新た
なる風
Act3
法介から憂鬱な面持ちで退院すると聞かされた時、響也は咄嗟に言ってしまった。
「ふーん……じゃぁ、僕の部屋に来るかい?」
と。
法介は面食らった様子で、目を瞬いている。
だが一番驚いていたのは、何を隠そう響也自身だった。
頭で考えるよりも先に、そんな言葉が出てしまったのだ。
もちろんそんな様子はおくびにも出さなかったけれど。
響也は別段、面倒見の良い人間ではない。
怪我人を放っておけないというような、優しさと自愛溢れる性格でも決してない。
寂しい訳でもなかったし、独りで過ごすことの方が苦にならない。
なのに何故、そんな誘いの言葉が口を突いて出たのだろう。
女性になら兎も角も、同性の法介に対して。
それは法介と出会ってから、彼のことが気になって仕方がないことに由来するのかもしれない。
ただはっきりとした原因が、響也にはまだ分からなかった。
しかし、当然のことながら、法介は激しく遠慮した。
遠慮というよりも、むしろ拒絶といった方が正しかったのかもしれないが。
そんなやり取りの中で、
「そんな親しい間柄でもないですし……」
と言われた時、響也は思わずむっと眉根を寄せた。
正直、酷く腹が立ったのだ。
現在の法介と自分との距離を、突きつけられたように思えて。
冷静になって考えてみれば、法介の言っていることは至極正しい。
まだ出逢ってから、それほど時間は流れていない。
仕事以外で顔を合わせることも、そうそうない。
検事と弁護士―――それ以上でも以下でもない関係。
それをいきなり面倒を見るから、部屋に来るかと言われて、はいと頷く人間の方が珍しいだろう。
だがそれでも引き下がりたくないという気持ちが、響也の中で圧倒的優位を占めていた。。
法介はむっつりと黙り込んでしまった響也を前に、居心地悪そうにしている。
「あのー……」
と、口を開きかけた法介を、響也は己の言葉で遮ってしまう。
自分でも馬鹿馬鹿しくなるような理屈を捲くし立て、法介が呆れ半分諦め半分で口を噤んだのをいいことに、
「じゃぁ、そういう訳で、明日迎えにきてあげるよ」
と告げると、響也はさっさと病室を後にした。
かなりの強引さだと自覚していたが、プライベートで法介と過ごす時間を持ってみたかった。
検事と弁護士としての仕事上の付き合いだけでは、物足りなくなっている。
法介との法廷でのバトルは、いつも響也を熱くさせてくれるが、もっともっと彼のことを知りたいと思う自分がいる。
それだけは確かだった―――。
「あら、今日は随分とご機嫌が良いのね」
行きつけのバーのカウンターでグラスを傾けていた響也に、馴染みの女が声を掛けてきた。
多分街中を歩けば多くの男が振り返るであろうスレンダーな美女だ。
「そうかな?」
響也は肩を竦めて、恍けてみせる。
自分としては普段と変わりなく飲んでいるつもりだ。
女はふふふと妖艶な笑みを浮かべる。
「いつもと雰囲気が全く違うもの。
その綺麗な顔に蕩ける様な優しい笑顔を浮かべて女を口説いても、貴方はいつもどこか醒めている。
見えない壁みたいなもを張り巡らせて、ある一定の所から他人を近づけようとはしない。
来るもの拒まずみたいな態度でいるのにね。
けど今日は纏う雰囲気からして、とっても嬉しそうで楽しそう。
いつもは感情を読み取らせない貴方の瞳が、とても優しい光を宿してるわ」
相変わらず鋭い女だと、響也は思う。
自分に関する人物評はあながち間違っていない。
そして、響也の心を躍らせているのは、もちろん明日からの生活のことだ。
なし崩しではあるが、法介と仕事以外で過ごす時間を得ることができたことに対して。
「気のせいじゃないかな?
僕はいつだって女の子に対して、アツい心で誠心誠意のアイを捧げているよ。
歌でも私生活でもね」
にっこりと極上の笑顔を浮かべて、響也は女を煙に巻く。
我ながらクサい台詞だなと、心の中では乾いた笑みを零しながら。
「嘘つきね……そうやって貴方はいつも本音を隠す。
まぁ良いわ、今日の所は騙されあげる。
だから―――」
女は言葉を切って、細く綺麗な手を響也に手に重ねてくる。
媚びて誘うような眼差しが、響也を見つめていた。
こうやって女性に誘われることには慣れている。
特別な感慨もない。
これまでの響也であったなら、そこで女の肩を抱き、幾多の異性を虜にする甘い声で、愛の言葉の一つでも耳元に囁きかけてやる。
そのままホテルにでも行って、一夜限りの情事を楽しむ。
格別な愛情などなくても、女は抱ける。
そんな風に今まで幾多の夜を過ごしてきた。
だが―――今日の響也は違った。
重ねられた女の手が酷く不快だった。
絡みつく女の視線が鬱陶しかった。
とても幸せだった気持ちに、水を差されたような気分になる。
女の手を乱暴に払い除けたい気分を、響也は何とか理性で押さえ、やんわりと振りほどく。
「ゴメンね。
今日はちょっと気分がノらないんだ」
作り笑顔と共に、響也は席を立ち、そのまま店の出口へと向かう。
その背に、袖にされた女の面白くなさそうな声が飛んだ。
「今の貴方はまるで、初めて恋を知った十代のお子様のように見えるわ。
恋に浮かれるだなんて、貴方らしくもない……滑稽だわ。
貴方をそんな風に虜にしたのは、一体どんな女なのかしら?」
「……君に僕の何が分かるっていうのかな?
余計なセンサクをするような女は、嫌いだよ―――バイバイ」
射すような女の視線に振り返りもせず、響也は店を出た。
バイクに跨り、響也は夜道を疾走する。
とくに目的の場所がある訳ではない。
響也の頭を占めているのは、先程の女の言葉だった。
―――初めて恋を知った十代のお子様……。
その言葉が屈辱だった訳ではない。
ただ意外だったのだ。
「恋」
その部分だけが、響也の頭の中でリフレインする。
その言葉の意味はもちろん知っている。
だがそれが実際にどういう感覚なのか、分からないことに今更ながらに気付く。
異性との付き合いに、熱くなったことはない。
特定の誰かに思い入れたことなどなかった。
一夜限りの関係に舞い上がり、勘違いするような異性は、感覚で分かる。
だからそんな相手には手を出すことはしない。
面倒だからだ。
後腐れなく、その場限りの関係を気軽に楽しむことが出来れば良い。
そんな刹那的な享楽が好きだった。
しかし異性ではない同性の法介がひどく気に掛かるようになった。
興味がある。
もっともっと彼のことを知りたいと思う。
そしてあの大きくて綺麗な瞳に見つめられると、胸の高鳴りを押さえられなくなるのだ。
彼が笑顔を見せてくれると、とても暖かで穏やかな気分になる。
法廷で対峙すれば、どんな逆境でも諦めない彼の姿勢に熱くなる。
その彼がひき逃げされたと聞いた時、彼を永遠に失ってしまうかもしれないと考え、その恐ろしさに身が震えた。
王泥喜法介という男に関する全てのことに、一喜一憂している自覚はあった。
ただこの胸にあるそんな感情の正体が何であるのか、ずっと分からないままだった。
(この気持ちが恋なのか……?)
いやしかしまさかと……響也は僅かに首を振る。
法介は自分と同じ男であって、自分は無類の女好きである。
そっちの趣味はない。
男相手に欲情したことなど、今まで一度たりともないし、想像するだけで怖気立つ。
だがそれが法介相手だったとしたら―――考えてみようとして、それを振り払い苦笑する。
在り得ない事をいくら想像してみたところで、時間の無駄だ。
「恋」という言葉の呪縛から逃れようとでもするかのように、響也はただひたすらにバイクを走らせた。
翌夕、すっきしない気持ちを抱えたままその日の予定を終えた響也は、タクシーで法介を迎えに行った。
明け方近くまでバイクを走らせたが、結局「恋」という言葉は、響也の中に未だ根を下ろしたままだ。
窓際に頬杖を付き、響也は窓の外を眺める。
だが風景など実際はまったく目に入っていない。
隣に座った法介は、随分と居心地が悪そうだった。
しきりに響也の自宅へ向かうのを遠慮しようとする。
どうやら、響也が黙り込んでいるのは、自分のことが迷惑だからに違いないと法介は考えているようだ。
響也の頭を悩ませているのは、確かに法介のことではあるが、迷惑などとは思っていない。
何度もそう言った筈なのに、法介はなかなか納得してはくれない。
昨夜からずっと頭を悩ませているのは、この男に対する気持ちの正体についてだというのに、人の気も知らないで―――と、完全に八つ当たりの感情が芽生えてしまう。
だから、
「構わないと言っているだろう」
と、ついつい強い口調で言ってしまった。
だがはたと、響也はすぐに我に返る。
法介は面食らった様子で、響也を見つめている。
響也は直ぐに笑顔を浮かべ、寝不足で苛々していたせいだと謝罪した。
(らしくないな)
響也は心中で嘆息する。
自分の悩みなど何も知らない怪我人の法介にあたるなど、最低だ。
僅かに頭を振って、響也は気持ちを何とか切り替える。
今は法介に対する自分の感情を分析するよりも、彼の怪我のケアについて一番に考えなければならないのだから。
いつものような軽口に戻った響也に、法介は安心した様子だった。
そしていよいよ響也のマンションに到着した時、法介は随分と驚愕していた。
まるで小さな子供のように、見るもの見るもの珍しそうに、目を輝かせている。
響也の部屋に案内すると、そこでも法介は同じような調子だった。
その様子がなんだか小動物のようで、可笑しい。
そういえばあのピンと立った二本の前髪は、ウサギみたいだなと思い至る。
そう思うとなんとも可愛らしく思える。
考えてみれば、自宅に誰かを入れたことは響也にとっては初めてだ。
あまり帰ってこない部屋とはいえ、ここが自宅であることには変わりない。
ボーカリストでもなく、検事でもない、ただの牙琉響也に戻る場所―――そこに他人を踏み込ませたくはなかったのだ。
女性にどんなにせがまれても、頑として首を縦に振ることはなかった。
しかしこうして法介を迎え入れることに、響也の心には何の抵抗も湧いてはこない。
不思議な感覚だ。
やはり彼のことをある種特別に感じてる自分を、響也は認めざるを得なかった。
コーヒーを振舞った後、響也は法介をゲストルームへと案内した。
必要だと思われるものは粗方揃えているつもりだったが、足りないものがあれば言ってくれと申し添える。
法介はいたく恐縮しているようだった。
その彼の顔色があまり良くないことに、ふと響也は気付く。
なんでもないという法介の言葉は無視し、響也は彼の額に手を当てる。
特に熱さは感じず、熱はないみたいだと安心したが、疲れさせてしまったようだと反省する。
響也が眠るように促すと、やはり気疲れしていたのだろう……法介は素直に頷いた。
パジャマを取り出し、遠慮する法介に構わず、響也は彼が着替えるのを手伝う。
手助けがなければ、今着ている服を脱ぐのも一苦労なくせに、一体着替えるまでにどれだけ時間が掛かることかと呆れながら。
こうやってサポートする為に自分は法介をここに連れてきたのだから、遠慮されては響也としては立つ瀬がない。
しかし法介がまず服を脱ぐのを手伝いながら、響也はまたもや妙な感覚に襲われていた。
普段はネクタイが締められていて見えない彼の鎖骨や、日に焼けていない白い胸元に胸がざわめく。
―――おかしい……。
相手は男で、豊満で誘うような女性の身体つきとは程遠い。
なのになぜこうも胸が騒ぐのか。
響也は法介に気取られぬよう彼の身体からそっと視線を外す。
器用な響也は法介をちゃんと見ていなくとも、感覚だけで手早くパジャマへと着替えさせてしまう。
ベッドに横たわった法介は、そんな響也の様子に気付いた風ではない。
眠りに落ちる間際、
「牙琉検事って……男にも優しかったんですねぇ……」
そんな言葉を呟いて、法介は目を閉じた。
響也は眠りに付いた法介の顔をじっと見つめる。
法介以外の男に、同じことが出来るかと言えば、絶対に出来ないだろうと響也はきっぱり言い切る自信がある。
響也が男に優しい訳では断じてなく、法介だからということに彼は全く気付いていないし、思ってもみないのだろう。
(もう認めない訳にはいかないんだろうか……僕はおデコくんのことを……。
いや……違う……そんなこと在り得ないことだろう……?)
心に浮かんだそれをまだ認めることは出来なくて、響也は大きく頭を振った。
響也は一つ溜息を付くと、照明を落とし、部屋を出た。
「ふーん……じゃぁ、僕の部屋に来るかい?」
と。
法介は面食らった様子で、目を瞬いている。
だが一番驚いていたのは、何を隠そう響也自身だった。
頭で考えるよりも先に、そんな言葉が出てしまったのだ。
もちろんそんな様子はおくびにも出さなかったけれど。
響也は別段、面倒見の良い人間ではない。
怪我人を放っておけないというような、優しさと自愛溢れる性格でも決してない。
寂しい訳でもなかったし、独りで過ごすことの方が苦にならない。
なのに何故、そんな誘いの言葉が口を突いて出たのだろう。
女性になら兎も角も、同性の法介に対して。
それは法介と出会ってから、彼のことが気になって仕方がないことに由来するのかもしれない。
ただはっきりとした原因が、響也にはまだ分からなかった。
しかし、当然のことながら、法介は激しく遠慮した。
遠慮というよりも、むしろ拒絶といった方が正しかったのかもしれないが。
そんなやり取りの中で、
「そんな親しい間柄でもないですし……」
と言われた時、響也は思わずむっと眉根を寄せた。
正直、酷く腹が立ったのだ。
現在の法介と自分との距離を、突きつけられたように思えて。
冷静になって考えてみれば、法介の言っていることは至極正しい。
まだ出逢ってから、それほど時間は流れていない。
仕事以外で顔を合わせることも、そうそうない。
検事と弁護士―――それ以上でも以下でもない関係。
それをいきなり面倒を見るから、部屋に来るかと言われて、はいと頷く人間の方が珍しいだろう。
だがそれでも引き下がりたくないという気持ちが、響也の中で圧倒的優位を占めていた。。
法介はむっつりと黙り込んでしまった響也を前に、居心地悪そうにしている。
「あのー……」
と、口を開きかけた法介を、響也は己の言葉で遮ってしまう。
自分でも馬鹿馬鹿しくなるような理屈を捲くし立て、法介が呆れ半分諦め半分で口を噤んだのをいいことに、
「じゃぁ、そういう訳で、明日迎えにきてあげるよ」
と告げると、響也はさっさと病室を後にした。
かなりの強引さだと自覚していたが、プライベートで法介と過ごす時間を持ってみたかった。
検事と弁護士としての仕事上の付き合いだけでは、物足りなくなっている。
法介との法廷でのバトルは、いつも響也を熱くさせてくれるが、もっともっと彼のことを知りたいと思う自分がいる。
それだけは確かだった―――。
「あら、今日は随分とご機嫌が良いのね」
行きつけのバーのカウンターでグラスを傾けていた響也に、馴染みの女が声を掛けてきた。
多分街中を歩けば多くの男が振り返るであろうスレンダーな美女だ。
「そうかな?」
響也は肩を竦めて、恍けてみせる。
自分としては普段と変わりなく飲んでいるつもりだ。
女はふふふと妖艶な笑みを浮かべる。
「いつもと雰囲気が全く違うもの。
その綺麗な顔に蕩ける様な優しい笑顔を浮かべて女を口説いても、貴方はいつもどこか醒めている。
見えない壁みたいなもを張り巡らせて、ある一定の所から他人を近づけようとはしない。
来るもの拒まずみたいな態度でいるのにね。
けど今日は纏う雰囲気からして、とっても嬉しそうで楽しそう。
いつもは感情を読み取らせない貴方の瞳が、とても優しい光を宿してるわ」
相変わらず鋭い女だと、響也は思う。
自分に関する人物評はあながち間違っていない。
そして、響也の心を躍らせているのは、もちろん明日からの生活のことだ。
なし崩しではあるが、法介と仕事以外で過ごす時間を得ることができたことに対して。
「気のせいじゃないかな?
僕はいつだって女の子に対して、アツい心で誠心誠意のアイを捧げているよ。
歌でも私生活でもね」
にっこりと極上の笑顔を浮かべて、響也は女を煙に巻く。
我ながらクサい台詞だなと、心の中では乾いた笑みを零しながら。
「嘘つきね……そうやって貴方はいつも本音を隠す。
まぁ良いわ、今日の所は騙されあげる。
だから―――」
女は言葉を切って、細く綺麗な手を響也に手に重ねてくる。
媚びて誘うような眼差しが、響也を見つめていた。
こうやって女性に誘われることには慣れている。
特別な感慨もない。
これまでの響也であったなら、そこで女の肩を抱き、幾多の異性を虜にする甘い声で、愛の言葉の一つでも耳元に囁きかけてやる。
そのままホテルにでも行って、一夜限りの情事を楽しむ。
格別な愛情などなくても、女は抱ける。
そんな風に今まで幾多の夜を過ごしてきた。
だが―――今日の響也は違った。
重ねられた女の手が酷く不快だった。
絡みつく女の視線が鬱陶しかった。
とても幸せだった気持ちに、水を差されたような気分になる。
女の手を乱暴に払い除けたい気分を、響也は何とか理性で押さえ、やんわりと振りほどく。
「ゴメンね。
今日はちょっと気分がノらないんだ」
作り笑顔と共に、響也は席を立ち、そのまま店の出口へと向かう。
その背に、袖にされた女の面白くなさそうな声が飛んだ。
「今の貴方はまるで、初めて恋を知った十代のお子様のように見えるわ。
恋に浮かれるだなんて、貴方らしくもない……滑稽だわ。
貴方をそんな風に虜にしたのは、一体どんな女なのかしら?」
「……君に僕の何が分かるっていうのかな?
余計なセンサクをするような女は、嫌いだよ―――バイバイ」
射すような女の視線に振り返りもせず、響也は店を出た。
バイクに跨り、響也は夜道を疾走する。
とくに目的の場所がある訳ではない。
響也の頭を占めているのは、先程の女の言葉だった。
―――初めて恋を知った十代のお子様……。
その言葉が屈辱だった訳ではない。
ただ意外だったのだ。
「恋」
その部分だけが、響也の頭の中でリフレインする。
その言葉の意味はもちろん知っている。
だがそれが実際にどういう感覚なのか、分からないことに今更ながらに気付く。
異性との付き合いに、熱くなったことはない。
特定の誰かに思い入れたことなどなかった。
一夜限りの関係に舞い上がり、勘違いするような異性は、感覚で分かる。
だからそんな相手には手を出すことはしない。
面倒だからだ。
後腐れなく、その場限りの関係を気軽に楽しむことが出来れば良い。
そんな刹那的な享楽が好きだった。
しかし異性ではない同性の法介がひどく気に掛かるようになった。
興味がある。
もっともっと彼のことを知りたいと思う。
そしてあの大きくて綺麗な瞳に見つめられると、胸の高鳴りを押さえられなくなるのだ。
彼が笑顔を見せてくれると、とても暖かで穏やかな気分になる。
法廷で対峙すれば、どんな逆境でも諦めない彼の姿勢に熱くなる。
その彼がひき逃げされたと聞いた時、彼を永遠に失ってしまうかもしれないと考え、その恐ろしさに身が震えた。
王泥喜法介という男に関する全てのことに、一喜一憂している自覚はあった。
ただこの胸にあるそんな感情の正体が何であるのか、ずっと分からないままだった。
(この気持ちが恋なのか……?)
いやしかしまさかと……響也は僅かに首を振る。
法介は自分と同じ男であって、自分は無類の女好きである。
そっちの趣味はない。
男相手に欲情したことなど、今まで一度たりともないし、想像するだけで怖気立つ。
だがそれが法介相手だったとしたら―――考えてみようとして、それを振り払い苦笑する。
在り得ない事をいくら想像してみたところで、時間の無駄だ。
「恋」という言葉の呪縛から逃れようとでもするかのように、響也はただひたすらにバイクを走らせた。
翌夕、すっきしない気持ちを抱えたままその日の予定を終えた響也は、タクシーで法介を迎えに行った。
明け方近くまでバイクを走らせたが、結局「恋」という言葉は、響也の中に未だ根を下ろしたままだ。
窓際に頬杖を付き、響也は窓の外を眺める。
だが風景など実際はまったく目に入っていない。
隣に座った法介は、随分と居心地が悪そうだった。
しきりに響也の自宅へ向かうのを遠慮しようとする。
どうやら、響也が黙り込んでいるのは、自分のことが迷惑だからに違いないと法介は考えているようだ。
響也の頭を悩ませているのは、確かに法介のことではあるが、迷惑などとは思っていない。
何度もそう言った筈なのに、法介はなかなか納得してはくれない。
昨夜からずっと頭を悩ませているのは、この男に対する気持ちの正体についてだというのに、人の気も知らないで―――と、完全に八つ当たりの感情が芽生えてしまう。
だから、
「構わないと言っているだろう」
と、ついつい強い口調で言ってしまった。
だがはたと、響也はすぐに我に返る。
法介は面食らった様子で、響也を見つめている。
響也は直ぐに笑顔を浮かべ、寝不足で苛々していたせいだと謝罪した。
(らしくないな)
響也は心中で嘆息する。
自分の悩みなど何も知らない怪我人の法介にあたるなど、最低だ。
僅かに頭を振って、響也は気持ちを何とか切り替える。
今は法介に対する自分の感情を分析するよりも、彼の怪我のケアについて一番に考えなければならないのだから。
いつものような軽口に戻った響也に、法介は安心した様子だった。
そしていよいよ響也のマンションに到着した時、法介は随分と驚愕していた。
まるで小さな子供のように、見るもの見るもの珍しそうに、目を輝かせている。
響也の部屋に案内すると、そこでも法介は同じような調子だった。
その様子がなんだか小動物のようで、可笑しい。
そういえばあのピンと立った二本の前髪は、ウサギみたいだなと思い至る。
そう思うとなんとも可愛らしく思える。
考えてみれば、自宅に誰かを入れたことは響也にとっては初めてだ。
あまり帰ってこない部屋とはいえ、ここが自宅であることには変わりない。
ボーカリストでもなく、検事でもない、ただの牙琉響也に戻る場所―――そこに他人を踏み込ませたくはなかったのだ。
女性にどんなにせがまれても、頑として首を縦に振ることはなかった。
しかしこうして法介を迎え入れることに、響也の心には何の抵抗も湧いてはこない。
不思議な感覚だ。
やはり彼のことをある種特別に感じてる自分を、響也は認めざるを得なかった。
コーヒーを振舞った後、響也は法介をゲストルームへと案内した。
必要だと思われるものは粗方揃えているつもりだったが、足りないものがあれば言ってくれと申し添える。
法介はいたく恐縮しているようだった。
その彼の顔色があまり良くないことに、ふと響也は気付く。
なんでもないという法介の言葉は無視し、響也は彼の額に手を当てる。
特に熱さは感じず、熱はないみたいだと安心したが、疲れさせてしまったようだと反省する。
響也が眠るように促すと、やはり気疲れしていたのだろう……法介は素直に頷いた。
パジャマを取り出し、遠慮する法介に構わず、響也は彼が着替えるのを手伝う。
手助けがなければ、今着ている服を脱ぐのも一苦労なくせに、一体着替えるまでにどれだけ時間が掛かることかと呆れながら。
こうやってサポートする為に自分は法介をここに連れてきたのだから、遠慮されては響也としては立つ瀬がない。
しかし法介がまず服を脱ぐのを手伝いながら、響也はまたもや妙な感覚に襲われていた。
普段はネクタイが締められていて見えない彼の鎖骨や、日に焼けていない白い胸元に胸がざわめく。
―――おかしい……。
相手は男で、豊満で誘うような女性の身体つきとは程遠い。
なのになぜこうも胸が騒ぐのか。
響也は法介に気取られぬよう彼の身体からそっと視線を外す。
器用な響也は法介をちゃんと見ていなくとも、感覚だけで手早くパジャマへと着替えさせてしまう。
ベッドに横たわった法介は、そんな響也の様子に気付いた風ではない。
眠りに落ちる間際、
「牙琉検事って……男にも優しかったんですねぇ……」
そんな言葉を呟いて、法介は目を閉じた。
響也は眠りに付いた法介の顔をじっと見つめる。
法介以外の男に、同じことが出来るかと言えば、絶対に出来ないだろうと響也はきっぱり言い切る自信がある。
響也が男に優しい訳では断じてなく、法介だからということに彼は全く気付いていないし、思ってもみないのだろう。
(もう認めない訳にはいかないんだろうか……僕はおデコくんのことを……。
いや……違う……そんなこと在り得ないことだろう……?)
心に浮かんだそれをまだ認めることは出来なくて、響也は大きく頭を振った。
響也は一つ溜息を付くと、照明を落とし、部屋を出た。
2007.06.16 up