった法介にとって、それはどこか遠い言葉だった。
長じてからは自分で鍵を開けて、一人きりの部屋に帰るのが当たり前だったから、尚のこと耳にすることもなかったのだ。
実際そう言って迎えて貰うと、何故だか心がほっと温まると同時に照れくさい。
響也は法介の生い立ちを知らない為に、そう法介に説明されてもぴんとこない様子だった。
朝食を摂ったダイニングテーブルの上には、夕食らしき食事が準備されている。
またもや普段の法介の食卓には並ばない、豪華なものばかりだった。
「うわーっ、肉にもの凄い厚みがありますよ、牙琉検事!」
先程の照れ隠しのように、法介はメインらしいステーキに大仰に驚いてみせる。
「丁度今、出来上がったばかりだよ。
そろそろおデコくんが戻ってきそうな気がしたんでね。
さすが僕だよね―――読みにマチガイはなかった」
そんな法介の様子に笑いながら、響也は自画自賛も忘れない。
夕食もまた響也が作ってくれたらしい。
朝食同様に、法介が食べやすいようにどの食材も一口サイズにカットされている。
それに再び感謝しつつ、法介は響也との夕食の席についた。
「何だか俺、このままだと丸々と太ってしまいそうです」
美味しい食事に舌鼓をうちつつ、法介がじみじみと言うと、
「君を太らせるだけ太らせて、僕は君を食べてしまう気かもしれないよ」
響也はわざとらしく、ぺろりと舌を出す。
「お……俺なんてちーっとも、美味しくないと思いますよ」
ぶるぶると法介も大げさに震えてみせる。
そんな風に笑いあって、とても和やかな食卓だった。
法介も初めて昨日ここに来た時が嘘のように、緊張が解れている。
法介が話す他愛もない言葉の一つ一つにも、響也は耳を傾けてくれて、楽しそうな笑顔を浮かべられると、法介も嬉しくなった。
食事が終わって、ひと段落した後、法介はシャワーを借りた。
響也は手を貸してくれようとしたが、流石にこればかりは固辞した。
いつもは強引な響也もほっとした様子で、法介をバスルームに案内し、「何かあれば声を掛けて」と告げただけで去っていった。
男同士なのだから裸を見られたところでどうということはないのだが、やはり何処か気恥ずかしかったのだ。
それは自分が一般的な男より背が低く、どちらかというと貧相な体躯であることを法介が自覚しているせいかもしれない。
服を着ていても、引き締まった立派な身体つきと一目で分かる響也とは大違いで、そんな彼の前で自分の身体を晒すのは同じ男として悔しい思いもある。
響也とて、敢て男の裸など見たくはないだろう。
法介が手伝いを遠慮した時、明らかに安堵したようだったから。
悪戦苦闘しながら服を脱ぎ終わった頃には、既に汗だくだった。
ただ浴室はこれまた広々としていた為に、それほどの苦労なくシャワーを浴びれた。
ギプスも昔のものと違い少々は濡れても大丈夫だと医師から聞いていたから、なるべく濡らさぬよう注意したくらいだ。
法介の自宅の狭いユニットバスではこうはいくまい。
「本当に良い所に住んでるよなぁ……牙琉検事」
湯船には浸からなかったが、浴槽は足を充分に伸ばせそうだし、テレビもついている。
ジェットバスやらスチームサウナまで完備されていて、思わず法介は一人呟いてしまう。
(綺麗な女の人とか連れ込んで、ますますうっとりさせちゃってるんだろうなぁ)
ぼーっとそんなことを考えて、法介はちくりと胸が痛むのを感じた。
ん?と法介は首を傾げる。
なんだったというのだろう、今の感覚は。
響也と女性が二人並ぶ姿を想像して、胸が疼いた。
自分ではこんな風に良い部屋で、甘い台詞を口にして、異性を魅了することなんかどう足掻いても無理そうだという―――響也に対するそんな羨望の現れなのだろうか。
どうもしっくりこないが、しかしそうとしか考えられない。
「おデコくん、大丈夫かい?」
と、法介の思考を中断させるかのように、浴室の向こうから響也の声が聞こえた。
すりガラスの向こうに、人影が見える。
なかなか出てこない法介が、のぼせているのでは心配したらしい。
「あっ、大丈夫です!
もう出ます」
「ならいいけど」
響也の安堵したような声がし、バスルームから出て行く気配がする。
法介はもうそれ以上考えることを止め、浴室から出た。
そうしてまたもや一苦労してパジャマに着替えると、バスルームを後にした。
響也は自室に戻ったとばかり思っていた法介は、自分もそのままゲストルームへ向かおうとした。
しかし、リビングに微かに照明がついてることに気付き、そちらに足を向ける。
そこに響也はいた。
ソファに腰掛け、手に持った資料に目を通している。
その眼差しはとても真摯で、法介には気付いていないようだ。
あれは―――検事としての響也の顔だ……そうすぐに法介は気付く。
普段の気障な笑顔からは想像のつかない、厳しい横顔だった。
以前刑事の眉月大庵が言っていた言葉を思い出す。
「あいつはああ見えて、真面目なんだ」
と。
法廷でも笑みを崩さず、軽薄そうなその口調から、真面目ということばからは最も縁遠そうに見える。
だが、実際は眉月の言う通りなのだろう。
こうして真剣に携わる事件の資料に目を通し、法廷に臨む。
弁護士が矛盾を突いても、それが矛盾足りえなければ容赦なく切り捨てるし、それが本当に疑問であったならば究明しようとする。
そうして真実が何であるかを見極めようとするのだ―――牙琉響也という男は。
そんな響也の姿を見つめて、何だか法介の胸は熱くなる。
一刻も早く怪我を治して、法廷に立ちたい。
弁護の依頼があるかどうかは分からないが、事件に隠された真実があるのなら、響也と共にそれを見つけ出したいと思った。
響也とでなければ出来ないことだとも。
有罪か無罪か。
そんなことには拘りなく。
そんな風にして、響也と法介の共同生活は恙無く日々過ぎていった。
互いの胸の内に不可解な想いを抱えながらも。
オフィスやスタジオに籠ったり、また異性との一夜を過ごすことも多く、普段の響也はあまり自宅に帰ることはなかったが、法介を自宅に招いてからは、毎日早くに帰宅するようにしていた。
遅くなりそうな時にも、仕事を持ち帰って、自宅で続きをすることにして。
嫌々や渋々といった感情はまるでなく、法介が響也の料理や助けを喜んでくれることが嬉しかった。
そうでなければ、自宅に仕事など持ち帰らない。
しかしそんな生活ももう明日には終わりを告げる。
とうとう法介のギプスが取れることになったのだ。
内心、響也はほっとした。
法介の面倒をみることを、疎ましく思っていたり面倒だと思っていたからでは決してない。
そうではなく―――。
響也が風呂からあがってくると、法介はリビングのソファでぐっすり眠っていた。
ソファの前のガラスのローテーブル上には、ワインのボトルやらつまみやらが散乱している。
明日でギプスが取れるということで、前祝いとばかりに先程まで二人で酒盛りしていたのだ。
口当たりは良いが、強いワインを「美味しい、美味しい」と法介はがぶ飲みし、案の定つぶれてしまった。
多分そのワイン一本の値段を知れば、法介は別の意味ひっくり返るだろうが、もちろんそんなセコいことを言うつもりは響也にはない。
響也も法介に合わせて同じくらい飲んだのだが、法介とは違いけろりとしたものだ。
酔いつぶれてしまった法介を起こそうとしたが、「うーん」と唸るだけで一向に目を覚まさないので、仕方なしに響也は先にシャワーを浴びることにしたのだ。
バスルームから戻ってきて、
「おデコくん、こんな所で寝たらカゼを引いてしまうよ」
再びそう声を掛けるが、法介は未だ深い眠りの中にいるようで、心地よさそうな寝息を繰り返すだけだ。
はぁ……と深々溜息を落とすと、響也は法介の身体をソファから抱き上げた。
流石に男の身体だ―――軽々という訳にはいかなかったが、それでも小柄なせいか男にしては軽い。
ゲストルームまで法介の身体を運んで、ベッドの上にそっと寝かせてやる。
しかし、その衝撃で法介は目を覚ましたようで、薄っすらと目を開ける。
「あ……ガルー……けん……らー」
と、響也の顔を見て、呂律の怪しい口調でヘラヘラと笑う。
完璧なる酔っ払いだ。
本人は、「あっ、牙琉検事だ」と言ったつもりのようだが。
法介の酔って上気した頬と、トロンとした瞳、緩んだ口元、そしてほんのりと染まった肌に、響也の心臓はドクンと強く脈打った。
まるで誘われているかのようだ。
耐え切れず、響也は襲ってきた衝動のままに、ベッドの上の法介に圧し掛かった。
法介は響也の行動の意味が分からない様子で、ぼけーっと彼を見上げている。
その無防備な様子が、尚更響也を煽る。
「誘ったのは、キミだからね」
そんならしくもない言い訳を口にして、響也は法介のパジャマのボタンを一つ二つ外し、露になった鎖骨に口付けを落とした。
「プロレス……ごっこ……れすかー?」
法介はここに至ってもまだ状況を把握し切れていない。
呑気にそう言って、何が可笑しいのかケラケラと笑い声を上げる。
どうやら笑い上戸らしい。
「れも……オレ……もーねむいんれすよねー」
そんな言葉と共に、響也に組み敷かれたまま、法介は再び目を閉ざし、糸の切れた人形のようにこくりと眠ってしまった。
そんな法介を組み敷いていた響也は、呆然と取り残されてしまう。
しばらく寝入ってしまった法介の顔を見下ろしていたが、またもや深い溜息を共に、響也はベッドから身を降ろした。
そのままベッドの脇にどかりと座り込む。
さっき湧き上がってきた情動は、間違いなく欲情だった。
法介に対して、抱きたいという性的な欲求が溢れて、押さえきれなくなった。
まさか男である法介にそんな欲望を抱くことになろうとは―――。
「最近、女の子とシてないし、溜まってるのかなー。
よりによって、おデコくん相手なんて……」
響也はぽつりと冗談めかしてごちるが、心の中はもうごまかしきれなくなっていた。
法介と一緒に暮らして一週間ほど……彼の今までは知らなかったちょっとした仕草や表情に、胸が高鳴った。
彼の着替えを手助けする度に、ドクドクと鼓動が早くなった。
入浴の介助に関しては拒まれて、本当に助かったと思った。
きっと平静ではいられなかっただろうから。
そう―――押し寄せる渇きにも似たこの欲情は、今に始まったものではない。
法介と生活を共にし始めて、幾度となく感じたものだ。
それに気付かぬ振りをして、理性で押さえつけてきた。
だがもう限界だ。
真実から目を逸らすようなことは、自分がなによりも軽蔑していることなのだ。
もう偽れない。
目を逸らさない。
本心から逃げたりはしない。
(僕は、王泥喜法介に恋をしている……彼のことがスキなんだ)
そう認めてしまえば、すっと胸の痞えが下りた気がする。
法介に恋しているなんて、勘違いだと思い続けていた方が楽かと思ったが、こうして認めてしまった方が余程楽だった。
今まで悩んでいたことがなんだか滑稽で、笑えてくる。
「あはははは」
笑い声を上げながら、首を捻り響也はベッドの法介へ視線を移す。
気持ちよさそうに法介は夢の中だ。
「そんなムボウビなままでいると、本当に喰ってしまうよ、おデコくん」
本当に明日でこの生活が終わることになって、良かった。
このままでいたならば、自分の欲を抑える自信が響也にはなかったからだ。
無理矢理にでも抱いてしまうかもしれないから―――。
翌朝。
二日酔いで痛む頭を抱えながら、法介は玄関先で響也に深々と頭を下げていた。
「色々とお世話になって、本当にありがとうございました!」
と、無駄にデカイ自分の声が頭に響く。
「いやいや、これくらいのこと、この僕に掛かれば大したことはないさ。
ま、ひき逃げの車くらい、カレイに避けれるようになっておくれよ、おデコくん」
「無理ですよ!」
笑いながら響也が茶化して、法介が突っ込む。
いつもの変わらぬパターン。
しかし響也の胸には、法介に対するこれまでと違った想いがある。
そして法介の胸にも、響也に対して今はまだ正体の掴めぬ感情が芽生えつつある。
二人の間に検事と弁護士という以外の、別の風が吹き込み始めていた―――。
2007.06.29 up