この夢を 狩り取る術を - 狂い月の夢 - その日は、朝から気分が悪かった。 自分には珍しくも体調を崩したらしく、ひどい熱が出た。 だから、だろうか。 嫌な夢を見た。 「……………」 兵士たちとの鍛練のさなか、長い黒髪の美しい青年が疲れたように槍を下げた。この青年の名は趙雲。字は子龍。優しげな面立ちが、心なしか青ざめている。 「…大丈夫か?」 すぐ横で槍を構えていた、色素の薄い髪と瞳を持つ青年が声をかけてきた。この青年の名は馬超。字は孟起。 趙雲がよほどひどい顔をしていたのか、その声にも瞳にも、気遣うような色が含まれていた。 趙雲は大丈夫だと笑おうとしたが、上手く声にならない。戸惑ったように瞬いた瞬間、視界が急に歪んだ。 「子龍!」 慌てたようにかけられた声に、ふらつく体を何とか励ます。詫びを入れ、申し訳ないが下がらせてもらうことにした。 心配そうな視線をいくつも感じたが、それに笑顔を返すことも上手く出来ないまま、自室へと引き下がる。 ひどい目眩がした。 …誰か。 この悪夢を、消し去る術を。 この想いを、刈り取る術を。 夜中に、目を覚ました。 爪月の淡い明かりが差し込み、積もるような闇をかえって際立たせる。耳に、うるさいほどに沈黙が響いた。 汗で髪の毛が額に張り付いて気持ちが悪い。無理矢理起こした体は、風邪に特有のぞっとするような熱を湛え、だるいことこの上なかった。 「……………」 熱のためなのか、今見た夢のためなのか…炎の幻影が、視界に揺らめいた。 炎に包まれた誰かの幻影が、揺らめいた。 『―――子龍』 手を伸べる幻影に、想わず趙雲は後ずさった。 『子龍』 「………っ!」 近付く幻影に、明瞭となる声に、耳を塞いで目を伏せる。 視界が、意識が、闇に近付くほどに、炎も声も色鮮やかに蘇った。 「………様…」 この夢を、葬る術を。 この記憶を、封じる術を。 誰か。 「子龍?」 記憶に重ならない声に、趙雲ははっと目を見開いて顔を上げる。僅かな月明かりにも薄く輝く髪が、真っ先に目に入った。 「…孟起殿」 いつに無く力の入らない声でそう呟けば、馬超は怪訝そうに眉根を寄せ、屈み込んでこちらを見つめて来た。目を合わせると、その顔に安堵と心配とが入り交じるのが見えた。 「一体どうした?」 「……………」 部屋の隅で一人蹲る自分は、どれほど情けない姿だったのだろう。 答えられるはずも無く、趙雲は俯いた。 「子龍」 声音に含まれる暖かな、そしてどこか不安げな響きに、頑なに閉ざした心が痛んだ。 伸ばされた腕を、縋るように握り締める。驚いたように身じろぎした馬超の顔もまともに見れないまま、搾り出すように言葉を紡いだ。 「孟起殿…」 幻影が、声が、頭から離れない。 自分を呼び微笑する、その姿が。 炎に包まれる、その姿が。 「私は、おかしい…」 顔に血の気が無いのが、自分でもよく解った。 不安に詰まった声は、耳の奥でやけに響く。頭が痛んだ。 自分はおかしい。 褪せぬ夢、消えぬ夢、今だ新しい記憶。 その内、気が違うのでは無いかとまで思う。 そうなればいいとすら、思う。 「子龍…?」 気遣う声にも答えられない。 胸に渦巻くこれは憎しみ。これは後悔。 生き延びてしまった自分への。大切な人を救えなかった自分への。 いっそ狂ってしまえと思う自分が、どこかにいる。 これは、懴悔。 「…子龍、落ち着け」 想いに囚われ過ぎていた趙雲は、優しく力強い声にはっと我に還った。自分でも気付かぬ間に、熱がまた上がっていた。 焦点も合わない瞳を瞬くと、強い光を宿す瞳と辛うじて視線が合った。 「何も考えずに、とにかくもう一度寝ていろ」 風邪を引いて弱気になっているのだろうと、あやすように宥められた。床に戻されると、熱にうかされた頭はすぐに意識を手放し始める。 意識が闇に消えるその寸前まで、優しい温もりを感じていた。 眠りに落ちるその瞬間、趙雲は温もりに縋るかのように、その手を強く握り締めた。 心が、痛む。 自分らしくもない、と、いつになく苦々しく思った。 誰か。誰か。 この夢を忘れる術を。 この想いを、遠ざける術を。 誰か。 …どうかこの次は、夢の無い眠りを。 ......FIN written by 月影来夢様 ----------------------------------------------- 「不可思議回廊」の月影来夢サマより 頂きました素敵小説ですv 夢から逃れることの出来ない趙雲の切なさに ぐっと心揺さぶられます…。 でもいつの日かきっと馬超が趙雲を救ってくれるのではないかと 勝手に妄想してます。 本当に素晴らしい作品をありがとうございましたv |
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